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    かけはし2016.年9月12日号

大国的民族主義を止め言論の自由を


中国

南海の紛争から見える帝国の逆襲

歴史的に継承された民族主義?
たちの悪い形で拡張主義へ展開

區 龍宇

 

 南シナ海をめぐる緊張について、前号のワルデン・ベロの観点に続いて、香港の區同志の見方を紹介する。ここでは特に、中国の歴史的な覇権主義を跡づけつつ、それが現代中国の官僚資本主義的変質と一体的に強化されているとし、その側面を軽視すべきでないとしている。その上で現実の緊張に対し、特に中国の民衆が政府に何を求めるべきかを論じている。なお以下では、日本で「南シナ海」と呼称される地域が、原文のまま「南海」と訳出されている。(「かけはし」編集部)

 三年前に、フィリピン大学国際法研究学部、国際調査教育機関(IIRE)マニラ、ヨーロッパ・アジア・ピープルフォーラム事務局が共催した「中国の台頭とアジアへの影響についてのシンポジウム」に参加した時のことだ。フィリピン人の研究者の言葉が一番印象に残っている。
彼は冗談交じりにこう言った。「南海での紛争を解決する一番の方法は、すべての島礁を爆破してしまうことです。どうせほとんどが小さな岩礁なのですから。爆破してしまえば争いもなくなります」。

島礁よりも九段線が最重要

 国際仲裁裁判所の判定が完全に公正で妥当であるかは、とりあえずは置いておく。しかしこの判定は一つの事実を明らかにした。つまり争いのある圧倒的大部分が小さな岩礁に過ぎないということであり、それは「国際海洋条約」が規定する領海と排他的経済水域となりえないということである。
実際、南海での衝突で決定的なのは、島嶼の帰属問題ではなく、中国政府による九段線の主張のほうである。中国政府は広大な公海と島嶼をすべて中国の内海にしようとしているが、それはあまりに強権的だといえるだろう。国際法に従えば、国家の領海の範囲は、その領土によって決まる(海に対する陸地の支配原則)。
大陸棚の自然延長上にある周辺島嶼は、すでにある国が占有しており、他の国との紛争がなければ、その国の領土とみなされる。しかし南海の無数の島礁は、中国大陸棚からの自然延長にはなく、中国政府もこの論を強調することはできない。
もう一つ別の援用できるであろう原則は、当事国が無主地において先に占有し、長期にわたって実質的に管理しているという原則である。しかし南海の無数の島礁において、ごくわずかの島礁だけがこの原則に合致する。それゆえ国際海洋法裁判所は、中国が歴史的に九段線に囲まれた内海および島礁に対して「排他的統制権」があるという主張を証明することはできないと述べた。これが裁判所が九段線という主張を採用することができない理由の一つである。
南海諸島と記載された古地図を持ち出して、はるか以前からその海域は中国のものであるという中国メディアの主張は、民衆を混乱させる主張でしかない。地図上の標識は根拠ではなく、根拠にもなりえない。中国政府は、中国人が漢の時代にすでに南海諸島を発見していたと主張している。しかし考古学者のヴィルヘルム・ソルヘイムによると、海洋民であるヌーサンタオがそれ以前に発見・利用していたとする。(原注1)
中国政府は二〇〇九年に国連事務総長に書簡を提出し、九段線に囲まれた内海の「南海諸島およびその付近の近海域に対する疑いようのない主権があり、その海域及び海底の主権と管轄権を有する」ことを表明した。
しかし、その後、中国政府の報道官は、アメリカの艦船が九段線海域を航行する自由に同意している。これはおかしなことではないか。中国政府のこのようなあいまいな態度は、実際には意図したものである[領海においては無害通航権、排他的経済水域においては航行の自由が認められる:訳注]。中国政府は九段線の説明を避け続けている。それは国境線なのか、水域線なのか、それとも歴史的権利にもとづく線なのか。インドネシア外交官ジャラール氏はある文章でこう述べている。「九段線は定義もなければ座標もなく、その合法性と正確な位置も不明確である」。(原注2)
中国政府の本当の狙いは、南海を鯨飲よろしく奪ってしまおうということでは必ずしもなく、どちらかといえば試しにどれだけできるかやってみた、という感じでもある。よく言えば「あいまい戦略」であり、まずその言動に合理的な根拠があるかないかは別として、広大な公海域を中国のものだと宣言し、周囲の反応を観察してから弱いところを集中して叩くというものだ。だがそのような態度は地方ボス的覇権主義のイメージを証明するだけである。

奪った土地もすべて継承する?

