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    かけはし2017.年11月27日号

支配階級の歴史認識崩落が露呈


バルフォア宣言100年

当時の閣僚の洞察にも追いつかず

ジルベール・アシュカル


 バルフォア宣言から一〇〇年の今年、メイ政権と保守党はこの悪名高い宣言の祝賀会を催し、英国とパレスチナ、またイスラエルの関係をめぐって、英国政治の分極化があらためて表面化している。メイ首相は、この宣言を反ユダヤ主義の印と讃えたが、以下でアシュカルは、歴史認識におけるその浅薄さと無知およびある種の偽造を徹底的に批判している。なおこの論考は、二〇一七年一〇月二六日に、ロンドン大学SOAS(東洋アフリカ研究学院)のパレスチナ研究センターが組織した会合、「バルフォア宣言、一世紀を経て」で講演されたもの。部分的には同一一月三日付「ジョダリイイア」に投稿された一文書も基礎にしている。(「かけはし」編集部)

周知の悪名高い宣言を誇る?


 ユダヤ人を取り除きたいとの反ユダヤ主義の切望と、全ユダヤ人をパレスチナに送るというシオニストの構想の間にある相補性は、たとえばテレサ・メイによって無視されているように見える。
 一年近く前の昨年一二月一二日、メイ首相は「イスラエルの保守党党友年次ビジネスランチ」で、次のような言葉で演説した。いわく「一九一七年一一月二日、当時の外相――保守党外相――、アーサー・ジェイムス・バルフォアは、陛下の政府はパレスチナにユダヤの人びとの本国を設立することに賛意の観点をもち、この目標達成を助けるために最大限の努力を傾けるだろう……、と書いた」と。
 首相は筆者が後で再び戻るつもりの文書全文を読み上げている。彼女はその後「それは、歴史上もっとも重要な文書の一つだ。それは、ユダヤ人の本国建設における英国の決定的役割をはっきり示している。そしてそれは、われわれが今後も誇りをもって刻み続ける記念日だ」と語り進めている。
 さらに首相は「その文書とまさに多くの人々の努力から生まれたものは、注目に値する一つの国だ」と加えた。この国、イスラエルを首相は、「繁栄する民主主義、寛容の指針、企業のエンジン、そして障害をものともせず、逆境に打ち勝つための、他の世界に対する模範」と描いた。
 そして首相はこの演説の機会をとらえて、反ユダヤ主義の課題について労働党を攻撃した。この機会は、「イスラエルの労働党党友」が組織した同様のイベントの二、三日後に訪れたのだ。「私は、イスラエルの労働党党友イベントでの異常な光景の後では、それに応えるべき多くのことがあることを理解している。そのイベントはいつもと異なり、トム・ワトソン(労働党副党首)のよく通る声による『アム・イスラエル・チャイ』歌唱で始まった。彼のバリトンがホール中に響く中、聴衆も加わった。『アム・イスラエル・チャイ――イスラエルの民衆は生きる』。それは、この部屋の誰もが心から一致する感情だ。しかし言わせてほしい。つまり、カラオケがどれだけあろうと、反ユダヤ主義を見て見ぬふりをする埋め合わせとはならない、と」、首相はこう続けた。
 さらに首相は、反ユダヤ主義との闘い(および反シオニズムを反ユダヤ主義に合体させること)における閣僚としての彼女自身の業績、および彼女の党と政府の業績の自慢に移った。こうして首相の演説が頼りとしたものは、バルフォア宣言にまつわる本当の事実を知っている者のすべてが、はなはだしい矛盾として確認できることだった。

ユダヤ人の閣僚は分かっていた


 エドウィン・サミュエル・モンタギューは、バルフォアもその一員だったデイヴィッド・ロイド・ジョージ率いる内閣の、ただ一人のユダヤ人メンバーだった。そして、英国の歴史では、僅か三人目のユダヤ人閣僚だった。彼は、バルフォア文書の草案に対し、一九一七年八月にそれを受け取った時、次のようにコメントした。すなわち「私は私の観点を記録に留めるよう願う。その観点とは、陛下の政府の政策は反ユダヤ主義であり、結果においてそれが明らかにすることは、世界のすべての国における反ユダヤ主義の根拠に対し結集点になる、ということだ」と。
 モンタギューは続けて「信じ難いと思えることは、シオニズムが英国政府によって公式に認められるべきだという点、またパレスチナが『ユダヤ民衆の民族的本国』として再構成されるべきと語るバルフォア氏に正統性が与えられることになるということだ。これが何を意味することになるかを私は知らない。しかし私は、それが意味することとして以下のことは当然だと考える。つまり、ムスリムとクリスチャンはユダヤ人に道を開けることになり、ユダヤ人は好みの地位すべてに置かれることになり、ユダヤ人は、イングランドが英国人と、またフランスがフランス人と関係づけて考えられていると同じように、パレスチナと格別な関係として考えられるようになり、パレスチナのトルコ人やムスリムは、外国人として扱われるようになり、まさに同じやり方でユダヤ人は、パレスチナ以外のすべての国で、今後は外国人として扱われるだろう、ということだ」とコメントした。
 さらに彼は――皮肉なことにそうなるとおそらく彼が信じたこととして――「多分、市民権もまた宗教テストの結果だけをもって与えられるに違いない」と付け加えた。イスラエル国家での市民権許可が、ユダヤ教徒としての宗教的身分証明と不可分に結び付けられるようになることが予定されたからには、この最後の一文はまさに先見の明を証明した。

