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    かけはし2017.年11月27日号

世界の憲法と地政学の散策@


歴史と風土から各国憲法を学ぶ

──スイス連邦の場合

たじま よしお


 本紙読者のたじまよしおさん(長野県在住)から、安倍改憲が現実政治の日程に組み込まれていく状況の中で、改めて「憲法とは何か」を考えるための論考が寄せられました。安倍制憲による理不尽きわまる改憲=戦争国家への道を断ちきるために、人びとの中で改めて憲法とは何か、なぜそれが大事なのかを考えていくために、一見「遠まわり」のように思われる考察も必要なのではないかと思います。ぜひ皆さんも御意見をお寄せください。(編集部)

 このあいだの衆議院選挙で政権与党が、憲法改正発議に必要な三分の二を上回る議席を獲得したとして、いよいよ憲法改正をプログラムに載せようとしています。広い意味で憲法とはなにかを考えるために『世界憲法集(高橋和之編/岩波文庫)を手にしているところです。
 本書にはアメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、韓国、スイス、ロシア、中国、日本の九カ国の憲法が収録されています。各国憲法を拾い読みするうち、スイス連邦の憲法と議会の独自性に心をひかれました。

スイス連邦の
憲法を読む
「全能の神の名において!スイス国民及び州は/被造物に対する責任を自覚し/世界に対する連帯及び解放の精神において、自由及び民主主義並びに独立及び平和を強化するために同盟を刷新することを決意し/相互に配慮し、尊重しつつ統一の中の多様性の下に生きる意思を有し/共同の成果及び将来世代に対する責任を自覚し/自由を行使する者のみが自由であるということ及び国民の強さは弱者の幸福によって測られるということを確信し/次のとおり、憲法を制定する」。
以上がスイス連邦憲法の前文です。この「自由を行使する者のみが自由であるということ及び国民の強さは弱者の幸福によって測られるということを確信し」という箇所は、何度読んでも嬉しい気持ちにさせてくれますが、連邦議会の構成に目を移すことにします。

 第一七六条 議長 @連邦大統領は、連邦参事会の議長を務める。
A連邦大統領及び連邦参事会の副議長は、連邦議会により連邦参事会の構成員(七名・任期は四年)の中から一年の任期で選挙される。B翌年の再選は、禁止される。連邦大統領は、翌年に副議長に選挙されることはできない。 
スイスの大統領は、七名の参事による実質一年限りの当番制みたいなものです。連邦参事は各政党の獲得議席数に応じて自動的に(一九五九年以来、上位政党から二・二・二・一の割合)割り振られて、国の元首の地位にあるのだといいます。大統領は参事会の議長を兼ねていて、当座のまとめ役です。選挙制度は、比例代表原則に基づいていますので、過去に特定の政党が過半数の議席を獲得した例はありません。また、スイス憲法は「国民発案」の制度を設けています。

第二章 国民発案及び国民投票

第一三八条 連邦憲法の全面改正に関する国民発案
@十万人の投票権者は、発案の公示から一八ヵ月以内に連邦憲法の全面改正を提案することができる。

第一三九条 連邦憲法の部分改正に関する国民発案  @十万人の投票権者は、発案の公示から一八ヵ月以内に連邦憲法の部分改正を提案することができる。
連邦議会はその発案が国際法に違反していないかをチェックして国民投票にかけるのです。本書「世界憲法」の中のスイス憲法の翻訳を担当した山岡則雄さんの解説の中に「しかし、度重なる部分改正によって憲法の体系性が失われるようになり、また、現代的な観点からは、あまり憲法的重要性のない規定が多くみられるようになったため、一九六○年代から連邦憲法の全面改正が検討され始め、一九九九年の国民投票の結果、新憲法が承認され、翌二○○○年から施工されることとなった」尚wikipediaによれば「一八七四年憲法(旧憲法)は過去一四○回以上にもわたる部分改正が行われており、全面改正後の現憲法(二○○○年施行)も二○○三年時点で既に六回改正されている」とあります。

