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    かけはし2017.年5月15日号

どうなる言論・表現の自由


4.7

ジャーナリストが共謀罪でシンポジウム

仕事の現場から考えるメディアの今

 四月七日、東京・お茶の水の中央大学駿河台記念館で、「共謀罪と言論・表現の自由 〜放送・新聞・出版の現場から考える〜」と題する集会がもたれた。主催は自由人権協会(JCLU)。雨のなか七〇人が集まり、国会で審議が始まった「共謀罪」(組織犯罪処罰法改正案)について、ジャーナリズムの観点から問題を提起した。はじめにJCLUの活動について、同会共同代表理事の芹沢斉(せりざわひとし)さんが説明した。

治安維持法
以上の悪法
JCLUは憲法が施行された年、アメリカにならい日本でも作られた。アメリカの協会とは友好関係にある。これまで医療・外国人・情報公開など人権の問題を取り扱ってきた。
芹沢さんは、「今回の法案はよく治安維持法になぞられるが、治安維持法以上に危険だ。治安維持法は天皇制と国体を脅かす存在に限定して取り締まってきた。ところが共謀罪は対象がはるかに広い。市民生活を威嚇し委縮させる。これから各パネリストから発言を受けるが、法案の恐ろしさを広めていけたらいい」。
進行役の岩崎貞明さん(メディア総合研究所・放送レポート編集者/元テレビ朝日社員)は、次の二点についてパネリストの報告を促した。一点目は、共謀罪が成立したらメディアやそこで働く記者の仕事にどういう影響が出るか。二点目は、法案の問題点をメディアはどう伝えているか。
フリーライターの樋口聡(あきら)さん(出版労連/出版ネッツ組合員)は、「労連は二月、春闘方針の臨時大会で共謀罪反対の決議をあげた。私は決議案の起草に当たった。委員長声明も出した」。

フリーを締
め出す風潮
「出版産業は、零細ライターや校正者、カメラマンによって成り立っている。一九七〇年代に女性週刊誌が急成長したが、このときに大量のフリーランスが生まれた。フリーは社員記者なら許される記者会見などから締め出される事が多い」。「大手マスコミが権力に囚われ忖度、委縮するなかで、出版社は一人でも起こせる。本は一人でも書ける。その自由さは反面、弾圧には丸腰で抵抗しなければならないという弱さも持つが、私たちには横につながる組合がある。みなさんと連携して共謀罪に反対していきたい」。
テレビジャーナリストの金平茂紀さん(TBS『報道特集』キャスター)は、「テレビ報道を四〇年やってきた。いま夕方だからニュースをやっている。私が呼ばれたのは他の人材が来ないからだろう」。「この手の集会には声をかけても出てこない。それがまぎれもない現実。そこから出発する」と切り出し、自身の経験から、さまざまな事例をあげた。

公安警察の
思考回路は
「横浜事件を例に考えてみる。浴衣を着ている記念写真が有名だが、これがなぜ日本共産党の謀議の写真なのか。そもそも謀議する時に写真を撮りますか」。「公安警察が今日も会場の後方にいるかもしれない。彼らはとんでもない思考をする。ぼくは『奇計的想像力の膨張』といっている」。「実例を一つ。沖縄で逮捕された山城博治さんは一五二日間勾留された。逮捕と同時に東京・神奈川をはじめ全国一〇数カ所にガサが入った。警察はなにを押収したか。パソコン八台、USBやハードディスク一五個、携帯電話七基、預金通帳。彼らはそれを読み込んで、いかに山城さんを首謀者とするか。基地反対運動を犯罪集団にするか。どういうチャートで人々とつながっているかを裁判に提出している。メチャクチャです」。「現場で撮影したブルーレイディスクを約五〇枚、証拠で提出した。裁判で五〇枚もどうやって見るんですか。彼らはそういうことが大好きなんです」。金平さんは怒りを込め、さらに釘をさす。
「もはや忖度とか委縮とか自己規制というレベルじゃない。旗振り役がいる。北朝鮮を見ろ、シリアを見ろよと。共謀罪を推し進めようとする勢力にとっては追い風が吹いている。こういう理屈に乗ってしまう僕らの仲間が何人もいる」。金平さんは市民の集会に積極的に出かけ、今のメディアの体たらくを嘆きつつメッセージを発している。

