| 9.26芋掘り&バーベキューツアー かけはし2004.10.11号 |
空港による生活・環境・人権の破壊を改めて実感
危険な遺伝子組
み換え作物規制を
九月二十六日、「成田空港の暫定滑走路の供用中止を訴えます」事務局は、「三里塚・東峰部落へ芋掘り&バーベキューツアーに行きませんか」と題するバスツアーを行い、四十五人が参加した。
三里塚バスは、東京駅丸の内南口から三里塚に向けて出発。さっそくスタッフの藤川泰志さん(八百屋「みさとや」)、林廣治さん(ちば・市民ひろば)、高木久仁子さん(高木仁三郎市民科学基金)、中里英章さん(七つ森書館)からあいさつが行われた。中里さんは、「東峰の石井紀子さんから小雨によるあいにくの天気だが、東峰の芋畑の上空は、かろうじて曇だ」という第一報を紹介した。参加者は、「よかった、よかった」と芋掘り作業がスムーズにできそうだと喜んだ。
続いて、水原博子さん(日本消費者連盟)による「遺伝子組み換え大豆」問題と「地球的課題の実験村・農と食プロジェクト│麦・大豆畑トラスト」についてのレクチャーが始まった。水原さんは、遺伝子組み換え大豆の危険性を明らかにし、「国内で『バイオ作物懇話会』がモンサント社の除草剤耐性組み換え大豆を生産しようと、一般農家の畑で作付け実験が続いている。実験の中止と、遺伝子組み換え作物の作付けを規制する条例が必要となっている」と強調した。
おいしい食べもの
に舌つづみを打つ
バスは、すでに成田空港周辺に到着し、第一ポイントである木の根ペンションで降車した。三里塚現地ガイドをしてくれる平野靖識さん(らっきょう工場)が出迎えてくれ、木の根ペンションの歴史、実験村の取り組みなどを報告した。参加者は、ペンション二階から見渡せるA滑走路と誘導路の監視や、ジェット機の轟音と自走時の排気ガスなどに触れ、巨大空港と三里塚の闘いについてさまざまな意見交換を行った。
バスは、千代田、辺田、中郷、中谷津、東峰部落というコースで走った。騒音直下の地区、廃村化の地区、荒れ地となっている田んぼ後地などを通過しながら、成田空港によって周辺地域が破壊されていった現実を見るにつけ、乱開発に対する批判を強めていった。
第二ポイントは、東峰の石井さんたちの畑で芋掘りだ。石井紀子さんが迎えてくれ、芋掘りのレクチャーをしてくれた。参加者は、次々と大きな芋を掘り、ビニール袋を一杯にした。
さらに、島村さん宅を訪問し、仕事中の島村さんたちと挨拶を交わしながら鶏舎、養豚場を通過していった。
徒歩で東峰の森へ行き、平野さんから森の歴史、東峰部落にとって重要な存在であることや、旧公団による森林破壊策動に対して部落が一丸となってはねかえしていったことなどを語った。再びバスに乗車し、暫定滑走路一周(東峰十字路を北上│国道51号を左折│暫定滑走路をくぐって左折│団結街道を南進│天神峰現闘本部│東峰神社)を走った。東峰神社は、現在化粧直し中、十一月二十三日の例祭に新しい社が建つそうだ。
第三ポイントは、東峰共同出荷場でバーベキュー・パーティー。柳川秀夫さん、石井恒司さんが出迎えてくれた。石井さんたちが提供してくれた豚をメインに、三里塚野菜、らっきょう、漬け物などを食べながら交流を深めていった。
広がる三里塚へ
のあらたな関心
事務局は、二○○二年四月の三里塚・暫定滑走路供用の中止を求める声明運動や国交省庁申し入れ、出版活動(七つ森書館から『着陸不可』、『国がいうi公共性lをひっくりかえそう!』を発行)、東峰の人々を撮ったビデオメッセージ、集会など粘り強く反対運動を行ってきた。その一環としての三里塚バスツアーも○二年三月の取り組み開始以降、四回目となる。今回も多くの人々に、東峰住民の頭上四十メートルを飛ぶジェット機の轟音と排気ガスによって生活・環境・人権が著しく破壊されていることを伝えながら、その中でもたくしましく生き、新鮮な農作物を作り続けている東峰住民との交流を深めていくために企画した。初期三里塚闘争に参加していた人、常に三里塚に心を寄せている人、東峰のワンパック運動の会員の人、食の安全や農業問題に取り組んでいる人、社会運動としての三里塚闘争に関心を持った学生たちなどが参加した。バスツアーは、確かに新たな三里塚闘争に連帯していく層を開拓しつつある。帰りのバスの中でも、仲間たちは、「今日の体験を友人たちに伝えていこう」「また三里塚に来ます」「暫定滑走路を止めるには、どうしたらいいか」と感想を出し合っていた。(Y)
