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    かけはし2018年2月5日号

アフリンでの戦争を糾弾する!


トルコ/クルド

民族主義的挙国一致と軍事的無分別に抗し

ソシアリスト・デモクラシ・イジン・イエニヨル

 トルコ軍が今年一月二〇日、シリア国境を越え、クルド民衆が自治を確立しているアフリンに大規模な攻撃を開始し、すでに数十人の市民が殺害された。世界の帝国主義と地域の大国各々の勝手な思惑がシリアの民衆の願いを徹底的に打ち砕いている。この現実への民衆的対抗の呼びかけが、トルコの同志たちから行われている。以下に紹介する。(「かけはし」編集部)

独裁固めだけの
利己的戦争発動


 数週間の道義的正当性をめぐる準備、外交圧力、そして大量の偽情報の後、トルコ国家は最終的に、シリア北西部国境に位置するクルド人が圧倒的に居住する飛び領域、アフリンを攻撃した。トルコ大統領は、ワシントンとモスクワ間の対立を巧妙に利用しつつ、大規模な軍事作戦を発動した。そこには、空爆、イスラム主義者民兵の展開、攻撃準備を整えたトルコ部隊のシリア領土への侵入が含まれる。
 われわれは、冷笑的に「オリーブの枝」と名付けられたこの戦争を強く非難する。それは、トルコ、クルド、アラブの民衆間の緊張を悪化させ、共に暮らす希望のすべてを先延ばしにする以外には何の結果ももたらさず、その終局的な目標は疑いなく、エルドアン独裁体制の打ち固めだ。
 アンカラはこの攻撃をもって、トルコのイスラム民族主義体制には受け入れがたい、シリア・クルディスタンで進行中の自己決定プロセスに対抗しようと、その国境から三〇キロメートルの「安全地帯」を設けようと願っている。シリア領土占領というこの構想は、PYD(クルド民主統一党)諸部隊――および、イスラム国に対する戦闘に際してワシントンから支援を受けたその武装部隊であるYPG(人民防衛部隊)――の存在に対するいわば国境上の防波堤と表現されている。エルドアン政権は、ロシアの同意を確保し、米国からは弱々しい反応しか受けない中、外交政策での勝利を追い求めつつ、強力な反西欧/反帝国主義の意味を言外に含ませることをもって、この軍事作戦を「国家的安全保障」の攻勢だと提起する。
 エルドアン支持派とその敵対者間にある極度の分極化にもかかわらず、国家安全保障を基礎としたレトリックは、この国の軍国主義的かつ民族主義的な歴史的諸傾向を強化することにより、トルコ社会のあらゆる側、さまざまな政治的な感受性、またブルジョアジーのさまざまな分派を、戦争の陣太鼓の背後に結集することに成功した。主要な野党であるCHP(共和人民党)は、社会主義インターの共和主義かつ世俗主義派のメンバーだが、あらゆる決定的な転換点の時と同様、AKP(公正発展党、エルドアンの党)の味方をする好機を見逃さず、「軍事作戦に対する全面的な支持」を公表した。

反戦闘争なしに
民主主義不可能


 エルドアン体制は今、すでに抑圧的な非常事態にこの戦争情勢を加えることにより、戦争に対するあらゆる反対を犯罪視する点で、前例のないレベルにまで達した。クルド運動を起源とする左翼政党のHDP(国民民主主義党)が、弾圧によりその活動部隊を全面的に縛り付けられる中で、何人かのジャーナリストや反戦活動家は、この作戦の最初の日々に逮捕されることになった。芸術家や知識人は、この戦争を支持しなかったとして排斥されている。軍事作戦に対するほんのわずかの批判も、テロリズムや故国に対する裏切りと同一視されている。
 トルコにおける民主主義を求める闘いでは、革命的反軍国主義の歴史的人物であるカール・リープクネヒトが言ったように、「対外的でも対内的でもその両者で」反軍国主義の闘いを避けることはできない。クーデターとその延長部分としてのあらゆる他のできごとを押しつぶすために、つまりこの政権を防衛するために決起する市民たちに対する法的な免責が、一つの訓令を通して正統化されている。また多くの民兵組織の存在は誰にとってももはや秘密ではない。この情勢の中では、反軍国主義闘争の不可欠性はなおのこと真実だ。
 戦争に頼ることは、再びエルドアンを救い、二〇一五年の時と同じく彼の弱体化した支配的影響力を強めることになるのだろうか? その二〇一五年、HDPが獲得した選挙結果は、エルドアン体制を不安定化することになり、そして政権は戦争のカードを切ると決定したのだ。この先行きは、まさに真実だが前例のない抑圧的な諸条件の中で、軍国主義的無分別と民族主義的向こう見ずにまだ屈服していない、民主的反対派――その先頭に急進左翼を伴った――のさまざまな部分が示す決起と抵抗の能力次第だろう。
 確かに、反戦活動家とクルド民衆の民主的な要求と連帯する活動家には、民族主義的―ファシスト的波に怖じ気づく理由がある。しかし平和を声を大に主張し続ける理由は、はるかに数多く、はるかに人間的だ。それこそが、われわれが黙ること、国際主義的なわれわれの義務を果たさないことを拒否し、好戦的、独裁的、かつ腐敗したエルドアン体制にわれわれ自身をしたがわせることを拒否する理由だ。

▼アフリンでの戦争ノー、トルコ軍部隊の即時撤退!
▼クルド民衆と中東の全民衆の民主的自己決定権支持!
▼帝国主義諸勢力を絶対信用するな! シリア民衆の解放は彼らの共同の闘争を通じてのみ可能だ!
▼プロレタリア国際主義万歳! 革命的反軍国主義万歳!

