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声明                        かけはし2003.3.10号より

ベネズエラ-右翼と帝国主義のクーデターを阻止せよ

第四インターナショナル統一書記局


1 「ゼネラルストライキ」によって主導され、今や「最後の闘い」と呼ばれるところにまで深まっている右派の攻撃のエスカレーションは、正当で民主主義的なチャベス政権を打倒し、労働者・学生・民衆の自己組織化と自衛のプロセスを粉砕するための反革命戦略の一環である。
 このエスカレーションは、政治的・社会的活動家の相次ぐ殺害、ファシスト集団の挑発、十二月初旬からのPDVSA(国有石油会社)のマフィアとCTV(旧来からの政府与党と連携した労働組合連合)の腐敗した指導者が主導する石油生産のサボタージュのために、犯罪的性格を帯びたものになっている。
 メディア、とりわけテレビの支持を受けたブルジョアジーの不安定化作戦は、政治的操作、恐怖、経済的混乱、そして現在にいたるまでチャベス政権を支持してきた軍隊の分裂をねらったものである。

2 イラクへの新たなジェノサイドを準備しているブッシュ政権は、この反革命のエスカレーションにおいても決定的役割を果たしている。それは、クーデター参加者への政治的・財政的支援によってだけではなく、この地域のほとんどの新自由主義的政権、欧州連合、カーター財団との共謀の下で、ベネズエラ共和国の民主的政権に終止符を打つことを目的とした「外交的」介入を押し進めるOAS(米州機構)という奴隷的な道具によっても行われているのである。
 アメリカ国務省スポークスパースン、リチャード・バウチャーの宣言は疑いの余地がないものである。
 「われわれはOAS事務局長・セザール・ガビリアの使節団の重要性、ならびに二つの勢力が、彼らの問題を解決するために彼と協力すべきことを強調してきた」。
 帝国主義的利害の言葉では、「協力」とは、ベネズエラ政府は政治的降服への前触れとしての「民主的対話」を受け入れよ、という脅迫としてのみ理解できる。
 セザール・ガビリア――コロンビア前大統領。反乱鎮圧作戦の遂行者で民間武装グループの推進者、彼の国での体系的人権侵害の責任者――の「使節団」は、徹底的に批判、非難されなければならない。
 OASは、その「民主的憲章」の道を継続している。それは二〇〇二年四月十一日(訳注:失敗に終わったチャベス政権打倒のクーデター)に、帝国主義―大企業の反革命が達成できなかったことである。したがって、左翼とボリバール派(訳注:南米の独立運動の英雄シモン・ボリバールの業績を継承しようとする急進的思想)民衆組織が確認してきたように、右翼のクーデター参加者および大企業との間の「対話」などありえない。

3 ベネズエラでは決定的な反帝国主義闘争が闘われている。チャベスの限界とためらいを超えて、ボリバール派民衆は街頭に繰り出してブルジョアジーとの亀裂のプロセスを深め、クーデター作戦を崩壊させる措置を取っている。問われていることはこの国の民主主義の運命だけではなく、この地域の帝国主義との力関係でもある。
 ブラジルのルラ、エクアドルのグティエレスの選挙での勝利の後、民衆反乱の過程としての「アルゼンチン的状況」の長期化、新自由主義に反対する社会運動の抵抗の発展、プラン・コロンビアとFTAA(米州自由貿易地帯)の計画に対する大陸全体の拒否の中で、アメリカは南米全体に吹く変革の風を「予防する」壁を築こうとしている。
 チャベス政権の敗北と、発展しつつある民衆と労働者のラディカルな運動の粉砕は、ワシントンの反革命戦略の優先課題になっている。チャベス政権、ならびに発展してきた階級闘争の力学が生き残ることは、ペンタゴンと米国務省がプラン・コロンビアとFTAAに含ませてきた地域支配の意図と適合するものではない。
 同時に、ベネズエラにおけるクーデターと帝国主義的利害の勝利は、ルラやグティエレスのような政権がマヌーバーを行う政治的・経済的余地をさらに縮小し、コロンビアの武装反乱にとって不利な条件を拡大し、キューバへの封鎖を強化することになる。

