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    かけはし2016.年10月3日号

聴聞会に政府・与党側証人全員欠席


セウォル号惨事当日の査察状況あらわに

海警本庁と珍島派出所作成の通知・報告文書単独入手


 海洋警察庁と警察がセウォル号惨事当日から事故の被害者やその家族などを査察してきた状況があらわになった。
「ハンギョレ21」は情報公開請求を通じて海警本庁の「セウォル号転覆事故関連情報官の現場支援計画通知」(以下、通知)文書と珍島派出所が作成した「珍島沈没船舶未救助家族の動向報告」(以下、報告)文書を単独入手した。両文書のいずれも、セウォル号惨事が起きた2014年4月16日に作成された。
通知文書を見ると、海警は惨事の当日から「別途の命令」がある時まで本庁の情報官3人、東海庁情報官4人など全国から16人の情報官をセウォル号惨事の現場に支援することに決定した。文書を見れば、当時は既に西海海洋警察庁(西海庁)所属の情報官36人が「現地活動」をしている状況だった。惨事初日の事故に関連して派遣された海警情報官だけで52人だったわけだ。通知文書には、これら情報官の活動目的が「行方不明者の家族の動向把握、現場の情報活動、儀典の支援など」だと書かれている。
珍島派出所が作成した報告した文書にも同様の内容がある。惨事当日、珍島派出所は木浦海洋警察署に「未救助の家族たちの中の氏名不詳の身分の者からカートークで、いま船に閉じ込められているので救助してくれというメールが来たと言っている言動あり」「珍島体育館事故対策本部には、なぜ海警は1人もいないのかと言って抗議している言動あり」などの報告をしつつ「引き続き家族の動向把握中」と書き込んだ。海警はセウォル号惨事当時、対応のもたつきなど無能な救助活動によって「組織解体」という侮辱まで受けた。けれどもセウォル号家族を含む被害者たちの動向把握には誰よりも素早く乗り出していたわけだ。

警察、政府への誹謗阻むことにのみ必死


海警などのセウォル号被害者たちへの査察状況は、9月1日〜2日、ソウル東橋洞の延世大学・金大中図書館で行われた「4・16セウォル号惨事特別調査委員会」(特調委)第3回聴聞会2日目の9月2日、西海庁情報課の「情報動向報告」文書などを公開した。公開された諸文書を見ると、惨事当時の警察の情報活動の目的は政府への誹謗を封じるためのものだったという点が一層、赤裸々に現れる。
特調委が9月2日に公開した2014年4月20日の「旅客船セウォル号沈没事故関連行方不明者家族の動向など」の文献を見ると、「(家族代表の構成)家族代表13人(父母、一般、教師)が構成されており、この中に「密陽送電塔」反対闘争の主要人物も含まれているものと推定され(今後の補償交渉などで主導的発言権を行使するだろうとの見通し)」だと書かれている。海警が事故の収拾とは関係のないセウォル号被害者たちの履歴把握に主力を置いていたのだ。
セウォル号被害者の動向把握に乗り出したのは海警ばかりではなかった。西海庁の2014年4月23日の報告文献を見ると、「警察庁では警備、情報、捜査など警察の全機能を積極的に支援していくとの立場を堅持、一方、事故の現場は野党勢力の庭先のようなもので、今回の事故を選挙に利用しようとするSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)での意見開陳などを遮断し、民心の動揺がないように対処」となっている。
警察は、2014年4月16日に起きたセウォル号惨事が野党勢力に有利に働かないように取り締まる、という意味だ。クォン・ヨンビン特調委聴聞委員は「警察が公職選挙法に違反したのではないのかと疑われるところだ」と鋭く指摘した。
また別の海警の報告文書には「京畿地方庁は今後、京畿・安山地域で葬儀や補償などによる政府への反発、遺家族間に葛藤が招来することに備えて死亡・行方不明者の家族たちの性向分析のために直接・間接の接触ラインの確保および政府に批判的な団体や不純勢力との連係を遮断するために予防の情報活動の強化」が必要だと書かれている。警察は被害者間の葛藤を助長するうえで率先していたのではないのかという疑問までもたれるところだ。