JCO臨界事故5周年集会・デモ
脱原発へ! JCO事故を風化させてはならない
九月二十六日、茨城県水戸市の男女文化センターで「JCO臨界事故五周年全国集会」が開催され、約四百人が参加して集会とデモが行われた。主催は原水禁日本国民会議(平和フォーラム)、茨城平和擁護県民会議、原子力資料情報室と反原子力茨城共同行動による四団体。
集会の前半は原子力資料情報室理事でJCO臨界事故総合評価会議代表の古川路明さん(核化学専攻)による「核の世紀の終焉にむけて―広島・長崎からJCO・美浜事故まで」と題した講演が行われた。古川さんが代表する評価会議は前日、東京都内で報告会を開き、刑事裁判の訴訟記録の閲覧とその分析による事故原因についての新たな知見について発表している。また、その概要は『臨界事故 隠されてきた深層』として、岩波ブックレットで刊行されている。古川さんは講演で、小学六年に疎開先の新潟県寺泊で見た「新型爆弾」という小さな新聞記事を接した際の衝撃、大学二年にビキニ水爆実験による海水の放射能測定からはじまる原子力とつきあいの歴史を重ねてきた。JCO臨界事故を風化させてはならないと、脱原発への熱い思いが淡々と語られた。
集会の後半は、臨界事故被害者の会の大泉昭一さん、元第五福龍丸乗組員の大石又七さん、高速増殖炉建設に反対する敦賀市民の会の吉村清さんの三人による「ヒバクと事故は終わらない!―補償されないヒバクと原発事故」と題したシンポジウムが行われた。大石さんはちょうど同世代の古川さんの講演にふれながら、自らの被曝五十年と日本の原子力開発の歴史を重ねて連帯の思いを語った。
浜岡原発を九月十八日に出発し、この五周年集会をめざして行われた自転車キャラバンの仲間から、キャラバンの報告と原発震災署名への特別アピールが行われた。最後に集会決議が採択され、小雨まじりの水戸市内を全員でデモ行進を行った。 (S)
東京圏行動実行委が一日行動
事故責任を追及しヒバクシャを作らせない世界へ
九月三十日、東京・渋谷勤労福祉会館で「臨界ヒバク事故と美浜原発事故」の講演集会が9・30臨界被爆事故5周年東京圏行動実行委員会の主催によって行われ、百五十人が参加した。
最初に、主催者を代表して柳田真さん(たんぽぽ舎)が「今朝、私たちは原子力事故で無念に亡くなった人々への追悼行動と原発推進の経産省大臣と安全保安院へ『申し入れ』を行った。八月に起きた美浜原発大事故のように原発事故多発時代に突入した。大惨事の前に原子力から撤退を迫ろう」と訴えた。
続いて、大泉実成さん(茨城県東海村臨界事故被害者の裁判を支援する会)は「今年四月に三日間、茨城県が行ったJCO臨界事故関連の健康診断に三百一人が受診した。そこで、支援する会はアンケートを行った。心身に不安があると答えた人は約三割。赤血球が回復しない。足がむくむ。体のあちこちが不調などと訴えていた。こうした被曝の現実がありながらも、二〇〇〇年三月に政府・科技庁は、被曝はあったが、死亡した二人以外の健康被害はなかったと住民の健康被害を認めていない」と報告した。大泉さんは裁判で被害を訴えている父親の大泉昭一さんが美浜原発事故を報じるテレビを見て、「関電社長が謝っていた。JCOの時も同じだったがその後はなにも補償をしなかった」と厳しく原発推進会社の責任を追及していたことを紹介した。そして裁判闘争への支援を訴えた。
JCO裁判を欠かさず傍聴してきた望月彰さん(9・30実行委員会)は「JCO事故の原因は六・五リットル以上取り扱ってはいけない硝酸ウラニル溶液を、四〇リットルずつ作成するよう指示した核燃サイクル機構のムリな注文であった。しかし昨年結審したJCO刑事裁判では、国や旧動燃の責任は不問に付され、亡くなった二人の作業者に責任を押しつけた」ことを厳しく批判した。望月さん著の『告発・サイクル機構の40リットル均一化注文』(世界書院刊)を参照。
