かけはし重要記事

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韓国はいま 阻まれる「公権力による殺人」の真相究明 かけはし2002.2.11号より

疑問死の真実を生き埋めにするな

「疑問死特別法」の改正を通じて突破口を

 キム・デジュン政権が発足した後、過去の清算のために二つの委員会が生まれた。「疑問死真相究明委員会」と「民主化運動関連者名誉回復および補償審議委員会」が、それだ。両委員会は国家権力の手によって犯された人権侵害を国家の名において慰撫するために作られた。わが歴史の中で国家的反省の例がまれだっただけに、両機構の「実験」は注目されてきた。
 両委員会の活動が一年を過ぎたいま、実験はさして友好的な評価を得られずにいる。その断面は、やりきれなさを訴えた陳情人たちの抗議に表れている。ともすれば両機構の活動が被害者の解冤(恨みばらし)に結びつくどころか、過去の清算のアリバイとして機能しているのではないかという憂慮の声も高い。たとい暗い展望の中に置かれているとしても、二つの実験の教訓は極めて大切だ。そして両委員会の実験は「まだ」終わってはいない現在形なのだ。われわれの関心の中で再び生まれ変わる可能性もあるのだ。(編集部)

疑問死真相究明委委員長室占拠籠城

 「一九九九年十二月二十八日、籠城四百二十一日目にして『民主化運動関連者名誉回復および補償に関する特別法案』と『疑問死真相究明に関する特別法案』が国会を通過した。遺家協はさらに新たな闘いの場に突入した」。
 全国民族民主遺家族協議会(以下、遺家協)の国会前テント籠城を扱ったドキュメンタリー〈ミンダルノ(タンポポ)〉のエンディング字幕だ。そして三年後の二〇〇一年末、遺家協が戻ってきた新たな闘いの場は、思いがけなくも「疑問死真相究明委員会委員長室」だった。二〇〇一年十二月十七日から二十五日まで遺家協疑問死支会の会員らが「委員長の退陣と特別法の改正」を要求して委員長室の占拠籠城を繰り広げたのだ。
 彼らは「疑問死真相究明に関する特別法」(以下、疑問死特別法)に基づいた「疑問死真相究明委員会」(以下、究明委)を作り出した主人公たち。自らの手で誕生させた究明委を占拠するまでして、いったいどんなことがあったのだろうか。二〇〇二年一月十九日午後三時、明洞のヒャリン教会へドキュメンタリーの「老いたる」主人公たちが一人、二人と集まってきた。
 「こうしているうちにも、みな自殺、事故死と結論づけられていくようだ」「いっそ、そっとしておけば疑問死のまま残るのではないのか、何としたものだ?」「政権が代われば真相究明ができると信じていたのに……」。
 
