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    かけはし2016.年11月14日号

学校に自由と人権を!


10.23

「日の丸・君が代」強制反対

10・23通達を撤回せよ



誰も戦場に
送らせない
一〇月二三日、学校に自由と人権を! 10・23集会実行委員会は、日比谷図書文化館で「『日の丸・君が代』強制反対! 10・23通達撤回! 憲法を変えさせない! 誰も戦場に送らせない! 10・23集会」を行い、一八八人が参加した。
二〇〇三年、石原都知事が押し進める新自由主義と国家主義教育推進に向けて東京教育委員会が一〇・二三通達(卒業式・入学式などで「日の丸・君が代」を強制)を強要してから一三年がたった。「君が代」斉唱強要に抗議する不起立・不伴奏等を理由にして延べ四七八人の教職員が不当処分されている。さらに再雇用職員・再任用・非常勤教員等の合格取消・採用拒否も行っている。
都教委の攻撃は、安倍政権が押し進める教育委員会制度改悪、道徳教育の教科化、教科書検定制度改悪、自衛隊と一体となって宿泊防災訓練の定着化など新自由主義的教育改悪と愛国心教育の先取りであり、戦争法制定を通したグローバル派兵国家建設と連動したものであった。小池都政は、これまでの教育破壊路線を継承し、東京五輪に向けて「日の丸・君が代」を強め愛国心・ナショナリズムの浸透拡大をもくろんでいる。
被処分者たちは、学校現場、全国ネットワーク構築などの反撃とともに粘り強く裁判闘争を取り組んできた。最高裁判決(二〇一一年五〜七月、二〇一二年一月、二〇一三年九月)は、一〇・二三通達について職務命令は思想・良心の自由を「間接的に制約」するとし、「違憲とはいえない」として戒告処分を容認したが、都教委の減給処分・停職処分を取り消した。
続いて河原井さん根津さん〇七年停職処分取消訴訟は、最高裁で戒告処分取り消しと損害賠償が確定した。東京「君が代」裁判第三次訴訟でも一審・二審で減給・停職処分取り消しが確定している。一〇・二三通達関連裁判での処分取消合計数は六七件・五七人となった。
しかし都教委は、違法処分を反省せず再処分を繰り返し、被処分者に対して「思想転向」を迫る「再発防止研修」を強化した。学校現場では職員会議での「挙手採決禁止」を含む「学校経営適正化通知」(二〇〇六年四月一三日)以降、教職員に対して露骨な統制管理を強行し、抗議・意見を許さない現場に追い込んでいる。実行委は、都教委の攻撃に屈せず、東京の学校に憲法・人権・民主主義・教育の自由をよみがえらせるためにこれまで闘いの成果を確認し、新たな闘いに向けて確認した。

戦争国家のため
の教育を拒否!
集会は、近藤徹さん(「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会 )から実行委あいさつが行われ、「安倍政権は、『国家に従順な人づくり』の道を突き進んでいる。東京における自衛隊との連携による都立高校の宿泊防災訓練、教育課程の介入、『国旗・国歌法』に関する記述を理由とした実教出版の日本史教科書の排除などはその先取りだ。『お国に命を投げ出す』子どもづくりを狙うものだ。『戦争する国』を許さず、『子どもたちを戦場に送らない』ために闘いを広げていこう」と訴えた。
一〇・二三通達関連裁判訴訟団・元訴訟団が登壇し、一四団体の裁判闘争の取り組みを報告し、新たな闘いに向けた決意を表明した。
青井未帆さん(学習院大学教授)は、「戦争ができる国と教育」をテーマに講演した。
青井さんは、義父が戦争動員されるプロセスと反省の手記などを紹介しながら「戦争は教室から始まる」実態を告発した。そのうえで@第一三条( 個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重)、第二四条(個人の尊厳と両性の本質的平等)を否定する自民党改憲草案批判A民主主義と国民主権の現状分析B立憲主義を否定する安倍政権を批判し、「政治を憲法に従わせる」観点から今後の課題を提起した。

「君が代」訴訟
と勝利の展望
特別報告が澤藤藤一郎弁護士(東京「君が代」裁判弁護団副団長)から行われ、「『君が代』訴訟の新しい動きと勝利への展望」を報告した。 
澤藤さんは、@「10・23通達」関連訴訟全体の流れA最近の諸判決とその要因B訴訟での勝利への展望を提起し、「最高裁は、権利侵害論については語ったが、制度論については語っていない。『主権者である国民に対して、国家象徴である国旗・国歌への敬意を表明せよと強制することは、立憲主義の大原則に違反して許容されない』という意を尽くした主張に、判決は応えていない。憲法二〇条(信仰の自由侵害)、『教育の自由』侵害の主張にも、子どもの権利条約や国際人権規約違反についても、最高裁は頑なに無視したままである」と批判した。
第二の特別報告として東京高校生平和ゼミナールが「思いを語る―一八歳選挙権、広島、沖縄、憲法」をテーマに戦争反対国会デモなどの取組みを紹介し、今後の戦争反対運動に向けて語った。
最後に集会アピールを確認し、都教委に対する請願行動の取組みへの参加が呼びかけられた。   (Y)

