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新自由主義経済下のラテンアメリカ〔2〕の(下)  かけはし99.5.3号より

新自由主義経済の導入と展開

山本三郎



4 通貨危機発生とIMFの経済調整(1982年〜)

 1982年8月、メキシコ政府は外国民間銀行に対して公的債務の支払い猶予を要請、ラテンアメリカ諸国の債務危機が健在化した。82年当時のラテンアメリカ諸国の対外累積債務の総額は3153億ドルであった。この額は輸出総額の約3倍、利子の支払いだけでも輸出総額の3〜4割に達しており、この債務の大部分は外国民間銀行に対するものであった。
 これ以降、IMFのイニシアチブによる債務繰り延べ交渉が、3次に渡って行われることになる。この交渉の対象にはラテンアメリカだけではなく、他地域の発展途上国、東欧諸国もなったのだが、この交渉にラテンアメリカでは最終的に19カ国が参加、キューバとニカラグアを除く17カ国が合意に達した。
 合意の形態は、IMFは債務国が経済調整政策を受け入れることを条件に融資を行う、外国民間銀行はそのことを条件にして、債務を繰り延べし、必要があれば新規借款も認めるというものであった。
 そこで採られた経済調整政策は金融財政政策を中心とした総需要抑制政策であり、各国の自由な裁量を制限したものであった。つまり、各国中央銀行の国内融資の増加を制限すること。次に、財政赤字を縮小するために、財政赤字のGDPに対する比率の低下の目標値を設定すると同時に、公共部門の対外債務、国内債務の増加を制限し、税収の増加、公共料金の値上げ、経常的な財政支出の削減を行うということである。また為替の切下げ、賃上げの抑制、実質金利の引き上げ等も要求された。
 しかし、これらの政策は債務支払い期限が迫っていたラテンアメリカ諸国への緊急対策の域を出ず、対外債務は増え続け、経済成長率も85年後半以降,再び悪化していくのである。また各国における景気後退、合理化等による失業率の増大は深刻なものになっていった。
 そうした状況の下で提案されたのが、1985年のベーカー提案であった。この提案は累積債務問題が、短期的な総需要抑制政策では解決できない構造的問題であると分析し、中長期的な構造調整政策が必要として、そのための世界銀行、米州開発銀行、及び民間銀行の融資を拡大するというものだった。
 このベーカー提案はほとんど実施に移されることはなかったのだが、こうした中長期的展望の必要性を背景にして、1989年、米財務長官ブレディーによって提案されたのが構造調整政策であった。
 この提案は中所得重債務国の債務の削減を実現したというだけではなく、債務削減条件として構造調整政策を実行させることによって、国営企業の民営化、貿易の自由化等に全面的に道を開いたということでも画期的なものであった。
 この政策の目的は経済構造、経済制度の改革によって、市場をより合理的、効率的に機能させることによって、持続的で安定的な経済成長を実現し、国際収支の均衡を図ることとされており、経済の自由化がその中心的な政策になっていた。
 その具体的な政策としては、貿易の自由化、国営企業の民営化、外国からの投資の自由化、国内における規制緩和、つまり、価格の自由化、補助金削減、農地市場・労働市場の自由化、さらには行政機構の合理化、社会福祉、社会サービス予算の削減等の広範な内容を含むものであった。

5 ブレディー提案と新自由主義(1989年〜)

 このブレディー提案による債務削減はメキシコ、コスタリカ、ベネズエラ、ウルグアイに適用され、構造調整政策が実行に移された。そして、チリ、アルゼンチン、ブラジルでも実施されていくのである。
 こうして、ラテンアメリカには再度海外資金が流入しはじめ、1982年以降赤字が続いていた資本の純移転額は、91年には84億ドル、92年には274億ドルの黒字に転換、経済成長も回復期に入っていくのである。
 もちろん、このことが新たな矛盾を作りだしていったことは論を待たないことである。

