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    かけはし2016.年9月5日号

東北から一矢報いた


参院選を闘って―宮城方式を全国へ

野党統一候補勝利と今後の闘い




 民主党は「懲罰選挙」とまでいわれた三年前、宮城で議席を失った。今回は福島と同じく一人区に減員となり、自民党現職と対決。民主党現職が野党統一候補として勝利した。「全国の潮流にあらがうように(政権に対して)厳しい審判を示した」「地方にくすぶる『安倍政治』への不満が東北で噴出した形だ」(河北新報社説/七月一五日)。以下は宮城からのレポート。

共闘の困難を
乗り越える努力
宮城は民主党議員を統一候補とする全国初のケースとなった(「かけはし」四月一一日号)。

 共闘の困難さが各地から伝わっていた。宮城の成否は全体に影響する。このことが意識された。桜井充議員は街頭でも「宮城方式を全国で」と強調した。宮城の民主党(当時)も積極的だった。
事前報道では桜井候補が先行していた。与党の巻き返しが強まり激戦化した。自民党は東北を最重点地域の一つに指定、首相を先頭に幹部が押しかけた(注一)。
終盤になって宮城県知事が動いた。当初の中立表明を破り、最後には自民党候補の応援弁士となった。「勝ち馬に乗ったか」のうわさが駆け巡った。
野党共闘は歩調をあわせ、自公と「こころ」などの猛追をふりきった。政策合意のなかの「原発項目」(注二)について、原発推進派労組の反発の可能性が報じられたが、それ以上は表面化しなかった。
出口調査によれば、無党派層の過半が野党共闘を支持した。四野党の結集度に比して自公支持者の投票にばらつきが見られた。「自民支持層の一割を切り崩す」との報道もあった。
いわゆる「共闘達成率」は一二六%。山形の一七一%を先頭に一人区全体で一〇番目、当選者の中では五番目(朝日新聞調査)。県内投票率は民主党躍進時代には及ばないが、前回よりは一・六四ポイント上昇した。

格差・震災
農業・憲法
「地方格差」「TPP」「原発」など、疎外感、不公平感が表出していた。「安保法制」「安倍改憲」反対の声がこれらを束ねたといえる(注三)。
暴言や失言、指定廃棄物処分など無責任な政権の姿勢。被災地は失望した。安倍政権の基本方針である「新しい東北」(注四)は、およそリアルではない。復興格差が被災者たちをくじいた。相次ぐ孤独死が悔しさをつのらせた。「復興」は与党に有利にはならなかった。
TPPの影響が指摘されている。農協系政治団体の多くが自主投票とした。民主党躍進時代、「東北の乱」では明らかに農民票の変動が起きた。そこまでではないが、TPP合意が自民党を後押しすることはなかった。
小泉進次郎議員の都市部での人気ぶりが話題になった。首相は選挙対策を想定して党の政策責任者に起用したはずだ。しかし、TPP不信を払拭できなかったばかりか、「攻めの農業」は地域を説得できなかった。

「東北は悲しい」
の声に応えて
「安倍首相は長州だ」。そのような感情がいまもあるかは分からないが、「東北の連帯感」が底流にあり、政治舞台に浮上したかのようだった。
震災後、沖縄から宮城を訪れ、全労協との懇親会に参加したある人は、私的な場で「東北(の人々)は悲しい」と言い残したという。沖縄との連帯といっても、権力に抗う姿はどこにあるのか?東北は自問自答せざるをえない。
東北は大震災から五年、四度目の国政選挙でようやく、自公政権への抵抗の意思を示した。「市民+四野党」に乗る形で。
首都圏への電力供給を担ってきた福島は、東電福島原発の破綻に直面して実に複雑な立場に置かれた。県民は何重にも分断され、政権の巧みな政治が奏功しているかのように見られてきた。その福島での共闘成立が東北の相乗効果を高めた。
各県には当然、歴史的ないきさつがある。事情をこえ、政権に立ち向かう東北の「一体感」が作り出された。
「東北から放たれた一矢は今後、どこへ向かうのか」(河北新報社説)。それが問われることになる。

