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    かけはし2016.年12月12日号

過ちありつつも革命の偉業は今も生きる


キューバ

フィデル・カストロを悼む

勤労民衆の利益めざす新しい
課題への挑戦は次世代の肩に

デーブ・ケラウエイ



われわれと同時代を生きた故人

 フィデル・カストロのイメージは、われわれが生きた時代のニュース映像を埋め尽くしている。
モンカダ兵営への流血の襲撃後のやつれて敗北した姿。しゃれたスーツで刑務所から亡命地へ自由に歩いていく姿。一九五八年、山頂の隠れ家で、米国のジャーナリストからインタビューを受ける彼。チェ、シエンフエゴス(訳注:カストロ、ゲバラと並ぶキューバ革命のリーダー。
革命後、軍最高指揮官となるが一九五九年一〇月飛行機事故で死亡)、その他の若いひげもじゃの戦士たちとハバナへの勝利の凱旋行進を行う彼。数十万の人びとに米国資本の没収と革命の社会主義的性格を声明する姿。黒ぶち眼鏡の一団とともにピッグス湾の前線でCIAの侵攻勢力への勝利を勝ち取った彼。ハバナの革命広場を埋め尽くした民衆にボリビアでのチェの死を発表する彼。
モスクワでのブレジネフとの抱擁。チリのクーデターの数カ月前にアジェンデに機関銃をプレゼントする姿。南アフリカのアパルトヘイト政権に対して勝利し、アンゴラから帰還した兵士たちを歓迎する姿。一九七九年のニカラグア革命に勝利したオルテガへの祝意。一九八九年のベルリンの壁崩壊後の緊縮政策期間についての容赦ない声明。
新世紀に入ってからのチャベス、そしてラテンアメリカにおける他の改良主義的指導者たちへの歓迎――そして完全な引退ではないが、一線から退くという声明。白ひげのトレーニングウエア姿の老人だが、彼は依然としてラディカルな指導者、あるいはサッカーのディエナ・マラドーナのような存在として求められていたのである。

あらためて示された革命の成果

 ついに彼は亡くなった。しかし彼は、数百回にわたり暗殺計画を立て、国内の武装反乱、全面的軍事侵攻を組織するようCIAに命じた米国の大統領たちの誰よりも長生きした。彼の死、そしてキューバ国家の切迫し破綻した状況は、一九八九年以来幾度も、早まった形で発表されていた。ロシアや東欧諸国とは異なり、キューバは犯罪者的資本主義国家へと崩壊してしまうことなく、生活水準や平均余命に破局的な影響をもたらすような事態を経験することもなかった。
最近のハリケーンが画像で示した被害をハイチとキューバで比較すれば、一九五九年の革命が獲得した成果は依然として生きていることが分かる。キューバでは死者は一人もなく、すべての町でスムーズな避難が行われた。最初の戦闘からフィデルと手を取り合ってきた弟のラウルは、今なお政府を率いており、二〇一八年に行われる指導部の交替に責任を持っている。キューバとより積極的関係を持とうというオバマの転換は、キューバ民衆にとっての成果である。それは一定の制限を緩和し、経済成長の支援を促した。
私はこの九月にキューバを訪問し、クルーズ船の乗客がハバナの旧市街にあふれているのを見た。アメリカからキューバへの直行便がサンタクララ(キューバ中部の都市)に向けてこの夏から始まり、今週にはハバナへの便が増えることになった。

