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    かけはし2016.年10月17日号

放射能から命を守る!


いわき市議選

佐藤和良さん、福島あずささんが1・2位で当選

東電・行政・政府は市民と労働者への責任を果たせ!

 【いわき】いわき市議会議員選挙が九月四日告示一一日投票で行われ、無所属で立候補した佐藤和良さんがトップ当選し民進党から立候補した福島あずささんが二位当選に輝いた。二人が獲得した票は五一八八と四四四五であり、ここには福島原発事故を起しながら隠ぺい体質が改善されない東京電力への怒りと発生するかもしれない放射能による身体の被害に対する恐れが反映されている。
佐藤和良さんが三〇年以上の長期間にわたり脱原発運動に携わり事故後には福島原発告訴団の闘いをリードし東京電力幹部の刑事告発にこぎつけたことは多くの市民に知られている。福島あずささんは「いわき放射能市民測定室」の理事として同測定室の主催する勉強会や集会の司会を務め、また福島原発事故がまき散らした放射能から人間にとどまらず生きものの命をまもるために働き続けていることもまた多くの市民は知っているからだ。

歪んだ復興政策
を厳しく批判
二〇一一年に起きた東日本大震災により、いわき七浜という言葉が示す広い海岸線を持ついわき市は甚大な被害を被った。その詳細は死者三〇〇人、行方不明者四〇人に迫り、建物被害は九万余棟にのぼりそのうち四〇〇〇余棟が全壊(福島県災害対策本部より)という凄まじさだ。
復興政策は土木工事に偏り、海岸線を覆いつくしそびえ立つように建設され続けている防波堤は沿岸区域に住んでいた住民の生活環境を考慮していない。震災被害者への援助を置き去りにして進行している。
住民福祉も深刻な危機に陥っている。流入人口は二万四〇〇〇人にのぼり、医療・介護・保育等の部門は設備、人員ともに不足している。一例として病院はいつでもどこでも混み合っている状態を見ることができる。
公共工事に偏り、ゆがんだ復興政策は市の福祉部門を危機に陥れている。

福祉の現場は
設備・人員不足
いわき市にはもともと震災以前から福島原発への資材納入などの原発関連受注や原発労働など、原発関連の労働人口が存在していた。原発震災以降第一原発事故収束作業・除染に駆り出される労働者はふくれ上がった。双葉郡を中心として始まった除染事業に政府が投入した金額は既に二兆六三二一億を投入し、戦後最大の公共事業となっていることからもその一端を見ることが出来る。
いわき市の朝刊各紙には常に除染の求人チラシが入っている。政策により賃金を低く抑えられていた介護労働者の除染や原発労働への流れ込みは、元々足りない人員を何とかやり繰りしてきた介護や保育事業の現場の人員不足に拍車をかけている。
東日本大震災がいわき市に与えた傷は歪んだ形で修復されようとしており、復興政策に投入された資金は除染政策に偏り、流入人口をカバーする産業政策は存在していない。
二〇一一年七月に成立した「東日本大震災からの復興基本方針」が定める復興期間一〇年の内集中復興期間である五年を六カ月越えようとしている。

市民に届いた
佐藤さんの訴え
今回の「いわき市議会議員選挙」には定数三七のところに四二人が立候補しその内訳は自民党二一、無所属九(うち連合三)、共産党四、社民党二、民進党二、公明党四、となっており、当選者は自民党二〇、公明党四、共産党四、無所属(うち連合三)、社民党二、民進党二の結果となった。
不足する医師の確保に代表される福祉政策の充実は少しの差異は存在しつつもほぼすべての候補者が唱え、復興への取り組みもまた同様であった。その中で共産党と社民党だけが護憲を訴え、国保税の引き下げを主張したのは共産党だけで、原発作業員の処遇改善は共産党、佐藤和良、社民党が提唱し、放射能から市民の命をまもると明確に訴えたのは佐藤和良だけであり、環境をまもるは、社民、共産の二党と福島あずさが、それぞれ訴えた。
脱原発と放射能から命を守ることを政策として選挙に臨んだ佐藤和良と福島あずさ候補はワンツーフィニッシュを果たした。
佐藤候補は選挙期間中の演説の中で憲法改悪反対の意思を示したことはなかったし政策パンフレットの中にもなかった。
しかし佐藤候補だけが放射能から市民の命をまもることを政策として掲げ、ほぼすべての候補が医療、保育の充実を政策として掲げた中で佐藤候補の話は最も具体的であった。放射能の将来への影響に心配し病院が込み合う中で日常生活を送る市民に佐藤候補の話が最も届いたのだ。