「アラブの春」
を検証
新聞労連委員長の小林基秀さん(北海道新聞記者・編集委員/労組専従)は、中東特派員として二〇一二年六月から三年間エジプトにいた。この時の経験から話し始めた。
エジプト史上最高のサッカー選手・元同国代表FWモハメド・アブトレイカは今年一月、政府からテロリストの指定を受けた。テロをやっていないにもかかわらず。「テロ組織」ムスリム同胞団に資金を提供したという容疑だ。
中東の民主化運動「アラブの春」。一一年の一一月、タハリール広場に一〇〇万人が集まってムバラク独裁政権を打倒した。日本をはじめ欧米から大量の選挙監視団が送り込まれ、エジプト初の公正な選挙が行なわれた。議会選挙と大統領選挙でムスリム同胞団が連勝。ずっと非合法の組織だったが、アラブの春で合法化された。
だがその後クーデターが発生。誕生した暫定政権がムスリム同胞団をテロ組織に指定した。つい最近まで政権にいた人たちが、突然テロ組織になった。民主的な選挙で政権に就いた人たちを排除した大義名分として、テロリストのレッテルを貼った。

容赦なくメデ
ィアを弾圧
メディアも弾圧された。アルジャジーラの世界的に有名な記者も拘束され、禁固七年〜一〇年の判決を受けた。ムスリムを取材したという罪だ。政府にとっては同胞団の主張を世界に流されては困るわけだ。
「時の政権は都合の悪い人をテロリストという。シリアのアサドもそうだ。ミニ天安門事件があちこちで起こる。そうして、平和的合法的な反政府運動を封じられた反体制派の一部が武器を持ち、軍の一部も離反して内戦に陥る」。
「よく独裁政権の時は治安がいいと懐かしむ人もいるが、気をつけたほうがいい。たしかに見かけの治安はいいかもしれないが、まさに弾圧し放題の独裁政権で国民が委縮しているだけだ。見かけの治安の良さは、私たちが望む社会ではない」。小林さんは警鐘を鳴らした。
シンポジウムは第二のテーマに移った。樋口さんは、「共謀罪の問題点を伝えている週刊誌は実に少ない。多くは両論併記だ」と前置きし、「そのなかでも『週刊女性』は実によく伝えている。書いたのはフリーランスだろう」と称賛。
金平さんは、「盗聴法を通信傍受法と言い変えるように、共謀罪を共謀罪と伝えるメディアはゼロだ。放送では言葉=名称はすごく大事で体制はナーバスになる。だが今の報道機関は本質を伝える役割を放棄している」と既成メディアを批判した。

世論調査を
信じるな!
各種の世論調査についても言及した。「世論調査が公正中立のわけがない。質問に問題がある。『どちらとも言えない』という選択肢があれば、それが多くなるに決まっている。質問項目が社会科学的に確立されていない。メディアの調査担当者はすごく質が低い」。
「共謀罪を止めようとしている人にはアゲインストの風が吹いている。北朝鮮のミサイルや核実験、トランプのシリア空爆を支持する人が増え、記者まで一色に染まる。でもちょっと待てと、一人だけでも言うことが大事だ。新聞でもテレビでも声を上げる時は結局一人だ。そういう人を孤立させない。相談できる人がそばにいることが大切だ」と金平さんは力を込めた。
この後、質疑応答に入った。参加者からは、次のような問いかけがあった。
テレビを見る人、新聞雑誌を読む人が少なくなってきている現状をどう見るか。今日講演を聞いた私たちは、共謀罪の恐ろしさを人にどう話せばいいのか。ジャーナリスト同士で横のつながりはできないか、など。
回答として、「情報を得る手段が変わってきた今は過渡期だ。若者はスマホとかアイホンで自分の好きな情報だけクリックする。公共的な情報が重要性を帯びてきているが、その媒体も営利企業だから新自由主義に飲み込まれている」と金平さんは指摘した。