地政学から見
るスイス連邦
人口は七四一万五一○○(二○○四)。連邦は主権を持つ二六の州と准州から委譲された権限のみを持つ。国土の六割をアルプスが占めるので山地の国といえる。首都はベルンであるが(日本の永田町のように)連邦行政機関のすべてがここに集まっているわけではない。
一五一五年にローマ教皇レオ十世の名の下に、ドイツに売り出された贖宥状(しょくゆうじょう)をドイツの神学者マルティン・ルターが批判したことで始まった、国際的宗教三十年戦争が終結して、ウエストフアリア条約が締結された一六四八年に、スイスは神聖ローマ帝国から完全に独立を果たしています。しかし、スイスの建国は一二九一年八月一日となっています。
この日、ウーリ、シュウイーツはニートワルデンの人々と永久同盟を結び、外敵に対し無償援助を誓約しあったのです。これを「原初三州の同盟」といって、スイス建国の原点と考えているのです。その後次々と各州が原初三州に加わって、現在のスイス連邦がかたちつくられてきたのですが、諸州が勢力を拡大して内乱を生むこともあり、みちのりは険しかったのです。
先に述べた宗教戦争に関わったならば、州相互間の誓約同盟の分解を招くおそれがあったので、ローマ教皇ともその批判派のプロテスタントとも距離をおき、スイスは不偏不党の立場を表明したのです。そのことがその後のスイスの武装中立の出発点となったのです。  
「永世中立・ヨーロッパの中央に位置する戦略上の重要地点が武装中立をしてくれることは、隣接する国々にとってまさに防壁となったからである。それゆえに、ウィーン体制ではスイスに領土一部を与えたうえで武装永世中立を認めた。第二次世界大戦中もスイスは武装中立を維持したが、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人を国境で追い返したり、虐殺されたユダヤ人の資産をスイスの銀行に眠らせたままにしている、と国際世論から厳しく批判された。スイス政府は一九九六年にユダヤ人団体に対し第二次世界大戦時の入国拒否を謝罪し、ナチスの金塊やユダヤ人資産をめぐる真相調査委員会を設置し対応している。
武装中立を維持するために、スイスでは国民皆兵制、しかも民兵制をとっており、したがって、良心的兵役忌避は原則として認められず、忌避者は非軍事的な労働奉仕を兵役期間の一・五倍強制される。武器、弾薬、軍服、その他の個人装備は民兵の各家庭に保管され、いざというときにはただちに出動できる体制がとられている。[森田安一・日本大百科全書](ちなみに、兵役忌避も労働奉仕も拒否した場合は、税が割増されます)。
教育制度は、この国の歴史と文化を反映して、地方分権の精神が貫かれている。すなわち、連邦としての文部省は存在せず、各州ごとにその教育を管轄する文部省が置かれ、さらに郡や地方自治体の教育庁、教育委員会にその責任がゆだねられている。
第二次世界大戦後ヨーロッパ各国が積極的に教育改革に取り組んでいるのに対し、スイスでは教育の地方分権が確立していることもあって、国としての大きな改革は行われてこなかった。しかし、近年における経済発展が要請する州を越えた人口移動に際して、家族を伴う移動が子女の教育面で不都合な点が多いことから、州にまたがってカリキュラムの調整を協議するようになった。[前島郁雄・日本大百科全書]

自由民権運動と
ウィリアム・テル
スイスが早くから日本になじまれた大きな理由は、明治の自由民権運動の波にのってシラーの『ウィリアム・テル(ウィルヘルム・テル)』が紹介されたことにある。一八八〇年に斎藤鉄太郎が『瑞正独立(すいつるどくりゅ)自由の弓弦(ゆみづる)』と題して『テル』の第一幕第一場を翻訳紹介して以来、多種類の翻訳が明治時代に出版された。当時テルは実在の人物と考えられており、植木枝盛(うえきえもり)が新体詩歌『自由詞林』(一八八七)のなかで「瑞西(すいす)独立」をうたっても説得力をもったのであろう。また、社会主義者安部磯雄(あべいそお)(一八六五―一九四九)は日露戦争反戦論の立場から『地上之理想国・瑞西』(一九〇四)を書き、スイスを地上の理想国として描いている。この本は第二次世界大戦後になって一九四七年(昭和22)に復刊されるが、戦後のスイス・モデル論は明治期からの下地があったからと考えられる。[森田安一・日本大百科全書]

民衆に根づく
闘いの歴史
戦後、スイスモデル論があったということは、私は初めて知りました。スイス連邦には教科書検定などないようで、羨ましい限りですが、スイスの人たちは長い歴史の闘いの中でそうした制度を勝ち取ったのです。日本の民衆はスイスとは別の歴史の中で苦闘してきたのであって、モデルとすることは慎重でなくてはならないと思います。
次の項ではドイツ連邦共和国基本法〔ボン基本法〕について考察し、さらに多くの国々の憲法と地政学を学習したいと思います。

