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    かけはし2018年2月19日号

「一五〇年」を「一〇〇年」からふりかえる


「明治150年」キャンペーン批判(1)

「歴史観」をめぐる挑戦

はじめに


 一月二二日に行われた安倍首相の施政方針演説は、冒頭から「明治一五〇年」への思いを人々に共有させようとするメッセージに貫かれている。
 「明治という新しい時代が育てた数多(あまた)の人材が、技術優位の欧米諸国が迫る『国難』とも呼ぶべき危機の中で、わが国が急速に近代化を遂げる原動力となりました」。
 「今また、日本は、少子高齢化という『国難』とも呼ぶべき危機に直面しています」。
 「この壁も、必ずや乗り越えることができる。明治の先人たちに倣って、もう一度、あらゆる日本人にチャンスを創ることで、少子高齢化もきっと克服できる。今こそ、新たな国創りの時です」。
 憲法改悪にねらいを定めた安倍の政治戦略との闘いは、「明治一五〇年」という歴史観をめぐる闘いでもあることを、この施政方針演説が示している。今年一〇月二三日、政府による「明治一五〇年」式典が日本武道館で開催される予定になっている。「明治一五〇年式典」、憲法改悪と天皇代替わり、そして二〇二〇年東京オリンピック、というスケジュールは、メディアを動員し、一体のものとして構成されたイデオロギー戦略でもある。
 本紙上でもこの「明治一五〇年」問題について、さまざまな角度から批判的視点を提示していきたい。必ずしも「連載」という形をとるものではないが、さまざまなテーマから「明治一五〇年」批判の論点を出すようにしたい。読者の皆さんからの提案、異論、批判、要望を期待する。

「明治100年」ってどの年?

 「明治一五〇年」式典を考えるとき、「一五〇年」の数え方、いつから一五〇年なのか、というそもそもの問題から始めなければならない。「明治元年」は西暦一八六八年であり、元号としての「明治」が続いているとすれば「明治一五〇年」とは実は昨年、二〇一七年である。もう終わってしまった話なのだ。
この点は実は五〇年前の「明治一〇〇年」式典でも国会で問題になっていた。つまりいつから数えて一〇〇年なのか、ということ。これは歴史を考える上で根本的なテーマのはずだ。
「昭和四一(一九六六)年三月一六日提出 質問7号 明治一〇〇年に関する質問主意書」が自民党の押谷富三衆院議員から出ている。
以下、全文紹介する。
「明治百年を記念する式典を国家的行事として各人独自の判断で諸般の行事計画が進められている。しかし、かんじんの当該年次がいつに当たるかいまだ確かでない。ある者は昭和四二年といい、ある者は同四三年という。学説も史実もまちまちで、その決め手となるものはない。たとえばその起算日を
明治天皇践祚の日(一八六七年二月一三日 慶応三年一月一九日)
王政復古大号令の日(一八六八年一月三日、慶応三年一二月一九日)
五か条の御誓文渙発の日(一八六八年四月六日、慶応四年三月一四日)
明治天皇即位大礼の日(一八六八年一〇月一二日、慶応四年八月二一日)
明治改元の太政官布告の日(一八六八年一〇月二三日)
等々がある。(大政奉還勅許の日、一八六七年一一月一九日、慶応三年一〇月一五日)
その他、明治百年祭と維新百年祭との関連はどうか。
この種の記念行事は満年で行うのが正しいか、かぞえ年で行うのが正しいか。
旧暦と新暦との関係はどうか、
等々、問題は多岐にわたっている。
この際、明治百年記念式典はいつ行うのが正しいか、政府の統一見解を示されたい。
右、質問する」。

これに対する「内閣からの回答」は次のようなものだった。
「近く政府に明治百年記念式典準備委員会(仮称)を設ける予定であり、同委員会の意見を聞いてすみやかに結論を得たい。
右、答弁する。
内閣総理大臣 佐藤栄作」

結局のところ、「明治改元の太政官布告の日」(新暦で一八六八年一〇月二三日)となったのは政治的色彩が比較的薄い、という理由によるものであったそうだ。なんともあやふやな根拠である。

政府記念式典の中身


一九六八(昭和四三)年一〇月二三日、午前一〇時から九段の日本武道館で、天皇・皇后出席の下で、「明治一〇〇年記念式典」が行われた。
プログラムは、「君が代」斉唱、佐藤栄作首相の式辞、天皇の「おことば」と続いた。さらに小平久雄衆院副議長、重宗参院議長、横田最高裁長官、F・トーレス在日外交団長のあいさつが行われた。
続いて、近衛秀麿指揮、NHK交響楽団の演奏でワーグナーの楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」。ちなみに指揮者の近衛秀麿は、近衛文麿の異母弟。近衛文麿は一九四〇年、大政翼賛会が作られ、「紀元二六〇〇年」式典が挙行されたときの首相であり、戦後自殺した。
この日のプログラムはさらに青少年代表の「若人の誓い」、明治一〇〇年頌歌「のぞみ あらたに」の斉唱、日体大男女学生一三〇人からなる体育演技「若人の躍動」と続き、再びNHK交響楽団がヘンデル作曲「王宮の花火の音楽」を演奏し、最後に佐藤首相の「万歳三唱」。終わったのは午前一一時二〇分だった。

「敗戦体験」乗り越え?

