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ベイルート反戦・反グローバリゼーション会議でのスピーチ  
                           
かけはし2004.10.11号

不正と戦争に対決するグローバルな闘争への里程標

ウォールデン・ベロー



 九月十七日から十九日まで、レバノンの首都ベイルートで「反戦反グローバリゼーション国際戦略会議」が開催され、五十四カ国から二百七十人が参加した。占領下のイラクとパレスチナからも五十人以上にのぼる代表が参加した。
 この会議は、昨年五月、ブッシュがイラクでの「大規模戦闘終了」を宣言した後の反戦・反占領運動の国際的目標をめぐって開催された「ジャカルタ会議」を引き継ぐもので、世界社会フォーラムでの反戦運動会議など、国際的な反戦運動ネットワークの中心を担ってきた人びとが呼びかけたものである。今回、中東で開催されたこの会議は、反戦・反グローバリゼーション運動の「国際市民社会ネットワーク」と、アラブ・ムスリム地域の抵抗運動が合流し、共同の課題について討論を行ったという点で大きな意味がある。
 ここに掲載するのは、この会議の組織化に大きな役割を果たした「フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス」(バンコクに本拠を持つ国際NGO)の代表ウォールデン・ベロー(フィリピン大学教授)が同会議の初日に行った一般演説と、会議の宣言である。(本紙編集部)                                  

ベイルート会議の位置


 私たちは、決定的な局面でここベイルートに集まった。今はさまざまの流れが交錯する時期である。イラクでは、アメリカはますますベトナム型の泥沼にいっそう深くはまりこみ、米軍兵士の死者は二〇〇三年三月二十日の侵略以来、九月の第一週で千人を記録した。
 しかしパレスチナでは、シオニストの「壁」が一日につき一キロメートルの割合で建設され続けている。一年前の二〇〇三年九月十四日、このホールにいる私たちの中には、メキシコのカンクンで世界貿易機関(WTO)第5回閣僚会議の失敗を祝って、コンベンションセンターで喜びのダンスを踊っていた人びとがいる。今日、企業主導のグローバリゼーションの最高機関であるWTOは、先月、開発途上諸国の経済的武装解除を加速させることをねらったジュネーブ枠組み文書を採択したことで、その足場を固めている。
 数週間前、ニューヨークで、街頭を行進した五十万人以上の人びとがジョージ・ブッシュの好戦的政策を大衆的に拒絶したのを私たちは知っている。しかし今や、世論調査によれば、その結果がこれから数年の世界の運命に重大な影響を及ぼす米大統領選挙に向けて、このジョージ・ブッシュがケリーを一〇%以上リードしているのだ。
 皆さん。イスラエルの侵略とアメリカの介入に対する抵抗の輝かしい歴史を持ったこの歴史的都市で私たちが会合している時、歴史はどちらに転ぶかわからない不安定な状況の中にある。
 ご存じのように、もっと多くの人びとが私たちとともにベイルートに来ることを望んでいた。この私たちの会議の規模、広がり、多様性は、今日の私たちの強さ、力を際立たせている。
 私たちが現在の評価を勝ち取ってきたこの十年の私たちの歴史を簡潔に振り返ることは、有益だろう。