投書

「自作のビラ」をまきながら

「絶望」に陥らず働きかけを続けよう

S・M

議員会館前で

@一〇月一九日(木)は「安倍9条改憲NO! 安倍内閣退陣! 国会議員会館前行動」の日だ。午後五時五〇分ごろ(?)から国会議事堂前駅の付近で一人で自作のビラをまいた。翌日があるので午後七時ごろビラまきをやめて家に帰った。「『かけはし』の選挙方針に関するビラ」(注1)と「11・4ロシア革命シンポに関するビラ」(注2)をまいた。「革マル派?」とか「中核派?」とか聞いて来た人がいた。(その人がまいていたビラをきちんと見たわけでもないので間違っているかも知れないが)中核派っぽい女性がビラをまいていた。ビラはだいぶあまってしまった。

新宿西口で


A一〇月二一日(土)は「10月22日投開票の第48回衆院選」の前日だ。だいたい午後二時ごろから午後四時ごろまで雨のなか新宿西口で一人で自作のビラをまいた。「『かけはし』の選挙方針に関するビラ」と「11・4ロシア革命シンポに関するビラ」をまいた。「自民・公明・希望・維新に反対しよう」「憲法改悪に反対しよう」「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」「核兵器禁止条約に賛成しよう」「北朝鮮の核にもアメリカの核にも反対しよう」「あらゆる核に反対しよう」などといったことを(私の記憶が正しければ)訴えた。「憲法は変えた方が良い」とか「どこに入れればいいの?」などと言って来た人がいた。前半で公明党が宣伝をやっていた。ビラの受け取りは集会の時と比較すると非常に悪かった。それでもときどきビラをもらってくれる人がいた。ビラはだいぶあまってしまった。疲れた。

供託金いらない


Bたしか一〇月一七日(火)ごろだったか期日前投票に行って来た。比例代表は『かけはし』に「共産党、社民党へ」と書いてあったので共産党か社民党のどちらに入れようか迷った。共産党は「北朝鮮に対する軍事行動には反対するが、経済制裁には賛成する。経済制裁も対話も必要だ」みたいなことをいっていた。社民党に電話で確認したら、社民党の人は「北朝鮮に対する経済制裁には賛成していない」と言っていた。
 この1点で、私は比例代表は社民党に投票した。神奈川9区は自民党と希望の党(笠ひろふみ)と共産党しか出ていなかったので、迷わず共産党(斉藤のどかさん)に投票した。川崎市長選は三人のうち二人(福田紀彦と吉沢あきこ)は「自民党と関係する人物」だったので、市古ひろかずさんに投票した。裁判官はいつものように全員に×印をつけた。私は川崎市長選に興味があって、川崎市選挙管理委員会事務局に電話で問い合わせたら「川崎市長選に立候補するには二四〇万円の供託金が必要だ」という意味のことを言われたので、驚いた。ちなみに、私の誤解でなければ、ブルジョアマスコミも『しんぶん赤旗』も供託金というものの非民主性について特集で批判することも個別に批判することすら一切やっていない。

国会包囲行動で


C一一月三日(金)は「安倍9条改憲NO! 国会包囲大行動」の日だ。午後一時ごろから午後四時ごろまで、国会議事堂前駅1番出口から少し離れたところ(主催者?がプラカードをくばっていたところ)で一人で自作のビラをまいた。「11・4ロシア革命シンポに関するビラ」をまいた。11・3国会包囲大行動が終わって家に帰ったら二〇〇〇枚ぐらい作ったビラ(注3)は三八七枚ぐらい残っていた。「何これ?」とか「オレ、トロきらい」みたいなことを言って来た人がいた。11・3国会包囲大行動が終わって国会議事堂前駅の方に向かっていたら、午後四時ごろだったかKさんらが何かの行動への合流を呼びかけていた。Kさんらの行動には合流せず買物をして家に帰った。
D選挙は自公が圧勝し、ロシア革命についても否定の大合唱が聞こえて来る。
 「反革命的なマスコミに支配された反革命的な日本人多数派」を変革するために絶望せず頑張りたい。

注1。「『かけはし』の選挙方針に関するビラ」。ウラとオモテに「『かけはし』2017年10月16日号の総選挙に関する10月8日付の平井純一さんの呼びかけ」の一部と「『かけはし』2017年10月9日号の総選挙に関する10月1日付の平井純一さんの呼びかけ」の一部をパソコンで入力して作った。
注2。「シンポジウム「世界を揺るがした100年間〜世界史からみたロシア革命」のカラ―のビラ」と「『かけはし』に掲載されたシンポジウム「世界を揺るがした100年間〜世界史からみたロシア革命」の広告のような紹介」を参考にしてパソコンで作った。



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