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    かけはし2018年10月15日号

「天皇代替わり」に異議あり!の声を


9.27

横田耕一さんが講演

「天皇制」とは何か?

真剣な議論が必要

 【大阪】天皇代替わりに異議あり!関西連絡会主催(賛同一九団体、個人五一人)の講演会が九月二七日、エルおおさか南ホールで開かれ、一八〇人の市民が参加した。
 古橋雅夫さん(関西共同行動)が開会のあいさつをし、寺田道男さん(京都「天皇制を問う」講座実行委員会)が講演後のまとめをした。
 横田耕一さん(九州大学名誉教授・憲法学)は冒頭、主催者が講演チラシにのせた民主主義という言葉に言及し、民主主義や民意が示す内容は幅が大きく、むしろ自由主義とか人権尊重・立憲主義と言うべきだと述べた。以下講演要旨を掲載する。     (T・T)

横田耕一さんの講演から

象徴天皇制の
現状を見ると
現在の象徴天皇は、災害地慰問や慰霊のスタイルの行為が国民に圧倒的に支持されていて、右翼的な安倍政権と緊張関係があるようにいわれているが、むしろ政権と「補完」関係にあると考えるべきだ。政府は天皇制を利用している。
天皇制を批判する視点として、天皇制は差別の根源・国民統合作用・戦争責任があげられるが、戦争責任は現在では有効でない。今の若者は、日本がやった戦争の事実を知らないし、その時天皇が果たした役割をまったく知らないからだ。生まれにより人間に違いがあるということが、私が天皇制に反対する理由だ。
現在は、天皇制に対する態度が以前と違ってきている。共産党やリベラル派を見てもそうだ。戦後の一時期使用された社会科教科書「あたらしい憲法のはなし」は護憲運動の中でも大いに評価されているが、天皇陛下の章では、「今度の戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして国の仕事をした人々は、国民全体がえらんだものではなかったので、国民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです」とある。これは事実と違う。この教科書を戦争放棄のところだけで評価してはいけない。 最近、若い世代に大きな影響を与えた学者が、天皇や皇室は「憲法の飛び地」であるとの主張をしている。このような言い方は間違いだ。誰がどのような内容の主張をしているのか、よく読んで批判すべきは批判しないといけない。

日本国憲法と
自民党改憲草案
日本国憲法での象徴天皇の地位は、日本国・日本国民統合の象徴である。保守派は、天皇は扇の要だと言っているが、そうではない。天皇が国民を統合しているのではなく、国民が一つにまとまっているその姿を、象徴しているという意味だ。
憲法の定める権能は、内閣の助言と承認にもとづく一三の国事行為のみを行うとなっている。これ以外はやらない、天皇は国政に関して無権能で、政教分離原則による制約を受ける。天皇が高齢になるにつれ問題になっている天皇の公的行為というのは、憲法の規定では、やる必要のないものだ。しかし、公務(公的行為)についてチェックする機能がどこにもない。
自民党改憲草案ではどうなっているか。元首・内閣の進言・公共団体主催の式典への参加その他公的行為・元号使用・天皇を除く国民の憲法擁護義務・前文「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」とある。憲法擁護義務の部分は問題だが、その他はすべて今実際にやっていることを書いている。私が一番問題にするのは前文だ。この内容は事実ではない。ここにいう日本国はどこにあるのか。
象徴天皇制は当初から憲法の理念と矛盾しているが、以前と比べてもどんどんずれていっている。だから、ずれていく部分はできるだけ否定したい。生前退位についての天皇メッセージは、天皇の主観的思いはあるだろうが、憲法上は違反だ。「天皇退位等に関する皇室典範特例法」は、象徴としての公的行為を認め、国民感情を法定化したものだ。国会で全員一致だった。「この法律は、天皇陛下が……被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中……国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し……」とある。法律でありながら敬語を使っており、憲法にない公的行為を認めている。
天皇を尊い存在・ありがたいという思いが、国民の中にあることは否定できない。皇位継承日を国民こぞってお祝いする日といっているが、これはおかしい。