6 民営化はどのように展開されたか

 ラテンアメリカにおける国営、公営企業の民営化の動きは、部分的にはすでに70年代末に始まっていたのだが、80年代末から急速に進み、いまやラテンアメリカ全体を覆う主要な経済政策となっている。
 その規模は非常に大規模であり、銀行、電気通信、航空、製鉄、石油化学、教育、年金等にもおよび、急速に進んでいる。多くの国では国営石油公社本体の民営化までには至ってはいない。しかし、流通、石油化学等の関連産業においては、ブラジル、メキシコ、ベネズエラ、ペルーで民営化、その外資への売却をも含めて可能とする動きが進んできている。とりわけアルゼンチンでは90年12月に、石油公社を株式会社に改組、92年9月には民営化を決定、株式の一般譲渡を決定した。
 ブラジルでは90年のコロル政権によって、民営化が本格的に開始された。91年のウラジミナス製鉄所売却以降、製鉄、石油化学、肥料、機械等、政府が最も力を入れて育成してきた貿易財部門を中心に民営化が進められた。
 93年には製鉄部門の民営化が完了、94年には国営石油会社の下にあった肥料5社を民営化し、同じく国営石油会社の下にあった石油化学会社のほとんどが、96年末までに民営化を終えた。95年には電力会社、96年には国有鉄道の民営化が開始され、97年5月には国営企業の中心として資源開発事業を担ってきた鉱山会社リオドセ社の民営化がなされた。また年金基金の運用も民営化されている。
 チリの民営化の開始は最も早く、73年軍事クーデターで政権を奪ったピノチェット軍事政権に逆上る。ピノチェットは政権奪取後、直ちにアジェンデ政権下で国有化された企業を民営化した。しかし、民営化後、倒産企業が多発し、その上、82年には債務危機が発生した。そのため、政府は大手銀行等、50を超す企業の再接収を余儀なくされた。そして、84年以降、それらの企業のほとんどを再度民営化したのである。
 この再民営化にあたってはポピュラー・キャピタリズム(大衆資本主義)を形成することを目指すとして、幾つかの特徴的な政策がとられた。つまり、一投資家あたりの投資に限度枠を定めるとともに、個人投資家に対する政府融資を行ったのである。また同時に従業員持ち株制度も導入された。
 これらの政策は、公式的には73年当時の民営化が国内の少数の財閥に集中したことの反省にたって、株式所有を分散化して、多数の小口の一般株主を作ることを目的としていた。しかし、他方では再国有化を不可能にするという意図も含まれていたのである。また、年金基金の民営化をするなど、チリのこれらの政策は他のラテンアメリカ諸国の民営化のモデルになっている。
 メキシコにおいて民営化が本格的に始まるのは、88年12月のサリナス政権の発足以降である。89年以降、航空、電話公社、産銅会社、金属、重機、造船、食品、砂糖の代表企業を次々に民営化した。そして、91年秋には製鉄分野の民営化を完了、92年には銀行の民営化も終了させた。
 アルゼンチンにおいて民営化が始まるのは、83年のアルフォンシン政権であった。89年には従来民営化に反対してきたペロン党のメネムが大統領に就任した。しかし、メネムは方針を転換し、アルフォンシン政権の民営化に頑強に反対してきたペロン党の支配下にあった労働組合を押さえ込み、民営化を強力に推進したのである。
 90年には電話公社、アルゼンチン航空、92年には電力会社も民営化した。また従来アルゼンチンでは、製鉄、石油化学、金属加工等の部門は、国防総省傘下の軍事工厰として位置づけられ、軍部の統制下に置かれてきたのだが、この石油化学、製鉄所でも民営化が開始されている。またアルゼンチンの場合、石油公社本体の民営化が実行されたのは注目される。
 この急速な民営化の流れの背景となっているのは、前述したように輸入代替工業化政策の限界という問題がある。次にこの機会にラテンアメリカ市場に参入しようとする国際資本の圧力である。外国資本の参入はチリ、アルゼンチンでは活発だったが、ブラジル、メキシコではそれほど多くはなかったようである。しかし、外国資本に売却された産業は、電気通信、航空会社、油田の開発権(アルゼンチン)、鉄鉱石(ペルー)等の重要産業で目立っている。また前述したように石油の流通、石油化学等についても外資の参入、外資への売却の動きがでてきているのである。
 そして、重要な問題として上げねばならないのは国営企業の売却代金を対外債務支払いにあてさせようとするIMFの圧力と、そうすることで対外債務を減らしたい各国政府の思惑である。対外債務の減額は、当然、対外債務利払い額の減少につながっており、この問題は財政赤字の縮小という側面も持っている。ちなみにメキシコ政府は91年10月、企業売却代金20兆ペソを対外債務(160兆ペソ強)支払いに充てたと発表している。
 そして最後に、対外債務危機で海外に逃避した国内資本を、国営企業を民営化することで国内に呼び戻したいという各国政府の意図を上げることができるだろう。
 以上、ラテンアメリカにおいてどのような経緯で新自由主義経済が導入されるに至ったかについて簡単に述べてきた。この新自由主義経済はラテンアメリカの経済、政治、そして社会に大規模な構造変化をもたらすことになったのだが、そのことについて述べる前に、ラテンアメリカの従来の政治と経済の構造がどのようなものだったのかをまず検討していきたい。(つづく)


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