焼香所の車両を照会する警察官


聴聞会に非公開証人として出席したセウォル号の遺家族たちは、警察の査察が続いていると主張した。この席で遺家族たちは「最近、警察と見られる人物が焼香所に駐車した車両のナンバーを照会しているのを見た。とても気分がよくなかった」「ソウル光化門広場で籠城していた後、青瓦台(大統領官邸)請願のために移動しようとすると、警察が名前を呼びながら近づいてきて、学籍何番の子どもの親なのか、どこに住んでいるのかまですべてわかっているという具合に語った」と証言した。けれどもこのような問題を問いただす海警や警察の関係者は誰1人としてこの聴聞会に出席しなかった。
一方、セウォル号第3回聴聞会では海警のTRS(周波数共用通信)の交信内容も新たに公開された。特調委が公開した交信内訳を見ると、海警は惨事当時、「これ見よがし、体裁づくり」の「救助活動」に乗り出したのではないのかとの疑問符の付く場面が数多くある。
海警は惨事翌日の2014年4月18日、セウォル号への船体への空気注入に成功したと発表した。4月17日、パク・クネ大統領が全羅南道・珍島の現場を訪れ、「空気を注入してやればいいのだが、というのが多くの家族の願い」だと発言した、まさにその翌日のことだ。
セウォル号被害者家族たちの「本当の」願いは当時、生存者がいる可能性の高い食堂の空間に空気を注入することだった。海警の計画も同じだった。けれども4月18日午前10時16分頃、イ・チュンジェ海警警備安全局長(当時)はTRSの交信で「あの空気ホースで食堂の空間まで持っていこうとするなら時間が余りにもかかりすぎてダメなので、現在35m地点に設置されている客室に空気注入口を設けるということで指示が下りた」と語る。けれども結局は客室側にも空気は注入できなかった。空気の注入はセウォル号の船員が逃げ出てきている誰もいないと考えられていた操舵室側からなされただけだった。
海警が4月21日に投入したROV(無人潜水艇)も、さしたる成果がなかったものと見られる。この日の午前7時7分頃に行われたTRS交信の内訳を見ると、「そちらにオンジン・サルベージの追加ダイバー、予定にないのか」とたずねると、「ダメなROV、ROVとロープが絡み合ったようで今、オンジン・サルベージはダイビングができない」と答える。また「(ROVが)出水(水から出る)ロープが絡まって今、どこに流出したのが探せないでいる」との内容もある。
行方不明者の捜索のために進められていた空気注入やROV投入のいずれもが救助活動にプラスにならなかったのだ。パク・ジョンウン聴聞委員は、このほかにも現場を照らすことのできる映像装備保有艦艇の追加投入指示などの海警交信の内容を紹介しつつ「(当時の海警の活動は)結局のところ青瓦台への報告用の作業だったとの性格が強いようだ」と評価した。
特調委が入手して分析した海警の交信内容は、2014年4月16日から29日までに行われた7千余件のTRS記録だ。この記録は旧・海警本庁にあるサーバー・コンピュータから確保した、ごく一部に過ぎない。特調委は2014年4月16日から同年12月31日までサーバー・コンピュータに貯蔵されたファイルは101万9731個で、全部で68・3GBの分量であり、TRSだけではなくその他の交信内容も保管されているものと推定されると発表した。TRS外の通信網としては海警指揮部が交信に使用した「タンゴ網」、ヘル機などが利用した「MTS網」などがある。このような別の通信網などの交信記録は今日までちゃんと公開されたことはない。

海警の交信記録は秘密のドア


クォン・ヨンビン聴聞委員は「特調委は確保した交信記録は全体の1%にも及ばない」し「(海警のサーバーを確保し)生々しい音声内容を確認すれば、秘密のドアを開けることができるのではないかと思う。けれども海警は真実に接近する秘密のドアが開けられるのを恐れている」と指摘した。
キル・ファニョン前KBS社長によるパク・クネ大統領関連の報道への介入状況も第3回聴聞会で、追加的に明らかになった。聴聞会に証人として出席したキム・シゴン前KBS報道局長は9月1日の聴聞会で、「キル・ファニョン社長が大統領報道を扱う原則がある。(メイン・ニュースの)ラニング・タイムの20分以内に消化するということだ」と証言した。
キム前局長は具体的に「(惨事翌日の)4月17日に大統領が珍島の現場を訪れ、KBS9時のニュースに『パク大統領が現場訪問、1分1秒が急がれる』という報道を作り(ニュース項目の)13番目の順序で編集した」「社長は20分編集の原則に沿って、もっと上位につけろと注文し、(該当内容が)セウォル号惨事と関連があるのでそれほど無理ではないと考えて7番目に上げた」と語った。
この日、キム前局長は当時のキル前社長と交わしたメール内容も公開した。このメールでキム前局長は「社長〜、おっしゃったように、その位置に上げました」と送り、キル前社長は「ご苦労だった」と答える。
このほかにもキム前局長は「4月23日『パク大統領、習近平と通話、北の核実験中止要請』という記事はセウォル号惨事と関連のないアイテムなのでセウォル号惨事の報道を先に行い、このアイテムを31番目に配置した」「(ところが、キル前社長は)このアイテムも(順序を)押し上げろ、と言った」と明らかにした。
この問題でキム前局長はキル前社長に「社長〜、VIPのアイテムを今日は後ろに配置し、明日からはごく自然に上げるのが良いようです。まかり間違って逆風が吹くことになればVIPのお方にも迷惑になりはしないかと思います」とメールを送った。キム前局長は「大筋の流れの上では正しくもないし問題があるようなので(キル前社長を)説得した。キル前社長は『大統領に迷惑が及ぶ』と言うと、よく分かってくれて、この時もあのようにメールを送り、順序は変わらなかった」と説明した。

