| フランス郵政労働者のスト かけはし2004.10.18号 |
九月二十一日、フランス全土の郵便労働者は、郵便公共サービスの解体に反対してストライキを決行した。この中で、地区レベルで利用者と地方議会議員などを巻き込んだ運動が形成されつつある。以下に紹介するのは、こうした市民と労働者の地域での共闘を目指すピレネー地方のジェール県での闘いの例である。
全国で六千の郵便局の閉鎖という計画は波紋を呼んでいる。そして、それと並行して、郵便民営化のための法案が上院で審議されようとしているからなおさら大きな問題となっているのである。全ヨーロッパにおいて現在から二〇〇九年までにすべての郵便物の市場競争への開放がまず決定された。続いて今、郵便民営化のための法案の採択が予定されており、郵便局の住民向け金融サービスに代わって民間の銀行の参入が計画されている。公共サービスとその社会的伝統を壊すために、こうしたすべての動きが加速されている。
これに対して、地方では今、市民の闘争のネットワークが形成されつつある。ジェール県では地方におけるこのような利用者と労働者の共闘が作られている。その具体例をSUDポストのピエール・ヴィヤールに聞いてみた。
――あなた方の地区闘争ネットワークはどのようにして生まれたのか?
二〇〇二年から、ラ・ポストは、ヨーロッパ規模の郵便自由化の過程に入っている。すべての郵便物は二〇〇九年には競争に向けて全面開放される計画になっている。ジェール県で、われわれは、この過程に反対する三千人以上の利用者と郵便労働者の署名を集めた。自治体の首長たちは欧州議会に抗議した。周知のように、スウェーデンでは、半分の郵便局がなくされ、労働者が四〇%も削減された。ラ・ポストのベイリー総裁は、、全土にある一万七千の郵便局のうちの六千局がなくなることになる、と八月末に発表した。この発表の後、ベイリー総裁は、上院での法案審議を心配するラファラン首相に呼び出されたので、その後、少しトーンを変え、「郵便事務所」(役所などの建物内の一室を使用したごく小規模な「郵便局」)は維持すると語った。
郵便局の閉鎖に加えて、郵便区分けセンターの営利化が行われる。ジェール県では、すべての区分け処理業務が、交渉なしに、トゥルーズに移されるだろう。オシュ(ジェール県の県庁所在地)の区分けセンターはなくなるだろう。この営利化を通じて、ラ・ポストは生産性を向上させ、収益のあがる部分を株主に売り渡したいと思っているのである。
――具体的に何が変わるのか?
地方の郵便労働者を例に取ろう。ラ・ポストでは、郵便物は規格化される。郵便配達人はもはや名前のない単なる配達人でしかなくなるだろう。もはや住民に「今日は」とあいさつすることも、利用者のつながりもなくなり、単なる配達機械になってしまうだろう。計画では、三〇%の労働者が職を失われることになる。かつては、郵便配達人は、ときには人々の中に入っていき、社会的役割を果たし、高齢者を助け、またときには、社会的きずなやちょっとした近所付合い的行動によって具体的な相互扶助を保障するための唯一の存在ともなっていた。民営化によって消滅するのは、こうしたいっさいの社会的歴史である。
われわれの県に五十九の郵便局があるが、二〇〇七年には三十五局しか残らないだろう。郵便労働者は、郵便局以外の集中化された郵便センターに集められることになるだろう。村からは実際の郵便労働者はいなくなるだろう。ラ・ポストは、市町村の首長に対して、「コンビニなどにある郵便取扱い窓口か、郵便業務代行事務所か、カフェなどに置かれた郵便物取扱い所か、そのいずれかを選択せよ」と言っているのだ。それらにはわずかな補助金しか出されていない。だが、これによってサービスが大幅に削減される(たとえば、予算は大幅に削減される)。要するに、最悪のもの同士の間の選択でしかないのだ。地域の郵便当局者は、われわれに郵便局の一般向けの営業時間を五〇%減らしたいと言っている。ティヤックでは、郵便局が九月一日から郵便事務所になるとき、その前日の八月三十一日に市長に対して通知がなされたにすぎない。利用者には通知されしなかった。
――それに対して市長と利用者が動き出したのだろうか。
