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    かけはし2016.年10月24日号

憲法改悪 絶対反対!


10.10戦争あかん! 基地いらん! 関西のつどい2016


許すな南スーダン派兵、止めよう辺野古・高江

殺し殺されるのをやめさせよう!

 

 【大阪】関西のつどい実行委員会、大阪平和人権センター、戦争をさせない1000人委員会・大阪が主催するつどいが一〇月一〇日、大阪エルシアターで開かれ、八〇〇人を超える労働者市民が参加した。
集会は増田京子さん(しないさせない戦争協力関西ネットワーク)の司会で進行した。
開会のあいさつで登壇した田淵直さん(大阪平和人権センター理事長)は、「自衛隊が初めて戦争法に基づく駆けつけ警護等の任務を持って南スーダンに派遣されようとしているが、殺し殺されるということは止めなければいけない。それは憲法の破壊だ。安倍政権は戦争法・秘密保護法・武器輸出三原則の放棄・兵器開発の研究を大学に要請するなどを選挙の争点からはずし、選挙が終わると戦争に参加する国をめざし今日の状況をつくっている。憲法改悪の発議ができる国会となった。改憲勢力は何に焦点を当てるのか今のところ判らないが、国会では戦略的沈黙という戦術をとっている。お試し改憲として、憲法二四条に、新たに第一項として家族の助け合い条項の追加が取りざたされている。これなら、緊急事態条項とは違って、国民も賛成してくれるだろうという思惑があるようだ。沖縄への弾圧はますます激しくなっているが、これからも沖縄への連帯を一層強くしていきたい」と述べた。
「辺野古・高江基地建設を許さない」と題して糸数慶子参議院議員が講演を行った(要旨別掲)。
続いて成澤宗男さん(『週刊金曜日』編集委員)が、「安倍政権と日本会議の改憲策動を止めよう」と題して講演をした(要旨別掲)。

 講演の次は、崎浜盛喜さん(奈良沖縄連帯委員会)と仲尾宏さん(反戦・反貧困・反差別共同行動in京都)から決意の表明があり、最後に中北龍太郎さん(戦争あかん!基地いらん!関西のつどい実行委員会)がまとめをした。
集会後、西梅田まで一時間半のデモを敢行した。         (T・T)

糸数慶子参議院議員の講演

「辺野古・高江基地
建設を許さない」


一九四四年一〇月一〇日は、何の前触れもなく米軍機による空爆で那覇の街が焼き尽くされた日だ。米軍が沖縄に上陸して戦争が始まる前のことだ。沖縄では、この日を忘れないために那覇祭りが始まった。体育の日の制定より前のことだ。年配の方から聞いた戦争体験は(糸数さんの)人生を大きく左右した。平和ガイドとして沖縄戦のことを話し、戦争はダメだと言ってきた。沖縄は、日本に組み入れられて以来ずっと犠牲を強いられ続けている。大変な理不尽さを感じる。
琉球王国の頃は、アジアの国々と交易をしていた。その後の薩摩藩による侵略・明治政府による沖縄処分、本土防衛のための沖縄戦による犠牲、米軍による占領時代を経て、大いなる希望を持って日本国憲法をもつ本土へと復帰した。しかし今、あの復帰は何だったのか、と思う。復帰後も沖縄の現実は何ら変わらない。二〇一三年、県選出の自民党国会議員が公約を破り辺野古推進に変わり、仲井真知事も公約を破り辺野古埋め立て承認をした。それから後の沖縄の政治は大きく変わった。先の参議院選では、県内全ての選挙区で自民党・与党は敗北したが、その翌日から高江への攻撃が始まった。憲法の上位にある安保条約と地位協定により沖縄県民の人権は蹂躙されている。
なぜ沖縄が過重な基地負担を背負う必要があるのか。多くの日本国民は、沖縄が加重に基地負担をしていることを知らないか、あるいは「沖縄は基地でくっている」と考えている。日本全体が日米安保の恩恵を受けていると思うなら、負担もそれぞれ応分に。安保関連法の成立による米軍と自衛隊の一体化は、有事の際に沖縄は再び標的になるという不安がある。
九・一一のときも修学旅行は沖縄に来なかった。宮古島、石垣島では、自衛隊基地建設に対する大きな運動が起きている。過去の沖縄振興予算にもかかわらず、県民所得は全国最下位、子ども貧困率は全国の二倍だ。沖縄は、現状を人権問題として国際社会にも訴えている。バークレー市議会や米国最大労組の辺野古反対運動への連帯を勝ち取っている。