▼ソシアリスト・デモクラシ・イジン・イエニヨルは、第四インターナショナルトルコ支部。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年一月号)

フィリピン

ミンダナオ情勢と連帯キャンペーン続報

人道的危機は今も拡大中

現地の連帯活動次の段階へ

ピエール・ルッセ

 フィリピン群島南部のミンダナオ島は今、多くの原因による重大な人道危機状態に置かれ続けている。その危機状態は、台風テムブリン/ビンタ、マラウィの戦闘、ジハーディストの諸運動、政府軍とフィリピン共産党間紛争の全般化、鉱業および林業利権集団による地域の諸資源に関する系統的な(しばしば非合法の)吸い上げ、モロイスラム解放戦線(MILF)に結びつく諸部隊による軍事作戦、二〇一七年五月以後に適用され、二〇一八年全体に拡張された戒厳令体制……が組み合わされた結果だ。

連帯キャンペー
ンの経過と現状
われわれは、昨年一二月二三日の台風テムブリン/ビンタ通過後二つの連帯の訴えを、次いで諸々の軍事的紛争の結果に関する第三の警戒警報を受け取った。われわれはそれらを支援し、次いで一月七日、人道危機状態の全原因とその犠牲者すべてを考慮に入れた財政支援に対し、われわれ独自の国際的訴えを始めた。このキャンペーンは、軍とジハーディストグループ間に起きた暴力的な戦闘を理由に、昨年五月マラウィ市を緊急に逃れなければならなかった家族を支援するために、われわれが二〇一七年に行ったキャンペーンを延長するものだ。
一二月以後われわれは、フィリピンに一万三〇〇ユーロを送金した。内訳は、Mihandsを介して三三〇〇ユーロ、Tripod協会を介して七〇〇〇ユーロだ。
MihandsとTripodは資金提供者に感謝している。この最初の局面でのこの資金は、それがなければ有効な介入があり得ない最初の諸活動の展開に大きく貢献した。それらは、もっとも容易に到達できる地域での援助物資配布だが、それだけではなく、諸会合の調整、調査や情報収集、政府出先機関への働きかけ、フィリピン自身における連帯キャンペーン(金銭と物品での寄付)その他だ。諸活動は徐々に次の段階に移るだろう。コミュニティの自己組織化に基づくものであり、これがまだ実現していない場合に、そのことで彼らの現在と未来に対する支配を取り戻すことができるようにするためだ。
われわれが支援している戦闘的なネットワークは、北部と中央部ミンダナオの広大な領域にわたって、人道的援助と犠牲者保護に取り組んでいる。彼らの諸勢力すべては、例外的な規模の危機状態に立ち向かうべく動員されている。彼らはまだ、情勢と彼らの活動の全体的評価を行う可能性を確保していない。しかしながらわれわれは、以下にまとめるような一定数の情報を受け取っている。
彼らは特に、ラナオ諸州(北部と南部)、ザンボアンガ半島、マグインダノ、北コタバオ、スルタン・クダラトに入っている。

台風と避難住民
への対応徐々に
台風の人的、物的結果を評価するにはまだ早過ぎる。道路状態が多くの現場に入ることを可能にしていないからだ。諸自治体には道路を片付け(樹木……)、修理する(破損個所……)ための十分な装備がない。高地での作業には、それらの機械類は軽量かつ小型でなければならないのだ。地域を一つ考えた場合、地滑りが起きたかそうでないかで損害は非常に異なり得る。破壊は、特にインフラ、農地、水産養殖、住宅、装備、および諸々のサービス(水道、電力……)、商品その他に関係している。
ラナオ・デ・ノルテ州では一二月末に、現地の社会運動(DKMPとLAFCCOD)を介して、農民と漁民の村々に緊急援助物資が提供され(食料、衣類、衛生用品……)、その後医療の必要に関する評価が行われた。一つの医療チームが一四人のボランティアを伴って三日間、彼らの医療連携相手、NDADAフィリピンズがいるララの自治体に入った(一つの避難所と一つの現場に)。この活動はいつものように、代わりとなる処置(針治療その他)の有効性、および将来それらをコミュニティがどのように活用できるかについて、台風を生き延びた人びとに納得させなければならなかった。この任務の諸結果は、さまざまなレベルで、すなわち肉体的病弊、心理的トラウマ、鬱状態……で非常に肯定的だと考えられている。ボランティア五人が、これを徹底させるようMihandsのオルタナティブ・メディカル・センターを現場で活気づける任務を引き受けている。
Mihandsは、ラナオ・デル・スルの他でも、避難所に、またマラウィ市のミンダナオ州立大学に医療派遣団を送るよう依頼され続けている。
Mihandsは、人道活動の全体的成果にそれらを含めるために、当地の当局や関連出先機関と活動を調整している。台風がつくり出した被害のタイプは、ラナオにおける通常とはまったく異なっている(高地での大規模な洪水、河川の突然の洪水……)。そして農地管理団体のような現地の政府部署は、有効に対応するために学ばなければならないのだ。

