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                          かけはし2003.1.1号より

ヨーロッパ左翼運動の再生と新たな前進

ダニエル・ベンサイドの報告から


 高揚する反グローバリゼーション運動を基盤にして、ヨーロッパの革命的左翼勢力の新たな前進が始まっている。スターリニズムの崩壊の中で各国共産党はほとんど消滅しつつあり、社会民主主義は、ブレアのイギリス労働党が象徴するように、資本の支配とさらに深く一体化した。革命的左翼は大きなチャンスをむかえている。以下は、来日した第四インターフランス支部LCRの同志ダニエル・ベンサイドの報告である。




あらゆる領域で深刻な敗北

 われわれの背景には共通の歴史的経過が存在する。社会運動、労働運動は一九七〇年代末から一九八〇年代半ばにかけてあらゆる領域で深刻な敗北を経験した。


新自由主義の攻勢と社会的敗北

 まず第一に、一九八〇年代において、レーガン、サッチャーの政治に象徴される新自由主義路線の攻勢に直面して、社会的な敗北を喫した。思い出してほしいのだが、それを象徴的に示したのが、一九八四年、八五年のイギリス炭鉱労働者の敗北、一九八五年のイタリアにおける賃金の物価スライド制の廃止、スペイン、フランス、イギリスにおける鉄鋼、繊維、造船などの主要な産業部門の全面的な破壊、そして主要公共部門の民営化の大きな波であった。
 これらの破壊された産業は、たとえばフランスの自動車産業に見られたように、第二次大戦以来のヨーロッパ労働運動の橋頭堡でもあったのだが、これらは解体され、分割されてしまい、それに取って変るような社会的比重をもった新しい労働者部分は出現することはなかった。こうして、まず第一に社会的敗北があった。


反帝国主義の解体とイデオロギー的敗北

 さらに第二に、イデオロギー的敗北と呼ばれる敗北があった。たとえば、大部分のヨーロッパ諸国では、そしてとりわけそのことが明らかなのはイギリスのケースなのだが、そこではもはや帝国主義対人民の対立として問題がとらえられずに、民主主義対全体主義という形で問題がとらえられるようになった。そのことの意味するものは、アルジェリアの民族解放闘争、キューバ革命、ベトナム解放闘争といった闘いを通じて築き上げられてきたこれまでの反帝国主義的伝統が解体されてしまったということである。
 このことは、この後で論じる新しい運動を論じる上で重要である。この敗北の別の側面について言えば、労働組合や労働者組織がもはや、「労働者」や「搾取」などという言葉を使わなくなり、「民衆」という一般的な言葉を使い始めている。しかし、一部の社会学者が主張しているように、この点では労働者階級は消滅しているのではなくて、見えなくなっているのである。
 第三には、私がモラル的敗北と言っているものが起こった。それは、われわれの期待と希望の敗北なのである。もしわれわれが二十世紀初めと比べるならば、それは明白だ。ローザ・ルクセンブルクの生涯を描いた映画の中で、二十世紀最初の日(一月一日)に、非常に多くの人々が集まった。そこには未来に対する人々の期待と可能性が表明されていた。
 この映画では、この祝賀集会に参加していたカウツキー、ベルンシュタイン、ローザ・ルクセンブルクなどあらゆる社会主義運動の有名な指導者がいずれも、来るべき世紀が希望、解放、平和、幸福の世紀になると強く確信していた。ところが、二十世紀の実際は、スターリニズム、ファシズムの出現という形で、その輝きは薄れ、確信も失われていった。


政治的敗北と各国共産党の消滅

 第四には、政治的側面での敗北がある。たとえば、今日、西ヨーロッパにおいて共産党はほとんど消滅してしまった。西ヨーロッパ最大の共産党であったイタリア共産党は今ではある種の非常にソフトな社会民主主義政党になってしまった。フランスでは、先の大統領選挙の第一回投票において共産党の候補者は、二人のトロツキスト候補よりも少ない票しかとれなかった。今、ヨーロッパである程度、社会的強さを保持し、意味ある役割を果たしている共産党はギリシャ共産党だけである。
 この共産党の破産の背景になっているのは文字通り明白である。これらすべての共産党はベルリンの壁のレンガで頭を打たれたのであった。これらの党は、今日の自らがなぜそうなってしまったのかについて首尾一貫した説明を行うことができないのである。たとえば、『共産主義黒書』が発行されたとき、共産党はこの攻撃に反論することができなかった。そうした攻撃に対して唯一抵抗することができるのは、ロシア革命とスターリニズムとの間の非連続性を説明することなのである。そして、この場合には、スターリニズムとは官僚的反革命以外のなにものでもないことを意味する。

