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映 評  篠田正浩監督作品『スパイ・ゾルゲ』     かけはし2003.7.7号より

「戦争と革命の時代」は描けたか



 映画は最初に魯迅の詩「道は初めはないが、多くの民衆に踏まれて道ができる」という趣旨の字幕で始まり、レーニンの銅像が倒され、ベルリンの壁が壊される場面で終わる。そしてエンディングテーマ曲にジョン・レノンのイマジン(IMAGINE)の「戦争で人を殺すのにも殺されるのにも反対」という歌詞が写し出される。
 ゾルゲはドイツ人の父とロシア人の母のもとにロシアで生まれ、ドイツに移り住む。第一次世界大戦に従軍し負傷し、その後一九一九年のドイツ革命にドイツ共産党員として参加した。コミンテルンで働くようになり、その諜報活動を担うようになる。上海でスメドレーや朝日新聞記者だった尾崎秀実と知り合った。一九三三年にドイツの通信員として来日し、ナチス党員としてドイツ大使館に出入りし、近衛内閣の嘱託となった尾崎やコミンテルンの指令によって、アメリカから派遣された画家の宮城与徳などと連絡をとり、日本軍やナチスの情報をさぐり、分析していく。
 ゾルゲは一九四一年、独ソ不可侵条約にもかかわらず、ヒトラーがソ連邦を電撃的に攻撃開始する日時まで明らかにした決定的情報をつかみ、スターリンに打電した。しかし、スターリンはその決定的な情報を「チャーチルのデマだ。ヒトラーはそんなことはしない」と握りつぶし、ヒトラーの緒戦の大勝利、レニングラードやモスクワをもあやうくする重大な敗北を喫してしまう。
 そして、さらにヒトラーのソ連攻撃の後、日本がソ連を攻めるのか、それとも南進するのか――この重大な御前会議決定を尾崎を通じて知り、「日本は南進。ソ連攻撃はしない」という情報をソ連に送った。スターリンはそれを受けて、極東の赤軍を東部戦線に移動させ、スターリングラードでの勝利を導き出し、ドイツ軍を壊滅に追い込んだ。
 映画は、こうしたゾルゲの役割や彼がたどった道をていねいに描いている。彼の直接の上司であったブルンジがブハーリン派として粛清されてしまうこと。ゾルゲがこの時点でソ連に召喚されていたら、彼も粛清されていたことなど。スターリンが左翼反対派やブハーリン派を粛清し、一国社会主義建設路線を推し進め、コミンテルンを変質させ、世界社会主義革命の機関から、スターリニスト官僚支配体制防衛のための道具にねじまげていったことを知ることができる。それは世界革命をめざしたゾルゲとスターリンとの決定的な対立としても表現されていった。
 第二次世界大戦の勃発の中で、ゾルゲは「社会主義の祖国ソ連邦」の防衛のために活動を続行した。尾崎とゾルゲは、日独伊の反共同盟に反対し、「労働者の祖国ソ連邦」と毛沢東などの人民中国と日本(中国から手を引くことを含めて)が連携することにより、戦争を阻止しようとした。
 ゾルゲと尾崎は、近衛内閣が倒れ東条政権ができた四一年十月に逮捕され、四四年十一月七日、ロシア革命記念日に絞首刑にされた。ゾルゲは最後に「国際共産主義運動万歳!」と叫んで殺された。
 ゾルゲの日本による処刑に対して、ソ連は沈黙を通す。そのかわりに彼のロシアに残してきた妻はゾルゲ処刑後、ナチスのスパイとして強制収容所に送られてしまった。ゾルゲが名誉回復するのはスターリン批判の後、一九六四年代になってからだ。
 篠田監督は次のように、映画について語る。
 「日本人が忘れ去ろうとしている『昭和』。失いつつある『時代感覚』。日本と日本人が取り戻すべき『アイデンティティ』――二つの祖国を持つジャーナリストにしてスパイ、ゾルゲという一人の怪物の目を通して――まるごとを描いてみたかった。映画『スパイ・ゾルゲ』は、二十世紀が生んだ夢と理想、その萌芽と崩壊の序曲である。そして、人々が次代の夢と理想に思いを馳せるための、映像詩である」。
 こう語る篠田監督ではあるが、この映画はあまりにも時代を描こうとして描けていない。だらだらと「時代」が描かれるにすぎない。たとえば昭和天皇は、2・26事件や反共三国同盟に反対した「平和主義者」としてしか描かれていない。昭和天皇がアジア太平洋戦争全体に果たした主導的役割が描かれていない。敗戦に致る過程でも、四五年一月に近衛のアメリカとの和睦の進言を無視し、その後の東京大空襲や沖縄戦、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、ソ連への五十万人の捕虜略奪を許す結果になったことなどの決定的なことが描かれていない。
 ゾルゲのスパイとしての孤独な内面や緊迫感、それと対比した昭和天皇の生きざまが緊張をもって描けていたら、ずいぶん違った映画となっていただろう。(滝)

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