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    かけはし2018年4月16日号

民衆自身の運動から探る変革への「もうひとつの道」


読書案内

ジルベール・アシュカル著/寺本勉、湯川順夫訳 柘植書房新社刊/3200円+税

『アラブ革命の展望を考える』(上)


「アラブの春」
はどこに行った
 二〇一一年一月から二月、チュニジアのベンアリ政権、エジプトのムバラク政権という二つの独裁政権が、民衆の決起によってあいついで打倒された。さらにその波はリビアのカダフィ独裁体制に対する闘いへと波及し、同年秋には逃亡したカダフィも捕らわれ、殺害された。
 「アラブの春」とうたわれた民衆決起による反独裁闘争の拡大は、民主主義と人権に向けた新しい時代の到来を印象づけた。それから七年たった今、「アラブの春」はどこへ行ったのだろうか。そうした疑問すらほとんど発せられなくなった。あるいは、「泥沼の内戦」や、「イスラム国」(IS)をはじめとしたイスラム主義のテロが話題になるだけだ。私たちはもう一度アラブ諸国の現実と今後について、「アラブの春」以後の情勢の展開に即して考えていく必要があるだろう。
 そのために必読の著作が、ロンドン大学のオリエント・アフリカ研究学科教授であるとともに、レバノン出身の政治活動家でもあるジルベール・アシュカルの近著『アラブ革命の展望を考える――「アラブの春」の後の中東はどこへ?』(柘植書房新社刊)である。
 正直にいってこの本は決して「わかりやすい」ものではない。しかしアラブ情勢のこれまでの流れを理解し今後を展望する上で、欠かせないものの一つである。「複雑さ」を歴史と現実の交差点において解き明かそうとする姿勢が、何よりもそこでは求められる。

「長期的展望」
の下で見る現実
本書の構成は、序章「革命のサイクルと季節」と終章「『アラブの冬』と希望」を除けば、問題を二つの国、かつて「アラブ連合」を構成していたシリアとエジプトというアラブ世界での二つの大国に焦点を当てて分析している。この二国を取り上げたところに、アシュカルの「アラブ革命」についての実践的・理論的問題意識が凝縮した形で現れていると見るべきだろう。
アシュカルは序章で、二〇一一年の「アラブの春」を、東欧におけるスターリニスト官僚支配を打倒した一九八九年の事態との対比で捉えている。東欧では支配的国家システムを構成する主体は資産階級ではなく「党と国家の官僚」だった。「上部階層に属する官僚のかなり多くの部分は、経済の民営化を利用して資本家的経営者へと自らを転身させるよう企てることができた。だからこそ、大部分の専門家にとって驚くべき円滑さで社会・経済体制が覆されたのである。しかしながら、その円滑さを政治的民主化と混同すべきではない」。
「それとは反対に、二〇一一年以前のアラブ地域は、縁故資本主義(クローニーキャピタリズム)という全般的な経済的環境において、家産制的国家が優勢であることによって特徴づけられていた」「言い換えれば、アラブの国家は近代的ブルジョア国家というよりもむしろ、往時のヨーロッパ絶対主義、つまりより厳密な歴史的意味でのアンシャンレジーム(旧体制)とより多くの共通性を持っている国家である」。
アシュカルはさらに述べる。「それは、軍事機構、政治制度、政治的決意をもつ資本家階級(国家ブルジョアジー)によって構成される三者が相互に結びついた『権力のトライアングル』であり、三者すべてが、自分たちの特権と利益の主要な源泉である国家権力への自らのアクセスを防衛することに躍起となっている」「こうした諸条件の下では、アラブ地域において東ヨーロッパ型の比較的平和的な根本的な変革の再来を期待するのは、まったくの勘違いであった」(アシュカル『人民は希求する』 二〇一二年 未邦訳)。
したがってアシュカルは、「この地域が、数年間の、あるいは数十年間にわたって進行する長期にわたる革命の過程を開始しつつある」と主張していたのである。それは「反動的な体制に対する反動的オルタナティブ」(イスラム原理主義運動)と、それを支える三つの産油国(サウジアラビア王国、カタール首長国、イラン「イスラム共和国」)の役割を明確に意識する必要性を強調するものでもあった。
ここで、シリアとエジプトという二つの大国の民衆運動と体制との攻防の中で、アラブ地域の民衆運動の展望をさぐる意味が浮かび上がってくることになる。