反ユダヤ主義だと指弾した理由


 読者は、パレスチナのムスリムとクリスチャン――彼らは当時この土地で人口の九〇%以上を構成していた――に関するエドウィン・モンタギューの心配を理解するとしても、「陛下の政府の政策」を「反ユダヤ主義」と彼が見た理由についてはいぶかるかもしれない。その問題は、内閣に対する彼のメモランダム全文を読めば鮮明となる。
 モンタギューは、当時の二つの出版物、「シオン長老議定書」として知られる悪名高い反ユダヤ主義の一編を贋造して掲載したことで一九二〇年に名を高めることになる、保守紙の「モーニング・ポスト」、および「ニューウィットネス」という名をもつひどく反ユダヤ主義の当時の週刊紙に言及しつつ、「私はモーニング・ポストとニューウィットネスの編集者がシオニストだと簡単に理解できる。そこで私は、イングランドの非ユダヤ人がこの政策を歓迎するかもしれないということに、少なくとも驚かない」と書いた。
 モンタギューはこうして、ユダヤ人を取り除きたいという反ユダヤ主義の切望と、全ユダヤ人をパレスチナに送るシオニストの構想の間には相補性があると、的確に指摘した。彼は、テレサ・メイ首相が無視したように見える次の事実を極めてよく分かっていた。それは、英国外相、アーサー・バルフォア自身が、「クリスチャンシオニズム」と呼ばれた反ユダヤ主義潮流、ユダヤ人のパレスチナ「帰還」を支持している潮流から、影響を受けていたという事実、そしてこの支持の真実の目標――ほとんどの場合公言されることはないが、時に公然と言明された――が、クリスチャン多数の土地からユダヤ人の存在をなくすこと、という事実だ。
 クリスチャンシオニストは、ユダヤ人のパレスチナ「帰還」の中に「キリスト再来」条件の達成を見ている。そしてその後には、キリスト教に改宗しない限り、あらゆるユダヤ人を地獄での永遠の苦しみに運命づける最後の審判が続くことになっている。当今ではこの同じ潮流が米国で、全体としてのシオニズムの、特にシオニズム右翼の確固とした支持者になっている。
 実際に、バルフォアは彼自身が首相であった一九〇二年と一九〇五年の間に、一九〇五年外国人法を公布した。その目的は、ロシア帝国ではびこっていた殺人的な反ユダヤ主義を逃れたユダヤ人難民の、英国への移民を止めることだった。この事実とメイ首相が誇りだとした文書の間にある継続性を、エドウィン・モンタギューの理解力は見逃さなかった。このユダヤ人の閣僚は特に、パレスチナでのユダヤ人国家設立という彼らの構想の達成のために、シオニストが反ユダヤ主義を当てにし続けていたことに気付いていたのだ。