民主主義的反帝革命の先へ歩む

 フィデルの生涯は、われわれの評価がいかに事後的であろうと、注目すべきものだ。中流家庭に生まれた彼は、最初は民主的民族主義者として急進化し、一九世紀の偉大な反植民地主義の闘士であるホセ・マルティに鼓舞された。一九五三年のモンカダ兵営への最初の武装決起の企ては多くの同志たちの死で終わったが、幸運なことに彼は処刑されなかった。敗北の中で時には起きることだが、それはラディカルな影響をもたらすことになった。法廷での彼の有名な演説はそうした役割を果たしたのである。
メキシコに亡命した彼は、時間を無駄にすることなく第二の武装グループを集めた。一九五八年、彼らは小さなボート「グランマ」で出発し、再度のチャレンジを行った。初めの数日で、ふたたび戦士たちのほとんどが亡くなったが、十数人が生き残り、シエラ・マエストラに行きついた。――そこでは友好的な農民たちが決定的な役割を果たした。彼らがその地で本部キャンプを設置すると、それはバチスタ軍に発見されることなく、チェ(ゲバラ)、シエンフエゴス、彼の弟ラウル、そして彼自身が多くの戦線を構築し、それは軍という形を取ることに成功したのである。さらに重要なのは、政治的支援が発展していったことであり、大都市の地下で連携が作りだされたことである。
フィデルと他の指導者たちは、闘争の方向が米国との衝突をもたらすことに、おそらくすでに気づいていたことは確かだろう。しかしこの期間全体を通じて、彼らは自ら残虐な独裁政権と闘う民主的民族主義者として振る舞った。この姿勢は、バチスタ体制を支援するためにほとんど何もしなかった米国を油断させることに役だった。もしわれわれがハバナ入城と、一年ほど後のフィデルが革命を社会主義的なものと規定する演説の間の時期について学習すれば、民主主義的反帝国主義革命がどのようにして資本主義を打倒する道をたどるのかに関する教科書的一例を見ることができるだろう。先へ進もうとするそれぞれの動きが、サボタージュへの対処、あるいは住民の緊急の基本的必要に基づくものとして理解されるのである。

「公式」共産主義の外側での革命


革命の最初の年月の間、ハバナはすべてのラディカル派と革命家たちの家のようなものだった。これは、スターリニストの「公式」共産主義運動の外側にいたグループによってなしとげられた革命だった。キューバ共産党は革命を支持してやってきたが、カストロ派指導部に従っていた。世界的衝撃は、とりわけラテンアメリカにおいて強力だった。武装グループはほとんどの場合、農村地域で決起を開始し、キューバ政府からの積極的だが用心深い支援を受けた。不幸なことに、こうした勇敢な革命家たちはキューバの勝利の特殊な諸条件――それはいずれにせよ単なる農村蜂起ではなかった――を理解できなかったし、すべてが結局は敗北してしまった。
チェでさえもキューバを離れて、ボリビアでゲリラ蜂起の中心拠点を設立したが、それも敗北に終わった。この作戦においてフィデルはチェを政治的・物質的に支援した。確かに一九七〇年代の後半、中米で武装決起の第二の道が起きたときキューバは物資と戦闘員の支援を行った。しかしラテンアメリカのどこでもこうした闘争は失敗し、キューバ革命が結果として孤立したことにより、フィデルはソビエト陣営に庇護を求めざるをえなかった。これは経済と民主主義的組織化の発展にとって、否定的な結果となった。例えば農業は過度に集権化され、生産性はいまだに回復の途上にある。キューバは現在もなお食糧の七〇%を輸入しているからである。
さらにすべてのレストランから美容院にいたるまで国有化されてきた。現在、規制された小企業と自営業が認められることが多くなっている。一つのことは明らかだ。フィデルはブルジョワ国家を破壊した真の反資本主義革命を指導した。彼はナセルではなかった。彼はたんにある種の国家資本主義レジームを設立したのではなかったのである。

民主主義抑圧は存在するが…


フィデルは決してスターリニストの強制労働収容所を統括することはなかったが、異論派や反対派への弾圧は存在していた。革命の初期、拷問を行った者やバチスタ派の指導者は裁判にかけられ処刑された――実際のところチェは部分的にはその担当者だった。後には時おり他の処刑も行われた。オチョア(訳注:シエラマエストラ時代からカストロのゲリラ部隊に参加し、一九八〇年代にはアンゴラ革命支援などで重要な指導的責任を果たす。一九八九年に汚職・麻薬取引容疑をかけられ処刑された)や麻薬取引の容疑をかけられた別の軍事指導者、船を乗っ取ったフェリーの船長などの処刑が行われた。ゲイも弾圧され特別労働キャンプに送られた。
最近ではほとんどの異論派は釈放されているが、たとえば政治的反対派や芸術家はつねに嫌がらせを受けている。地域的民主主義や革命防衛委員会を通じた参加は、スターリニスト諸国では見ることができなかった程度に、つねに存在してきた。現在、多くのあるいは制限されたフォーラムで、とりわけ「経済の現代化」をめぐって討論が進行中である。もちろん、キューバ共産党の外部で政治潮流や党を形成することはできない、政府に反対する真の独立的出版物を創刊したり、インターネット使用が厳しく統制されているという制限がある。
フィデルとそれ以外の「共産党」指導者たちとの違いは、われわれが中国で見ているような血脈的特権を作り上げていないということだ。彼の子どもたちは高位の政府ポストにのし上がることはなかった。彼はある程度、政府指導部としての特権を享受しているものの、ぜいたくな豪邸を建てたり、資産をかすめるなどということはなかった。米国政府とCIAはつねにそうした犯罪を暴露しようとしてきたが、みじめに失敗してきた。どのような政治的欠点にもかかわらず、われわれはこうした点では、フィデルが一定のモラル的誠実さと尊厳を保持している、と論じてきた。彼のイメージは、ある種の革命的宣言によって見せびらかされていたが、それは人を圧倒するようなものではなかったし、彼の像が建てられるということもなかった。