新自由主義の本当の姿


 十年足らず前には、私たちの運動は周辺化された存在だった。一九九五年のWTOの創設は、グローバリゼーションが未来の波であるというシグナルのように見えた。そして反対する人びとは、産業革命期における機械の導入に対して闘ったラッダイトと同じ運命をこうむる定めをもっているかのように思われた。グローバリゼーションはそれに従って繁栄をもたらすことになっていた。そして、市場の手に導かれた超国籍企業が世界を席巻して、最大多数に最大善をもたらすという約束に、どうして反対することができただろうか。
 しかし一九九〇年代を通じた体制側のあざけりに対して、運動は自らの足場を固めた。当時世界最強のエンジン(アメリカ経済)の好況は、いつまでも続く定めのように思われていた。しかし企業の収益性の論理に導かれた貿易と金融の自由化と規制緩和は、危機、国内外にわたる不平等の拡大、グローバルな貧困の増大をもたらすという予測は不動のものとなった。
 一九九七年のアジア金融危機は、グローバル資本のフローへのコントロール喪失による不安定化の影響であり、突然で情け容赦のない証拠となった。実際、一九九七年の運命的な夏の数週間のうちに、タイの百万人の人びと、インドネシアの二千二百万人の人びとが貧困ライン以下にたたき落とされたという事実ほど、情け容赦のないものがあるだろうか。
 アジア金融危機は、人びとの目のうろこを落とし、冷たく残酷な現実を見ることを可能にさせる重要な出来事の一つだった。そしてそうした現実の一つは、国際通貨基金(IMF)や世界銀行が約百の開発途上経済や移行期経済に強制した自由市場政策が、一握りの諸国を除いたすべての国に、成長と繁栄と平等の公正なサイクルではなく、経済的停滞と貧困と不平等の悪循環を引き起こしたということである。
 二〇〇一年が私たちにもたらしたものは「9・11」だけではなかった。二〇〇一年は、自由市場原理主義の報いが訪れた年であり(新自由主義経済の広告塔だったアルゼンチン経済が破綻し、アメリカでは金融主導の規制緩和されたグローバル資本主義の矛盾が四兆六千億ドル〔米GDPの半分〕もの投資家の資産を消し去ってしまった年である)、経済停滞と失業の上昇が始まった年でもある。世界の中枢的資本主義経済は、今日にいたるまでここから回復していない。
 グローバル資本主義が危機から危機へと動いていくにつれて、街頭で、職場で、政治的対決の舞台で、民衆はこの破壊的論理に立ち向かうために組織化を進めていった。一九九九年十二月、五万人以上のデモ隊による大衆的な街頭レジスタンスが、シアトルコンベンションセンター内の開発途上国の反乱と結びつき、WTO第三回閣僚会議を破綻させた。グローバルな抵抗は、それほど劇的な形ではなかったとはいえ、グローバルな経済支配の他の二つの柱であるIMFと世界銀行の正統性をも腐食させた。
 新自由主義に反対する大衆運動は、ベネズエラ、アルゼンチン、ブラジル、エクアドル、ボリビアで新しい政権を作りだした。多くの人びとの心の中で、韓国の農民であり「ビア・カンペシーナ(農民の道)」の活動家であるイ・ギョンヘのバリケードでの利他的な自死と結びついた出来事であるカンクンでの第五回閣僚会議は、第二のシアトルとなった。そして昨年十一月、マイアミでは市民社会と開発途上諸国政府の同様の連合が、米州自由貿易協定(FTAA)を通じて西半球に強制されるおそれがあった貿易・金融・投資のラディカルな自由化の新自由主義政策からの後退を米政府に強制した。

帝国とグローバル市民社会


 グローバルな正義と平等をめざす闘いは、私たちの運動の推進力の一つとなってきた。もう一つはミリタリズムと戦争に反対する闘争であった。帝国の介入に反対する運動にとって一九八〇年代と一九九〇年代は、よい年月ではなかった。世界の多くの地域で民族解放闘争は後退し、勢いを失い、妥協していった。
 もちろん南アフリカのような例外もある。南アフリカでは、ANC(アフリカ民族会議)が権力の座についた。パレスチナでは、最初のインティファーダがイスラエルに政治的・軍事的敗北をもたらした。一九八三年、この場所からほんの数キロしか離れていない場所にあった米軍基地への爆弾で二百四十一人の海兵隊員が死亡したレバノンでは、米軍が逃げ出してしまった。イスラエルは次の十年間で、ここレバノンから徐々に押し出されていった。忘れてならないのはソマリアである。モガディシュでの米レンジャー部隊の壊滅により、クリントン政権は一九九三年十月に軍事介入を終結させざるをえなかった。
 グローバリゼーションのイデオロギーは、加速化されたグローバリゼーションは「不朽の平和」の支配をもたらすという幻想を促進した。それとは対照的に私たちの運動は、グローバリゼーションが進むにつれて、その経済的・社会的な不安定化の影響が紛争と不安定を増幅させると警告した。企業論理に導かれたグローバリゼーションは、反対勢力を打ち倒し、天然資源の支配を握り、市場を確保するための侵略的帝国主義の時代を告知する、と私たちは警告した。私たちの正しさが立証されたが、その意味をわがものとするには多少の時間がかかった。
 私たちは、二〇〇一年九月十一日の事件、ならびにアフガニスタンの国内政治のために方向感覚を失っており、この国への米国の侵略に対して有効に対応することができなかった。しかし、いわゆる「テロに対する戦争」とは、完全な軍事的優位性、あるいはペンタゴンの特有の言葉では「全領域支配」を実行に移すための口実にすぎないことはただちに明らかとなった。
 二〇〇二年末と二〇〇三年の初め、運動は最終的にすみやかな行動に移り、二〇〇三年二月十五日には、イラク侵略の計画に対して全世界で千万人以上を動員した正義と平和のためのグローバルな勢力となった。私たちはアメリカとイギリスの侵略を阻止することに成功しなかったが、私たちは確実に占領を非正当化することに貢献し、国際法やジュネーブ協定の多くの条項を侵害してイラクに止まった占領者をますます困難にしてきた。
 二〇〇三年二月十五日に関して、「ニューヨークタイムズ」は、世界に今日残っているスーパーパワーはアメリカとグローバル市民社会の二つだけだ、と述べた。正義と平和の勢力が、血と恐怖と富の化身である現代の帝国、すなわち米国に打ち勝つことに、私はなんの疑問も抱いていない、ということを付け加えたい。