次に鎌仲ひとみさん(映画「ヒバクシャ」の監督)が劣化ウラン弾に象徴される低レベル放射能汚染の被害の実態を訴え、撮影を始めている『六ヶ所村ラプソディー』について紹介した。続いて、山崎久隆さん(たんぽぽ舎)は「美浜原発3号機2次系破断事故とJCO事故」を分析し解説した。
最後に「ヒバクシャをつくらない世界にしていくために、多くの市民の力をあわせ、ねばり強い運動を続けていこうと」と集会決議を全体で確認した。(M)
コラム
山あいの村を襲う反改革の波
この夏、長野県のある小さな山あいの村を旅した。泊まった宿は、七七歳の女性が独りでやっていた。客は私一人だった。
「山の中ですから、いちばんのご馳走はこれです」と、さっそく露天風呂に案内してくれた。曲がりくねった山道を村で最高齢のドライバーの運転で十五分ばかり上って、一軒の山荘に着く。以前は村営だったが、何年か前に民間に売り払ったという。
やや粘りのある軟らかな湯、眼前一八〇度の眺望、かなた夕暮れに浮かぶ山の峰々、湯からあがった時に吹きぬける爽やかな谷風。こんな贅沢してよいものか、と思うほど最高の露天風呂だ。
宿に戻ってしばらくすると、「地のものしかありませんが」と夕餉が出される。谷川で冷やしたビールが一本と冷酒が二本、本物の松茸の入った土瓶蒸し、頭からかぶりついても骨っぽさをまったく感じさせない岩魚の塩焼き、たっぷり盛られた鹿の刺身、これまで食べてきたものは何であったのか思われるほど旨い胡瓜とピーマン……。「全部食べられなかったら箸をつけてはいけない」という幼いころの母の言いつけを思い出し、箸をつけなかった鉢が三つか四つあった。
夕食は十一時過ぎにまでおよんだ。連れ合いを亡くし二人の子どもは都会に出ていって、今は独り暮らしであること、救急車が隣町から来るのに四〇分以上かかること、その隣町との合併をめぐって村が揺れていることなど、初対面なのに話はつきない。
ぐっすり眠った翌朝の食事も盛りだくさんで、箸をつけられなかった鉢が二つも残った。さらに帰り際に手づくりの山葡萄のジャムと蕗の佃煮などの瓶詰めがお土産として渡されて、全部で税込み六千円。「こんな里山の生活を失っては日本の大損失」などと、柄にもなく感激してしまった。
だが、こうした山村の暮しが生き残るにはきびしい政治の現実がある。というのも、政府が来年三月までに現在の三分の一にあたる一千ほどの市町村に再編するとしているからだ。そのため、空手形に近い大盤振る舞いの特例措置という「アメ」を見せながら、他方で地方交付税と補助金の削減という「ムチ」を振りまわしている。
過疎地とされる町村の生活にとって、さまざまな補助金や地方交付税は欠かせない。町長や村長の手腕は、国会議員のルートを駆使してどれだけ巧妙に金を引っ張ってこられるかにかかっている。住民からは、こうした「先生方」の働きがなければ自分たちは生きていけないかのように映ってしまう。
常にここにからんできたのが、自民党の地域機構。だから、町村レベルの政治勢力は、保守系無所属という形も含めた自民党以外に存在できなくなっている。あとは、インテリ層を基盤にした共産党が、かろうじて反対派を維持しているくらいだ。おおざっぱに見れば、このような地方と中央の関係を基盤にして、全国的な自民党支配体制が成立してきたと言える。
そして今、市町村合併の音頭をとっているのが、自民党である。かれらは、「バスに乗り遅れてはならじ」とばかりに、利権の再編に食らいつこうとしている。「力のないものは滅びればよい。そうすれば強い国ができる」と言わんばかりの「小泉反改革」は、自民党地域機構と手をたずさえて、山あいの小さな村にまで襲いかかっている。(岩)
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