4 まさにこのような状況において、ベネズエラの民衆闘争との国際的連帯を拡大し、活性化し、戦闘化しなければならない。労働者と学生、階級意識をもった労働組合と民衆組織、ボリバール派サークルとベネズエラ左翼の諸政党の闘いは、支配的エリート、新自由主義、IMF、世界銀行、米州開発銀行、対外債務に対するラテンアメリカ民衆の闘争である。それは自らの運命を決定するための主権と民衆の権利を求める民主主義的闘いである。それは反帝国主義的、反資本主義的闘争である。第四インターナショナルの諸勢力は、こうした闘いの一部を構成している。
 われわれはさまざまな国で、大衆的な連帯活動、示威活動、街頭行進、政治的宣言などの活動を推進する。われわれは、民主主義的・反帝国主義的・革命的な運動と潮流が組織する行動と抵抗のキャンペーンに無条件に参加し、支持するものである。       
2003年1月4日


ヨーロッパ社会フォーラムが示したもの(下)

巨大な新しい「ヨーロッパ社会運動」が誕生した!

フランソワ・ベルカマン

 世界社会フォーラムのそれぞれの大陸への分権化において、ヨーロッパの場合は、社会フォーラムはその性格を変えた。プロパガンダ運動から介入する運動へ、特に労働者、若者、女性、移民の日常生活とそこから生じるあらゆる問題に介入する運動に変化した。
 これは最初にイタリア社会フォーラム(ジェノバ)で起こった。イタリア社会フォーラムは、突然、労働者運動と社会運動の全面的復活のヨーロッパにおける重心となった。二〇〇一年七月の出来事の後、きわめて急速に、イタリア社会フォーラムは全国の数百の町や自治体に広がり、根をおろし、運動の中核部分の間の結びつきや中心を作り出し、広範な闘いに参加し、開始し、強化した。反戦、反権威主義、市民の権利、労働者の動員などである。大陸全体の真のセンターとなり、かつ政治的実験室となった。現在、その規模と深さにおいてこれは唯一のものであるが、この傾向はどこでも同じである。ESFとその運動は、社会の網の目にとらえられたのである。
 より正確にいうと、「諸運動の運動」は社会的問題(住民大衆の生活条件や労働条件)と政治的問題(国家の制度的構造に口出しする一連の手段)の両方に直面した。
 これは次元の異なる問題である。この道は複雑である。このような「運動」の準備はできていなかった(指導者や活動家には心構えがあったとしても)。「運動」を構成している「諸運動」にはさらに準備がなかった。「諸運動」は異種混合的であった(テーマ、組織、機能、振舞い方、即時的および基本的目的、社会との公式および非公式の結びつき、社会学的性質、物質的基盤、など)。補助金を受けている大きなNGO/独立の小さなNGO、人権擁護の運動、アムネスティ・インターナショナル、ARCI(イタリア文化協会、カトリック系、会員数百万)、社会センター、労働組合機構、など。それはまさに弁証法的複合であった。
 公式には、「運動」は一般に、構成団体である諸運動の総和に過ぎない。具体的には、それは、特定の運動に深く関与し事実上担っているカードルや活動家に支えられている。彼らは強力な綱領的考え(「もう一つの世界が可能である」、「世界は売り物ではない」)や大規模なイニシアティブ(たとえば、社会運動のアピール)に多くの場合「直感的に」同化する。
 言い換えると、彼らは言葉の最も強い意味で政治を実践している。社会における生活のすべての基礎的問題が取り組みの対象になっている。彼らは事実上「政治的実体」(イタリア人の言い方に従えば「政治的主体」)を構成し、選挙と政党を別にして、公共的領域全体に関与している。しかし、だれもだまされはしない。諸運動と政治家(政党や政府)の間の結びつきは多面的で継続的である。また、運動のほとんどの「政党ぎらい」役者は、「個々のケースにもとづいて」「運動に無関係に」政治的な政治家の世界に接触することを嫌がりはしないのである。