資本と一体化した社民と新左翼の危機

 最後に、社会民主主義潮流だが、この潮流は消滅してはいないが、大きな変貌を遂げている。現在のフランス社会党思想とかつての第二インターナショナル時代のフランス社会党指導者ジョーレスやレオン・ブルムなどの思想と比べてみるなら、かつての指導者の思想の方がはるかに改良主義的ではなく、階級的であるように見える。
 たとえば、イギリス労働党のトニー・ブレアを見るならば、社会民主主義が単なるイデオロギー的変化だけでなく、その社会的基盤の点でも大きな変化を遂げていることは、明白である。独特の現象として、この間進められてきた大規模な民営化の結果として、民間企業の経営者――旧来の伝統的な経営者――と社会民主主義指導者(労働指導者)――民営化されたかつての公営企業の幹部は労働党員である――との間の融合が起こっている。
 最後に、一九八〇年代を通じて、周知のように、日本でそうであるように、国際的にも、アメリカでヨーロッパの大部分の国で、いやヨーロッパのすべての国で、社会党、共産党の左に位置する新左翼潮流が危機に陥った。たとえば、毛沢東主義潮流は、その大きな組織は、ノルウェーとベルギーに少し残っているのを除けば、ほとんど消滅してしまった。たとえば、かつて七〇年代にはこうした新左翼潮流の日刊紙が、イタリアで三紙、フランスで二紙、イギリスで一紙発行されていた。今日、これらの日刊紙はすべてなくなってしまった。


90年代初めから変化の開始

 そうした中で、われわれはこの一九八〇年代を何とか生き延びたのだが、それによって、今日、イギリス、フランス、イタリアの三国において重要な位置を占めるようになっている。これからの私の報告は、第一部に相当するこれまでの報告部分よりも暗いものではなくなる。少し皆さんを元気づけることができるかもしれない。
 逆説的になるのだが、ベルリンの壁の崩壊とソ連・東欧体制の解体と同時に、一九九〇年代初めに新しい動き、回復の芽が生れてきた。たとえば、フランスにおける新しい労働組合運動としてのSUDの出現がそうであって、これは新たな急進的運動を意味している。これは、主として革命派の活動家によって指導されていた。SUDは一九九〇年代初めに登場した。そして、同じく九二年、九三年の時期には、一連の社会運動が出現した。たとえばフランスでは、大衆的な失業者の運動やそれを支える運動が登場した。
 知識人の世界においてすら変化が始まった。そのことを象徴的に示したのが、デリダによる一九九三年の『マルクスの亡霊』の出版であった。彼は実践的なマルクス主義者ではないが、少なくともこの本においてマルクスについて論じたのである。また、ブルデューが『世界の貧困』を著した。
 こうした発展のひとつの集約点として一九九五年冬の公務員のストライキがあった。このストライキは二つの主要な問題をめぐって起こった。一つは、公共サービスの防衛であり、もう一つは社会保障の防衛であった。こうした運動は、多数派ではないけれども、社会の中での意味ある少数派であり、この重要な少数派の運動が、その後、シアトルに見られる全世界的な反グローバリゼーションの運動によって再確認され、さらに拡大されることとなった。
 この三〜四年来、われわれは、ジェノバ、ニース、そして来るべきイタリアのフィレンツェに見られるように、全ヨーロッパレベルでの大規模なデモをほぼ半年毎に経験してきている。当初のこの運動は、主として青年によって、また伝統的労働者や伝統的労働組合というよりもむしろその周辺部の社会層によって担われていた。ところが、最近ではこの状況は変りつつある。イギリス、スペイン、イタリアといった青年の運動に加えて、伝統的な労働運動も参加し始めたからである。