イラク、抵抗、運動


 私たちの運動は上昇している。しかし私たちの課題は巨大であり、私たちの任務は手に負えないほど恐るべきものだ。ほんの少しだけ列挙してみよう。私たちは米国をイラクとアフガニスタンから追い出さなければならない。私たちは、パレスチナ人に対してますますジェノサイド的になっているイスラエルの政策を阻止しなければならない。私たちは、米国、イギリス、イスラエルといった無法な「ならず者国家」に、法の支配を強制しなければならない。私たちはさらに、イラクの民族解放闘争に決定的な影響を与える批判的大衆の前に、進むべきなんらかの道を発見しなければならない。
 説明しよう。ここ数カ月、イラクでは事態を明確にする二つの事件が起こった。第一はバグダッド郊外のアブグレイブ刑務所での体系的な性的凌辱の暴露である。第二は四月のファルージャ蜂起である。
 全世界のほとんどの人びとを怒らせ、ほとんどのアメリカ人に恥辱感を与えたアブグレイブ・スキャンダルは、米国のイラク占領から最後の正統性の切れ端をはぎとってしまった。イラクの男性、女性、子どもの戦士が、ワシントンの植民地軍のエリートである海兵隊を打ち負かしたファルージャ蜂起は、イラク民族解放戦争の転換点だった。ファルージャに続いて、ナジャフやラマディといった他の都市での蜂起が起こった。それはイラクの抵抗がサダム・フセイン体制の残党によって遂行されているのではなく、広範で民衆的なものとして、発展しつつあることを示した。
 ここで、ラマディとファルージャの状況についての最近の「ニューヨークタイムズ」の記事を読んでみよう。それはほとんど、現時点でのイラクの縮図である。記事は「旧バース党の頑強な組織を中心にして政府の構造を築き上げようとした米国の努力は破綻した」と述べている。その代わりに、アンバル州の両都市は「いまや民兵によって支配されており、米軍はおもに砂漠の端にある重く防護された要塞に閉じ込められている。アメリカがほとんど持っていない影響力は、装甲車両の注意深い急襲と、レーザー誘導の爆弾によってのみ示されている。しかし爆撃でさえも、市民の死によってアメリカを非難する民兵を強化している」。