 中国政府の九段線は、国民党政府の一一段線を踏襲したものである。中国政府が二本の線を削除したのは、一九五三年にベトナム政府との友好関係を示すために、ベトナムに近い海域のものを削除したからである。このような行為から、中国政府による南海に関する主権の主張は、実際には意図的なものと言える。この意図的な主張は国民党もそうであった。ビル・ヘイトンの著書『南海――二一世紀のアジアの火薬庫と中国の覇権に向けた第一歩』[邦訳書『南シナ海―アジアの覇権をめぐる闘争史』]では、当時の国民党の主張がいかに適当であったかを明らかにしている。
中華民国の最初の憲法では「中華民国の領土主権は旧帝国の版図と同じである」と規定されていたことから、民国政府は清王朝を打倒したのち、清王朝の領域を確定する必要があった。そして一九一四年に「乾嘉時期までの中国版図」を発表した。しかしこの地図は東沙と西沙諸島が書き込まれていただけで、南側については北緯一五度以北までで、北緯三度から一一度に位置する南沙諸島は除外されていた。二〇年後、南沙諸島は版図に組み込まれたが、その理由は一九三三年にフランスが南沙諸島を領有しようとしたため、国民党政府は新しい地図を公表し、南沙諸島を最初に版図に組み入れたのである。「とりあえず奪ってしまえ!」というわけである。
国民党によるこのような意図的な南沙諸島の版図組み入れに説得力があるだろうか。中国共産党の政府はこれを根拠に南海の主権を主張しているが、それはいっそう説得力に欠けるものである。しかし中国共産党の政府がさらに突きつけられる疑義はその政治的原則である。つまり、中華民国は清王朝の版図を継承し、中国共産党の政府はその中華民国の版図を継承しているというものだ。これは民族主義の原則であり、民主主義の原則ではなく、ましてや社会主義の原則ではない。
国民党は明らかに民族主義政党であり、帝国の遺産を忘れることはできなかった。それゆえ国民党は当然にも大清帝国の版図のすべてを継承しようとしたし、少数民族に対して中華民族の版図に留まりたいかどうかを問うことさえ思いもつかなかったし、過去において清王朝が奪った地域も当然継承しようとした。現在もなお国民党は外蒙古の独立を認めるべきではなかったと考えており、モンゴル人民の自決権を尊重すべきかどうかなど想像だにしたことはなかった。だが当時の民族革命家のほとんどが同じような考えであった。
章太炎[炳麟、1869年〜1936年]がまだ「韃虜を駆除し、中華を復興させる」という民族革命に従事していたとき、彼は中国の領土はベトナムから朝鮮までを含むと考えていた。ベトナム人と朝鮮人は「漢人と通じ」ていたからというのが理由である。そしてチベット人やモンゴル人などは、漢人とは永久に対等にはなりえないとも考えていた。なぜなら「吾これを見るに、アメリカが黒人を見るのごとし必然である」(原注3)。自らまだ奴隷(被抑圧民族)として差別されていたにもかかわらず、将来もし機会があれば同じように自分たちよりも「低級」な民族を差別しようという思想をすでに持っていたのである。これこそ民族主義者の厚かましい面構えである。
しかし中国共産党の場合は、民族主義者よりもバツが悪いといえる。中国共産党の建党理念にしろ、中華人民共和国の建国理念にしろ、そもそも民族主義に立脚したものではなく、それは…そう、「社会主義」や「社会主義政権」であったにもかかわらずである。まったく民族主義者と同じく、旧王朝の帝国主義国家の領域をまるまる継承するとでもいうのだろうか? どの地域が奪い取ったものかということも明らかにしようとせず、民族自決権も尊重しようともしない? この問題について、われわれは第一次世界大戦前、オーストリア=ハンガリー帝国と帝政ロシアの社会主義者のあいだの論争から示唆を得ることができるだろう。

民族自決権否定に見る帝国精神


アメリカのウィルソン大統領は一九一八年(大戦終結時)に一四項目の宣言を発表した。そこには少数民族の自決権の尊重が含まれていた。しかしそれまでの長年にわたって欧米各国の社会民主党(当時最大の左翼勢力)、とりわけ多民族のオーストリア=ハンガリー帝国と帝政ロシアの社会民主党は、民族自決権に関する論争をおこなっていた。オーストリア=ハンガリー帝国の社会主義政党は、民族自決権を支持せず、民族自治に限って支持していた。しかし帝政ロシアの社会民主党は、多数派(ボリシェビキ)か少数派(メンシェビキ)かにかかわらず、少数民族の自決権、ひいては分離権さえも支持していた。かれらは、民族自決権を本当に実現すれば、それは帝政ロシアの屋台骨の解体につながることを理解していた。
二つの帝国は他民族の土地を略奪し、その地域の民族を抑圧していたからである。ロシアの社会民主党員は、自決権は民主主義の基本原則であり、帝政ロシアの屋台骨の解体こそが、各民族の労働者人民の利益にかなうと考えていた。そして一九一七年一〇月革命の後、新政権は帝政ロシアの版図を継承せず、「ロシア人民の権利宣言」を発表した。そのなかで述べられている民族問題に関する立場は以下のとおりである。