 さらに複雑であるのは、急激に登場した「下からの社会」が、「上から」展開される運動に直面する場合である。これは多くの場合、断固としたテーマとグループの活動方法を中心に結集した小さな核から開始され、特定タイプのメンタリティに包まれている。共産主義再建党の書記ベルチノッチは、「運動」は「きわめて自己中心的である」と言っているが、うまく言い当てている。
 その事実上の優先課題は、自己の発展と強化である。それは結局、新しい社会政治的運動の設立のプロセスである。その指導層は、次のように優先課題の基礎を論じている――内部矛盾の克服、つまり運動の統一が決定的に重要である。これは不自然ではない。なぜなら、「運動」は大きな獲得物を体現しており、この獲得物は世界的規模で第一級の政治的要因になっているからである。
 しかし、「日常的に」社会に直接介入することの不可避的必要性は、戦略、戦術、要求をめぐるあらゆる問題を提起する。賃金労働者階級とその闘い、動員、要求と組織は、行動へと移行する。このことは、シアトル/ジェノバから始まり労働者運動の歴史的袋小路を突破した「運動」に、多数派としての社会的勢力なしには支配階級とその国家との力関係を変えることができない、ということを気づかせる。さらにそれ以上に、「運動」は、独自の要求を実現するためには助力を必要としている。「諸運動の運動」と賃金労働者階級の「真の運動」の間の会議は、反資本主義的、国際主義的、フェミニズム的、エコロジスト的基礎にもとづいて社会的運動を再生し再組織するであろう。
 政治的に言えばフィレンツェは、一九六八年以来見られなかった急進的左翼と社会民主主義的左翼の間の劇場であった。ポルトアレグレのWSF第二回会議(二〇〇二年一月)はこの先触れであった。社会民主主義は「運動」を無視し続けることができなくなった。ブラジルにおける第二インターナショナルの政治的指導者たちの出現は、特に若い世代の間での信頼の回復をねらった、和解の最初の試みであった。
 フィレンツェではさらに進行した。ヨーロッパ労働運動ETUCや複数の労働組合組織が参加を「要求」した。このようにして、ESFが設定したルールに従って、彼らは複数の討論の場を組織し、労働組合左翼潮流との大きな論争に参加し、大衆的デモンストレーションに代表団を参加させた。イタリアの主要組織であるCGILは、デモンストレーションにおいて、二十万人の組合員代表団を率いることを要求し、取り仕切ることに貢献した。(主要な)フランス、スペイン、ギリシャ、ドイツ、ベルギーの指導者が発言し、多くのカードルや活動家が指導部によって派遣され、または自力で参加した。
 さらに、社会民主主義の政治的翼が、中心的論争(参加者五千人)への参加を要求した。そこでは「社会的運動の代表者たちが政党を論じる」ことになっていた。それぞれヨーロッパ潮流の代表者たちであった。
 ブザンスノー(LCR、フランス、反資本主義左翼)、エリオ・ディ・ルポ(PS、フランス語圏ベルギー、社会民主主義)、ロジー・ビンディ(キリスト教左派)、ベルチノッチ(PRC)、ドイツ国会議員(緑の党)、さらにカッセン(ATTAC)、ニネマン(グローバライズ・レジスタンス)、など。
 二つのことが観察された。第一は、前例のないことがあった。急進的左翼(広い意味で)が、政治的論争や街頭で、依然として広く労働者運動の多数派を占め労働者階級内部の圧倒的多数派である社会民主主義に対して、「統一戦線」を押しつけたことである。これは極左派潮流の考えとは逆に(極左派は社会民主主義者をESFから排除することを望んだ)、真の勝利に導くことであった。
 象徴的なことが見られた。まず、これらの人々は権力を握っているときには、われわれの運動をボイコットし破壊するためにあらゆることをした。社会民主主義者が一九九八年から二〇〇一年までEUの政府と機関を支配したときには、彼らはヨーロッパデモンストレーションを阻止しようとした。ジョスパンやダレマたちは国境を閉ざした。彼らは警官隊がデモ参加者に発泡することを許した(イエーテボリ)。欧州内務担当閣僚理事会は、二〇〇一年初めに運動を押しつぶす戦術を練り上げた(ナポリ、イエーテボリ、ジェノバなどで実施された)。フィレンツェでは、彼らはひざを屈して公式の謝罪を申し入れたのである。