求められる反戦運動の高揚


 友人、仲間の皆さん。問題はもはや、結局のところ米政府はイラクの抵抗運動によって敗北させられるかどうか、ということにあるのではない。米国は敗北するだろう。問題は、アメリカが不可能な情勢にどれだけ長くしがみつけるか、ということである。この課題への決議に関して、グローバルな平和運動における私たちの役割は、きわめて重要な意味を持っている。
 米政府は、抵抗勢力による日々の攻撃にもかかわらずしがみついている。この情勢の中で、イラク民衆のレジスタンスの勝利は、一つのことによって決定的に早められるだろう。一九六八年のテト攻勢の前後に、毎日幾千人、幾万人が街頭に出た時のような、グローバルな反戦運動の登場である。これまでのところ、そうした運動は物質化されてはいない。米軍のイラク占領への反対が支配的なグローバルな感情となり、自らの政府のイラクにおける政策への幻滅が、今やアメリカの世論の中に拡大して多数派となっているにもかかわらずである。
 実際、イラクの民衆が最も必要としている時に、国際的平和運動はギアを入れるのに苦労してきた。二〇〇四年三月二十日のデモは、イラク侵略の計画に対して全世界で千万人以上が行進した二〇〇三年二月十五日よりもはるかに小規模だった。政策決定者に影響を与えるような国際的な大衆的圧力(都市から都市へと何十万人ものデモが日々実行されるような)は、少なくとも今のところはっきり姿を現していない。
 おそらくその主要な理由となっているのは、国際平和運動の重要な部分がイラクの抵抗運動を正当化するのをためらっていることである。レジスタンスとは何者か。私たちは本当に彼らを支持できるのか。こうした疑問は、イラクからの無条件の軍事的・政治的撤退を主張する人びとに対してますます頻繁に投げかけられできた。この疑問に向き合おう。政治的武器としての自爆の使用は、自爆は抑圧された民衆にとってのF16だと自慢げに主張するパレスチナ指導者の声明に反発した多くの活動家を悩ませてきた。この問題に向き合おう。イラクとパレスチナのレジスタンス勢力の大部分が、その考え方が世俗的ではなくイスラム主義であるという事実は、西側の多くの平和活動家を悩ませ続けてきた。

二つの挑戦│イスラム社会との結合


 しかし、「お気に入り」の民族解放運動や独立運動など存在したことはなかった。多くの進歩派は、ケニヤの「マウマウ」運動やアルジェリアのFLN(民族解放戦線)、ベトナムのNLF(解放民族戦線)が採用する一部の方法に反発してきた。進歩派が忘れていることは、民族解放運動が求めていることは主として政治的・イデオロギー的支持なのではない、ということだ。
 彼らが外部に求めていること、私たちのような進歩派に真に求めていることは、内部勢力が、彼らの固有のプロセスにもとづいた真の民族的政府を打ち鍛えていくためのスペースを持つことができるように、非正統的な占領権力を撤退させるための国際的圧力である。彼らの価値と言説に適合した民族解放運動が権力につくようになるという保証の下で、彼らの活動の絶対的な行動条件を放棄するまで、多くの平和活動家は、他の人びとに押しつけられた言語のパラダイムの枠内でわなにかけられ続けるだろう。
 はっきりさせよう。私たちは条件的な解決策を促すことはできない。アメリカに代わって国連の安全保障が存在する場合にのみ、米国と連合国軍は撤退するという人がいたとしてもである。唯一の原則的立場は、米国ならびに連合国の軍事的・政治的勢力はただちに無条件の撤退を、である。
 しかしもしイラク自身の未来が不安定であり続けるとしても、イラクの抵抗勢力はすでにすでにグローバルな力のバランスの変革に貢献してきたのである。

帝国=米国の敗北のために


 今日米国は、ブッシュがイラクでの勝利を宣言した二〇〇三年五月一日以前よりも弱体化している。冷戦に勝利した大西洋連合は、もはや機能していない。その多くはイラク問題に関する分裂のためである。スペインとフィリピンは、イラクからの自国軍の撤退を強制され、いまやタイが静かに二国の先例にならい、米国のさらなる孤立化をもたらしている。アフガニスタンの情勢は、今や昨年よりもさらに不安定化しており、米国の威令はカブールの周辺までにしか広がっていない。今やアメリカが第一の敵と見なしている戦闘的イスラムは、東南アジア、南アジア、中東に、より強力に広がっている。
 現在ラテンアメリカでは、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、ボリビアで大規模で民衆的な反新自由主義・反米運動が存在しており、それは政権の座につくか、政府が新自由主義的・自由市場政策を維持することを困難たらしめている。ウーゴ・チャベスは、帝国主義自身の裏庭で帝国主義に正面から挑戦しており、彼はベネズエラ民衆の組織的支持のおかげで依然として権力の座にとどまっている。彼とベネズエラ民衆にもっと多くの権力を!
 米国はその傲慢さのために、すべての帝国の運命的病――伸び切った帝国の手――にかかっている。キューバの偉大な革命家チェ・ゲバラにならった私たちの役割は、イラクにおける米国、パレスチナにおける米―イスラエル枢軸、コロンビアにおける米国のしのびよる侵攻に対決する国際連帯運動を創造し、拡大することだけではなく、この伸び切った帝国の危機を悪化させることである。それはまた、私たち自身の国と地域における米国の帝国的プレゼンスに対する闘いを作りだし、回復させることである。たとえば、東北アジアの米軍基地、そしていわゆる対テロ戦争を通じた南西アジアにおける米軍のプレゼンスの再開に反対する闘いは、東アジアの私たちが再び献身しなければならない闘いである。