メディアの劣
化にもめげず
この日の会場には、今村雅弘前復興大臣に質問したNさんの姿もあった。Nさんは「あの会見では誰ひとり手をあげなかった。切羽詰まった状況だった。ところが大臣の二回目の会見にはたくさん集まった」。「共謀罪でマスメディアも大変な危機になる。その意識を共有して頑張れば各社各紙、現実を変えられるのではないか。そういう可能性があるのではないか」と打ち出した。
金平さんは、「やっぱり結局は『人』だと思う。いろんな意味でやんちゃな人、かき回す人。その人の経験の重みがあってもそれを評価する動きがない。記者の使い捨てが情報の価値を下げている。継続や蓄積に価値を置かない社会。知の劣化だと思う」。
小林さんは、「市民としてどうするか。妻や親や姉と話すけど、まずはニュースを見てくださいと言いたい。子どもに『絶対に勉強しろ』とは言わないが、なぜ勉強すべきか、それは人に騙されないためだよと言っている。学校教育を受けないとウソを見抜けない。死ぬまで勉強だ」。
一時間半に及んだシンポジウム。各媒体の一線で活躍するジャーナリストらは、本音で意見をぶつけ合い、中身の濃い議論が実現した。稀代の悪法・共謀罪の成立を阻止するために、垣根を越えたメディアの連携が、これまで以上に求められている。  (佐藤隆)

4.5

フィリピン大使館に申し入れ

ミンダナオでの軍による
活動家虐殺に抗議する!

アジア連帯講座

 さる三月四日午後四時ごろ、フィリピン・ミンダナオ島北西部のラナオ・デル・ノルテ州で、第四インターナショナル・フィリピン支部・革命的労働者党ミンダナオ(RPM―M)の中心的活動家で、同党が組織するパルチザン部隊である人民革命軍(RPA)のリーダーでもあった同志ルベンが虐殺された。(週刊「かけはし」三月二〇日号に掲載された、ハロルド・フェルナンデス署名の文章と第四インターナショナル・ビューローの声明参照)。
 フィリピンの仲間たちは、アロヨ前政権以来、フィリピン政府との間で続けてきた停戦合意を忠実に履行し、ドゥテルテ新政権との間でも合意に向けた交渉を行う努力を続けてきた。しかし今回の虐殺事件は、非武装で友人の家族を訪問しようとしていたルベン同志に対して、フィリピン国軍の部隊の計画的・組織的犯行として準備、実行されたものだった。こうした国軍部隊の計画的殺人行為を、われわれは絶対にゆるすことはできない。
 アジア連帯講座は、四月五日、東京・六本木五丁目のフィリピン大使館に向けて、フィリピン国軍によるこうした殺人行為に抗議し、不法な計画的虐殺の責任者・実行行為者を逮捕し、裁判にかけて処罰するよう求める英文の申し入れ文書を大使館職員に手渡した。大使館職員は、確実に大使に届けると約束した。申し入れ行動の参加者は、「仲間の虐殺を許さない」「殺人の首謀者・実行者を裁判にかけて処罰せよ」とシュプレヒコールをあげた。           (K)