?ロシア諸民族の平等と主権。
?分離及び独立国家の結成を含む、ロシア諸民族の自決権。
?あらゆる民族的および宗教的特権の制限の廃止。
?ロシア領土内の少数民族と種族の自由な発展。

 ロシア革命政府は真面目にこの立場を実行し、かつて帝政ロシアに併呑された国々、たとえばポーランド、フィンランド、バルト三国などが前後して独立を果たした。ウクライナはいったん独立をしたのち、ソ連邦に加盟した。当初のロシア革命政府によるこのような国際主義は、当時の世界各地の反植民地革命をおおいに促進することとなり、中国共産党を含む植民地革命運動はロシア共産党を指導者とみなすようになった。
もちろん、スターリンが台頭した一九二〇年代半ば以降には、ソビエトロシア政府はすでに当初の革命政府とは様相を異にしていた。それまでの民族政策のほとんどすべてが転換しており、憲法に定められた多くの権利も名目上のものになっていた。興味深いのは、スターリンは反動的政策を推進したが、党の民族自決の立場を正式に否定することはできず、連邦からの離脱権を銘記した憲法の条項も削除できなかったということである。この条項は、のちに効力を発揮することになる。一九九一年から九二年にかけて、ソ連邦で政治的危機が爆発したとき、ソ連邦に加盟していた多くの共和国がこの憲法の条項を根拠にソ連邦から離脱したのである。
だが中国共産党はそれとは様相が違った。中国共産党は初期(建党から抗日戦争の時期にかけて)においては、ソ連の民族政策に従い、チベットやウィグルなど少数民族の自決権を承認していた。しかしのちに完全にそれを放棄した。新中国の建国後、民族自決権を完全に否定したばかりでなく、憲法で承認された自治権でさえも、現実的には剥奪された状態となったのである。これが民族政策におけるソ連共産党と中国共産党の違いである。中国共産党の民族政策は、初期ソ連邦と異なるだけでなく、スターリン下のソ連共産党とも大いに異なっていたのである。
その後の数十年の腐敗と堕落によって、今日における中国共産党政府は完全に官僚ブルジョアジーの政権に変質してしまった。そしてその対外政策は、ますます拡張主義的な帝国精神をもつようになった。中国共産党政府はいっさいの恥じらいもなく清王朝と中華民国の版図を継承し、いっさいの恥じらいもなく社会主義政権を自称し、民族自決権を完全に否定しているのである。これら一切は、中国共産党の徹底した堕落の結果に他ならない。今日における南海の版図編入の野望には、ちゃんとした理由があるのである。