物流の拠点
としての沖縄
今後の沖縄は地理的優位性を活かしていく。物流などでは沖縄が拠点となりものすごく発展していて、アジアの中心的存在になろうとしている。観光産業は年々成長し好調だ。昔も沖縄は交易で栄えた。基地の存在は百害あって一利なしだ。辺野古・高江に基地をつくるということは、世界自然遺産に登録されようというやんばるの森を壊すことになるし、沖縄の水源を破壊することになる。
憲法の下に返れば尊重されるであろうと思っていたが、大変な勘違いだった。沖縄は、復帰により基地を強化された。悪いものは全部沖縄に閉じこめておけばいいと思われている。今沖縄は、「辺野古新基地建設を止める」の一心でまとまっている。日本社会が大きな危機に直面していることを認識し、党利党略を超えて大きな目標(憲法、原発、安保法制、TPP)のため、協力できないなら勝利はない。
(そして糸数さんは最後に、我が家の戦争体験について話した)観光バス会社に就職し、平和ガイドをやっていた。海洋博の頃バスガイドをしていた母が亡くなり、親戚が家に集まったときに言われた、「バスで沖縄戦を語っているようだが、家族のことはわかっているのか」と。兄・姉と自分の間に二人の兄妹がいたことは知っていたが、それが沖縄戦とどんな関係があるのかわからなかった。戦争の終わる直前母は北部の山で女児を出産した。一週間しか生きることができず、栄養失調で死んだ。さらに三歳になる兄も後を追うようにマラリアで死んだ。母は子どもの死を認めることができず、木の根元に埋めた死体を掘り起こし布にくるんでおんぶし、山の中に逃げ、二日たっても三日たっても下りて来なかった。それを見た祖母たちが、むりやり山から引きずり下ろし、母を縛っておいて死んだ子を下ろし、お墓に埋めたという。そんなことがあったことを母は話してくれなかった。
この話を聞いたのは、娘が三歳のときだった。一晩中娘を抱いて泣いた。世界中の母親たちが、どんなことがあってもこのような苦しみを体験することがないように、戦争に向かう安倍政権に対して、戦争を起こさせない、沖縄に新たな基地はつくらせないために闘っていきたい。

成澤宗男さんの講演

日本会議を成立させた
戦後民主主義とは?

大阪は名古屋と並んで日本会議の運動が最も活発な所だ。日本会議をどういう視点から論ずべきか。戦後の護憲勢力と呼ばれる人たちの弱さがあのような勢力を生んだのだ。日本の戦後は、戦前戦中の評価をめぐって、一貫して思想的な内戦状態にある。統一した国民意識が形成されていない。ドイツなら、ナチが悪いというコンセンサスはある。日本では、戦前戦中は悪い時代だったのかについて、真っ二つに割れている。いい時代だったという人たちが戦後一貫して存在している。その一つの表れが日本会議だ。彼らは昨日今日登場したわけではない。日本国憲法前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きないよう……」とあるこの戦争とは何か。前文にある戦争に日中戦争は入るのか。戦後このような話はあまりしてこなかった。
大日本帝国という国家は何だったのか。あまり話してこなかった。せいぜい軍部が戦争を起こして……という程度だった。日本は明治以来ずっと戦争してきた。戦争が終わってから、国家が千何百万人も殺して、国民を徹底的に弾圧した特高警察は、横浜事件を除けば誰一人処罰されていない。特高や思想検事や憲兵の過去を日本人自らが暴き裁いたという例がなかった。みんな米国にお任せだった。こんなことで民主主義が確立するはずがない。
日本が中国に侵略したということを日本人が知ったのは、一九七〇年代、本多勝一が朝日新聞に連載した記事が初めてだ。光文社が『三光』という本を出し、旧軍人がやったことを告発したが、つぶされた。天皇の戦争責任が論議されたのは、一九七〇年代に雑誌『現代の眼』に連載された京大の井上清さんの文章が初めてだった。その当時の革新政党すら口にしなかった。タブーのように思われていた。戦後やるべきことをやってこなかったから、日本会議のようなものが出て来た。彼らのことを語るよりは、自分たちのことを考えるべきだ。