申し入れ:在日本フィリピン大使館御中

 私たちは「アジア連帯講座」という日本の市民組織です。貴国の市民グループ・民衆組織の活動家とも連絡を持って連帯活動を行ってきました。例えば二〇一三年に中部フィリピンを襲った台風ヨランダによって甚大な被害を受けた住民たちを支援する、フィリピンの仲間たちの要請にこたえるカンパ活動を呼びかけて、仲間たちに届けてきました。
私たちはミンダナオの民衆組織とも連帯する活動を行っています。ところが一カ月前、ミンダナオの私たちの友人からきわめて悲しいニュースが届きました。三月四日の午後四時頃、私たちの仲間が加わっている組織である革命的労働者党・ミンダナオ(RPM−M)の中心的活動家であるルベンが、フィリピン国軍の部隊によってラナオ・デル・ノルテ州のカパタガンで虐殺されたというのです。
虐殺されたルベンは、いかなる武器も持っていませんでした。彼を逮捕しようとするならそれは容易なことでした。しかし彼は、重武装の兵士たちによって虐殺されたのです。彼は、貧しい農民のために献身的に活動し、大地主やギャングたちの暴力に反対してきました。
私たちは丸腰の活動家に対する、軍部隊による不法な虐殺に抗議します。この不法な殺害事件を調査し、責任者を裁判にかけることを求めます。この殺害行為を処罰すべきです。
以上、駐日フィリピン大使館を通じてフィリピン政府に申し入れます。

 二〇一七年四月五日
アジア連帯講座

コラム

無知と無謀

 年末年始、ゴールデンウイーク、盆休み。普段は身を粉にして働く人々が、心と体をリフレッシュする貴重な機会である。だがそんな楽しいはずのひとときを暗転させるのが、事件・事故だ。
 この冬に温泉を満喫した那須では、雪崩によって多くの若い命が奪われた。「子どもの日」には沖縄で川が増水し、五〇人余りが取り残された。幸い全員救助されたが、こうしたニュースに触れるたび、私には過去の苦い体験が甦ってくる。
 中学高校生活を通じて私には、何をやるにも、どこに出かけるのも一緒というグループがあった。その親密さが最後にはバンド活動に結実して終わるのだが、いま思えば彼らとの無謀な冒険の類も少なくはなかった。
 一六歳の夏。私たち五人は奥多摩へキャンプに行った。テントは金を出し合って買った。国鉄奥多摩駅を降りると、多摩川と日原川が合流するあたりの川に降り、宿営の場所を物色していた。最初は岸辺に位置を決めたものの、広い方がいいなと中州に出て行った。もちろんその時は水のない「陸地」の状態だったのだ。
 当時人気の高級BCLラジオを河原に置き、楽しく過ごした。夜はトランプ大会。流行っていたのは麻雀にも似た「セブンブリッジ」である。私たちは同じゲームを、夜通し続けていたのだ。
 勝負に熱中するあまり、周囲の状況に気を配る者は皆無だった。明け方、別の一団がテントの外から声をかけ、引き上げていった。夜中に雨が降り、川が水かさを増していたのである。
 やがて座っている地面が濡れ出した。それでも私たちは気にせずカードを配っていた。だが周囲のものが浮き出すと、さすがに異変に気がついた。五人は雨のなか悠長にも荷物を探し、テントを畳み始めた。
 その後のことはよく覚えていない。消防に通報されたのだろう。川の両岸からレスキュー隊のロープが張られ、私たちはそれをつたって岸に上がった。水流は腹の上まで来ていた。レトルトカレーや鍋皿は、とっくに流されていた。
 空を見上げれば、長く大きな橋の上から、大勢の人が身を乗り出して救出劇を見ていた。駅前の交番で事情聴取をされても、本人たちにはまだ事態への自覚がなかった。後に知ったのだが、私の親は地域の天候から、全員の安否確認を始めていたという。
 私には人生のなかで、死にかけたことが二度ある。これが二度目の出来事になる。無知と無謀がいかに悲惨な結果をもたらすか。親や祖父母になった友人は今、思い出すことがある。
 命からがらの帰路。電車内で乗客がスポーツ新聞を広げていた。エルビス・プレスリーの訃報が目に飛び込んできた。四〇年が過ぎても、消えかけた記憶のなかに、反省すべきあの日を特定できるのである。 (隆)


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