脱原発と反核
を結びつけて
佐藤候補へ寄せられた支持は必ずしもいわき市民が安倍政権の進める憲法改悪や強権政治への反対の意志を示したものではないことにも注意を払わなければならない。それは安保法制の改悪に反対する運動を地域で展開してきた共産党は一三・三%から八%へ、社民党は五・三%から四・八%へとそれぞれ前回のいわき市議会議員選挙から得票率を減らしたことにも表れている。ここには佐藤候補への圧倒的な支持が必ずしも憲法改悪に反対する運動などに代表される、平和運動に結びついていない現状が反映している。
もともと一つのものである脱原発と反核を結びつけることが必要とされている。「汚染水は湾内にコントロールされている」と嘘をつき東京オリンピックを招致した安倍首相は、住民の被曝を犠牲に福島原発の更地化計画を強行する東京電力を防衛してきた。
そしてまた東京オリンピック開催のために東日本大震災の復興期間を終了させようとしている。二〇二〇年は東日本大震災の復興期間が終わる年でもあるのだ。    (浜西)

10.3 辺野古実が月例防衛省行動

高江現地に駆けつけよう

機動隊の暴力をはねのけ闘うぞ

 一〇月三日午後六時半から、辺野古への基地建設を許さない実行委員会呼びかけによる毎月月曜日定例の防衛省への申し入れ行動が行われ、雨の中一四〇人が集まった。
最初に、東京北部・練馬の仲間が一〇月二三日に行われる陸上自衛隊による観閲式反対の訴えを行った。「南スーダンに駆けつけ警護に行く直前に陸自朝霞駐屯地で観閲式が行われる。誰に銃口を向けるのか。武装したグループだけではない。現地ではPKOに反対するデモが行われている。自衛隊は高江でヘリを使い物資を輸送した。また、辺野古沖へ自衛艦を派遣したこともある。こうした部隊にハッパをかける儀式でもある。私たちは一〇月一〇日に事前のデモ・学習会を予定し、二三日当日にも反対のデモを行うので参加してほしい」。
次に中部地区労働者交流会が高江行動への取り組みを報告した。続いて、横田基地行動を闘う仲間が、CV22オスプレイ配備に反対する一〇月九日横田行動への参加を訴えた。

土砂搬入に対し
国際的な抗議
高江に行き闘ってきた全国一般全国協・東京労組の平田一郎さんが現地報告。
「九月半ばまでは県道のセンターラインに車を止めて、砂利トラをストップする闘いを行ってきた。現在は作業用道路の中に入り闘う行動とN1表の座り込みを行っている。作業現場に入って闘うと逮捕をちらつかせている。ある時、機動隊が闘う仲間をロープでぐるぐる巻きにして、吊るして排除した。のっぴきならない闘いになっている。辺野古沖のカヌー隊と同じような状況にあり、毎日毎日闘い方が変化している。南部の仲間が二〇人、練馬、東部実の仲間も駆けつけようとしている。絶対にあきらめない。ヘリパッドを絶対に建設させない」。
ジュゴン保護センターの仲間がIUCN世界自然保護会議の報告を行い、八二カ国の賛同と国際署名に六〇〇人が賛同したこと、名護市議会で決議が挙げられたことなど、辺野古基地建設のために土砂を県外から大量に搬入しようとすることに世界的なストップの動きを報告した。
神奈川の仲間が厚木基地爆音訴訟の米軍機飛行差し止め最高裁判決と自衛隊飛行差し止めについて報告があり、沖縄と神奈川・横田の米軍基地強化に反対すると表明した。最後に防衛省への申し入れ行動。
なお、日音協の仲間たちが毎回参加し、闘う沖縄の歌を歌いながら定例行動を行っているが、いつも参加して中心になって歌をリードしていた沖縄の仲間が八月に亡くなるという残念な報告があった。この仲間のことを思いながら、「ここに座り込め」の歌を大合唱して行動を終えた。 (M)