新しいグローバル秩序に向けて


 帝国主義と戦争に対する闘いは、私たちの闘いの一つの戦線である。他の戦線は、グローバル経済の支配を変革する闘いである。それは、その源泉が米国、欧州連合、日本にあるグローバル資本主義の論理に対する闘いであり、社会と環境の破壊の原因に対する闘いである。ここでの挑戦は、たんに世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機関といった諸制度の力を削ぐだけではない。もちろんこうした諸制度の力を削ぐ課題を過少評価してはならない(たとえば、われわれの多くがカンクンでその基礎に対する重大な打撃を受けたと考えたWTOの、最近のジュネーブでの復活)。
 この挑戦とは、古い秩序を解体しつつ、大胆に新しい秩序に向けた私たちのビジョンとプログラムを人びとに想像させ、人びとを獲得する、ということである。体制のイデオローグたちの主張とは異なり、新しいグローバル秩序の柱となる諸原則は現存している。根本的な原則とは、経済、市場、疾走社会のかわりに、偉大なハンガリーの学者カール・ポランニーのイメージを使用すれば、市場は社会に「再び埋め込まれ」、コミュニテイー、連帯、正義、公平によって統治されなければならない、ということだ。
 国際的レベルでは、グローバル経済は脱グローバル化され、あるいは企業収益性の論理を除去して真に国際化されなければならない。つまり国際経済への参加は、地域経済や国民経済を分解、破壊するのではなく強化、発展するために奉仕されなければならない、ということだ。
 展望と諸原則はここにある。この挑戦とは、それぞれの社会がこうした諸原則とプログラムを、自らの価値、自らのリズム、自らの社会としての個性に対応した独自のしかたでいかに明確化できるか、ということだ。私たちをポストモダンと呼ぼう。しかし私たちの運動にとって核心的なことは、新自由主義と官僚的社会主義に共通な信条とは対照的に、だれにもあう一つの靴などない、ということである。もはや一つのオルタナティブが問題なのではなく、複数の諸オルタナティブが問題なのだ。そして、正義と主権と多様性の尊重にもとづいて築かれる新しいグローバルな秩序がなければ、真の平和は存在しないだろう。

二つの挑戦│イスラム社会との結合


 しかし私たちの緊急の課題に立ち返ることで、私のスピーチを終わらせよう。それはイラクでアメリカを、パレスチナでイスラエルを打ち負かすことである。私たちすべては、私たちの力を祝福するためにここにいるのではなく、最も重要なことはここ数日の討論で私たちの弱点を示すことである。
 私たちが取り組むことになる挑戦の一つは、私たちがいかに自然発生的な行動を超えるか、国際的抗議行動の日を調整するレベルにとどまっている現状をいかに超えるか、ということだと私は言いたい。敵はグローバルなレベルできわめて見事に調整を行っており、私たちにはこの調整と協力のレベルに自らを匹敵させる以外の選択はない。しかし私たちは、私たちの民主主義的実践を尊重するプロフェッショナリズムをもって、この挑戦を行わなければならない。実際、私たちは自らの民主主義的実践を長所に転化する方法で立ち向かっていかなければならない。
 ここで強調したい別の挑戦課題は、正義と平和をめざすグローバルな運動と、アラブとイスラム世界におけるこの運動の仲間たちとの政治的・文化的ギャップを埋めることである。このギャップを帝国主義は徹底的に利用し、私たちのアラブとムスリムの同志たちのほとんどをテロリストやテロリストの支持者として描きだそうとしてきた。私たちは、この状況の継続を認めるわけにはいかない。私たちがこの会議をベイルートで開催している理由がここにある。実際、グローバルな運動とアラブの運動が強固で有機的な連帯の結びつきを打ち鍛えなければ、私たちは企業主導のグローバリゼーションと帝国主義に対する闘争に勝利できない、と私は言いたい。
 友人の皆さん、したがって闘争の未来は、むこう数日間、ここベイルートで起きることによって影響を受ける収支勘定の中にある。私たちは前進するのか、その場に止まるのか、後退するのか。その答えは、世界中からこの地にやってきた三百人を超える登録代表のおのおのにかかっている。私は注意深く確信を抱いている。なぜか。私はここにある善意、差異への寛容、不正と抑圧と死の勢力に打ち勝つ統一した行動を達成するための政治的意思の存在を知っているからだ。
(二〇〇四年九月十七日、ベイルートでの「反戦反グローバリゼーション運動国際戦略会議でのスピーチ)                                



