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    かけはし2016.年12月5日号

独裁野望への抵抗貫徹する


トルコ

希望が見えるまで……

ソシアリスト・デモクラシ・イイン・イエニヨル


 以下の声明は、第四インターナショナルトルコ支部の「ソシアリスト・デモクラシ・イイン・イエニヨル」から、この一一月五日に出された。中東と欧州をつなぐ重要な一国で進む不穏な動きを示す貴重な情報として、別掲の女性からの声明と合わせ紹介する。(「かけはし」編集部)
 現政権の前提携者、ギュレン同胞団が今年七月一六日夜に組織化した不首尾に終わった軍事クーデターは、エルドアン政権が打ち固めようと試み続けている独裁に反対する能力やあらゆる可能性を破壊する、いわば文民クーデターにエルドアンが着手する好機を提供した。この一一月四日の、クルド運動を出自とする有力な左翼政党、人民民主主義党(HDP)のスポークスパーソン、指導者、党員の逮捕は、このイスラム―民族主義独裁制の構築における、決定的な一歩になろうとしている。
 クーデターの試みに続いて宣言された非常事態にはらまれた恣意性が、全国家機構と公共サービスの再構築に着手することをアンカラの「公爵」に可能とした。こうして、反テロ作戦の下に、何万人もがレイオフされ、解雇され、逮捕された。一〇〇を超えるメディア(新聞、テレビ、ラジオ、雑誌)がすでに禁止処分を受け、何千という市民団体、学校、基金、大学、さらに病院が閉鎖された。
 ギュレン同胞団の潜在的追随者(あるいはそうでない者)を超えて、こうした極度に抑圧的な諸方策は同時に、クルド運動や急進左翼の活動家と同調者を標的にしてきた。一万人以上の左派労組メンバーが停職となるか、公共サービスからすぐさま排除された。ほとんどすべてのクルドメディアと左翼メディアが禁止処分を受けた。
 先週を通じては、特に民主主義諸勢力に対する弾圧が数を増した。クルド民衆に対する戦争に抗議する請願に署名した、高等教育の臨時化に反対し「平和のための大学」を求めて闘っている者たちは解雇された。左翼反政府派の最大部数日刊紙「クムフリエット」の指導的記者と風刺画家たちは、家宅捜索後に拘置所に入れられ、クルド都市最大のディヤルバクルの市長は、「テロ組織、PKK(クルディスタン労働者党)」のメンバーだと告発され逮捕された。クルド地域にある他の二〇市に最近起きた事例とまさに同じく、ディヤルバクルの市政機関を率いるために、新たな親政府管理者が指名された。
 しかし、HDP指導部――昨年六月七日の選挙の中で、エルドアンの党、AKP(公正発展党)を全面的に不安定化する予想外の成功として、一三・一%の得票率を得た――の家宅捜索後の逮捕は、独裁による民主主義の絶滅における決定的な一歩だ。六〇〇万人の民衆が行った投票を否認するこの受け入れがたい攻撃は、トルコとシリアにおけるクルド民衆の自己決定に対する熱望に敵対して、トルコが仕掛けている戦争の一つの結末だ。
 われわれトルコの革命的マルクス主義者は、平和、公正、民主主義を求める希望をそこに体現させているこの政党への投票を、昨年六月七日と一一月一日の二つの選挙で呼びかけたのだが、諸々のクルドの人々、女性、労働者、青年、環境活動家、LGTB活動家、民族的また宗教的マイノリティー、そして民主主義者からなる何百万人という人々の票を押収したこの行為を、あらためて強く糾弾する。
 トルコ民衆が連帯の中で共有する生活のための基盤をすでに危険なほどに弱めてきたこの恐るべき嵐を前に、われわれの最後の防衛戦は、依然平和、自由、民主主義、世俗主義、……を求める絶え間ない闘争であり続けている。
 「あなたたちがもっとも悲観的である時であっても、あなたの靴の先ではなく水平線を見よう、そうすれば確実に希望が見えるだろう。それがもし見えないとしても、再び見よう、希望が姿を現すまで見続けよう」、今政権の牢獄にとらわれているHDP共同議長のセラハッティン・デミルタシュはこう語っていた。
 そうだ、希望が姿を現すまで……だ。
二〇一六年一一月五日
(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一一月号) 

