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投 稿  映評『スパイ・ゾルゲ』          かけはし2003.7.28号より

戦争と平和、絶望と希望、そして共産主義

景 清



 篠田正浩監督による『スパイ・ゾルゲ』がいよいよ封切られたと聞いていたが、なかなか時間もなく観に行けないままでいるうちに『かけはし』に「滝」氏による映評が出たので目を通してみた。それはあまり好意的な評論とはいえず、「つまらない映画なのかな?」とも思ったが、とにかくやっと時間を作って観てきた。
 この映画、私にはとても良い映画に思えた。観る者の見方によってそこから得られる印象が違うのではないだろうか。

上海での出合い


 映画は冒頭、魯迅の短い詩に続いて本木雅弘扮する尾崎秀実がスパイとして逮捕され拷問されるシーンから始まる。そしてゾルゲが逮捕され取り調べを受ける。次に画面はそこに至る尾崎の「ゾルゲ諜報団」への関わりの始まりとなる十年前の上海へと飛ぶ。
 数少ないアジア通として知られていた尾崎は朝日新聞上海通信局に派遣され、中国民衆の悲惨な生活を目の当たりにしていた。「打倒日本帝国主義」を掲げたデモは日本海軍陸戦隊にけちらされ、ビラを撒く少女が目の前で中国服の男たち(特務機関員)に殺されてしまう。
 やがて尾崎は「ジョンソン」なる人物と出会い、彼に協力して日本とアジアの政治・経済情報を彼に伝えることを約束する。ジョンソンへの協力は三二年まで続き、尾崎はやがて日本に帰る。そして東京で再会したジョンソンの本名がリヒャルト・ゾルゲであることを知る。彼は「フランクフルターツァイトゥンク」紙記者となっていた。

尾崎秀実の心情


 尾崎はなぜ、ゾルゲに協力したのだろうか。ゾルゲからの報酬の申し出を尾崎は断っている。その行動は、彼の心情からも、また結果からしても、当時のジャーナリズムが描き出したような「日本を陥れる陰謀」などではなかった。映画の中で「君はなにか隠しているのではないか?」との友人の質問に尾崎は「僕は何も隠していない。日本に背くことはしていない。すくなくとも日本人に背くことはしていない」と答えている。
 ここには「愛国心とは何か」についての明快な回答がある。政府の命令に従うことが「愛国心」とされていた時代に、尾崎はそれをきっぱりと拒否し、政治権力の側ではなく、その戦争の犠牲にされてゆく民衆の側に立つ決意を表明しているのである。

絶望と希望


 尾崎はジャーナリストとして満州事変以来の中国の悲惨な現実を見つめてきており、政財界や軍部からの情報を知りうる立場にもあった。彼は日本とアジアの惨状に絶望していたのではないだろうか。そしてそれを覆す唯一の希望は共産主義にあったのではないか。ゾルゲには共産主義こそが民衆に平和をもたらすという強烈な確信があった。それが尾崎を魅了した。スターリニズムによってだいぶ薄よごれてきていたとはいえ、まだ共産主義には希望があったのだ。
 ゾルゲは絞首刑にされる最後の瞬間に「国際共産主義万歳」と叫ぶ。そして次のシーンに篠田監督は皮肉にもソ連崩壊の映像を持って来ている。レーニン像が次々に破壊されてゆく。そして画面は東西ドイツの壁が破壊されるシーンへと移る。年老いた三宅華子(ゾルゲの愛人)の回想の独白に続きジョン・レノンの「イマジン」が歌もなく流れ、画面中央にその歌詞が日本語で流れる…「想像してごらん、この世に国家なんか存在しないと。殺戮も死もなくなり、宗教の争いも消えてしまう。想像してごらん、すべての人々が平和に暮らしているのを…」。

ゾルゲの遺志


 篠田監督はこの映画の中で「共産主義」を平和へ向かう思想のひとつとして認めている。しかし、それは戦争を阻止できず、官僚主義的行き詰まりの果てに国家の崩壊という形をとって敗れ去った。共産主義は一度は平和へ向かう希望と見られ、そして破れたのである。監督のこの見方はきわめてオーソドックスな民衆の立場からのものである。この事実を共産主義的未来を信ずるものとして、痛苦の念で受け止めていきたいと思う。
 しかし、平和への希望がまったく消え失せたわけではない。戦前、過酷な弾圧にもかかわらずゾルゲや少数の日本人が命をかけて立ち向かっていった、その同じものに対して、今、多くの人々が続々と立ちあがり、全世界の人々と固く結びあって闘い始めているのだから。ゾルゲの反戦の遺志は後継者たちに受け継がれ着実に拡がっている。ここで監督が冒頭の魯迅の詩に込めた意味が生きてくる。
 「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる」。
 篠田監督は観客に向かって「ゾルゲに続いて平和の道を歩め」と呼びかけているのだ。

胸に迫るもの


 篠田監督は一九三一年(昭和六年)、満州事変の年に生まれている。日本が武力侵略を開始した年に生まれ、殺戮と破壊の時代を「軍国少年」として生きてきた。そして終戦後は、東西冷戦と激動の時代の中でこの時代を見つめてきた。この「スパイ・ゾルゲ」はその彼の集大成であり、自分にとっての「昭和史」を「ゾルゲ」をキーワードとして解こうとした野心作でもある。
 その「昭和」のすがたはC・Gアートによって見事に再現されている。銀座四丁目交差点は三越や服部時計店が当時の姿のまま蘇っている。そこを円タクや路面電車が走り、人々が歩いている。数寄屋橋の向こうには日劇、その隣に朝日新聞社が当時の姿のままで建っている。国会議事堂も、また街角の商店や民家までもが非常にリアルに再現されている。そしてそこで生活するたくさんの人々。そこには昭和十年代の日本人の生活が描かれている。人々は木村屋でパンを買い、蓄音機からの音に耳を傾ける。そして空を見上げると資生堂の広告をひらめかせながら飛行機が飛ぶ。
 こうしたリアルな風景の中で展開されるゾルゲの活動は現実味を持って、しかし大げさでなく淡々と我々の胸に迫ってくる。観衆はその時代にワープしゾルゲや尾崎となって日本を見つめる。観たあとで考えさせられることの多い、価値のある作品であると思う。


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