生長の家学生信者
が作り上げた組織
どうしてこうなったのか。天皇制原理を戦後そのまま引き継いだ奴が、新たな組織をつくって運動したからだ。戦前の天皇制は国家公認の国家神道という宗教だった。天孫降臨、神武東征と初代天皇の即位という神話が真実とされていた。戦後もこの教義を信じて、再びこの教義の下に国民が従うということを考えたのは、神社本庁だった。神社本庁の政治団体で神道政治連盟というのがある。このメンバーである森喜烽ヘかつて、日本は神の国だと言った。彼らの出した本に「日本はいま闘いに敗れ、すべてのことで自信を失い、自分の国のよさを全く忘れてしまっている。しかし神社という組織が日本の気風を維持していれば、より美しい国ができる。焦ってはいけない、せめて神社だけでも粘り強くやれば」という文があり、戦慄を覚えた。彼らは、戦前の価値の回復のために延々とやっている。
半端ではない。その最初の成果が、かつての紀元節二月一一日を建国記念日として制定することだった。神武天皇即位を正当化した。その次にやったのが元号法制化だった。明治以前は天皇が死んだら元号を変えるという制度はなかったし、戦後もなかった。神社本庁が中心にやったが、ある時期、非常に少数だが思想的に強固な集団が入ってきて運動の事務局を握るようになった。それで、運動ががらっと変わっていく。効率的で戦略的になった。
その集団は日本青年協議会。生長の家の学生信者の中で、当時の全共闘運動に対抗して生き残ってきた連中が、卒業後につくった団体だ。彼らが、元号法制化運動の事務局を握り、地方市町村議会の決議を重視し、各界の保守的な人たちをできるだけ一つの目的に統一する。左翼の統一戦線のまねだ。元号法制化実現国民会議がそれで、運動は見事成功した。その後解散せずに、改憲のための組織をつくった。一九八一年にできた日本を守る国民会議だ。それは一九九七年に日本会議になる。長期的な戦略を持った団体が生まれた。

改憲運動と
日本会議
この団体は、日本を動かすようなすごい団体ではないが、なぜ騒がれるようになったのか。安倍政権のような極右政権と連動した大衆運動ができたからだ。無視はできない。
当面の改憲運動に関しては、成果を上げているとしか考えようがない。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」で運動している。
『日本の息吹・大阪版』に載っているが六月一八日、美しい日本の憲法をつくる大阪府民の会・神道政治連盟近畿地区協議会の共催で、「参院選目前!今こそ憲法改正を争点に」大講演会をこのエル・おおさかでやっている。
各府県の神社庁長、神政連本部長が出席し、山谷えり子が講演している。日本会議はそんなに地域に根を張っている団体ではない。地域で力を発揮しているのは神社だ。一〇〇〇万人署名運動の署名には差し出す相手がない。署名させて、個人名と住所を記載させ、自分たちのデータに取り込むためだ。国民投票があればそのときに使うと言っている。
こういう人たちに対してどう立ち向かうか。明治国家の始まりに根を持っている団体だ。国家と宗教が一体の宗教。この宗教、国家神道は、それまでの神道とは違い、明治政府が自分たちに都合が良いように変えたものだ。典型は靖國神社だ。天皇のために闘ったものだけをまつる。こういう発想は日本の伝統にはなかった。だのに、それを伝統だと言っている。明治になって神社が格付けされるが、日本の神道の歴史にはなかったことだ。日本会議は、二言目には伝統だからと言うが、だまされないようにしよう。
憲法を論じるとき、彼らは「占領憲法だから変えなければいけない」という。占領を問題にするなら、日米安保を問題にしなければいけない。これは、米軍の占領を独立後も続けるための条約だ。東京の上空を管理しているのは在日米軍だ、日本政府ではない。反発するところは反発するべきだ。彼らの戦前回帰のためのしつこさをわれわれも学ぶべきだ。
そのためには、われわれが戦前から考え直す必要がある。出ないと足下をすくわれる。ドイツが今もまだナチを追及しているぐらいにしつこくやろう。憲法9条を守っていればいいというのではだめだ。変な連中がのさばっているというのではなく、われわれが相手にしている人は半端ではない。もう一度頭を切り換えて頑張ろう。まだ時間はある。彼らは自己矛盾の塊で、両手には嘘八百の団体だ。だから、勝てない相手ではない。皆さ
んと連帯したい。



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