軍事紛争と山岳
コミュニティ
軍事紛争の積み重なりは特にルマド――先住諸部族や民族言語グループ――を苦しめている。あらゆる類の武装勢力が、避難場所を求め、いくつかの近隣諸州の高地から作戦を行い、また経済的利権集団との接触を始める……ために、彼らの領域を定期的に占領している。戒厳令布告は先住諸民衆の状況を悪化させるだけだ。政府は彼らに、CPP/新人民軍(NPA)のゲリラのために支援基地として努めを果たしていると罪を着せている。そしてドゥテルテは、彼らの学校を文字通り爆撃すると脅し続けてきた。
事実としてルマドには、あからさまであるか非公然であるかどちらかの内部的な彼ら自身の統治がある。そして何よりも、専横から彼らのコミュニティを防護すること、先祖伝来の彼らの領域を保持すること、都会の貧困層内部の貧困層として自らを見出すことになる(それは彼らの文化的な死を意味する)ことを承知した上で、彼らの土地や森から追い払われないようにすることをめざしている。
彼らの領域が戦争地域になったとしても、それは彼らの落ち度ではない。彼らは、植民地主義、排除、周辺化、強奪という長い歴史から苦しんでいる。一般則としては、彼らは彼らの権利を守っているにすぎない。
二〇一七年一二月二四日、バングサモロイスラム自由戦士(BIFF)がマグインダナオ州のルマドコミュニティを迫撃砲で攻撃した。この集団はMILF――モロの行政実体創出に関し現在政府と交渉中――の多少とも自治的な分派だ。BIFFは、軍との暴力的な衝突の中で、フィリス山中に自身の拠点を置きたいと思っていた。
MihandsとTripodは一月九日、影響を受けたマギンダナオ―コタバト地域の情勢を評価し、連帯を訴えた。ルマドの家屋六一軒が燃やされ、少なくとも七人が殺害され、避難した二〇三家族との連絡が取れた(しかし、影響を受けた当地の多数に達することはまだ可能にはなっていなかった)。調査活動は進行中だった。関係コミュニティはテジュライ、ラムバグニアンス、マノボ・アルマノンだ。避難民の中には、モロのイスラム教徒やキリスト教徒もいる。
コタバト州(北と南)のルマドは、CPP、政府軍、大企業の民兵集団間の戦闘により脅かされている。IPVoice(先住民衆の声)評議会の一メンバーがアラカンで殺害された。IPVoiceは一つの儀式を組織し、そこには二一の高地部族が参加した。彼らは二月はじめに、軍やCPP―NDF―NPAとの対話に取りかかりたいと思っている。
少なくともいくつかの地域が、人道的危機に油を注ぐことに力を貸すような、多重化した武装紛争から防護されることになる、ということが期待される。しかしマラウィのイスラム教徒都市で戦闘から逃れた家族の運命は、戦争という汚辱が自然に消えることはない、ということを示している。マラウィの戦闘は五ヵ月続いた(二〇一七年五月―一〇月)。しかし避難した住民のほとんどはまだ暮らすために帰還できずにいる。そして彼らは今、台風テムブリン/ビンタが残した影響に苦しめられている。

活動家ネットワークの活動の支援を
人道的危機への対応は長期の中でのみ考え得る。それは、ミンダナオ人民平和運動(MPPM)が成し遂げたような長続きする平和を求める恒常的な闘争を、またそうして一定の範囲にわたる分野で活動する諸組織間での効果的な協力を必要とする。それらの分野とは、多かれ少なかれ自然災害への対応、コミュニティと影響を受けた住民の権利防衛、軍事紛争からの防護、緊急援助を超えた再配分と再建への関与、犠牲者の自己組織化支援、そして彼らの決定に対する尊重……だ。
何十もの草の根諸団体を結ぶ機能的ネットワークは、各努力を組み合わせ、ノウハウを交換し、諸運動間での架け橋を造り出し、広大な地域を対象にし、長期にわたる活動を維持する上で互いに助け合うことを可能にしている。したがってESSF(国境なき欧州連帯)は、極度に特定された計画にただ資金を出す(もちろんそれも極めて有益であり得る)というよりも、これらのネットワークを支援している(今回の例ではMihands)。これらの諸団体はミンダナオで、過酷で危険な諸条件下で活動している。われわれとしてはこの場を借りて、彼らの献身の質に敬意を込めたあいさつを送りたい。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年一月号)



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