シリア:『野蛮
の衝突』の中で
本書の第一章は「シリア:野蛮の衝突」である。『野蛮の衝突』とは言うまでもなくハンチントンの「文明の衝突」になぞらえて、「アルカイダ」の米国同時テロ(二〇〇一年九・一一)とブッシュの対イラク戦争という「二つの野蛮」の闘いの本質を浮き彫りにしたアシュカルの著作の題名でもある(邦訳二〇〇四年、作品社刊)。
シリアでは、アサド独裁政権、アサドと闘うシリア国民連合(ムスリム同胞団、世俗的リベラル、武装組織としての自由国民軍などからなる主流派反政府勢力)、そしてイスラム・ジハーディスト(「イスラム国」など)という三つ巴の内戦が展開されることになった。アサド政権はロシアのプーチン政権、そしてイランからの軍事的・財政的支援の下にジハーディスト、ならびに反アサド派「シリア国民連合」との全面的戦闘に踏み込んだ。
この時、オバマ政権は事実上、「シリア国民連合」など反アサド・反IS勢力への支援を行わなかった。イランは「共通の敵」であるISとの闘争を支援する立場からアサド政権を軍事的に支援した。こうしてシリアにおける内戦の構図は、オバマ政権の事実上の「不介入」によってアサド政権に有利な方向に傾いたのである。
アシュカルは、シリア内戦において、「反帝国主義」の硬直したイデオロギー的立場からアサド政権やロシア・プーチン政権を擁護しようとする一部の左翼を厳しく批判している。
「この種の『反帝国主義左翼』は、苦境の中でどちらの陣営から来るものであれ、そこから来る助けを必死に求めている民衆に対して、自分たちとイデオロギーを共有する人々によって指導されている場合にだけ一定の理解を示すことができるというものである」。
他方クルド民主党(PYD)が自らの支配地域における「民主的自治」を土台にしてISの侵攻を撃破した貴重な経験がシリア全体にもたらした影響は限定的なものであった。
このような状況の中で、アサドはプーチンのロシアとイランに支えられて、IS勢力をふくむ反アサド派を分断させながら「野蛮」そのものに他ならない自らの政権延命の道を探ってきた。こうした中で「もう一つの道」がきわめて困難であることは言うまでもない。
現在も、シリアの戦争=内戦では、首都ダマスカス近郊の東グータ地区で反アサド派の武装組織「イスラム軍」が抵抗を続けており、それに対してロシア軍の支援を受けたアサド政権の空爆が激化している。またエルドアン政権下のトルコ軍も国境線を越えてシリア北部のクルド人地域に侵攻し、事実上アサド政権に「塩」を送る役割を果たしている。情勢はさらに複雑かつ混迷の度を増しているようだ。
アシュカルは、しかしここで絶望に陥ることはない。「両陣営――アサド政権と困難を抱えた武装反政府派――に対する進歩的オルタナティブの潜在的可能性がシリアではいぜんとして存在しているからである。……二〇一一年と二〇一二年のシリアの注目に値する民主主義の経験――この時、地区評議会が、国家の地区機関や公共サービスの麻痺や崩壊を補うために樹立された――は、完全に消滅してしまったわけではない」と。次号では、もう一つのケーススタディーとしてエジプトについて取り上げたい。(つづく) (平井純一)

3.24

辺野古の海に土砂投入するな

新宿デモで都民にアピール

負けるわけにはいかない!

 三月二四日午後二時から、新宿駅東口アルタ前でアピール後、大成建設本社前を通り、新宿駅を一周する「海にも陸にも基地は造らせない! 辺野古の海に土砂を投入するな3・24新宿デモ」を「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」が呼びかけ、一四〇人が参加した。
 最初に辺野古実が護岸工事の状況などを説明し、埋め立てを阻止しようと主催者あいさつをした。次に、沖縄から大城悟さん(沖縄平和運動センター事務局長)が「天皇の来沖にともなって警備が強化されている。護岸工事も進められている。それに対して、海上・ゲート前で行動している。東京・全国各地で連帯行動が続いている。三月一三日、岩礁埋立てを許可しない県の訴えを却下する那覇地裁の不当判決に県は高裁に控訴した。三月一四日、山城さんらへの不当判決があったが三人は基地建設を止めると決意表明した。国会前では安倍退陣行動が続いている。安倍を追い込み、本当の民主主義をつくりだそう。辺野古の海底は地質が軟弱なこと、活断層があることがはっきり分かっている。負けるわけにはいかない。あきらめることなく力を合わせてがんばろう」と電話でアピールした。