大統領報道にKBS社長が介入

 キル前社長は就任するやいなや、ニュース報道の内容や順序を書いた「キューシート(番組制作進行表)」を手にしていた状況も出てきた。キム前局長は「キル前社長はキューシートを要求し、勤務日には毎日午後5時頃ファクスで送り、休日や出張期間は携帯電話で写真を撮って送った」と語った。これと関連して、KBSで働いていた時期、セウォル号報道の外圧を調査するための「KBS記者協会真相調査団」の実務責任者を担当していたシム・インボ「ニュース打破」記者は、「さまざまな幹部たちや先輩の話では(社長がキューシートを手にするという)そのような事例はなかった、と聞いた」と説明した。
セウォル号第3回聴聞会は9月2日に締め括られた。3月に行われた第2回聴聞会では沈没の原因および船員が取った措置の問題点、船舶の導入および運営の過程など、主に「惨事当時」に注目していた特調委は今回の第3回聴聞会では救助の過程や政府によるメディアへの統制疑惑など、「惨事以後」にまで視線を広げた。海洋水産省、法務省などの主要部署が資料の提出や調査を拒否し、証人としての出席を求められた政府・与党関係者が1人も現れなかった状況にあって、聴聞会がより多くの真実を公開できないという限界を見せたのは事実だ。旧・海警が保有していた膨大な交信記録資料など、特調委の追加調査が必要な部分も明瞭に示した。
けれども今回の聴聞会は、特調委の最後の聴聞会になる可能性が高い。政府が6月30日以降、特調委の活動期間が満了になったと主張していることに加え、特調委の調査期間を保障するセウォル号特別法の改正論議が国会でキチンとなされていないからだ。
特に、政府による妨害は極めて露骨だ。特調委が聴聞会を目前に控えていた8月23日キム・キチュン前・青瓦台秘書室長、イ・ジョンヒョン・セヌリ党代表、チョ・ユンソン文化体育観光省長官候補者、キム・ソッキュン前・海洋警察庁長、カン・シンミョン海水省セウォル号引き揚げ推進団長など証人39人の名簿を発表すると、海水省は「調査期間は終了し、特調委は聴聞会を開催できない」と発表した。9月30日までに総合報告書や白書の発刊作業だけを行わなければならない特調委は、調査活動や聴聞会を行うことはできない、というのだ。
このように困難な状況にあっても、聴聞会の開催場所には特調委関係者や遺家族、聴聞会の開催場所には特調委関係者や遺家族、傍聴客などが120余の席をギッシリと埋め、真実の断片を捜し出した。政府は総合報告書および白書作業の終了時点と釘をさしている9月30日以降は特調委を強制解散させるものと予想される。けれども、惨事の真実さえも強制解散できるのかは疑問だ。

最後となるかも知れない聴聞会


政府・与党側の証人が1人も聴聞会に出席しない状況で、特調委は苦肉の策を考えた。聴聞委員が質問すると、キム・キチュン前・青瓦台秘書室長、キム・ソッキュン前・海洋警察庁長などが、以前にセウォル号国会国政調査で陳述していた動映像によって、答弁するように構成したのだ。傍聴席のそちこちから笑いがはじけたりもした。けれども痛みが減じたわけではなかった。
聴聞会では惨事当日の午前8時55分頃、全南119救助本部にかかってきた檀園高生の肉声の申告電話の内容が公開された。「助けてください。船が傾いています」。恐怖にかられた切羽つまった声が聴聞会場に響きわたると、傍聴者は声をおし殺してすすり泣いた。
第3回聴聞会の初日日程が終わった夕刻7時頃、遺家族たちは記者会見を行った。この席で、セウォル号の遺家族チョン・ソンウクさんは「私どもが知りたいのは、わが子らがなぜ死んだのか、なぜ救えなかったのか」であって、「カネ? 私らは嫌だ。カネの代わりに子どもらを連れてきてくれ」と語った。
特調委がなくなっても、セウォル号遺家族たちの悲しみや真相糾明を望む思いは依然として鋭く険しくなるだろう。遺家族だけの願いではない。聴聞会の期間に金大中図書館の近くではセウォル号惨事の真相糾明を願う人々が自発的に休暇などを取って聴聞会関連のビラを通行人たちに手渡していた。
セウォル号惨事が起きてから2年6カ月が経過したが、この事故を忘れない人々は解散することもできず、依然として至る所に残っていた。聴聞会が終わった9月2日夕方、金大中図書館にはセウォル号遺家族たちの声が響きわたった。「今こそ再び始まりだ。今こそ本当の始まりだ」。(「ハンギョレ21」第1128号、16年9月12日付)

【訂正】本紙前号(9月26日付)1面、沖縄報告9・17行動見出し「Nゲート」を「N1ゲート」に、4面9・11集会の記事下から2段目右から5〜6行目の「七月一六日」を「九月一六日」に、同最下段右から6行目の「四時半」を「午後四時半」に訂正します。



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