二〇〇四年、五月、われわれは、CGT(労働総同盟)、FO(労働者の力)、SUD(連帯・統一・民主労組)、CFDT(民主労働同盟)の労働組合、十以上の市町村の首長、地方議会議員、利用者が集まって集会を開いた。そこで、われわれは、郵便局の存在を守り、公共サービスの解体を止めるよう求める共闘組織を結成した。ジェール県の四百六十二人の首長に手紙が送られ、この郵便業務の再編を止めることを要求するために、地方議会で審議を行うことを訴えた。八十五の市町村がこの手紙の要請に賛同した。一人の右派系上院議員もそれに賛同した。九月二十一日、すべての人が県のラ・ポスト本部前に結集し、それから県庁に向かった。利用者のために、バスがチャーターされた。今後、この問題を審議する地方議会は拡大するだろう。
われわれは、民主主義の名において、県でも、地方議会議員の要求が受け入れられ聞き入れられるよう要求していくだろう。公共サービスは公共の利益に役立つものであるからだ。
(「ルージュ」(2079号、04年9月23日号)
シンポジウム「陳独秀 と東アジアの近代」
東アジアの巨人、陳独秀 の思想的復権をめざして
中国から四人の研究者が報告
九月九日、東京大学駒場キャンパスで「陳独秀と東アジアの近代」シンポジウムが開催された。
このシンポジウムの大きな特徴は、中国の陳独秀研究者の第一人者であり、陳独秀研究会を結成してひろく陳独秀思想の研究を実践してきた唐宝林教授と市井で活躍する三名の陳独秀研究者からの既成概念にとらわれない自由な報告を聞く機会にめぐまれたことだろう。
民主主義者からトロツキストへ
シンポジウムは日本陳独秀研究会の事務局長、長堀祐造慶應義塾大学教授の司会で進められた。はじめに同会会長の佐々木力東京大学教授からあいさつを受けた。
佐々木教授は、陳独秀と日本の近代思想家の福沢諭吉、吉野作造、丸山正男と比較することで、各三氏が超えることのできなかった本当の民主主義の壁を、「陳独秀は一人で民主主義者からトロツキストへ駆け抜けていった」と紹介し、彼の思想がいまこそ閉塞的な日本や東アジアの運動のなかで復権されなければならないと訴えた。
日本帝国主義との生涯をかけた闘い
唐宝林教授は「陳独秀と日本」というテーマで講演を行った。冒頭、陳独秀研究会が解散したことで、今回は陳独秀研究会として参加できなかったことを残念に思うと述べた。陳独秀が五回の日本滞在を通じて、思想的な蓄積と飛躍を重ねたことを詳しい資料を用いて紹介した。
一九〇一年に初めて来日した陳独秀は、清朝打倒のための思想的薫陶を重ねた。その後、一九一一年の辛亥革命までに三回日本を訪れるが、中国で辛亥革命が起こると、すでに帰国していた彼は安徽省で革命に参加。しかし一九一三年に袁世凱が革命を簒奪、陳独秀は孫文の「第二次革命」の呼びかけに応えるも、袁世凱に弾圧され逃亡の身となり一四年七月に、日本に出国する。これが最後の日本行になった。
翌一五年六月、妻の高君曼が病気となったことから帰国し、その後は中国で一九年の五四運動をはじめとする革命運動に一身をささげ、中国共産党初代総書記、中国左翼反対派からトロツキストの指導者、そして組織を離れ四二年に四川省江津の山村でなくなるまで、彼の一生涯は日本帝国主義との闘いと不可分であった。
一九二九年に中国共産党を除名され、その後「日本帝国主義に奉仕する売国奴」というデマゴギーが、ソ連の反トロツキーキャンペーンの一環として行われた。このレッテルは一九九〇年代になってやっと正式に中国政府が撤回したことで名誉回復された。
陳独秀 の意思を実現させるために
三人の民間の研究者からは、近代主義者から共産主義者への飛躍を追った「陳独秀の早期思想の変遷」、共産党初代総書記から一九二九年十二月十五日に八十一人の連名で出された反対派宣言である「われわれの政治意見書」までの期間を解説した「陳独秀思想の第三の飛躍」、そして組織を離れた陳独秀と中国トロツキー派との関係にせまった「陳独秀の晩年とトロツキー派」と題する講演がおこなわれた。そのうちの一人は講演の最後を次のように締めくくった。
「彼の一生涯の政治運動は、中国の労働者民衆を徹底して解放するためのものでした。彼はトロツキズムを受け入れて以降、視野は世界に広がり、全世界のプロレタリアート解放事業をその生涯の奮闘目標としました。抑圧と搾取のない、真のマルクス主義的な社会主義建設をその理想としました。この理想を実現し、彼の遺志を実現させること、それこそが私たちが陳独秀思想を研究する目的です。皆さんとの共同の努力によって、国際主義的精神を発揮し、たゆまず奮闘しさえすれば、平和で、平等で、美しい世界は必ず実現するでしょう。」