大国は小国に仁を以て接すべし


フィリピンの左派学者で元国会議員のワルデン・ベロは、中国政府の南海に対する動きは、防衛的心理、つまりアメリカによる包囲への対抗であるという論考を発表し、読者に注意を喚起している。一九九三年の銀河号事件[積み荷に化学兵器の原料があるとして米軍艦が中国の貨物船銀河号を強制臨検した事件]、一九九九年のユーゴスラビアの中国大使館に対する爆撃事件、二〇〇一年の米軍偵察機と中国軍機の接触事件などは、アメリカによる包囲がいまだに続いていることを中国に喚起しており、中国政府による南海の編入は包囲網への抵抗というわけである。
だがわれわれは、一つを知るだけで二つ目を知らない(一面のみを知って全体を知らない)というわけにはいかない。中国の官僚資本主義への変質は、さらなる野蛮な独占資本主義への変質である。そして独占資本主義はそもそも拡張主義を内包している。今日、中国が南海において石油資源を争い、自らの海上貿易のルートを確保することで、世界の搾取工場という地位を確保しようとしていることに疑いはない。これらはすべて中国が南海に対する領有権の主張の原因である。中国は疑いなくアジアにおけるたちの悪い新たな覇権となっている。
アメリカやイギリスは中国がハーグ国際仲裁裁判所の判決を順守するよう呼び掛けているが、それはいささか冗談のように思える。イギリス政府は去年、仲裁裁判所から、イギリスがチャゴス諸島に海洋保護区を設置したことは海洋法に違反するという裁定を受けたばかりであるが、イギリスはそれを無視し続けている[英領チャゴス諸島には島民を追い出して建設された米軍基地のあるディエゴガルシア島がある。モーリシャス政府は英国政府に返還を要求。英政府は同諸島海域を海洋保護区にすることで島民の帰還を妨害していた]。
一方、アメリカはといえば、これまで一度も「国際海洋条約」に基づく勧告を受けたことはない。なぜなら、そもそもアメリカはこの条約に署名すらしていないからだ。超大国ゆえに、「海洋航海の自由」を制限する条約への署名などする必要がないからだ。国際仲裁裁判所どころか、国際司法裁判所でさえも、アメリカにとっては存在しないに等しい。一九七九年、ニカラグアのサンディニスタ革命が親米政権を打倒したが、アメリカは右翼ゲリラを支援して新政権に抵抗する一方で、ニカラグアの港湾に機雷を付設した。サンディニスタ革命政府は、これを違法として国際司法裁判所に訴えて勝訴したが、アメリカは判決を無視し続けた(原注4)[九〇年の選挙で政権に着いたニカラグアの親米政権は翌年訴えを取り下げた]。
アジアにおける新たな覇権は、覇権の筆頭であるアメリカの不安をかきたてた。第二次世界大戦後のアジア人民の不幸の多くは、中国の覇権ではなく、アメリカの覇権によってもたらされたものと言える。フィリピンの左派知識人たちが、南海をめぐる中国政府の主張に反対するとともに、フィリピン政府に対してもアメリカに頼るべきではないと主張する理由がここにある。
ワルデン・ベロもその一人である。彼は文章のなかで、退任したアキノ大統領がアメリカと締結した防衛協力強化協定が「フィリピンを超大国の抗争の一方の当事者の駒に変えてしまった」と批判している(原注5)。しかし彼は、フィリピンが誤った政府リーダーのもとで一時的にアメリカの駒となったからといって、中国政府が南海紛争に手を染めるべきではないとも強調している。ベロは、中国政府がアメリカの包囲に対抗する戦略の選択を誤り、アメリカと同じ単独行動主義を選択して、南海において島嶼拡張と軍事化を一方的に実行していると述べている。わたしもこの分析は正しいと考えている。
しかも、中国政府は前フィリピン大統領がアメリカに依拠していると批判するときに、意図的に次の点を曖昧にしている。つまり大国と小国との区別についてである。小国が他の大国に依拠する場合、それは実際には大国間にはさまれた小国の悲哀を表現している。巨大な中国に対して東南アジアが脅威を感じないことがあろうか。もし中国が本当に「平和的台頭」を考えているのであれば、もし中国にまだ民主的精神があるのなら、「大国は小国に仁を以て接すべし、小国は大国に知恵を以て接すべし」という格言の最初の一句を実行すべきだろう。もし中国政府がアメリカと対抗しようとするなら、仁を以て小国に接して、それらの国々の民心を得るべきだろう。これは武力を誇示するよりもよっぽど賢い方法である。だが中国政府は逆のことを行っており、客観的に東南アジア諸国をアメリカの側に追いやってしまっていることは、愚か極まりないことである。
南海紛争がいますぐに戦争に発展することはないだろう。しかし少なくとも戦争の可能性はますます大きくなっていることを予告するものである。香港もそれと無関係というわけにはいかなくなる。アジア諸国の人民は、自国の政府が誤った政策を採ることを阻止するために声をあげなければならない。香港人は中国政府が南海を軍事化することを阻止するとともに、中国政府が世論をひとつに統制し、民族感情を扇動することをやめさせて、南海紛争における様々な意見や主張を自由に表明できるよう、言論の自由を許容、奨励することを要求しなければならない。こうしてこそ、戦争屋が煽る民族憎悪を押しとどめることができるだろう。
原注1:『南海-21世紀的亜洲火薬庫與中国称覇的第一歩』、Bill Hayton、第一章。
原注2:郁志栄『詮釋中国断続国界線刻不容緩』
原注3:『黄帝神話與晩清的国族建構』沈松僑/台湾社会研究、26頁、1997年12月。
原注4:Of Course China, Like All Great Powers, Will Ignore an International Legal Verdict
原注5:A Flawed Strategy and How to Rectify it: Aquino, Duterte, and the West Philippine Sea
原文は香港のウェブメディア「立場新聞」に掲載された。

 


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