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    かけはし2016.年10月17日号

WSFの転機映す開催地移動


寄稿

世界社会フォーラム(WSF)2016モントリオール報告(1)

大量のビザ発給拒否など問題も

寺本 勉(ATTAC関西)

 一一回目となる世界社会フォーラム(WSF)が、八月九日から一四日までカナダ・ケベック州のモントリオールで開かれた。今回のWSFをめぐっては、WSFのあり方や今後について開催前から議論されていたこと、初めて「北」で開かれたことなど、これまでとは違った側面も見られた。WSFモントリオールに参加したATTAC関西グループの寺本勉さんに報告を寄稿していただいた。(編集部)

「北」で初めて開かれたWSF


私は、二〇〇四年にインド・ムンバイで開かれた世界社会フォーラム(WSF)から、ほぼ毎回参加しているが、WSFが今回のように「北」の国で開かれたのは初めてである。前回、前々回と連続してチュニジアのチュニスで開かれた後、次回のWSFがモントリオールで行われると聞いたときは半信半疑だった。二〇〇一年にブラジルのポルトアレグレで第一回が開催されて以降、ブラジル、インド、パキスタン、ベネズエラ、マリ、ケニア、セネガル、チュニジアと連続して「南」の国で開かれており、新自由主義的グローバリゼーションに反対し、グローバル・ジャスティスを掲げるWSFにとって、そのことが原則だと考えてきたからである。
しかし、現実にケベックの社会運動団体を中心に開催の準備が進行し、日本のATTACメンバーにもATTACケベックからの熱心な招請が何度も来るようになり、やはり現実の問題として受け止めるようになってきた。チュニジアに続くWSFの開催地に立候補したのがモントリオールしかなかったという事情もあったようだ。そして、本来は二年おきに開催するはずのWSFが一年前倒しされることにも若干の疑問を持っていたのだが、それは現地でATTACケベックの仲間から説明を受けてある程度は理解できた。つまり、「二〇一七年はカナダ建国一五〇年、モントリオール市制三七五年にあたり、それを記念してさまざまな行事や国際的イベントが目白押しで、とてもWSF開催のスペースがない」ので、一年前倒ししたというのだ。大学のキャンパス等を会場として使用する関係で、開催時期も八月になったのだろうと推測できた。
「北」での開催ということになって、それに付随するさまざまな問題も予想され、そのいくつかは現実のものとなってしまった。例えば、割高な航空運賃やホテル代のため「南」からの参加が減るのではないか、ビザの発給がスムーズに行われるのか、などの懸念である。日本の私たちにとっても、八月という今回の開催時期は、夏休み、お盆などで航空運賃がもっとも高い時期になるという問題があった。チュニジアと比べて距離的にはさほど変わらなくても、航空運賃は倍以上かかった。

モントリオールへの道

 日本からモントリオールに行くには、直行便はないのでカナダ国内便への乗り継ぎが必要となる。そうすると、やはりエアカナダでバンクーバーないしはトロントまで行くのが便利ということになる。ただ、かつてポルトアレグレのWSFに参加したとき、エアカナダを利用して、関空?バンクーバー?トロント?サンパウロというフライトに搭乗したことがあったのだが、帰路のトロントで国内便に乗り換える際、荷物が一時間以上出てこなくてバンクーバー行きに乗り遅れてしまった経験があり、そのときの対応も含めてエアカナダにはあまりいい印象は持っていなかった。
しかし、背に腹は変えられないということで、伊丹?羽田?トロント?モントリオールという経路で予約した。実は、関空からもエアカナダの子会社(エアカナダ・ルージュ)がバンクーバー行きを就航させていて、ルージュという名称の響きもあって(?)選択を迷ったのだが、関空発の方はシートピッチが狭そうで、かつ機内エンタテインメントが持ち込みのタブレットにあらかじめ専用アプリをダウンロードして、WI—FIで映画などを見るという面倒さもあって、羽田経由を選んだのだった。失敗したと思ったのは、あらかじめ座席を予約しておかなかったため、行きも帰りも窓側座席でトイレに行くのが難しかった点である。やはり歳を取ってきたせいか、一二?一三時間のフライトはきつくなっている。
現在、カナダへの入国に際しては、eTA(電子出入国カード)の取得が必要となっている。アメリカのESTAに追随したのだろう。事前にネットで取得でき(手数料は日本円で600円弱だった)、取得できた旨メールで連絡がある。伊丹空港でモントリオールまでの搭乗券を発行してもらう際、eTAの有効期限がそのメールの中に明記されていなかったため、搭乗券発行にすごく時間がかかってしまった。結局、九月末まではeTAがなくても入国できるという特例を適用してもらって、なんとか済ませることができた。それなら、苦労してeTAをとらなくても良かったのに、とボヤいてみても後の祭りだった。
羽田で秋本さんほか四人と合流し、トロントでの入国審査、国内便乗り継ぎと問題なく通過し、モントリオールに到着したのは七日の夜八時過ぎ。日本との時差は一三時間(カナダがサマータイムを実施中のため)になる。タクシーでモントリオール市内に向かう。タクシー料金は、空港から旧市街までは一律五〇カナダドル(約4000円)だった。それにお約束のチップ(15%くらい)を加えた支払いになる。