 ここで「明治一〇〇年」を記念する当時の政府の認識について確認しておこう。佐藤内閣は次の五点を挙げている。
@ 明治という時期を画して封建制度から脱却し、山積する内政・外交上の諸問題に直面しながら国家百年の大計に立って諸制度の改革を断行し、近代国家への方向を確立した偉業を高く評価し、
A その改革と近代化の原動力となった先人の国民的自覚と聡明と驚くべき勇気と努力、その所産である事績に感謝し、
B また、過去の過ちを謙虚に反省し、
C 百年間における他に類例を見ない発展と現在の繁栄を評価しながらも、他面、高度の物質文明が自然や人間性を荒廃させている現実を憂慮して、その是正の必要性を痛感し、
D 次の世代をになう青少年の物心両面のいっそうの努力精進を期待して、
「この百年の経験と教訓を現代に生かし、国際的視野に立って新世紀への歩みを確固としたものにする決意を明らかにする」のが「明治百年を記念する基本的態度」である
としている。
「明治百年」は明らかに、戦後生まれ・戦後育ちの青少年を対象にしぼりこんだイベントだった。それは「戦前」と「戦後」の「断絶」、すなわち「大日本帝国」と「戦後日本」の切断を重視するのではなく、支配者の側から「敗戦」経験を乗り越えた「近代日本」の連続性を印象づけようとするキャンペーンだった。
「明治一五〇年式典」を記念する政府の側の「基本的態度」は、今年の安倍「施政方針演説」を見る限り、「百年」を引き継いだものになるのだろう。そうした「歴史観」をめぐる闘いを、あらためて重視しよう。(純)

映画紹介

テリー・ジョージ監督 アメリカ映画

「THE PROMISE 君への誓い」


アルメニア人大虐殺の記憶


 
オスマン・トル
コ帝国の犯罪
 一九一五年、オスマン帝国(現トルコ)がアルメニア人一五〇万人を大虐殺するという事件が起きた。第一次世界大戦でオスマン帝国はドイツ・オーストリア帝国側につき参戦する。これと対立するロシアがアルメニア人の反オスマン帝国の感情を利用するのを恐れたからだとも言われる。
 一九一五年四月東部アナトリアの都市ヴァンで発生したアルメニア人による暴動をきっかけに、アルメニア人政治家や知識人など六〇〇人が連行され、その多くが殺された。ロシア国境地帯のアルメニア人を居住地域からシリア、イラク方面へ強制移送し、拷問と殺りくが繰り返された。その後、トルコに残ったアルメニア人は三〇万余に減っていた。
 二〇世紀最初のホロコーストであり、ナチス・ヒトラーはこれを参考にして、ユダヤ人へのホロコーストを行ったとも言われる。

「敵より1日も
長く生き延びる」
映画は医師をめざしてイスタンブールの医学校に入るアルメニア人の成年・ミカエルとトルコ人学生、フランスからやってきたアルメニア人女性アナ、その恋人であったAP通信記者クリスの恋と友情を交えながら、どのように大虐殺が行われたのかを映し出している。
当時、アルメニア人は東アナトリア地方の農村に多く住んでいた。知識人、金融関係者はイスタンブールに住んでいた。オスマン帝国が第一次大戦に参戦を決めると、イスタンブールでもアルメニア人商店や住宅がトルコ人の「民衆」によって、「敵」として襲われてゆく。そしてアルメニア人の村でも大量殺戮が行われていた。その様子をAP通信のクリスが全世界に伝えようとする。医学生だったミカエルも徴兵され、奴隷のような労働を強制される。そこから逃れ、田舎の実家に戻るが危ないということで逃げるが結局、トルコ兵に捕まり、村人とともにほとんどがむごたらしく殺されてしまう。
別のアルメニア人たちはシリアの砂漠に移送されるのを拒否してわずかな武器を持ち抵抗しながら山に逃げ込む。そこも攻められたが海側に、トルコと敵対するフランスの軍艦がやってきて、四〇〇〇人のアルメニア人たちを救った。復讐を誓うミカエルに対して「敵よりも一日も長く生き延びることよ」とアナに言われ、生き延びた。
映画が終わると、誰も無口で「重たい気持ち」を引きずりながら、映画館を後にした。帰りのエレベーターで老夫婦が「なぜ、トルコ軍はアルメニア人を殺したのか?」と会話していた。この映画はドキュメンタリーではないので歴史的背景の説明はない。見た人が自分で勉強しろということだろう。
記者と恋人と医学生の三角関係がひとつの軸でもあったが少し煩わしかった。トルコ軍による理不尽なアルメニア人に対する迫害が臨場感を持って迫り、胸をかきむしった。

今も謝罪を拒
否するトルコ
このトルコによるアルメニア人大虐殺はトルコのEU加盟にあたってネックになっている。EU議会では糾弾の決議があげられた。しかし、トルコ政府はアルメニア人が殺されたことは認めても、謝罪など一切していない。アメリカもトルコ政府との友好関係を維持するためにこの問題を認めようとしていない。
テリー・ジョージ監督はルワンダ大虐殺を取り上げた映画「ホテル・ルワンダ」をも制作した。カンボジアにおけるポル・ポト派による数百万人の大虐殺も記憶に新しい。最近の日本や世界的なヘイトクライムの動きを見れば、ホロコーストは過去の出来事でないことを示している。過去の教訓をいかに伝え、歴史に刻み、決して許さない行動をこの映画は訴えている。 (滝)

 


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