反戦・反グローバリゼーション国際戦略会議宣言
レバノン、ベイルート


 私たちは、グローバルな平和と正義のために闘い、平等、連帯、多様性の価値に関与してきた五十四カ国の社会運動、組織、政党、ネットワーク、連合からの代表である。ラテンアメリカ、北米、アジア・太平洋、アフリカ、中東、ヨーロッパから参加した私たちは、自らの運動にたずさわり、軍事化・グローバリゼーション・核社会化・米軍基地・企業グローバリゼーションに反対して闘っている。
 歴史上重大な時期にベイルートに結集した私たちは、アラブ地域の友人や同志たちとの絆を深め、強化するこの歴史的機会を歓迎し、祝福する。私たちは、ジャカルタ平和合意(米軍イラク侵攻後の二〇〇三年五月ジャカルタ会議での確認)で明確にされた統一原則と行動計画を再確認し、イラクとパレスチナの占領、企業主導のグローバリゼーション、独裁に反対する闘いに取り組み続ける。
 私たちは、民主主義、社会的・経済的・政治的・市民的諸権利のために闘い、独裁への反対のために弾圧を受けているこの地域の人びととの連帯を表明する。
 中東はアメリカの戦略的戦場である。イラクとパレスチナは、侵略と抵抗の二つの決定的ともいえる焦点である。イラクとパレスチナの民衆の解放は、グローバルな正義を築き上げる上で死活問題である。彼らの闘いは私たちの闘いである。

b私たちは、占領に抵抗するイラクとパレスチナの民衆の権利を支持する。
b私たちは、米軍と「連合軍」のイラクからの無条件撤退を求める。
b私たちは、イスラエルのパレスチナ占領を終わらせるよう要求する。
b私たちは、帰還の権利が履行されるよう要求する。その時までは、国外に離散しているパレスチナ難民、ならびに国内で追放されているパレスチナ人に、全面的な経済的・政治的・社会的権利が認められる必要がある。
b私たちは、イスラエルの国家イデオロギーであるシオニズムの、レイシスト的・植民地的性格を非難する。
b私たちは、「アパルトヘイトの壁」(隔離壁)とすべての入植地の解体を要求する。
b私たちは、すべてのパレスチナ人、イラク人政治犯の釈放を求める。

 二十二年間にわたるレバノン人民の抵抗と、サブラ、シャティーラの虐殺の日を心に刻み、私たちは、世界中で私たちを鼓舞してきたレバノン人の抵抗に敬意を払い、南部レバノンで継続する抵抗闘争への連帯を表明する。
 私たちは共通のキャンペーンを通じて連帯を築き上げる。この対話と共同行動のダイナミズムを継続させなければならない。                       


