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    かけはし2016.年9月19日号

戦後朝鮮革命が直面した矛盾


研究ノートA

「南北分断」がもたらしたもの

北部労働者国家の独自的構造

滝山 五郎


 一九六〇年代後半から七〇年代にかけて、当時の第四インターナショナル日本支部は、ベトナム・インドシナ革命と結びついた極東解放革命の戦略を打ち出した。それは沖縄の反米軍基地闘争と統一朝鮮革命をふくめた一体的展望に基づいていた。酒井与七同志の論考を中心にその内容を再把握したい。(編集部)

統一朝鮮革命の展望
 酒井与七同志の論考から

朝鮮問題にかんするテーゼのために(上)――(理論機関誌『第四インターナショナル』15号、1975年1月)

 一九四六年三月、……「没収した土地はすべて農民に無償で分配するが、雇用農・土地のない農民・土地の少ない農民に優先的に分配する……」という徹底的な土地革命が実施された。「土地改革がわずか二〇日あまりのあいだに実施され」、大量の地主が南部に逃亡した。……八月、重要産業の国有化が行われた。……産業の大部分を掌握していた日本国家・日本人・日本人団体と買弁的な朝鮮人資本家だけに集中していたことと、ソビエト軍によって工場が各級人民委員会によって管理・運営されていた。だから北朝鮮での産業国有化は、東欧人民民主主義諸国におけるように漸次または一定の期間に数回にわたって行われたのではなく、もっとも短期間にしかも一挙におこなわれたのがその特徴である。……堕落した労働者国家ソ連邦の軍隊を基本的な権力手段として誕生した朝鮮北部の労働者国家は、その成立の当初から労働者農民大衆との関係において一定のボナパルチスト的独自性をもつことになった。

朝鮮戦争と統一朝鮮革命(草案)――(朝鮮半島における南北2つの国家への分裂とその階級的性格――理論機関誌『第四インターナショナル』18号、1975年10月)

 一九五〇年六月二五日、……それぞれの階級的性格をことにする南北二つの国家への分裂とその二つの国家の三八度線をはさんだ対峙状態下における朝鮮南部での部分的内乱と李承晩体制の深い政治危機という情勢は、南北二つのあいだの公然たる軍事闘争――この場合、朝鮮半島における内戦的戦争――しかも金日成を頂点とする北部のボナパルチスト的労働者国家の圧倒的優勢のうちに開始された内戦的戦争の情勢によって決定的にとってかわられた。

 ……アメリカ帝国主義のあらたに勝利した中国革命の国家と東アジア地域における全体としての第二次アジア革命にたいする全般的な政治軍事対決、それゆえにまた東アジアにおけるアメリカ帝国主義とこれを圧倒的な主軸とする帝国主義植民地体制のその後の基本的な方向性を確定していくことになったのである。

 ……朝鮮南部における革命は決定的に敗北し、解体されてしまい、李承晩の大韓民国体制のもとに完全なる反革命的政治情勢が確立した。この重大きわまりない政治的事実のなかに、一九五〇年代から一九六〇年代にかけた朝鮮南部とベトナム南部それぞれの政治情勢と大衆的諸闘争の発展における決定的相違の根拠があった。
……朝鮮北部におけるプロレタリアートもまた極度に困難な事態のもとにおかれた。その困難を次の三点に要約することができる。@農業・食料問題における困難とともに、自己の物質的な社会階級的基盤そのものである工業経済がこうむった破壊A南部における革命の完全なる崩壊、そしてB南部からするアメリカ帝国主義の不断の軍事的重圧である。かくして、朝鮮北部におけるプロレタリアートは党ならびに国家機構との関係において政治的に無力化され、ソ中両労働者国家に依存する金日成を中心とするボナパルチスト的官僚体制の基礎があたえられたのであった。
……統一朝鮮革命は……朝鮮南部における労働者農民大衆の自己の革命的人民権力樹立をめざす階級的政治闘争の復活という展望は、朝鮮北部において、党と国家における金日成を頂点とする官僚的ボナパルチスト体制から政治的に独立したプロレタリアートの運動の可能性を提起するだろう。朝鮮北部におけるプロレタリアートの民主主義的独立性を発展させようとする運動は、朝鮮南部における労働者農民大衆の革命的政治闘争の発展と階級的にむすびつこうとすることによって、金日成を頂点とする官僚的ボナパルチスト体制を打破し、労働者民主主義を決定的に確立しようとするだろう。