衆院選・次の
参院選見据え
民進党が単独で、自公ブロックを相手にして勝つことは厳しい。「一人区共闘」を経験した人々は、小選挙区での「共倒れ」を回避する策を党派に求めるだろう。歴史的な試みは終わっていないばかりか、これからだ。
宮城の民進党は衆院選でも前向きだ。共産党も社民党も積極的だ。市民運動は各党への要請を始めている。しかし、候補の一本化には難しさがある。
今回、議席獲得の点で最も利益を得たのは民進党だ。一方、比例での議席増を期待する党派にとって、選挙区に独自候補を擁立しないことの影響がある。
衆議院小選挙区は参議院一人区より対象がはるかに多い。多様な対応が課題になるだろう。
(注一)安倍首相が公示後に遊説した一人区では、結果は二勝九敗。野党共闘は青森、岩手、宮城、福島をはじめ、新潟、長野、山梨、三重、大分で勝利(「赤旗」報道)。
(注二)「原発に依存しない社会の早期実現、再生可能エネルギーの促進を図る」
(注三)たとえば「大崎集会」(宮城全労協ニュース)
(注四)「皆が希望を持てる『新しい東北』の創造は既に始まっている・・。それを加速する手段となるのが観光」「『東北の復興なくして、日本の再生なし』。この内閣においても、『全員が復興大臣である』との認識を共有し、縦割りを排し、現場主義を徹底しながら・・」(安倍首相/復興推進会議での冒頭挨拶/八月八日)

(仙台・八木/八月一七日)

津久井やまゆり園事件に思う

介護にたずさわる立場から

赤井 岳夫

  
障がい者に
広がる恐怖
七月二六日に発生した、津久井やまゆり園(相模原市)における、障がいを持つ入所者の虐殺事件は、かつてない衝撃をもたらした。
とりわけ、障がいを持つ人たちには、「障がい者というだけで殺されるのか」という恐怖が広がっている。
障がいをテーマにしたドラマがTVに登場することも増え、パラリンピックに出場する障がいを持つアスリートのポスターを見ることも多い。一見すると「共に生きる」社会に向け前進しているかに思える日本において、まるで逆行するかのような今回の事件は、それだけに衝撃的である。

新自由主義と
差別・排外主義
津久井やまゆり園で働いていたという容疑者が、なぜこのような恐ろしい行為に至ったのか、真相はまだまだ闇の中である。しかし、容疑者が措置入院(市町村長などが、自傷行為や他傷行為のおそれがあると判断した者を強制入院させること)の経験があったことから、なんらかの精神障がいが原因ではとの憶測が飛び交っている。
そこから、「措置入院を強化せよ」という論調が強まり、「犯罪をほのめかした人物にGPS(全地球測位システム)を埋め込むようなことを議論すべきだ」(山東昭子元参議院副議長:自民党)という暴論まで出てきている。
「異常な人間による異常な犯罪」と思いたい、かたずけたい心理が、そこにはあるように感じる。しかし日本では、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことをうたった優生保護法がつい最近まであった(廃止は一九九六年)ことを想起しよう。
「障がい者は不幸な存在」という感覚が、広く「健常者社会」に根を張り続けてきた。
「突然ナチス思想が降りてきた」と、容疑者は話しているようだが、種は発芽寸前であったのだと思う。人を、どれだけカネを生み出せるかで評価する、新自由主義の価値観が「養分」を与えてきたのかもしれない。
格差が拡大し、不安定雇用が蔓延し、将来に希望が持てなくなった、その絶望感が弱い立場の人々への暴力へと向かっている……欧米の難民排斥の動き、極右政党の支持拡大、トランプ現象とも通底している、「何か恐ろしいこと」が始まっているのかもしれない。

事件はなぜ引き
起こされたのか
最後に、私は介護の仕事に長年身を置いてきた者として、障がい者施設で働いてきた容疑者が、かつての利用者を襲ったということが、どうしてもひっかかるのである。
それは、入所者一五七人という「巨大入所施設におけるケア」という問題である。おそらく介護職員も一〇〇人近くであったと思われる。
今日の障がい者福祉の主流は、入所施設の縮小と地域生活への移行(グループホームや、支援付きの自立生活)である。その中で、一五七人もの巨大な障がい者入所施設が、まだあったのか、というのが私の驚きであった。大人数の利用者への大人数の介護職員によるケアは、スケジュールに沿った流れ作業にならざるを得ず、効率化・スピードアップが至上命令となる。声かけなどをしている余裕などなく、黙々とケアを続けることとなる。
なにげない利用者との会話から、その方への共感が生まれたり、言葉のない方との関わりを重ねていく中で、その方の気持ちを感じられる瞬間に、介護職員としての自己成長を感じられたり、というのは、巨大施設における高速回転のケアでは、なかなか得られない。
福祉の仕事に希望をもって入職した新卒者が、半年も過ぎると無表情になり、意欲を失くしていく……そんな若者を、私はたくさん見てきた。
あるとき私は、訪ねた障がい者施設の利用者から「俺たちはモノ扱いなんだ」「おむつ交換なんか荷物の梱包作業みたいだ」と告げられ、その言葉が今でも忘れられずにいる。
介護労働は、人の優しさを引き出すこともあれば、残忍な感情に取り込まれることもある。両方ありうる、というのが私の経験からくる感覚である。今回の容疑者は、おそらく後者であったのだろう。
亡くなったり傷を負った津久井やまゆり園の入所者に哀悼の言葉を捧げるとともに、事件に巻き込まれた利用者と職員の心の傷を思うと、なんともやりきれない。