トルコ

われわれ女性は

内戦阻止の呼びかけに応じる

平和のための女性イニシアチブ

  われわれは今朝眠りから覚め、人民民主主義党(HDP)の国会議員たちの拘留およびディヤクバクルでの爆弾爆発というニュースに接した。われわれは、「グッドモーニング」ですらが贅沢となった時代と地政学的状況の中を生きている。しかしわれわれは、互いに「グッドモーニング」あるいは「グッドナイト」と言いたい。これこそわれわれの闘いがめざしているものなのだ。
 われわれは、われわれの国で毎日目覚めより深い絶望に接することに疲れている。意見交換を通して諸問題を可決することが可能である国をわれわれが夢見ればそれだけ、野党政治家に対する圧力、加えてわれわれの暮らしや女性の成果に対する干渉はさらに増している。今日、HDP議員の逮捕によって、六〇〇万人の意志と声は、完全に無視され、暴力的に消されている。これは、戦争状態を深刻化し、平和への希望そのものを妨げる行為だ。
 われわれ女性は次のことを知っている。つまり、戦争がわれわれの生活の上に定着するにつれ、われわれすべてが、より顧みられないようになり、より希望を奪われた者になるに違いない、ということをだ。戦争と暴力は女性の日々の生活をさらに困難にしている。つまり、息をつける空間を狭め、制限している。
 平和はわれわれすべてにとっての必要だ。自由もそうだ。議会におけるすべての者に対する民主的代表可能性を封じ込めることは、平和それ自身の妨害に等しい。HDP共同議長と国会議員の逮捕と拘留は、イスタンブールからディヤルバクルまでの、アンカラからシズレまでの、六〇〇万人を代表する権利を無視し、その声を消すことを意味する。それはジェンダー同権に対する、諸々の自治体と議会における女性の声に対するはっきりした攻撃だ。
 暮らしはこのような形で続くことはできない。次の朝目覚める時どんな悪いニュースがあるかをいぶかりつつ夜眠りにつこうとする国では、将来を夢見、計画することができる者など一人もいない。通りでの出会いすら疑いと嫌疑の影で覆われる国では、絶望と希望のなさ以外の感情はまったくない。われわれすべてが互いに語り、聞くことがあり得る国のためには、議会それ自身の中にすべての者の声を確保することが、それによりわれわれが選んだ代表が互いの意見交換により諸問題の解決のために働く可能性をもつことが、第一に、そして主要に必要なことだ。
 われわれはこれまで常に平和を強調し、意見交換と交渉を通じて解決できない問題など一つもない、と強く主張してきた。われわれのこの主張は変わらない。われわれが、われわれの国がどれほど分断の危機の下にあるか、という政治的言説以外何も聞かない中で、われわれが毎日見ていることは、ますます憎悪によって分断され、断片化され、かつて以上に切り離されている社会だ。
 われわれは、他人の苦痛を楽しみ、祝うよう期待されている。われわれは、他人の沈黙を喜び、住宅地の通りやアパートで暮らす人々がわれわれの国の議会に代表される可能性がないことで幸福感を感じるよう期待されている。それでもわれわれは、われわれの問題やわれわれの夢が実際にはそれほど絶望的ではない、と信じたい。われわれはあらためて、われわれ自身と互いの生活のために平和を強調する、と繰り返す。これが可能なのは、われわれの声すべてに価値があり、われわれが考えることで誰一人とらわれず投獄されない、そうした真に民主的な諸条件の下でのみ、ということをわれわれは知っている。
 われわれができるすべてが、あきらめないことであるならば、互いに声を聞くことを止めたり、沈黙と孤立に閉じ込められることを拒否することであるならば、これこそまさにわれわれ女性が、真の平和と民主主義が実際に可能になるまで、明けても暮れてもやり続けるつもりのことだ。
「平和のための女性イニシアチブ」
(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一一月号)

中東

政治的思惑排し

バーバリズムとの対決を

ジルベール・アシュカル

アラブの春埋葬
こそ拒否すべき

 シリア政権とサウジが率いるイエメンでの戦争は双方とも、アラブの春の埋葬が目的だ。
 アラブの政治的意見は、二つの主な類型に落ち込んでいる。つまり、シリア政権とそのロシアの主人による、シリアの諸都市と地方の諸地域に対する殺人的かつ破壊的爆撃を糾弾するが、サウジが率いる連合による、イエメンの諸都市と地方の諸地域に対する殺人的かつ破壊的爆撃については支持してはいないといえ、沈黙を守っている見解、そして、それをまったく鏡のように反転した見解だ。
 われわれは第三の類型に属する声を聞くことはほとんどない。つまり、双方の爆撃を糾弾し、前記二者を同等に犯罪的(シリア政権とそのロシアの主人による爆撃が、他の爆撃よりもはるかに多数の殺害、また大規模な破壊を引き起こしている、ということの否認はまったくないとはいえ)と考える声だ。そしてそれでもこの第三の類型は存在し、それは確実に、その声の小ささが人を信じさせるかもしれないものよりも大きく、かつより広がっている。
 それは、民衆の利益と安全をあらゆる政治的思惑の上に置き、惨めな論理、つまり「友」の本性や彼が代表する価値と彼が遂行する目標には関わりなく、「敵の敵は友」という図式にしたがう論理、を拒絶する声の類型だ。実際、アラブの春として知られる二〇一一年の偉大なアラブの蜂起に敵対して決起した反革命的諸勢力は、さまざまな種類と形態から構成されている、というのが真実なのだ。
 シリア政権とサウジ政権は両者とも、旧式の腐ったアラブの体制を支える鍵となる支柱だ。そしてその体制こそ、それを一掃し、「パン、自由、社会的公正、そして民族的尊厳」――カイロのタハリール広場や数多くの他の広場で唱和され、アラブの春の熱望に対するもっとも良いまとめを与えるスローガン――を提供すると思われる一つの秩序で置き換えることができるという夢を基に、それに対決して蜂起が立ち上がったものなのだ。