11.5 アジア連帯講座:講座案内


ロシア革命―革命的民主主義とプロレタリア権力

お話:酒井与七さん/「トロツキー伝」上映

 来年はロシア革命一〇〇周年。搾取も抑圧もないもうひとつの社会を目指す世界的挑戦は道半ばで挫折したが、資本主義の死の苦悶が続く現代において、その意義はいまだ失われていない。ロシア革命の勝利にいたる歴史的闘いについて、現在的にどのように考えようとしているか、また革命を理論的に準備したレーニンの『イスクラ』の闘いなどについて、老トロツキー派の酒井与七さんに語ってもらいます。

日 時:一一月五日(土)/午後一時三〇分〜四時三〇分
場 所:文京区立アカデミー湯島・視聴覚室
(丸ノ内線・都営大江戸線本郷三丁目 徒歩一〇分/千代田線湯島駅(出口3/徒歩七分)
https://www
.b-academy.jp/rental/ac_yushima_guide
資料代:五〇〇円

※ 参加希望者は、お名前、連絡先を明記の上、申し込みをお願いします。
申込先:FAX03-3372-9402(新時代社)/mail@jrcl.net

主 催:アジア連帯講座
(http://monsoon.doorblog.jp/)

コラム

親戚たちの伝説

 母親が病に倒れてから、早や二年になろうとしている。一報を受けた救急病院に当時、連れ合いと弟妹、親戚らが集まり、真剣に今後の話をした。
 急性期病院に半年。リハビリ病院に半年。そして現在の老人保健施設(老健)に一年余り。幸いにも容態は安定している。
 このかん、母方の伯母と叔父(叔母の夫)が他界した。つきあいはほとんどなかったが、葬儀を通じて対面を果たした。伯母の一人息子すなわち私の従兄にあたるAは、伝説の人物だった。
 Aの父親は、糊口をしのぐ賃労働を妻に被せ、一人息子の教育に並々ならぬ情熱を注いでいた。子どもの頃、一万円札を本物そっくりに模写して周囲を驚かせたA。東大に入り、現在は県立高校の校長をしているとの噂だった。
 昨年暮れ。伯母の通夜で訪れた横浜市の小さな斎場で、私の記憶では生まれて初めてAと対面した。連絡役を担ったのは叔母だった。
 流行りの家族葬だったが、奇しくも私が座る椅子だけが空いていた。Aは眉や目元が遺影に瓜二つだった。その日は簡単な言葉を交わしただけで辞した。
 そして先月。亭主関白と長患いで叔母を困惑させていた叔父が他界した。千葉県の斎場で私はAに再会した。今度は献杯する場が設けられていた。喪主の叔母は義姉らとの応対に終始。Aの隣に座った私は、彼との半世紀の空白を埋めるべく会話を始めた。
 私は「伝説」の真偽を確かめる機会をうかがっていた。一万円札の話は、あっさりと否定された。県立高の社会科教員として定年を迎え、現在は週三日の嘱託で教育委員会の仕事をしていると明かす。私とは一〇歳も違わなかった。
 従兄とはいえ、会うのは二度目である。慎重に言葉を選ぶことでストレスが溜まるのか、遠慮の塊であるテーブルの酒や料理に、ついつい手が伸びる。世代は近いが、生きてきた環境が違い過ぎる。伯母の葬儀では、入院中の病院を抜け出したという。妻も教員で子どもが二人いる。
 伯母は子育てを祖母に任せ、著名な製薬会社に定年まで勤めた。女性だからと、差別や待遇格差があったことは想像に難くない。それでも十分な年金が入り、姉妹の羨望の的だった。最後まで息子夫婦と同居せず、記憶障がいと難聴が進んだ。夫の死後はアパートを引き払い、豪華な民間の老人ホームに入ったと聞いていた。
 ところがこれも事実に反していた。私の母と同じような老健で過ごしたというのだ。夕食から戻ったベッドの上で、眠るように、静かに息を引き取っていた。享年九三歳。
 底辺でコツコツと働き続け、母の尊敬を集めていた伯母。英才教育の申し子である従兄。長年の忍従から解放され自由を獲得した叔母。日常に追われ忘れていた親族たちを思う、今日この頃である。     (隆)



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