遺家協、究明委委員長退陣要求
 
 愁いに満ちた顔から怒気のこもった声がほとばしった。白髪もゴマ塩頭の老人四十人余りが講堂を埋めるころ、二〇〇二年第一回疑問死遺家族全員会議は始まった。この日の案件は遺家協会員らの疑問死陳情を撤回するかどうかと、疑問死特別法の改正案草案の検討。遺家協は委員長室占拠籠城を解きつつ、委員長の辞退と特別法の改正推進の約束が守られないなら、疑問死陳情を取り下げるとの背水の陣を敷いたはずだった。幸いにも、この日の会議で陳情の撤回は留保された。
 究明委は二〇〇〇年十月十七日に発足した。過去の清算のための初めての国家機構だった。長きにわたって過去の清算の努力を傾注してきた社会運動団体の活動家たちが参与した究明委の「実験」は幾多の紆余曲折を味わってきた。究明委の活動を振り返ると、歴史の「疑問」を今日「究明」する難しさや限界が如実に表れている。
 最初の障害は「疑問死特別法」それ自体だった。現行の特別法によれば、隠蔽の疑惑を受けている国家機関が調査要求や資料の提出を拒否しても究明委が行使できる強制的権限は全くない。国情院(国家情報院、かつての安企部、KCIA)に資料を要請したというある調査官は「調査対象となる職員の連絡先さえ教えてくれなかった」と憤った。国情院ばかりではなく他の国家機関でも「特定して資料の要請をしろ」という返信を寄こすというのが、お決まりだ。だが調査官たちは各機関が保管した資料目録さえ確保できない状況だ。調査権の限界のせいだ。
 参考人らが虚偽の陳述をしても制裁する方法は全くない。調査官らは「参考人らが自ら証言を覆すケースも少なくない」と語る。一回目の調査を受けた参考人らが互いに口裏を合わせた後、二回目の調査では証言を変えるというのだ。あまつさえ「古いことで思い出せない」として知らぬ存ぜぬを決め込まれればお手上げだ。良心の告白を引き出せる装置が全くないからだ。
 調査官らは「良心の告白をすれば赦免をし、虚偽の陳述が明らかになれば控訴時効のない処罰をする権限を委員会に与えるべきだ」と主張する。現行法では出席を拒否しても、偽証をしても、処罰の道はない。せいぜいのところ出席拒否に対して「過怠料」を課すのが関の山だ。だが過怠料の規定さえ徴収の主体や手続き規定がなく有名無実だ。極めて弱い調査権限では国情院、機務司(軍機務司令部)、検察などの国家機関の「非協調」の前にどうすることもできない。
 韓総連の闘争局長で疑問死したキム・ジュンベ氏事件の担当検事が召還に応じないケースや「強制徴収および緑化事業」を調査しに行った調査官が機務司で門前払いされた事件は典型的な非協調の事例だった。民間調査官らは「国情院、検察、機務司、警察の順に、権力が強大であればあるほど門を開けるのが難しい」ともらす。
 半官半民の人的構成も葛藤を生んだ。調査実務を担当している専門委員五十人は民間出身の二十人と派遣公務員三十人とからなっている。検察や警察、国情院や機務司などから派遣されてきた公務員たちは究明委の活動が終われば元機関に復帰しなければならない。だが大部分の調査対象となっている機関は彼らが派遣されてきた所だ。復職を念頭におかなければならない彼らの条件上、疑問死究明に積極的に臨むには難しいのが実状だ。
 ある民間出身の調査官は派遣公務員らの立場を、「自分の家のウサギを捕らえなければならない状況」だと表現する。ともすれば、委員会のこのような諸限界は発足時から予想されたことではあった。古い勢力がいまなお歴史の中から消え去らず、権力の一角を担っている時代状況に起因したところが大きいからだ。
 だが与えられた条件の中で最善の結果を引き出したなら話は変わる。しかし、これも思うようにはならなかった。究明委が予想された難関を突破できなかったのには内部葛藤もからんでいた。葛藤は二〇〇一年十一月二十一日、キム・ハクチョル調査三課長が「現在の委員会体制では本当の真相究明活動は難しい」として辞表を提出したことで噴きあがった。これに先立ちパク・ヒョンジュ対外協力チーム長を含む民間出身の専門委員三人が辞表を提出した。八〇年代に、ほしいままになされた「緑化事業」についてキム・ハクチョル課長が当時の社会、政治状況全般を含む調査活動の方針を示したのに対して機関派遣の調査官らは「死亡前後の足どりや死因などだけを究明すればいい」として反発したのが発端となった。
 
力のない調査官……手控える公務員
 
 けれども辞退の底面には委員会の活動の基調に対する意見の違いが横たわっていた。民主化運動精神継承国民連帯(以下、継承連帯)イ・ウンギョン事務処長は「常任委員団が遺族を真相究明活動のパートナーとは考えず、陳情人としてのみ接してきた」と指摘する。常任委員団はヤン・スング委員長、キム・ヒョンテ第一常任委員、ムン・ドクヒョン第二常任委員とで構成されていた。彼は「関係機関の非協調『突破』する委員長の意志も足りなかった」とも付け加える。関係機関の非協調を積極的に世論化し、法改正の必要性を知らせる必要があったが、委員会常任団は、これを疎かにしてきたというのだ。
 遺家族と究明委の葛藤は委員会活動の初期にまでさかのぼる。遺家協ホ・ヨンチュン疑問死支会長は「昨年夏から始めた遺家族中間説明会を持ちつつ、委員会の基調に疑問を持つようになった」と語った。委員会が遺家族らの疑問に耳を傾けようとせず、独断的に調査を進めてきたというのだ。疑問死の調査結果がでてくるとともに葛藤はいっそう深まった。これまで究明委の調査対象となった疑問死は八十三件。現在調査が終了した陳情は十五件だ。このうち二件だけが疑問死として認容され、残りは却下された。
 このような状況を見て遺家族たちは「究明委の活動は過去の清算ではなく、疑問死の清算に終わる可能性が大きい」と危機感を持っている。結局、遺家族らの不満は委員長室占拠籠城へと結びついた。籠城が始まると、民間調査官らが遺家族らの問題提起に同意する声明を発表した。籠城最終日の十二月二十二日、究明委九人の委員のうちアン・ピョンウク・カトリック大教授(史学)ら非常任委員三人までもが辞退の意思を明らかにした。彼らも委員会の活動基調を問題視した。アン教授は「委員会は客観性と合理性の陥穽にはまった」と指摘した。
 「法の条項にのみこだわって見れば結局、個別事件の自殺か他殺かにのみ集中することになる。ところで現在の法的権限では隠蔽された事実を探し出して公権力による他殺を究明するのは難しいのです。調査をすればするほど棄却の決定だけが出ることとなるジレンマに陥るのです。遺家族らの疑問が完全に解かれないかぎり、調査不能として処理する方が、むしろいいです」。
 アン委員によれば、疑問死の特性上、被害者たちの公権力による他殺を「証明」する方式ではなく、国家諸機関が疑惑は事実でないことを「反証」しなければならない。だが現在の究明方式はアベコベの態だ。究明委ファン・インソン事務局長も「究明委の活動は陳情処理ではなく過去の清算という観点から進められなければならない」と強調した。個別事案の自・他殺の判断にのみ埋没せず、疑惑を持つに至った社会的歴史的背景に注目してこそ国家権力の人権侵害のメカニズムが浮かび上がるというのだ。究明委のある関係者は「委員会が真実の最後の一滴まで明らかにしようとの努力を傾けてこそ遺家族らの同意も得られ、法改正も実現できるだろう」と語った。
 
