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上海で拘束中の北朝鮮難民の即時釈放を!        かけはし2003.9.15号より

闇の収容所に人権査察の光を!

北朝鮮強制収容所の体験者たちが語る悲惨な現実


恐怖支配の根源を解体するために

 九月六日、東京・カメリアホール(亀戸文化センター)で「闇の収容所に人権査察の光を! 上海拘束中の北朝鮮難民の即時釈放を! 脱北者に難民認定を!」東京集会が北朝鮮民主化のための政治犯収容所解体本部と北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の主催で開かれ、二百五十人が参加した。

人権状況の一刻も早い改善を!


 今年六月三日、ソウルで、北朝鮮の人権抑圧の極点とも言われる政治犯収容所の解体・廃絶を求めるNGO「北朝鮮民主化のための政治犯収容所解体運動本部」が、収容所体験者である姜哲煥(カンチョルファン)、安赫(アンヒョク)の両氏を代表に結成された。九月六日の集会は、国際的なキャンペーンの一環として、日本各地で政治犯収容所の実態を告発する証言集会、並びに収容所廃絶、北朝鮮人権状況の改善を日本国民に訴えるために開催された。
 最初に、小川晴久さん(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の代表)は「北朝鮮の強制収容所は朝鮮戦争後に作られ始め、一九六七年の金日成唯一思想体制確立後に増やされ、七三年の金正日後継決定後に強化された。北朝鮮への十万人の帰国者の二割が収容所に入れられた。守る会の出発点は収容所の実態を知らせることであった。『山送りにされるぞ』という脅しは恐怖支配の根源であり、収容所の実態を世界に知らせることにより、北朝鮮の人権状況が急速に改善することにつながるだろう」と集会の意義を語った。


 韓国からやってきた二十人の北朝鮮民主化のための政治犯収容所解体本部の人たちが壇上に並んだ。代表の姜哲煥さんはアメリカのNGOから提供されたヨドク(耀徳)強制収容所の航空写真を示したながら、収容所の実態を告発した。続いて、金泰振さんは「ヨドク収容所は南北三十四キロ、東西二十キロの広大な地域だ。原住民(北朝鮮の人々)と帰国者はいっしょに住めないことになっていた。朝鮮中央放送のアナウンサーのチェ・ギョンミンのことを覚えている。公開処刑で『金日成死ね』なんて言わさないように囚人は、口の中に石を詰められ銃殺された」と証言した。
 共同代表の安赫さんは「かつて首相の息子や海軍司令官だった家族も入れられていた。収容期間は十年とされているが、最高三十年も生きていた人がいた。革命区域では金日成思想教育はするが、統制区域では思想教育はしない。囚人は背もはるかに低い。労働も厳しく、どれだけ死んだかわからない」と報告した。
 さらに、イ・ミンボク(農業科学員)さんは「食糧難は深刻だ。十人に一人は餓死した。老人は若いものに食べ物をやり、自殺していった。子どもたちは寒いので石炭ガラの中に寝た。そこでも凍死した子どもを見た。食糧難の問題は農業の集団制にある。中国の小平時代に、個人制にしたら五倍の収穫があった。私はこのことを論文にして、父なる金日成に訴えたら、『反動』というレッテルを張られた。金日成が父ではないことを悟り中国に脱出した。しかし、そこで捕まり強制収容所に入れられた」と報告した。

奴隷労働で経済を支える収容所


 安明哲(アンミョンチョル)さん(元収容所警備隊員)は「かつて収容所は十一あったが、アムネスティの告発や暴動によって現在は五つに統廃合された。私は四つの収容所に勤めた。二十万人が収容されている。収容所では農産物や採炭など金正日のカネかせぎのための奴隷労働が行われている。警備隊に入ったとき、『政治犯は三代にわたって滅ぼせ。逃亡者は殺してもよい』と教示があった。収容所は北朝鮮経済と一つになっている。チョンジンの工場に石炭を供給している。カンキョウ北部に必要な三〇%のジャガイモ、トモコロシなどを供給している。収容所をなくすことは金正日体制が倒れる時だ」と報告した。
 横田めぐみさんの拉致を最初に証言した元工作員の安明進さんは「七年間スパイ教育を受けてきた。内部でも人権侵害が犯されている。一年で、八十人位の卒業者のうち十人が訓練で死んだ。家族にも真実は知らされない、闇に葬られていく。人権と正反対の体制だと北朝鮮にいたときから感じていた。日本人拉致事件問題だと数千人も集会に集まるのに、北朝鮮人権問題だとこれしか集まらない。民族は違っても置かれている立場は同じだ。がんばって運動をつくりだそう」と呼びかけた。

中国に拘束された山田文明さん報告


 八月七日、脱北者の亡命を助けようとしたが、中国公安当局に拘束された山田文明さん(人権を守る会の共同代表)は「脱北者七人、韓国記者三人とともに拘束された。脱北者は帰国者の関係者で中国に脱北しており、助けてほしいと要請があったので助けようとしたが事前に中国当局に把握されていた。韓国にすでに脱北している親族がいる、外国NGOがかかわっているということで、拘束された脱北者は北朝鮮に送り返されたら、強制収容所に送られ処刑されることも考えられる。最後まであきらめず最善を尽くしていきたい」と報告した。

