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    かけはし2016.年9月26日号

非武装のアジア太平洋へ


2016平和の海国際キャンプin台湾に参加して(上)

戦争と軍隊のないアジアに向けた連帯

2016年9月4日     沖縄K・S

 本紙で「沖縄からの報告」を連載していただいているK・Sさんから、韓国、台湾、フィリピン、そして沖縄の仲間たちが共同で企画している「平和の海国際キャンプ」に参加した報告を寄稿していただいた。東アジアの活動家たちが作り上げているこうした企画は、沖縄の闘いにとっても重要だ。(編集部)


 平和の海国際キャンプin台湾は、「平和って何だろう」というテーマのもと、八月二四〜二八日の四泊五日の日程で、沖縄、チェジュ島をはじめ韓国、台湾、フィリピンなどから老若男女数十人が結集して行われた。平和の海国際キャンプは二年前、チェジュ海軍基地反対闘争や沖縄5・15平和行進に参加した台湾、韓国、沖縄のメンバーが意見交換して、戦争と軍隊のない東アジアの非武装の島々の連帯をめざして、台湾―沖縄―チェジュを結ぶ非武装三角地帯の創出を目標に始まった。一昨年、第一回の集まりが韓国・チェジュ島で、昨年九月、第二回のキャンプが沖縄・辺野古で開かれ、今年第三回目の台湾キャンプは、台湾南部の高雄(カオシュン)市・台東(タイドン)県を舞台に開催された。
 今回の台湾キャンプの目標は@それぞれの島の国家暴力、軍事暴力、企業暴力に抗する取り組みと経験を学び共有する、A非武装のアジア太平洋地域の持続可能な平和を実現するための島々の闘いの連帯を築く、B民主主義の意味を問い直し、我々の環境と我々にとって恒久的な平和への道を模索する、というものだった。

台湾は沖縄から一番近い外国


 那覇空港から台北の桃園(タオユエン)国際空港へは毎日、早朝から夜間まで多様な時間帯に、チャイナエアライン、エバ航空、ピーチ航空など航空各社が一〇便近く運航している。二〇一五年の沖縄への外国人観光客は一五〇万人を突破したが、台湾が四七・五万人で一番多い。次に、韓国と中国がそれぞれ約三〇万人、香港が約一九万人となっている。沖縄にとって台湾は最も近い外国だ。漂流した宮古島島民が現地住民に殺されたことを口実に明治政府が台湾に出兵した一八七四年の牡丹社事件や一九三〇年代に台湾からパイン栽培農家が石垣に入植してパイナップル栽培をもたらしたことなど、歴史的つながりも深い。
 桃園国際空港から南部の高雄へのアクセスはバスもあるが、高速鉄道が早くて便利だ。桃園国際空港から高雄市の北に位置する左営(ゾーイン)駅まで約三〇〇キロを一時間半、座席指定を含む乗車料金は日本円に換算して約四〇〇〇円。乗り心地も悪くない。

充実した内容のキャンプ

 台湾キャンプの主催は「平和の島連帯台湾支部」、共催は「台湾東亜歴史資源交流協会」。スタッフたちの万全の計画と準備の下で行われたキャンプはハードで充実した内容となった。主に、@フィールドワーク、A文化交流、B各島の報告・討論の三つの内容で構成された。

〈フィールドワーク〉後勁(ホウチン)地区の闘いの現場

 フィールドワークは次の通りだ。@石油化学工業の土地取り上げと環境汚染に対する高雄市北部の後勁(ホウチン)地区の闘いの現場。第二次大戦後、台湾政府は後勁など高雄周辺に数多くの石油化学工場を建設。一九八七年、政府は第五石油精製所の建設地として後勁を選んだが、これが住民の強烈な反対を招き、三〇年に渡る抗争へと発展。一九九〇年政府は二五年後に工場の移設を約束、二〇一五年工場は閉鎖された。しかしこれまで、度々の爆発事故に加えて、汚染物質が住民の生活環境や健康に大きな被害を与えてきた。正門前座り込み現場と闘いの拠点となった鳳屏宮(フォンビンゴン)を訪問した。