力関係の変化と2つの課題

 これらすべてのことは力関係の大きな変化を、情勢の大きな変化を意味するのだが、この大衆動員にもかかわらず、われわれはまだ最初の部分で述べた社会的敗北のサイクルを阻止することはできていないのである。
 われわれには二つの問題がある。第一に、公共サービスや賃金や社会保障制度に対する攻撃、フレキシブル労働制の導入、賃金凍結、労働時間に関する攻撃、このような攻撃のすべてはいまなお続いている。現在、国際経済の景気はよくないが、もし失業率が再び上昇し始めるなら、それが始まっている反撃の大衆動員にどのような影響を与えることになるのか、今の段階では何とも言うことはできない。
 第二の問題は、一方における社会運動の強さと、他方における政治レベルでの、政治勢力レベルでのその表現の弱さとの間に依然として大きなギャップがあるということである。
 たとえばイタリアはそのことを典型的に示している。この国では、新右翼のベルルスコーニが選挙で勝利して政権についたが、他方では、彼の政権が成立して以来、この二年間で百万人規模の街頭デモが繰り返されている。一方における選挙を通じた右翼政権の成立と他方におけるこのかつてない大規模な社会の大衆動員とは、まさに対照的な姿を示している。蓄積される社会のフラストレーションと不満の高まりは、選挙において、フランスのルペンやオーストリアのハイダーやオランダの極右勢力の進出といった形でポピュリズムを押し上げることにもなっている。
 その意味で、社会運動と反グローバリゼーションの運動は一つの転換点にさしかかっているのではないだろうか。シアトルからポルトアレグレ、そしてジェノバへと発展してきた反グローバリゼーションの運動の出発点は、トービン税や第三世界の債務帳消しを中心に、新自由主義的な「改革」の行き過ぎに反対するものであった。しかし、この運動は、たとえばポルトアレグレでの「世界は売り物ではない」のスローガンに見られるように、ただちに新自由主義路線反対一般というレベルを越え始めた。
 これは現在のところ答をもっているわけではないが、すぐれた問題提起を行っているのである。たとえば、「世界は商品ではない」と。それでは「われわれは何をなすべきなのか」という具合にだ。それは、医療を商品の対象にしてはならない、教育を商品の対象にしてはならない、ということを意味する。これは、私有財産の問題、私的所有の問題を新たに提起するひとつのやり方なのである。これが、九月十一日以前に、反グローバリゼーションの運動が到達していた地平である。

反グローバル化と反戦運動

 だが、昨年には新しい変化が始まった。ウォールデン・ベローが言っているように、九月十一日に崩壊したのは、ニューヨークのツィンタワーだけではなくて、同時に破産したのはあのエネルギー多国籍企業エンロンであった。また、ラテンアメリカにおけるIMFの政策のモデルであったアルゼンチンの国と経済も破綻してしまった。
 そしていまや、資本主義的グローバリゼーションは新たな軍国主義化と結びついているように思われる。たとえば、アメリカの現在の国防支出は、いわゆる冷戦終了時の水準をはるかに超え、三千八百億ドルに達している。この経済的意味は明白である。だが、現在の時期において、軍事的な脅威もまたきわめて深刻である。彼らはイラクに対する戦争を行おうとしている。こうして、反グローバリゼーションの運動は同時に、反戦運動になっているのである。
 ヨーロッパの反グローバリゼーションの運動を結集して近くイタリアのフィレンツェで行われる欧州社会フォーラムの最終日の集約デモは、反戦デモとして展開されることになっている。二週間前のロンドンでの反戦デモには二十五万人が結集した。これは、トニー・ブレアのアメリカと同盟しての戦争遂行の政策に反対するデモであった。今回はじめてのことだが、ブレアのお膝元の労働党の国会議員の三分の一がブレアに反対している。先のドイツの総選挙で、社会民主党が勝利し得た唯一の理由は、同党がアメリカがイラク攻撃に踏み切っても、ドイツ政府はそれに従って参戦しないという政策を打ち出したからであった。これが現在の状況である。