階級闘争と陳独秀の思想的飛躍
続いて、京都大学の江田憲治教授が、各氏の報告へのコメントとしていくつかの質問を行った。
江田教授は、「陳独秀が社会主義者として飛躍したのは、五四運動以降上海で続いていた労働運動の高揚が背景にあるのではないか。陳独秀が社会主義へと飛躍したのは一九二〇年四月に『新青年』誌に発表された『労働者の覚悟』という論文が契機だと認識している。当時の上海を中心とする労働者運動の要求は、生活改善ではなく、反日運動、民族運動が主流だったが、陳独秀は、生活改善運動、賃金引上げなどを通じて労働者の闘いを政治的に高め、そして権力を握ろう、という提起をした」と陳独秀の思想的発展の背景にはやはり階級闘争の効用があったことを明らかにした。
シンポジウム終了後、同じ会場で立食式の交流会が開催され、各界の参加者が中国からの客人との交友を深めた。このシンポジウムの報告などがまとまった形で出版されることが望まれる。 (H)
コラム
「我々に光を」
江東区に住む友人のマンション(11階建て)に「×××マンション建設断固阻止」「我々に光を」「人権侵害を許すな」の垂れ幕や横断幕が掲げられた。マンションの東側の隣地には、駐車場が建設当時の三十年前からあり、まさかそこに新しくマンションが建てられるなどとだれも予想もしていなかった。
この友人のマンションは駅から7分くらいの所にあり、道路を挟んで旧JR小名木川貨物駅の広大な土地が売却され、イトーヨーカドーや大規模マンション建設計画が明らかになっている。この地域は準工業地域であり、マンションや工場が点在する。駅前の商業地域とは違って過密ビルが林立しているわけではない。
今年六月頃、駐車場地主が十三階建てのマンションを建てる計画を突然明らかにした。友人のマンションと一・五メートルしか離れていないので、まるっきり日が当たらなくなってしまう。目の前はマンションの壁に閉ざされ、風通しが悪く、隣地マンションから、ベランダに簡単に乗り移ることも可能になってしまう。
マンション住民は猛烈に怒り、説明会にのぞみ断固たる反対の意志を強く打ち出した。すると、建築地主は反対が強くてとても建設できないと、千葉の中堅ゼネコンのN建設に土地を売却してしまった。N建設は建設設計図をそのまま引き継ぎ同じ建物を建てると説明会を通知してきた。強い反対を知った上で土地を買い、建設を強行しようとしている。
その後の説明会で、N建設は「法律に違反していない。大幅な設計変更に応じることはできない。住民の日照権などの要求を受け入れていたら、都心でのマンション建設は不可能だ」として、住民の要求を受け入れようとせず、激しく対立している。
N建設が建設しようとしている隣接東側には別の駐車場があり、そこにも数年後には、マンション建設が予定されているという。そうなると、今度はN建設マンションを買った人は東側・西側とも日が当たらない真っ暗なマンションに住むことになってしまう。N建設は、「買ってもらう人には、そのリスクも当然理解してもらう」と居直っている。N建設は建築と販売を両方行っている。住民の一人によると「販売のリスクを軽減するために、ファンドを販売して自分たちは売り逃げしようとしている」と話していた。
友人のマンションの住民は自分たちがひどい目にあわされるだけでなく、もっとひどい被害者が出でしまう、なんとか、マンション建設を止めようと、区議会への陳情や区行政への介入を要請して運動を拡大している。
私はこんなひどい話はないと思い、知り合いの江東区議にマンション行政について聞いてみた。
その区議によると「日影権は規制緩和によって、ほとんどないに等しくされてしまった。マンション紛争に対して、区が業者に住民の要求を入れるように、勧告はできるが、建設そのものを止めることはできないのが実情だ」という。
先日、区議会の建設委員会を傍聴したら、友人のマンションと同じような「建設を止めてほしい」という陳情が多数あった。バブル崩壊後、売れなくなった更地をどうするかが問題とされた。「日影権」や「建ぺい率」などを規制緩和して、どんな所にも建てることができるようにした結果が、住民の生活を根底から破壊するようなマンションやビル建設のラッシュを生んでいる。 (滝)
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