10.28

狭山事件再審求める市民集会

東京高裁は再審開始を

石川さん完全無罪かちとろう


寺尾判決覆す
新証拠を提出
一〇月二八日午後一時から東京日比谷野外音楽堂で「証拠ねつ造は明らかだ!東京高裁は鑑定人尋問・再審開始を!」狭山事件の再審を求める市民集会が市民集会実行委員会主催で開かれた。あいにくの冷たい雨の降る中だったが部落解放同盟員をはじめ共闘会議の仲間などが全国から集まり会場を埋めた。
確定判決では万年筆は石川さんの自白に基づき被害者の鞄から万年筆を持ち帰って自宅のお勝手の入り口の鴨居に置いたものだとした。そして、一次、二次再審で弁護団は被害者のものでないと主張したが、裁判所はインクについて被害者が使っていたものと違うと認めたが「友人のインクを補充した可能性がある」などとして、「万年筆は被害者のもの」として確定判決が維持された。
八月に狭山弁護団は有罪判決の根拠とされた万年筆が被害者のものではないことを科学的に明らかにした下山鑑定を新証拠として提出した。今回の下山鑑定では、発見万年筆が被害者の万年筆なら被害者が使っていたジェットブルーのインクが混じっていたことになり、両方のインクの成分が現れていたはずだがブルーブラックのみの成分しか現れていない。発見万年筆には被害者が使っていたジェットブルーインクは入っていなかった。
有罪証拠とされた万年筆には被害者が使っていたインクがまったく入っておらず、別のインクだけが入っていた偽物だったのだ。この事実は、石川さんの自白がウソであったこと、二度の徹底した警察の捜査でも見つからなかった万年筆が一七六センチの鴨居から発見されたという不自然さと合わせて考えれば、捜査機関によるねつ造以外に考えられない。
今回の下山鑑定は寺尾判決を根底からくつがえす新証拠である。

いよいよ決着を
つける時が来た
昨年の狭山集会では片山明幸さん(部落解放同盟中央本部副委員長)は今後も開示されていない証拠を開示させ、「完全無罪を勝ち取るために時間をかけて闘う」としていたが、今回は「第三次再審請求してから九年目、決着をつける時がきた。八月に提出した下山鑑定はけりをつけることができる」と基調提起した。弁護団の中山武敏主任や中北龍太郎事務局長も下山鑑定を詳しく説明し、決定的な無罪証拠であることを明らかにした。
再審請求人の石川一雄さんは「狭山請求審は最終段階だ。人はウソつくが物はウソをつかない」と万年筆鑑定の重要性を語り、さらなる支援を訴えた。民進党、社民党の国会議員、えん罪と闘い勝利した足利事件の菅家利和さん、布川事件の桜井昌司さん、志布志踏み字事件の川畑幸夫さんが連帯のあいさつを行った。再審を闘う袴田事件の袴田秀子さんが袴田さんの最近の様子を語り、再審実現を共に闘うことを表明した。市民の会の神田香織さん(講談師)が講談で石川さんを支援していることを報告し、鎌田慧さんが沖縄・高江の闘いを紹介し、差別と闘うことの重要性を訴え、今後下山鑑定を広げて、再審を勝ち取ろうとまとめた。集会アピールを採択し、銀座・東京駅へデモ行進し、「狭山再審の実現、石川さんの完全無罪を」とアピールした。      (M)

コラム

倒産そして転職

 

 来年の三月で退職して、フルタイムの無給専従として運動と活動に全力で打ち込もうとしていた予定が完全に吹き飛んでしまった。二五年間務めた会社が倒産してしまい、これまで融資してきた私の全財産が「はずれ馬券」よろしく冷たい秋風に吹かれて霧散しようとしているからだ。負債総額は銀行と個人からの借金と退職金などを合わせると約五億円になる。生活して行ける経済的な後ろ盾なしでは、フルタイムの無給専従などできるわけがない。
 現在六〇歳の私の年齢では厚生年金支給が六二歳からで、基礎年金支給は六五歳からだ。しかし総額月一〇万円ほどの年金を受け取ったとしても、これだけでは田舎でひっそりと暮らすことぐらいしかできないだろう。少なくとも活動らしきものを続けようとするのであれば、食料や日用品を「万引き」でもしながら生活するか、そうしたくなければ死ぬまで労働するしかない。
 そんなわけで正式な倒産宣告を前にして全員解雇ということになった。それでも倒産した会社を吸収統合した企業が、希望者の転職だけは保障するということになった。
 私が働いていた工場現場の労働者たちは、某大手企業の工場に転職することになった。いくつか分散する工場や営業所など合わせると、ざっと千人規模の企業のようだ。新しい現場は完全な分業体制で、これまでのように「あれもやれこれもやれ」と、こき使われることはなくなった。しかし機械を二四時間動かし続ける二交代制で夜勤もあり、土曜出勤も当たり前というところだ。六〇歳を超えた体にどこまでムチを入れられるのかは未知数である。
 おまけに三路線乗り継いでの通勤も大変だ。これまでは乗り換えなしで通勤時間が二五分ほどであった。それがいまではまだ薄暗い早朝に起きだして、ドタバタしながら出勤しなければならなくなった。また工場で二時間ほど残業すれば、帰宅は午後九時半〜一〇時になる。一二時過ぎには床に就かなければならないので、帰宅してからも食事・シャワー・洗濯・食器洗いなど朝と同様のドタバタである。
 しかし悪いことばかりでもないようだ。ひとつは帰宅してから起きていられる時間が短くなったことで、深夜までの深酒ができなくなったことである。これは散々痛めつけてきた私の肝臓にとっては好都合である。
 もうひとつは新しい職場では、昼休みに外にある所定の場所でしか喫煙することができなくなったことである。私はこれまで一日二箱も吸っていたヘビースモーカーだったが、いまでは工場で二〜三本しか吸えないこともあり、確実に減煙から禁煙にむかいつつあると思う。金も無いことだし、健康のことを考えるとこれも良いことだ。
 そんなことを励みにしながら、生きぬくためにがんばるしかないようだ。
         (星)

 


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