多くの場で抵抗を鼓舞した模範


後になってフィデルの指導部としてのスタイルや幾つかの問題についての政治的立場は、現在の指導者であるラウル・カストロによって変えられてきた。フィデルが任命した幾人かは、より制度的で、通常の政治的手続きを好む彼の弟によって一方に追いやられた。ラウルは経済的改革にもよりオープンであり、外国企業の投資を歓迎している。キューバで何が進行しているのかについて理解することの一部は、真の論議が透明ではないということにある。
あまり頻繁ではないが、大量の文書が人びとに提示される党大会が行われ、何千もの修正が付されるが、対案文書や組織された潮流は認められていない。古い軍人たちが継続的な影響力を持っているような層の間では、中国の道は正しいのかとか、あるいは外国投資の規制をめぐって活発な討論が存在している。一部のカードルたちははっきりと資本主義的開放の成果の大きな部分をめぐって明確な位置取りをしているが、他の部分は民衆の生活水準の防衛と改善に関心を持っている。
フィデルの継続的遺産の一つは、他の同規模の国と異なり、識字率と健康レベルが高いということだ。人びとは誰も飢えてはおらず、栄養失調で死ぬ人はいない。キューバの医者は、連帯の使命を帯びて世界中に出かけている。経済は破綻しておらず、旅行業やバイオテクノロジーといった部門は、とてもうまくいっている。われわれがメキシコやコロンビアで見ている麻薬経済はキューバには存在しない。世界におけるキューバの威信は、人口一〇〇〇万人の貧しい国にとって際立ったことである。
猛烈きわまる資本主義の海の中に位置し、最も近い隣国である支配的な帝国主義国家が一九六〇年以来その経済に封鎖を強制している小さな非資本主義国家であることを考えれば、フィデルの遺産が混合したものであるのは驚くような話ではない。確かに封鎖のせいで生産性は低く、キューバ人が稼ぐ賃金は低い。米国の攻撃に耐えるに必要な軍事機構をまかなうために、諸条件を改善することを可能にする資源も失われた。経済を開放し、二五分の一の価値しかないペソとならんでドルベースの通貨を持つことは、不平等が不可避的に拡大することを意味する。
観光産業で働き、ドルを稼ぐことができるか、米国の親戚からの送金を得られる二〇%の人びとは、それなりの生活ができる。国家のために働く七五%の人びとは、毎月数日間、旅行者に部屋を貸すカネと同額程度しか稼げない。人びと、とりわけ若い人びとは、オープン・インターネットのような、より多くの自由にもあこがれる。
フィデルと彼の世代は、現実の場から去っている。課題は、勤労民衆の利益のためにこれらの新しい問題に挑戦し、解決することを考えているキューバ人次第である。フィデルのすべてはわれわれの側にあり、決してアメリカ帝国主義への彼の抵抗にためらいを見せてはいない。彼が示した模範は、多くの場所で抵抗をよびさましてきた。
ベンセレーモス、アディオス コンパネーロ(われわれは勝利する。さようなら、同志)。・
(デーブ・ケラウエイは「インターナショナル・ビューポイント」の編集チームで、ソーシャリスト・レジスタンス[第四インターナショナル・イギリス支部]メンバー)
二〇一六年一一月二七日
(「インターナショナル・ビューポイント」二〇一六年一一月号)




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