社民の統制力は弱体化した

 結論として、この情勢の中で、左翼の政治勢力としてどのようなものが存在するだろうか。すでに述べたように、共産党は政治勢力として消えてしまった。もちろん、共産党員はいるし、労働組合に対する一定の影響力を保持しているが、過去に比べるとそれが小さな勢力になってしまったことは明白である。
 その選択の余地が限られたものになっている。その典型はフランス共産党の場合である。自分たち自身を完全に社会民主主義の中に溶解させてしまうのか、そうすると革命派に一つの大きなスペースを明け渡すことになってしまう。それとも革命派とのある種のブロック政策に踏み切るのか。私の考えでは、フランス共産党が革命派とのブロックに踏み切ることは不可能だろう。この党の最大の目標は、社会党の支援を得て、国や地方自治体の議員の議席を最大限に防衛することになるだろう。
 社会民主主義の問題はわれわれにとっていぜんとしてはるかに重大な問題である。この間の一連の選挙の後、社会党の一部に、われわれは右に行き過ぎたのだから、より左の伝統的な社会民主主義の立場に戻るべきだと主張する動きが存在している。これらの人々は、ヨーロッパ規模でのケインズ的政策が必要だと述べている。
 しかし、想像しても分るだろうが、これは二十年間続いてきた政策を引っくり返すことを意味するのであって、きわめて困難である。たとえばこれは、再び国有化を行い、公共サービスを再開しなければならないし、賃金や消費に関する政策を転換することを意味する。また、それはヨーロッパ規模でパートナーシップにもとづく労使関係を再確立することを意味する。
 この動きはどうなるかは今後を見なければならないが、この党の労働者との結びつき、社会運動との結びつきは、いまや非常に弱くなっている。とりわけ、社会民主党と労働者大衆との結びつきは、ドイツやイギリスと違って、フランス、スペイン、イタリアでは弱い。いずれにしても、全体的に言えば、労働者運動や社会運動に対する社会民主主義の伝統的機構の統制力はかぎりなく大きく弱体化しつつある。

革命的左翼の大きな前進

 この状況の中で、あらゆる種類の急進派や革命派が増大しつつある。こうした勢力の伸張は、伝統的な労働組合運動の中だけではなく、これらの勢力がこれまで弱かった議会選挙のレベルでも見られるようになっている。大体の概算だが、こうした勢力は選挙で平均して五%から一二%を獲得するようになっている。
 今日、ヨーロッパでは革命派がイニシアティブを取れる大きな国が三カ国ある。イタリアでは共産主義再建党がある。この党は確かにイタリア共産党から出発した党だが、大会ごとに古い党員が去っていき、いまはほとんど新左翼の党になってしまった。この党の党員数は、八万人だが、われわれはこの党と欧州議会の議員レベルで協力関係にある。
 二番目に重要な国はイギリスである。ここでは、スコットランド社会党が一二%の票を獲得した。イングランドでは、社会主義連盟と呼ばれる革命派の連合が存在し、その中心はイギリスのSWP(社会主義労働者党=トニー・クリフ派の組織)である。いま、われわれはこの組織と良好な関係にある。
 その点についてイメージを得るために、一つの例を出そう。SWPは毎年七月に「マルクス主義大学」というイベントを開催している。この一週間のイベントには約六千人が「授業料」を払って参加している。さらに、フランスでは大統領選挙では、トロツキストの三つの組織を合わせると一一%の票を獲得した。
 この中で、LCR(革命的共産主義者同盟)は非常によい位置にいる。これは大きな意味をもっている。なぜなら、LCRはこれまで、社会運動の中ではとりわけ強力な左翼組織であったが、伝統的に選挙の舞台では弱かったからである。
 私の考えでは、もしこれら三カ国の革命派がヨーロッパ規模で協調することに成功すれば、それはベルギーやデンマークやポルトガルの左翼ブロックのような他のヨーロッパ諸国の革命派の連合と前進のための推進力になることができると思う。
 最後に一言だけ述べて話を終わりたい。それは、これまで述べたすべての点は、ヨーロッパだけのことではないということである。なぜなら、今日、非常に大きな矛盾が存在しているからである。一方でグローバリゼーションがあり、それが新しいインターナショナリズムの機会とその必要性を作り出しているからである。
 他方、モスクワや北京の国際的権威はもはや存在しないし、キューバでさえもはや国際的権威をもっていない。他方、反グローバリゼーションの運動を通じて、全世界のさまざまな組織やグループが交流し、討論する場が拡大してきている。一連の組織やグループは、もっと進んだそれ以上の場を捜し求め始めている。もしわれわれがこうした要求を形のあるものにして確立することに成功するならば、それが再生の出発点になり得るだろう。
(質問と回答は次号)


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