その問題点を考える
 官僚支配体制への批判

 @ソ連軍が占領した直後にした、北朝鮮に残された機械や食糧などをソ連に奪い去ったように、北朝鮮民衆にとってソ連軍はかならずしも「解放軍」ではなかった。その指摘がない。
A北朝鮮における、労働者国家化の過程における非民主的なやり方に対する批判がない。土地の国有化、工場の国有化はそれ自身が進歩的であっても、人民自身によって、担われないとただの軍事的強制にしかすぎない。官僚主義の形成ともの言わぬ「奴隷的」下層民衆の関係でしかない。北朝鮮では、労働者・農民が主人公になったことは一度もない。
さらに、そこにおける官僚的・急進的やり方が、一〇〇万とも言われる人々を南へ追いやり、彼らが「西北団」などを作り、李承晩の反革命の手先となり、南の革命運動をつぶすのに大きな役割を果たした。済州島の四・三蜂起も、彼らへの憎しみに対する自然発生的な要素もかなりあった。

B金日成らが行った、朴憲永・朝鮮共産党(後の南労党)の影響力を排除するためにのあらゆる卑劣な手段を使う。朝鮮戦争後の朴憲永・南労党、ソ連派、延安派、甲山派などの粛清についての批判的言及がない。

 朝鮮戦争のとらえ方も、革命と反革命の激突というような軍事・政治力学主義に陥っている。金日成の軍事冒険主義とそれを支えたスターリン・毛沢東の責任を厳しく批判すべきだ。

 ソ連軍の占領による「解放」、そして北による南侵としての朝鮮戦争、そして、中ソ対立。金日成唯一思想体制の確立。――ベトナムの解放闘争や韓国の独裁打倒の闘争の発展がありながら、この全過程が、北朝鮮における自立的プロレタリアートの形成をさまたげ、官僚専制支配体制の極度の腐敗・堕落と崩壊を作りだした。
この観点からの、再度の統一朝鮮革命についての総括が必要。
人権・平等・平和などは帝国主義国家だろうが、堕落した労働者国家であろうが、普遍的に掲げられるべきスローガン。

北部の体制の現実
 幾つかの著作から


元南労党地下党 朴甲東『金日成との闘争記』(1991年刊)
……民族のためと称しても、実質的には労働条件は悪化し、労働者の生活は一向に向上しなかった。……労働時間が終わった後に各種会議があり、家に帰れるのは夜の一〇時、一一時になるのであった。……労働局長の呉はストライキをする権利を持たなければならないと主張したが、「国有財産に対して、賃上げをせよといってストライキを企てるのか」と金日成は罵倒して、人民委員会から追放してしまった。

……解放前は地主と農民の取り分は五対五であった。社会主義北朝鮮では土地が農民に無償で分配された代償として、農民は収穫物の二五%から三〇%を現物税として国家に納めなければならなかった。……計画経済の北朝鮮ではあらかじめ必要な数量を確保するために、末端までおりてくると、実際の収穫量の六〇〜七〇%も徴収することにもなった。……それでも政府機関に陳情もできなければ、抗議もできない。実際は上からの絶対的指導命令体制であった。

『朝鮮戦争』萩原遼(1993年)
……解放のよろこびを満喫する状況ではなかった。…イレズミと坊主頭のシベリアの囚人部隊といわれ、みさかいない略奪や強姦をほしいままにした。……
?機械などの持ち去り
……清津では、日本製鉄所その他工場の設備機械等の一部を運び去り、……北朝鮮から撤去した最大のものは、水豊ダムの施設であった。
?ソ連によるコメの収奪
……当時(45年のこと)深刻な結果をひきおこしたのは、ソ連軍による二〇万トンのコメの供出命令であった。…朝鮮の一年間の産米高の四分の一に相当するばく大な量である。…「たいへんな不足・緊迫した状態にあり、…はなはだ憂慮される食糧事情にある」…このぼう大なコメの搬出が一九四六年、北朝鮮全土に飢饉をひきおこす要因のひとつとなる。…すでに餓死者がでており、郡庁所在地だけでも餓死寸前の家が百余戸にもたっしているという。
…国民の不満は高まった。…朝鮮人とソ連人の関係はうまくいっていない。チスチャコフ司令官は「夜は三人ずつ団体で行動せよ」と指示をだしている。さらに、「石しかもたない朝鮮人に毎晩二〜三人のソ連人が殺されている」(「ニューヨーク・タイムズ」1946年12月15日)