国民主権・政教
分離原則に違反
代替わり諸儀式は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものと政府はいっているが、この説明は、国民主権をあいまいにしている。代替わり諸儀式には問題が多い。まず、この儀式は何に基づいているのか。
これは、一九四七年五月三日の宮内府依命通牒「皇室祭祀・皇室儀式は旧皇室令に基づく」によっている。それは、明治四二年制定の「登極令」に原則的に準拠している。(つぶやき:驚くばかりだ!明治の法令が現在も活きているとは。)儀式の中で、保守が最も重視するのが、践祚(せんそ)である。剣璽等承継の儀と即位後朝見の儀だ。これは神話的だが、草薙(くさなぎ)の剣・八咫(やた)の鏡・八尺瓊(やさかに)の勾玉の三種の神器を持つ者が天皇であるということで、それを継承する儀式だ。このようにして皇位が継承されたことを、三権の長に報告する(つぶやき:これは天皇家の神話に基づく私的な儀式であって、民主国家とは無関係だ)。
すると、総理大臣が、日本国憲法の下、天皇陛下を国民統合の象徴と仰ぎ、世界に開かれ、活力に満ち、文化豊かな日本を建設し、世界の平和と人類福祉の増進のため、更に最善の努力を尽くすと、誓いの言葉を述べる、というわけだ。さらに、宮内庁長官の招待状で三権の長が賢所に期日を奉告する。即位礼正殿の儀では、天皇・皇后は高御座で内外に即位を宣明する。このあと、一一月中旬大嘗祭が行われる。即位に伴う一連の儀式は皇室の宗教儀式だ。しかし、政府は「公的性格」があるとして公費支出する。三〇〇億円と言われている。憲法から見れば、明らかに政教分離違反だ。

「天皇教」という
新興宗教と国家
明治維新で、さまざまな民をまとめるのには宗教の力が必要だということを、岩倉使節団は西欧で学んできた。その宗教を仏教に求めず、天皇祭祀を神道で統一した天皇教に求めた(つまり、新興宗教に求めた)。
福沢諭吉や伊藤博文は国民国家の統合軸は、皇室あるのみと考えた。天皇はそれまでの歴史の中で継続しているのか、断絶しているのか(つぶやき:継体天皇のことや南北朝の対立を考えると継続説には無理があるが)現実には継続説に立って運用された。戦後の新憲法下で、同一人物が皇位についた。
神道は教義を持たない宗教だが、皇室祭祀を神道に純化し、神道を国民道徳化した。皇室祭祀を規定している皇室典範は憲法と並ぶ最高位法規だが、天皇教の教義の役割を担ったのは、明治憲法(一九八九年)の翌年に発布された教育勅語(一八九〇年)である。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という部分だが、「以テ皇運ヲ扶翼スヘシ」は、「義勇公ニ奉シ」だけではなく、父母に孝行・夫婦和す・友相信じ・学を修め・公益を広めなどすべてがかかる。学校が天皇教の布教の場だった。教育勅語の役割と戦争における靖國神社の役割が天皇教の柱である。被差別からの解放の根拠を、天皇の下での平等に求めた人もいたが、それは疑似的解放だった。

「天皇教」を再
生産した戦後
終戦詔書では、「朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ」ポツダム宣言を受諾したと述べている。皇祖皇宗には謝しても、戦争被害国や日本国民への謝罪はない。最後に、国体の精華を発揚せよと結んでいる。
占領軍は、一二個師団に相当するこの天皇の力を日本の占領政策に活用した。(また、戦後直後の政府は、天皇制を守るために九条【戦争放棄・交戦権の否認】を黙認した)天皇の人間宣言は、自らが天孫であることを否定していない。戦後の一億総懺悔は、期待されることができなくて、天皇に対して申し訳ないということだ。
憲法制定議会では、「天皇は憧れの中心」と言われ、「國軆の不変更」が語られている。当時、知識人や憲法学者ですら、教育勅語は残してもいいと発言している。
日本国憲法も「天皇教」の再生産を認めている。天皇の公的行為はさまざまな形で行われ、宮中祭祀は継続し、学校教育は、「天皇を敬愛する」教育になっている。
スポーツには天皇杯がある。自衛隊の栄誉礼は天皇に対してのものだ。新元号には天皇が介在している。伊勢神宮の式年遷宮は、天皇の許可を得て行われる。マスコミは敬語を使い、皇室の私的行事でも詳しく報道する。提灯行列や日の丸の旗。そして一方、ますます天皇家はタブー化されている。
西欧では国王などの切手もあるが、日本には天皇の切手はない。舐めたりする切手に天皇の肖像は使えないからだ。

支持する側の
論理は何か?
?天皇は国民を統合する ?政治的争いの仲裁 ?日本の国柄 ?伝統的存在・普遍的存在 ?道徳の中心 ?伝統文化を継承する ?悪いことをしていないから、このままでいい ?天皇家は理想的家族像 ?何となく尊い、などだ。
神社関係者は国家神道の復活には反対だが、天皇教には賛成している。残る問題は靖国問題だろう。しかし天皇制には危機もある。天皇制を支持している人でも、多くは権威主義的天皇制を求めない。皇位継承は不安定だ。人々が無関心な農耕祭祀はなくなるだろう(?)。昭和天皇の下血の時などや逝去の時の歌舞音曲の禁止は評判が悪い。