旗律(チージン)地区の灯台と砲兵基地あと

 A高雄港の入り口にあたる旗律(チージン)地区は天然の良港の灯台であるとともに港を守る軍事要塞として、清の時代から日本占領時代、そして蒋介石の軍隊の時代まで途切れることなく重要視された場所だ。砲台基地と地下陣地がそのまま残されている。日本は多くの台湾の人々を戦争に動員し、また国民党政府は国共内戦や朝鮮戦争に動員した。中国大陸に取り残された台湾の兵士の一部は共産党の紅軍に組み込まれ朝鮮戦争に動員され、台湾人同士が戦ったという歴史がある。旗律の戦争と平和祈念館には、台湾籍日本軍兵士、台湾籍国民党兵士、台湾籍解放軍兵士として戦場に送られた老兵のパネルが置かれており、アイデンティティーの在り処を問いかけているのだという。

大林蒲(タイリンポ)の臨海工業地帯

 B臨海工業地帯が建設された高雄市南部の大林蒲(タイリンポ)。高雄空港の南側の広大な埋立地の工事現場だ。一九七二年大林蒲の周囲に、重工業工場が集まる臨海工業区建設が始まり、漁師町だった部落の住民は広大な面積の土地を接収され立ち退かされた。港湾施設、石油精製、発電所、高速道路などが次々と押し寄せてきて、のどかな村が取り囲まれ破壊された。ひっきりなしに走る大型トラック、工場騒音、夜間工事、スモッグ・大気汚染、土壌・水質汚染でガンの発生率が高く、通学路だったところが臨海道路になり、学校閉鎖、人口減少と、部落の活力が失われ衰退していったことを現地の住民が訴えた。

台東県のパイワン民族の部落

 C台東県のパイワン民族の部落・拉労蘭 (ラロラン)〈パイワン語〉/新香蘭(シンシャンラン)〈中文〉訪問。拉労蘭はパイワン語で肥沃な土地を意味する。この部落は元々、香蘭山の上にあったが、日本統治時代に強制的に下山させられ、幾度もの移転を経て、現在は新香蘭地方でアミ民族の人たちと同じ集落の道一本を隔てて生活している。毎年七月、新香蘭部落ではアミの豊年祭、パイワンの収穫祭が行われている。粟(小米)は拉労蘭の重要な商品作物だ。財閥の農地取り上げや政府の強制移転に対し墓を守り、伝統行事、狩猟などを取り戻したという青年会運動が印象深かった。
D空軍射撃基地の視察。一九六〇年代、蒋介石は中国に対する作戦の必要性から台東志航基地を建設し、射撃場をつくった。そのため、騒音や墜落などの事故が起こり、住民生活を苦しめた。

美麗(メイリー)湾のリゾート建設に反対するアミ民族の闘い

 E美麗湾は杉原海(シャンユエンハイ)湾というアミ民族の伝統領域であり、台湾東部の唯一の砂浜地形として、アミの人々からは「キラキラ光り輝く地」という意味の「Fudafudak」と呼ばれている。二〇〇三年台東県政府は、BOT方式で杉原海湾を「美麗湾リゾート村株式会社」に貸し出し、リゾートホテルの建設と経営を任せた。しかし、環境アセスの手続きを取らずに工事を進め、裁判所で環境アセスメントと建設許可への違反判決が何度も出されて、結局、建物は完成したが営業できず、工事は中断したままだ。

〈文化交流〉「蘆葦之歌」の観賞

 文化交流は@初日夜の鳳屏宮の広場での「アイスブレイカーゲイム」。参加者の名前、出生月、血液型、故郷、利き手、社会的関心などを互いに確かめながら親しくなっていくゲーム形式の交流プログラムだ。A二日目は、台湾の日本軍慰安婦被害者六人を描いたドキュメンタリー「蘆葦之歌」の観賞と意見交換。B三日目は、パイワン民族の他民族を迎える儀式を体験。そしてパイワン民族の手作りの料理をたのしみ、歌・踊りを通じた交流に盛り上がった。(つづく)

 

 


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