 将来にとってさらに重要なことは、自らがESFに出席したことにより、社会民主主義の指導者たち(政党と労働組合)は、もはや彼らの活動家が参加し深く関わることを阻止できなくなったことである。このことは、労働組合セクター、労働組合連合の少数派、代表団や活動家にもあてはまる。「ヨーロッパ労働組合左派」の展望が急浮上することになった。
 したがって、強化された急進的左翼とヘゲモニーの弱まった社会自由主義的左翼の間の論争は、ヨーロッパレベルで公開の議題に上ることになった。これは基本的なことである。次のような問題にすぐにあてはまる。短期的に予想される対イラク戦争、経済不況について。ヨーロッパの攻撃的右翼政府や厄介な社会自由主義政府(ブレア、シュレーダー、スウェーデン、ギリシャ)について。「街頭」を含めて政治的明確化が急速に進むだろう。このような局面で、このような力関係の中で、反資本主義の基礎の上に労働者運動/社会運動を再建する闘いが日程に上がったのである。
 急進的(社会的および政治的)左翼にとって、第一の優先課題は、ESFを出発点にしてヨーロッパ社会の中に自己を配置することである(キャンペーン、イニシアティブ、ネットワーク、調整)。反戦運動のほかに社会的権利のキャンペーンが、絶え間ない新自由主義の攻勢を阻止するための優先課題(唯一の、ではない)である。
 これは巨大な政治的問題である。なぜなら、このようなキャンペーンが数年にわたってEU諸国で行われることが、社会的活動の分野の統一への道を開くからである。権利のための闘いは、全政党を、特に社会自由主義者と政府を、直接引き入れ、彼らに立場を取らせることを強制する。これは国家機構としてのEUとの関係の問題を提起し、あらゆるヨーロッパ的/国際主義的オルタナティブの問題に関する綱領を定義する義務を提起する。
 EUは今から二〇〇四年六月(次の欧州選挙)まで、集中的に新しい帝国主義的新自由主義的攻勢に移った。これは政党と社会運動の結集をもたらすだろう。より正確に言えば、社会運動に政治への関心を持たせるだろう。このような座標軸の上で、革命的左翼は建設を考えなければならない。この分析が正しければ、社会自由主義のプログラム(これは依然としてヨーロッパ社会民主主義の路線である)の危機によって、今まで社会民主主義、労働組合官僚と関連左翼政党(一部の共産党や緑の党)に支配されてきた諸勢力が解き放たれるだろう。
 「諸運動の運動」は、先兵、引きつける極となることができ、まず最先進諸国の政治的力学に強力な影響を与えることができる。しかし、現段階を見誤ってはならない。現在は中間的段階であり、中間的解決策が必要である。革命的左翼が、正当にも、自己の強化を追求することは、別のレベルを切り開く可能性を無視することにはならないだろう。第一の解決策は、ただちに、国際的に、労働組合/社会的左翼をよみがえらせ構築することである。
 第二に、「新しい」活動家に適応した、彼らの意識、感受性、文化、行動様式に適した政治的枠組を提供することである。簡単に言えば、反資本主義的で複数主義的な、彼らに重心を置いた「政治教育」である。第三に、社会運動の戦闘的層の反感に対しては、有効な参加を保証する選挙キャンペーン提案を提出する必要がある。これは、既存の政党がヘゲモニーを放棄し、反対に共同行動に適した組織形態による平等を基礎にして参加することを意味する。選挙前も、選挙運動期間中も、その後も、である。(「インターナショナルビューポイント」02年12月号)


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