シオニズム運動創始者の新構想


 この点については、シオニズム運動の創始者であり、そのマニフェスト、「デル・ユーデンシュタート(ユダヤ人国家)」の著者である、テオドール・ヘルツルその人以上に明確な者は誰もいない。ヘルツルはこの本の序文で、「すべてはわれわれの推進力にかかっている。ではわれわれの推進力とは何か? ユダヤ人の苦難だ」と、これ以上ない明け透けさで述べた。
 そして冒頭部分で同じ気分とより大きくさえある無遠慮さで続け、西欧の「同化された」世俗的ユダヤ人に語りかける。こうしたユダヤ人は、東欧からの貧しいユダヤ人移民を取り除きたいと思っていた。そしてヘルツルは、彼らを軽蔑的な意図はまったくもたずに「ユダヤ人起源の反ユダヤ主義者」と、次のように描くのを躊躇しなかった。
 「『同化された者』は、敬虔なユダヤ人の出国によって、クリスチャン市民よりもむしろもっと利益を得るだろう。彼らは、国によって、場所によって、貧困や政治的圧力によって駆り立てられたユダヤ人プロレタリアートとの、不安を高め、無数の避けがたい競争から解放されると思われるからだ」。
 「この漂流するプロレタリアートは定住するようになるだろう。多くのクリスチャン市民――われわれは反ユダヤ主義者と呼ぶ――は今、外国人ユダヤ人の移民に断固とした抵抗を挑むことができる。しかしユダヤ人市民は、こうすることができないのだ。ユダヤ人市民はこの移民に関し何よりもまず、産業の似たような部門を経営している個人による厳しい競争を感じ、加えて彼らがそれが存在していないところで反ユダヤ主義を引き込むか、それが存在しているところではそれを強めるか、そのどちらかになるがゆえに、移民がはるかに近くから彼らに影響を与えるにもかかわらずだ」。
 「『同化された者』は、この隠された不満に『博愛主義的』事業の中で表現を与えている。彼らはさまよい続けるユダヤ人のために移住団体を設立する。それが人間を扱わなかったとすれば喜劇的となると思われる構図には、裏がある。これらの慈善的機関のいくつかは迫害されたユダヤ人のためではなく、それに敵対してつくり出されているのだから、それらは、貧しい者たちを可能な限り早く遠くへ発送するために創出されているのだ。こうして、ユダヤ人の外見上の友人たち多数は、注意深い精査に基づけば、博愛主義者の外観で偽装された、結局ユダヤ人起源の反ユダヤ主義者以外の何者でもないことが分かる。しかし、本当に情け深い人間がつくった入植をめざす企図であっても、そうであったとしても興味深い企図だが、これまでのところうまくいっていなかった。……これらの企図は、それらがユダヤ人国家という理念の小規模な実践的先駆者を意味していた、という点で興味深かったのだ」。
 彼が述べた失敗した「博愛主義的」入植事業の置き換えとしてヘルツルが考案した新たな構想は、情け深い行為から、欧州の植民地主義的枠組みに統合された政治的活動へと移行することだった。その目的は、この枠組みの一部になり、それを補強すると思われるユダヤ人国家の創立だった。

ユダヤ人排斥意識の意図的利用


 このことで言えばヘルツルは、クリスチャン反ユダヤ主義者は彼の構想に対する確固とした支持者になるだろう、と実感していた。彼の本の第二章、「計画」と題された章における彼の主な主張は、「新国家の創出はばかげたものでも、あり得ないものでもない。……反ユダヤ主義から大いに悩まされているすべての国の政府は、われわれが欲する主権を獲得するよう、われわれを助けることに熱のこもった興味を覚えるだろう」となっている。
 必要とされたことは、シオニストの構想が具体化されることになる領域を選別することだった。
 こうして「ここに、二ヵ所の領域、パレスチナとアルゼンチンが考慮にのぼっている。双方の国では、ユダヤ人の漸次的浸透という間違った原理によるものだとしても、重要な入植実験が行われてきた。まずいことに入植には終わりが定められている。それが継続するのは、先住の民衆が自身が脅かされていると感じ、ユダヤ人のさらなる流入を止めるよう政府に迫る不可避的な時までだ。移民はしたがって、優位性の確保を基礎としなければ役に立たない。『ユダヤ人協会』は、大国がこの計画に友好的と分かることを条件に、自身を欧州諸大国の保護領に置きつつ、現在の地主と交渉するだろう」と主張する。 ヘルツルは、「ユダヤ人移民の利益」を説明した彼の本最終章を締めくくるにあたって、彼が話しかけた人びとに向かって、「自発的にか、反ユダヤ主義からの圧力の下でか、どちらかにより」諸政府は彼の図式に注意を払うだろう、とあらためて請け合った。
 読者は今や、バルフォア文書の構想をシオニズム運動と英国人反ユダヤ主義間のなれ合いとエドウィン・モンタギューが厳しく非難した理由、前述の「陛下の政府の政策は反ユダヤ主義……」という断言的言明の理由を理解できる。

英国政府の実績は底知れない闇

 デイヴィッド・ロイド・ジョージの内閣は、パレスチナの非ユダヤ人多数派の運命とパレスチナへの入植者になる意志のないユダヤ人の運命に関するモンタギューの懸念をなだめようと試みた。「ユダヤ民衆の民族的本国のパレスチナにおける設立」という目標の「達成を助けるために最大限の努力を傾ける」という彼らの誓約に、「パレスチナに現存する非ユダヤ人コミュニティの市民的、宗教的権利、あるいは他のすべての国でユダヤ人が享受している権利と政治的地位を害すかもしれないことは何も行われないだろう、ということは明確に理解された」という条項を加えることによってだ。
われわれは、この悪名高い文書の中心的誓約およびその真の精神と完全に対立する、これら二つの但し書きへの適合という点での、英国政府のひどく悪質な実績を知っている。
テレサ・メイ首相は、バルフォア宣言の一世紀後、彼女の党と政府の反ユダヤ主義に反対する立場への満足を言明する中で、誇りとなる問題を見つけ出すことができた。しかしそのことは本当に、陛下の政府と彼らのスピーチライターの歴史知識における水準の低さに、狼狽を覚える理由にしかならないのだ。(「インターナショナルビューポイント」二〇一七年一一月号) 



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