オープニングマーチ


八月九日午後、強い陽射しの中、WSFオープニングマーチが行われた。日本のデモと違い、集合場所で集会を開いてから出発というのではない。出発地点の公園入口に団体ごとに参加者が集まってくる。公園内で集会をしているグループもいれば、路上に出て出発時刻を待っているグループもいる。各国から集まったATTACの参加者は、フランスやケベックを中心に五、六〇人といったところか、ATTACの%旗のもとに集まっている。一七時半にマーチが出発、約一時間モントリオール市街を行進した。交通は完全に規制され、道一杯に広がって自由な雰囲気でのマーチである。参加者は七、八〇〇〇人というところだろうか。
私と秋本さん(ATTAC・JAPAN)は、渡されたCADTM(不当債務帳消し委員会)のスペイン語のバナーを持って行進した。スペイン語のバナーと日本人との取り合わせが面白いのか、多くの参加者やメディアからカメラを向けられた。カナダ政府がアフリカなどからの参加者数百人にビザ発給を拒否し、入国できなくなっている事態(詳しくは後述)に抗議して、参加者の中には、ビザ発給を拒否されたメンバーの名前などを書いた人形のようなプラカードを持っている人たちもいた。目的地(モントリオール現代美術館に隣接したフェスティバル広場)に着く頃には、ATTACの隊列は次第にバラバラになってしまい、%旗もあちらこちらに分散してしまった。あとでATTACフランスの映像班から「もっとまとまっていないと見映えのする画像が取れない」と苦情が出ていた。
私たちが広場に着いたときには、すでにWSFオープニングセレモニーが始まっていた。プログラムによれば、おそらく夜遅くまで延々と続けられるはずなので、いい加減疲れていた私たちは先住民による音楽・歌を少し聞いてから、会場を後にした。

厚みあるケベックの社会運動


今回のWSFを語るとき、忘れてはならないのは開催地ケベック州における社会運動の蓄積である。ケベック州はカナダで唯一、フランス語を公用語とする州であることはそれなりに知られているが、高い組織率を誇る労働組合運動、長い歴史と広い裾野を持つ社会的連帯経済活動、先住民の活動、「メープルの春」と言われる二〇一二年の大衆的な闘いなどはあまり知られていないのではないか。私自身も、WSF開催中にATTACケベックの活動家から教えてもらったり、自分で調べていく中で初めて知ることができた部分も多かった。
ATTACケベックの活動家に話を聞くと、「ケベックと他の英語圏カナダとは全く違う。言語も、歴史も、社会も、そして社会運動も異なっている」と言う。言語について言えば、フランス語人口が州人口約六〇〇万人の四分の三を占めており、政治面でも、州議会に議席のある政党はすべてケベックの地方政党(現在の政権党・ケベック自由党は、カナダ自由党と関係は強いが、支部ではない)である。
労働組合の組織率は約四〇%とも言われ、アメリカを含む北米の中でも際立って高い数字となっている。WSF関連のいくつかの会議が行われたFIQビルは非常に立派な建物だったが、ケベック看護師組合のものだとのことで、全員加盟の組合は強固な組織力と財政力を持っていると聞いた。組合員の政治教育にも熱心で、ATTACケベックにも講師依頼があるそうだ。会議室には、政治教育用の印刷物なども大きく貼られていた。
また、ケベックを語る上で、社会的連帯経済がケベック州経済の中で大きな位置を占めていることを抜かすわけにはいかない。利潤追求を第一に考えず、社会的貢献を優先する連帯経済は、地域住民によるコミュニティセンターやクリニック、保育園などの自主運営などから始まり、住宅協同組合、民衆教育グループ、女性や若者のグループ、地域開発企業、社会包摂企業など、七〇〇〇社以上の社会的経済企業と一二万人以上の労働者を擁している。こうした企業全体では一七〇億カナダドル(約1・6兆円)以上の売上高があるという。実にケベック州GDPの七〜八%を占めているのだ。その活動を法的にバックアップするために、二〇一三年には「社会的経済法」も制定されている。
「メープルの春」と言われる二〇一二年春の学費値上げ反対の学生の闘いも、こうした分厚い社会運動の基盤があって、社会的な広がりを作り出すことができたと言えよう。

「メープルの春」とは

 二〇一二年二月、自由党が握るケベック州政府が、七年間で七五%もの学費値上げを提案したことに抗議して、学生たちのデモや授業ボイコットが始まった。もともとケベック州は、北米で一番安い学費を維持し、州民のGDPが全国平均より低いにもかかわらず、大学進学率はカナダ国内で最高レベルにあった。にもかかわらず、この学費値上げは、緊縮財政を理由にこのシステムを破壊するとともに、公共サービス民営化の突破口になりかねないため、学生たちや多くの労働者、市民が反対に立ち上がったのである。
そして、州政府が成立させた「特別法第七八号」(「50人以上の集会やデモは八時間前に警察にルートを届け出なければならず、違反した団体は12万5000カナダドルの罰金を科す」という運動つぶしの内容)への怒りが闘いをさらに拡大させ、スト一〇〇日目にあたる五月二二日には、四〇万人がモントリオール市内で抗議行動を展開した。学生ローンで借金を背負っている学生たちへの連帯を示して、参加者は赤いマークを胸に着け、鍋や釜をたたいてデモ行進を行ったのである。この闘いは、緊縮財政と学生ローンに苦しむ世界の若者の共感を呼び、ニューヨークやパリでも連帯のデモが行われた。
二〇一二年秋、「メープルの春」は、州議会選挙で自由党を政権から引きずりおろし、ケベック連合を政権の座につける形で政治的に結実し、新政府は学費値上げ撤回、「特別法第七八号」廃止を表明した。残念ながら、現在では再び自由党が政権の座を取り戻し、さまざまな新自由主義的政策を進めてはいるが、ケベック社会運動の底力は失われてはいない。(つづく)



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