世界の良心に訴える集会宣言を採決


 最後に、「東北アジアの本当の平和と安定のために、@収容所で亡くなった在日同胞と日本人妻、及び日本人拉致事件の真実を知り、A今回の上海拘束事件で囚われた八人の難民を救出し、B『北朝鮮民主化のための政治犯収容所解体運動本部』の正義の行動を支持し、連帯して下さることを知性と良心をもつ世界のすべての人々に心から訴えます」という集会宣言を採択し集会を終えた。
 九月七日、脱北者を先頭に八十人が東京・水谷橋公園から日比谷公園まで、「北朝鮮の政治犯収容所撤去! 脱北者に難民認定を!」と訴えるデモ行進を行い、道ゆく人々に訴えた。

金正日の「体制保証」とは何なのか


 北朝鮮の核開発問題をめぐる六カ国協議で、金正日政権は「体制保証」と「経済援助」を求めていると伝えられている。韓国政府は太陽政策を継続している。日本の左翼や市民運動でも、北東アジアの安全のためには、この金正日政権の「体制保証」を認めるべきだと訴える主張が多数を占めている。金正日体制が多数の国民を強制収容所に追い込み、この収容所を専制支配体制の強力な武器として扱っている。こうした金正日体制を「保証」することがどんなに北朝鮮民衆を苦しめ、見殺しにしているか――このことを痛烈に告発するものとなった脱北者たちの訴えであった。(M)


9・6集会 姜哲煥さんの証言から

私が十年間入れられていたヨドク収容所で体験したこと


 六月に会を設立した。設立の理由は、国連の場で北朝鮮の人権問題が取り上げられたが、韓国政府はそれを取り上げることを棄権したからだ。韓国では北朝鮮の人権問題が取り上げられない。このままでは北朝鮮の人々は殺されてしまう。金正日政権がなくなるまで、収容所はなくならないだろう。国際社会に訴えて収容所をなくしていくしかないと考えた。
 この航空写真の収容所には実際に私が住んでいた家も写っている。私は、祖父母が京都総連の幹部をしていて、帰国した後、北朝鮮で生まれた。一九七七年に祖父が突然、収容所送りにされ、母親以外全員も別のヨドク収容所に送られた。私が十年間入れられていたヨドク収容所はいまも存在している。在日帰国者の数千人が住んでいた村もある。まわりの木は逃られないように伐採してある。高圧電流が流れている電線の塀があり、その外には落とし穴があり、穴には鋭い杭が打ってある。収容所の中には、特別の監房もある。拷問と飢えにさいなまれ、ここに入れられるとほとんど廃人になってしまう。北朝鮮が八位になった時のサッカー選手のパス・スンジンさんはとうもろこしを盗んだだけでこの監房に入れられた。強靱な精神で彼は生き延びたが、それはゴキブリをはじめなんも食べたからだ。彼の仇名は「ゴキブリ」であった。
 公開処刑の場も設けられていた。元人民軍の特殊要員二人が山を逃げて中国に逃亡したが戻され絞首刑された。数千人の囚人は石を投げさせられ、二人の顔は骸骨になっていった。数多くの人が公開処刑にされた。日本人妻が十三人いたが、生きて出られたのは十人だけだ。収容者は人間として扱われないので、墓も作られず、単に埋められてしまう。ある時、山の斜面を造成しようとしたら、足が出てきて猛烈な臭いがした。数百人の死体が出てきた。その上に土がかけられ、とうもろこし畑にされたが、肥料もないのによくとうもろこしは育った。
 完全統制地区は二度と生きて出られない地区だが、革命化地域は生きて出られる可能性があった。七七年に統制地区で暴動があった。それ以来、若い男性がいなくなった。収容所内ではアヘンを栽培したり、金鉱の発掘が行われていた。
 現在脱北者の二世たちが「一世の恨みをはらしたい」と運動に参加しだしている。朝鮮総連の人たちも北朝鮮を往来しているので、収容所の実態は知っているだろう。朝鮮総連の責任は大きく、人権侵害をやめさせるように運動すべきだ。日本の皆さんも、北朝鮮の民主化のために立ち上がってほしい。(報告要旨。文責・編集部)


外国の人名・地名について

                                   S・M

 『かけはし』は、朝鮮・韓国や中国の人名・地名について、多くの場合、漢字で表記している。
 この結果、朝鮮・韓国や中国の言葉を理解しない人が『かけはし』を読んだ場合、朝鮮・韓国や中国の人名・地名を日本式に読むことになる。例えば毛沢東は、マオ・ゼドゥンではなく、モウ・タクトウと読むことになる。
 『かけはし』は、革命をめざす人たちが作っている新聞だ。朝鮮・韓国や中国の人たちを差別しているわけではあるまい。ただ、日本語の習慣に従っているだけかもしれない。それでも言わせてほしい。朝鮮・韓国や中国の人名・地名を、日本式に読まれるように書くよりは、それらの国の発音に忠実に読まれるように書く方が良いのではないか。その方が進歩的なのではないか。
 外国の人名・地名などは、外国の発音になるべく忠実に、カタカナで表記する方が良いのではないか。どうしても漢字を書きたければ、カッコをつけて、カッコ内に漢字を書けば良いのではないか。その方が進歩的なのではないか。ぼくは、そう考える。
 追伸。外国の人名・地名などをどう読むべきか。どう表記するべきか。自国式に読んだり、自国式に読まれるように表記したりしているのは、日本人だけではないかもしれない。だが、日本人であれ外国人であれ、外国の人名・地名などを、自国式ではなく、外国式に読んだり、外国式に読まれるように表記したりする方が、より国際主義的なのではないか。「そういうふうにするべきだ」という国際的な法律が作られてもいいのではないか。民衆間の国際交流がもっと進んでいけば、いずれ「そういうふうにするべきだ」という意見が多数派になっていくのではないか。そう考えるのは、ぼくだけだろうか。
       (9月6日)


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