【訂正】本紙前号(8月29日付)の5面「新宿デモ」の記事下から3段目右から3行目の「二二日朝」を「二八日朝」に、8面上から2段目右から5行目の「ブルグンバルマルトンゲ(バフンウニか)」をベンケイガニと訂正します。

コラム

はじめてのソウル 其の参


 一九一〇年八月二二日、韓国併合条約が漢城(ソウル)で調印された。日韓併合である。これにより大韓帝国は消滅し、大日本帝国朝鮮総督府による朝鮮半島の植民地支配が始まった。それは日清戦争終結後の一八九五年、清国と交わした下関条約、日露戦争開戦後の一九〇四年に大韓帝国と交わした日韓議定書の欺瞞的な集大成であり、朝鮮民族自決権の剥奪を意味した。
 そんな武断政治に抗して一九一九年三月一日、宗教指導者三三人により発せられたのが「吾らはここに、我が朝鮮民族が独立国であり朝鮮人が自由民であることを宣言する」との一文で始まる「独立宣言」である。その日、パコダ公園(現タプコル公園)に集まった数千人の学生は「独立万歳」を叫びながらソウル市内をデモ。そしてその声に呼応する市民が続々と参加し、三・一独立運動の隊列は朝鮮半島全体に広がっていった。
 そんな歴史を持つ公園だが、園内はいたって質素。かつては李氏朝鮮王朝の護寺円覚寺があった場所とのことだが、華やかさはどこにもなく、ベンチに腰を下ろしたお年寄りの姿が多く見受けられた。園名は、国宝円覚寺址十三層の石塔「パゴダ」に由来。現在はハングル語で塔を意味する「タプコル」公園へ改称されている。
 この公園の愁眉は、何と言っても公園北東の壁沿いに建てられた三・一独立運動の様子を今に伝える一〇基のレリーフである。独立宣言朗読に始まるレリーフは、朝鮮全土に波及した独立への熱気と、朝鮮総督府の銃剣による弾圧、そして暴力に屈しない民衆の姿を生き生きと力強く描き、観る者を圧巻して止まない。今にも「独立万歳」の叫び声が聞こえてきそうな迫力だった。
 余談になるがこの公園の周辺は、日本で言えば浅草と錦糸町、そして新宿二丁目をごった煮にした所というから面白い。すべてが下町といった風情である。入りくんだ路地裏には、屋台や赤と青の回転灯が早回りする美人床屋、原色の看板が賑やかなホテルが列をなしていた。
 市内の書店で買った三冊の写真集とショルダーバッグが重い。朝から歩き通しのボクはもうバテバテだったが、案内を乞うた彼の一言に足をあげた。それは、「韓国の貧民街」を指す代名詞「タルトンネ=月の街」を訪ねることだった。タルトンネの「タル」とは「月」を、「トンネ」とは「街」を表す言葉。この言葉だけを読み聞きすれば、さぞかし詩情あふれる場所に思えるが実際はまったく違う。土地を持たない貧しい人々が、山の斜面を半ば不法占拠し、階段状に次々とバラックを建て続け住み着いた街のことである。つまり平地から遠く、いちばん月に近い場所という意味をこめて付けられた場所がタルトンネなのだ。
 ソウルや仁川、釜山など都市部に点在していたタルトンネの多くは七〇年代からソウルオリンピックに至る再開発の過程で不良住宅は改良され、今ではノスタルジックな区域としてダークツーリズムの対象に変わりつつある。しかし、タルトンネが「漢江の奇跡」と呼ばれた高度経済成長の光と影であることは言うまでもない。ボクら一行はバスに乗り大学路からほど近い梨花洞に向かうことにした。    (雨)


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