新義州事件、「コメを返せ!」
一九四五年一一月二三日、三〇〇〇人が陳情。それに対して、ソ連軍が発砲。死者二三人、重軽傷者七〇〇人をだす大惨事。

 

「朝鮮労働党7回大会についての研究ノート批判」への反批判

木下 正


(1)
 
 「かけはし」第二四二九号に掲載された私の文章(以下、「本稿」という)に対し、かけはし第二四三〇号に「前号研究ノート「朝鮮労働党7回大会」への批判」(以下、「投稿」という)が寄せられたので、以下回答を行う。
 まず冒頭の『公式の一次資料にあたりながら「客観的」に分析したというもの』とあるが、本稿ではそのような記述はしていない。冒頭より投稿者の主観がうかがえる。また投稿者は「私にはかなりの違和感があった。それは以下の点である」と書いているが、どの点において「違和感」があったのかをかろうじて述べているのは、「第一」のみである。あえて「第二」〜「第四」の項目を設定した理由が不明であるが順を追って見てみよう。

(2)

 投稿には『第一。今回の大会は三六年ぶりに開かれた。逆に言ったら、なぜ今まで開かれなかったのかその分析が必要である』とある。
本稿には朝鮮民主主義人民共和国(以下、「共和国」という)の朝鮮労働党の規約を引用して理由が述べてあるがそれに対する投稿者の意見はない。投稿者は長々と意見らしきものを述べているが、本稿のどの部分に対して「違和感」を覚え、それに対するどのような意見を述べたいのか不明である。もしこのような「分析」なるものを述べたいのであれば、本稿とは無関係の場で自らの意見を述べればよかっただけである。
次に投稿の『第二』を読んでみよう。本稿に対して「違和感」を覚えた投稿者が問題提起のために書こうとしているのはわかるのだが、ここでも本稿のどの部分に「違和感」を覚えてどのような意見を述べようとしているのか不明である。
『第三』も同様に、本稿のどの部分に「違和感」を覚えて、何を本稿の筆者に述べたいのか不明である。
『第四』は、もはや投稿者の掲題の趣旨から逸脱しているため深入りをしない。

(3)

 『第三』に戻ろう。しばらく読んでいくとアジア・プレスの石丸次郎氏に対する言及がある。アジア・プレスの団体としての信頼性の評価についてはこの文の趣旨とは異なるため、ひとまず脇に置いておこう。投稿者は「私は彼の立場に同意する。そのような立場から北朝鮮問題を扱うべきだと思う」と表明している。本稿の筆者は、本稿において石丸次郎氏の立場あるいは類似する論調を否定したわけでもないが、なぜこの場でいきなりこのような言及がされているか不明である。
くりかえしになるが、投稿の冒頭の『公式の一次資料にあたりながら「客観的」に分析したというもの』という記述は本稿ではしていないが、仮にも投稿者が本稿について『一次資料にあたりながら「客観的」に分析したというものだ』と認識しているのであれば、投稿者が考える本稿における問題点を明確に指摘したうえで、その問題点に対して一次資料を基にした客観的な意見を述べるべきではないだろうか。ところが投稿者は本稿のなかの「違和感」を感じる部分を明確にしないまま、断片的な二次あるいは三次資料に基づき、石丸次郎氏という「二次者」の視点を借りての主観に徹している。

(4)

 以上述べてきたとおり、投稿は本稿に対する「批判」の体をなしておらず、本稿に絡めて文章が書かれた目的も不明である。投稿者とは本稿においての討論が成立しないことが明らかである。投稿者が本稿を読んでいるかも疑わしい状態である。多くの読者におかれては今後も、お手軽な街角の売文媒体のつまみ読みによる「北朝鮮分析」なるものとは立場を異にし、継続的な資料の蓄積と分析によって独自の視点を持ち、そのうえで共和国との対話の経験の蓄積が誠実に行われることを期待してやまない。


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