個人の尊重と
人権の確立を
天皇制はけしからんというだけでは何もならない。丸山真男が「天皇制を克服すべし」といったように、付和雷同性を克服しなければ天皇制はなくならない。天皇とは何なのか、真剣に考えよう。一人ひとりが大切だという風潮・個人の尊厳・人権が定着するように努力することが大切だ。(発言要旨・文責編集部)

10.5

「平和憲法を守る荒川の会」

地域で生きるための闘い

映画と講演で連帯を確認

 

 【東京東部】一〇月五日、東京・荒川区町屋の「ムーブ町屋」ハイビジョンルームで、「平和憲法を守る荒川の会」の第一二回年次総会が開かれ、二五人が参加した。同会は護憲を掲げて活動する会員制の団体。荒川区をはじめ東京東部地域で運動する個人・団体とも連携を続けてきた。
 事務局のミスにより「午後六時半開会」と「七時開会」という二つのチラシが事前に流れ、中間の四五分に集会が始まった。
 同会の坂本繁夫さんが司会を務め、森本孝子共同代表による基調提案があった。基調は先の沖縄県知事選で玉城デニーさんが当選したこと、北朝鮮への敵意をむき出しにする安倍政権への批判、東京五輪を口実にした集会やデモ規制などを糾弾する内容で、参加者の拍手で確認された。
 映画「SAVE HENOKO」(2018年・森の映画社作品)が上映された。建設中の米軍辺野古基地での土砂投入を前に、これを阻止しようとする反対運動をカメラは最前線で捉えている。機動隊や海保の殺人的暴力に懸命に抵抗する人々の姿は、観る人を釘づけにする衝撃的なものだ。短い作品だが、自分がその現場にいるような錯覚に陥る。

企業組合「あ
うん」の経験
講演は「企業組合 あうん」の中村光男さん。「地域に生きる」という演題で話した。
中村さんは一九八〇年代、自ら日雇労働をしながら、労働者の権利擁護のために奮闘してきた。バブルの崩壊を経て、路上生活を余儀なくされる仲間を目の当たりにし、「最低でも生きる」ための組織として「あうん」を立ち上げた。「地域で根を張って、声をあげていくために、自分たちに何ができるのか」と問いかけた。(講演要旨別掲)
最後に地域で活動する諸団体からアピールを受けて閉会し、有志による交流会に議論の場を移した。(隆)

中村光男さんの講演から

「横のつながり」をどう作り出すか


一九八〇年代からドンパチやりながら山谷で活動していた。九〇年代のバブル崩壊で仕事がなくなった。それまでドヤで寝泊まりしていた人が、路上にあふれ出てきた。「ホームレス」が増えていったのだ。
私は山谷で日雇をしながら活動してきたが、収入がなくなれば活動もできない。各地で路上生活をする人々について「すべて山谷から来た」と噂された時期だ。私たちは人間の命と尊厳を誰が守るのかと考えた。「とにかく、なんとか飯を食おう」と。
日本社会は九〇年代に変わったと思う。新宿での闘い(※)があった。捨てられた雑誌を集めて売ったが、資金は暴力団へと流れた。新宿の野宿者は期間工・派遣工と呼ばれる工場労働者だった。これは山谷の労働者と同じだと路上で学んだ。
私たちは日本で初めて「フードバンク」を作った。医療相談会もやり始めた。そして〇二年「あうん」の前身であるリサイクルショップを発足した。
なぜ「あうん」を山谷の地に作らなかったのか。他の住民と交流したかったからだ。あえて山谷の外で事業を始めた。とはいえ、その地はかつて「バタヤ部落」と蔑まれていた。荒川には被差別部落や在日朝鮮人多住地区がある。被差別者たちの横のつながりを模索する。地域住民との「敷居」を低くしたかった。他から流入してくる人々の着地点としてもそこを機能させる。生活保護費の受給をめぐって、今では福祉事務所に荒憲や解放同盟の人たちと一緒に行くようになった。
課題もある。活動家の高齢化が進んでいることだ。私たちの運動を若い世代にどう引き継いでいくか。セブンイレブンが地域を網の目で包括しているように、声をあげる場所をどう作っていくか。ここに根を張ってあきらめずに山谷とつながり、地域とつながっていきたい。(発言要旨・文責編集部)

 ※九〇年代初頭、新宿駅から都庁方面に向かう二本の地下通路に、バブル経済崩壊後に急増した路上生活者たちが、自然発生的に作り上げたコミュニティがあった。「ダンボール村」と呼ばれたこのハウス群を、都建設局が強制排除に乗り出したことに反対する住民と支援者らの長い闘い。



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