人権侵害の事実
認めた東京MX
MXテレビのヘイト番組「ニュース女子」と闘う市民有志の会は「この番組が三月をもって打ち切られた。BPOがしっかり判断し、放送責任を明確にし、辛淑玉さんに対しても人権侵害があったこと、人種差別を認めた。スポンサーのDHCはネット女子で放送を流すとしているが、テレビ神奈川や南海放送が放送を打ち切った。地方にも影響が出ている」と一定の勝利の報告をし、東京都迷惑条例改悪に対しても行動をしていくと表明した。
警視庁機動隊沖縄派遣の違法を問う住民訴訟の会が裁判の報告をした。宮古島に三人で行ってきた仲間が自衛隊基地反対運動の現状を報告した。
「一九四三年、宮古島に陸軍の飛行場が作られ、一九四五年に米軍の空襲を受けた。本島からの物資が届かず、五〇〇〇人以上が飢えとマラリアで亡くなった。一九七三年に米軍のレーダー基地が自衛隊に引き継がれた。そこに新たにミサイル基地を作ろうとしている。弾薬庫や射爆訓練場の併設、水陸機動団が使えるように港湾も整備する」。
「飲み水を地下水脈に頼らなければならない島民は基地建設による水の汚染を恐れている。保全条例を無視して基地建設が進められている。森林の半分が失われている。宮古市・防衛局は説明会や環境アセスをないがしろにしている。島しょ防衛というが島を戦場にすることだ。平和が一番、自衛隊の基地はいらない。いっしょに声をあげてほしい」。

辺野古に500
人で座り込もう
4・29基地・軍隊を許さない行動する女性たちの会は、「元海軍軍属によるレイプ・殺人事件・殺された女性のことを忘れない。高里鈴代さんを呼んで二周年集会をやるので参加してほしい」と訴えた。辺野古実が「4月23日(月)〜28日(日)連続五〇〇人で辺野古ゲート前座り込みを成功させ、埋め立てを阻止しよう。四月二五日、一〇〇艇でのカヌー・抗議船での行動に呼応して、首相官邸前で午後六時半から抗議行動への参加」を訴えた。シュプレヒコール後、新宿一周デモに出発した。  (M)

3.24

天皇の沖縄・与那国訪問を問う集会


11回目の訪沖の意味は?

侵略と抑圧の歴史を捉え直す

  三月二四日、東京・駒込地域文化創造館で「天皇の沖縄・与那国訪問を問う三・二四集会が開催された。主催は「代替わり」、沖縄・安保を考える4・28〜29行動実行委員会。集会には五〇人が集まった。
 明仁天皇と美智子皇后は皇太子・皇太子妃だった時から数えて一一回目となる沖縄訪問を三月二七日から二九日にかけて行った。二八日には日本最西端の島、与那国島を初めて訪問した。 明仁天皇と美智子皇后の度重なる訪沖は、「沖縄にかけた強い思い」を示す、というストーリーがメディアを通じてばらまかれている。しかし天皇・皇后の度重なる沖縄訪問は、「慰霊」を通じた、「本土」への同化・統合、米日両国によるアジア支配の軍事拠点である沖縄の民衆的抵抗闘争に対する抑圧と一体化したものに他ならない。
 一八七九年「琉球処分官」の松田道之が首里城明け渡しを琉球藩に通告・強行した日付が三月二七日であったこと、また与那国島を訪れた三月二八日が、二〇一六年の自衛隊与那国島駐屯地開所の日でもあることは決して偶然ではない。

 集会の司会を務めた野村洋子さんは、天皇・皇后の沖縄・与那国訪問の日程が、「ヤマト」による沖縄植民地支配の象徴的日付と重なっていることを紹介した。与那国島は沖縄戦では地上戦の戦場にはならなかったが、戦争マラリアで多くの住民が亡くなった、という。野村さんは、アイヌモシリを北海道と命名した八月五日に合わせて天皇・皇后が北海道を訪問する予定になっていることも紹介し、先住民への差別・抑圧に貫かれた「明治一五〇年」の歴史への批判の重要性を訴えた。
次に沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロックのメンバーで与那国島出身の大仲尊さんが「自衛隊配備と天皇の与那国訪問」をテーマに報告。旧暦一月一六日の「先祖の霊」をまつる行事で与那国に帰ったという大仲さんは、米軍による空爆はあったものの地上戦はなかった八重山諸島の住民の戦時下の強制移住などの史実の解明の必要性を語った。また一九四三年に作られた「讃・與那國島」という伊波南哲の碑を紹介。ここでは「南海の防壁與那國島」が「皇国南海の鎮護に挺身する二十五万噸の航空母艦だ」と書かれている。

あらためて歴史
を見つめ直そう
次に反天皇制運動連絡会の天野恵一さんが「アキヒト天皇と沖縄」をテーマに報告。天野さんは一九八〇年代に始まる反天皇制運動と沖縄との関わりについて語った。そして一九八四年の反天皇制運動連絡会の発足、裕仁・全斗煥会談、中曽根のヤスクニ公式参拝、裕仁の在位六〇年式典、さらに裕仁の沖縄訪問の計画、などを通じて、天皇制と沖縄の関係の歴史的整理に踏み込む作業を継続してきたことを報告した。
さらに高里鈴代さんを招いて四月二九日に行う「基地・軍隊はいらない4・29集会」の案内も同実行委員会によって行われた。一坪反戦地主会関東ブロックは、辺野古ゲート前に六日間連続で五〇〇人を結集し、工事を止める闘いへの参加を呼び掛けた。 (K)



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