メキシコからのたより

輸入代替工業化の破綻

5 進出する中国製品の脅威

 「マリアが新しいのを買ってくれたの」とうれしそうに言いながら、ママが新しいピーポーケットルを見せてくれる。私たち下宿人は、ここの女主人を親しみを込めてママと呼んでいる。マリアは彼女の息子の妻であり、彼女の仕事を手伝っている。私はこれもそうかなと思いながら、ソファーの上に置かれている空き箱を調べてみる。やはりエチョ・デ・チナ(メード・イン・チナ)である。
 今、メキシコには安い中国製品が氾濫している。日用雑貨、衣類、玩具。そしてそれは外国人観光客が買っていく民芸品にまで及んでいる。実は私が先住民の村の市場=ティアンギスで買った帽子も中国製だった。
 十三年前、初めてメキシコを旅行した私は、メキシコ製の日用雑貨のあまりの粗悪さに驚いたことを覚えている。栓から水のもれる水筒、すぐ折れる鉛筆、入っている量の違う瓶詰のコーラ、印刷がズレ、字がかすんでいる新品の本等々である。
 当時の大統領サリナスは先進国入りをうたいあげ、企業を次々と民営化し、アメリカ、カナダとメキシコによるNAFTA=北米自由貿易協定締結を推進していた。
 もちろん私の見た粗悪な日用雑貨類の多くは大企業の製品ではなく、インフォーマルセクターに属する零細企業の製品だったに違いない。しかし、企業の民営化はともかく、その工業製品の粗悪さを垣間見ただけの私の目にも、工業製品の輸入を制限して行われる輸入代替工業化政策の限界は明らかだった。
 その一方で、アメリカとの国境地帯に存在していたマキラドーラ=保税加工貿易地帯を全国化するようなNAFTAの締結は、粗悪なメキシコ製品のアメリカ資本による駆逐を意味しているように思えてならなかった。
 もちろん、あまりに安いメキシコの労賃ゆえに、自動車やハイテク機器はともかく、安い衣料品や日用雑貨類に、アメリカ製品や日本製品が進出することはなかった。しかし、この間のグーロバリゼーションの波にのって、労賃がより安く、相対的に品質の良い中国製の日用雑貨類が大量に進出することになったのだろう。
 中国製品の増大は当然にもメキシコ製品の後退を意味している。零細企業を中心にして、多くの企業が縮小・倒産したに違いなく、従って今、中国の評判はすこぶる悪い。左右を問わず、多くの人が中国製品の増加を批判し、それによる失業者の増大を嘆いている。
 北米市場へ向けた生産拠点となったメキシコのいわゆる「工業力」が中国より劣っているというわけでは決してない。多国籍企業と、そしてそれと連携するメキシコ企業の最新鋭工場はメキシコシティをはみ出して、北部のケレタロ、南部のプエブラという有名な二つの世界遺産都市を巨大な工業都市へと変貌させている。郊外を走るアウトピスタから見るケレタロの町は、バロック風の優雅なたたずまいを見せる旧市街とはまったく異なった巨大な工業都市そのものである。
 輸入代替工業による工業近代化がそうであったように、多国籍企業を中心にしたそれも、近代的工業プラントの移築、あるいは最終生産品の組み立て工場の移築によって成立したものにすぎない。その近代的工場が産み出す製品の中間材料も部品をすべて輸入に頼るか、中間材料の生産工場も外部からの移入ということになる。こうした構造が、どのような経済構造をメキシコにもたらしているかはここでは触れない。
 こうしたかたちでの工業の発展は、日本でのそれとは違って、中小、とりわけ零細企業の近代化とは全く無関係にもたらされたものである。零細企業の技術水準はいつまでも低いままに据え置かれ、その部門の近代化はグロバリゼーションの掟に従って、輸入品が、すなわち中国製品が担うことになったのだろう。
 もちろん、近代的工場がそれらの零細企業で働く労働者を吸収する力を持っていれば問題はないのかもしれない。しかし、近代的工場、とりわけ組み立て工場は労働者をそれほど必要としない。それらの工場は零細企業の労働者はおろか、民営化時に増大した失業者さえ吸収しえてはいない。
 富める者はますます豊かに、貧困なる者はますます貧困に。こうしてメキシコの中間層も、労働者階級も、国際資本によって二つに分断されていく。これは一人、メキシコの問題ではない。ラテンアメリカの労働者階級と左翼が等しく抱える厳しい現実なのだ。
 チャベス大統領支持派(未組織労働者、貧困層、下層農民)と反対派(公務員、石油産業等の基幹産業労働者、資本家)で対立を深めるベネズエラ労働者と下層階級、ルラ大統領の下で、左右に分解するブラジルの労働者党(PT)の問題はその象徴である。
      (尾形 淳)

【訂正】前号4面「差別と人権の今を問う集会」13行目「戦車」を「装甲車」に、4面「教育改悪反対集会」記事6段左から7行目「処分者」を「被処分者」に、6面袴田事件記事10段2行目「妹の秀子さん」を「姉の秀子さん」に、前号2面東富士記事2段小見出し「静岡」を「山梨」に訂正します。


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