民主主義の脅威
を隔離する企み


 双方の爆撃――シリア政権とそのロシアの主人がしでかし、サウジ政権とその同盟者がしでかした――の目的は本質的に一つだ。両者ともに、六年前の一二月一七日にチュニジアで点火された革命のプロセスの埋葬をめざしている。
 シリア革命に対決し、計り知れない虐殺と破壊という犠牲をめざす見苦しく卑劣な手段をもってそれを抑圧する点における、シリア政権、およびそのイラン(補助勢力と共に)とロシアの連携者の役割は、あり得る限りではっきりしている。そこで例外は、現実を見ようとせず、それをしつこく否認し、あるいは外国の陰謀として蜂起を描き、こうして蜂起や革命と衝突したあらゆる反動的諸体制のすり切れた主張を繰り返して抑圧を正当化するために骨を折っている者たちの見方だけだ。
 アラブの反動を率いるサウジ政権の役割について言えば、それはこの王国の歴史全体によって、特に植民地主義と帝国主義からの解放の風がアラブ地域全体に吹き始めて以来、証明されている。二〇一一年以後この役割は、バーレーンで起きたような直接の抑圧的介入から、チュニジアやエジプトで起きたようなさまざまな手段による旧体制への支援まで、異なった諸形態をとった。
 そこにはまた、シリアのサラフィストグループに対する援助提供や資金融通も加わった。そこで目的とされたことは、蜂起をこの王国に都合の良い宗派的イデオロギーに沈めることであり、シリアのバース党体制に対してだけではなく、あらゆる変種形態をとったアラブの専制に対してシリア革命が代表した民主主義の脅威を寄せ付けないことだ。

反動的猛攻への
一貫した姿勢を


 イエメンでは、諸々のできごとがその最大の懸念の対象となっている近隣国であるサウジ王国が、極めて反動的なアリ・アブダラー・サレフと反動的諸勢力が支配する反政府派間の妥協を促進するために、介入した。このイカサマの合意は短命を運命づけられていた。それは崩壊し、それと共にイエメン国家を崩壊させ、そしてこの国を順番が来たように戦争の大火に導いた。
 イエメン戦争は、革命的陣営と反革命陣営間の戦争ではなく、二〇一一年に立ち上がったイエメンの若者たちが求めた原理的熱望とは正反対に向き合う二つの陣営間の戦争だ。サウジが率いる介入は、二つの反動的陣営間の戦争で、一方の側を支援しているが、それはもっぱら、この王国の安全保障に関係した思惑のためだ。その主なツールはその反動的な本性に十分に合っている。つまり、非武装の市民の殺害には無頓着な人口密集地に対する空爆であり、その点では、シリア政権の意図的な非武装の市民殺害は言うまでもなく、シリアにおけるロシアの空爆とまったく同じだ。
 それゆえにこそ以下のことが絶対に必要だ。つまり、アラブの春がつくり出した諸々の希望に忠実な、またそれが解き放ち、それが始まって二年後に厳しい反動的な退歩に直面した革命プロセスの再生に没頭しているすべての者が、その源が何であれ天から降っている反動的な猛攻を糾弾する点で、首尾一貫した姿勢を守る、ということだ。
 これは、アラブの体制とその反動的競争者がつくるあらゆる極や軸から自立した、アラブ地域の進歩的な極を構築する上で必要となるものの一側面だ。そしてそれは、アラブ革命が再び高揚し、六年前にそれが始めた行進を再開する運命にある場合の不可欠な条件だ。そしてその不足ゆえに、この地域が転落した破局的な状況を克服する希望が一つもないのだ。(二〇一六年一〇月二〇日、「ジャコバン」誌より)(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一一月号) 


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