内外の難関で真相究明は支離滅裂
 
 遺家族らの退陣要求によって、ヤン・スンギュ委員長は二〇〇二年一月十四日、委員長職を辞退した。彼が発表した「委員長職を辞退するにあたって」という文には委員会を率いてきた、もう一つの視角が込められている。彼は「遺家族らの籠城という事態によって委員会の独立性が損なわれている」「委員会は遺家族らからも独立して真相究明の作業をしなければならない」と主張した。第一常任委員を担当してきたキム・ヒョンテ弁護士も「真相究明の困難さは法的限界にのみ起因しているのではない」とし「隠蔽の疑惑を受けている被陳情機関も、疑惑を提起している陳情人も真実を受けとめる態度が不足している」と指摘した。遺家族らは委員会の調査活動を信じてついて来るべきだ、という話だ。
 いったん委員長の辞退によって究明委の活動は新たな局面を向かえている。けれども究明委の活動刷新の障害は、もう目前に迫っている活動終了の期限だ。現行特別法によれば、究明委の活動期限は四月末までだ。調査開始の時点から最長十五カ月まで可能な事案別の調査活動は二月末に大部分が締め切りとなる。ほとんどの事案は二〇〇〇年末に調査活動が始められたからだ。大統領に提出する調査報告書を作成する一カ月余の時間をも考慮すれば事実上、一月末が調査活動終了の時点となる。期限の延長を含む疑問死特別法の改正が急がれる状況だ。
 継承連帯イ・ウンギョン事務処長は「調査官らが資料にざっと目を通して探し出した諸事実を見れば、現在の条件でも真相究明が不可能だとばかりは言えない」「期限を延長し、真相究明の活動を続けるべきだ」と主張する。現実的にも調査が終了した事案の他に六十余件の真相究明活動が残っている。
 民間の調査官らは「大部分の事案が参考人調査を終わり本格的に権力機関を調査する段階に達した」「委員会の権限がもうちょっと強化されれば手にできる成果は目に見える」ともどかしげだ。法改正に消極的だった究明委も昨年十二月末に「特別法改正小委員会」(以下、小委員会)を構成し、改正案の準備に乗り出した。小委員会はすでに調査官や遺家族らの要求を集約して改正案の草案を確定できる状態だ。二月の臨時国会が開かれる前に改正案を確定し、国会議員への説得作業に乗り出す計画だ。
 
少なからぬ成果、今なお真実は遠く
 
 一方、チョ・シヒョン・ソンイン女子大教授(法学)は市民社会の無関心を指摘する。「疑問死の真相究明活動をしてきた市民社会の主役の大部分が委員会に入った。究明委の外で真相究明活動を監視し強制する動力が消えたのだ。しかも市民らの過去清算への熱気さえ冷めた状況が合わさった」。さらにチョ教授は「現政権は過去の清算についての根本的な省察のある政権なのか疑わしい」と皮肉っている。保守的な野党や政府官僚らの抵抗に遭って「恩着せがましい体裁づくり」の過去の清算にとどまっている、というのだ。参与連帯パク・ウォンスン事務処長は、究明委の現実を「推進力のない与党、保守的野党、下支えできない市民社会が作り出した複合的産物」だと主張する。
 法的権限の限界や内部葛藤の中でも究明委が成し遂げた成果は少なくなかった。七三年に中央情報部で取り調べを受けていて亡くなったチェ・ジョンギル・ソウル大法学部教授や全羅南道・巨文島で失跡死したというイ・ネチャン氏についての真相解明にほとんど迫ったのだ。キム・ヒョンテ委員は「最初のころは一件でもキチンと究明できるか疑わしかったが、考えていたよりも成果は大きかった」と評価する。
 キム・ドンチュン聖公会大教授(社会学)は「疑問死究明がどれほど可能になるのかは、わが社会の人権指数を反映する」と語る。特別法改正案が国会を通過するかどうかは韓国社会が暗い過去を清算する準備ができたのかどうかを問う試金石だ。(「ハンギョレ21」第394号、02年1月31日付、シン・ユンドンウク記者)


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