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反戦運動の「断絶」の根拠と「継承」の可能性をさぐる(上) |
| WORLD PEACE NOWをめぐる論争によせて |
検証されるべき論点はなにか
米ブッシュ政権のイラク侵略戦争と占領支配に対する二〇〇四年前半の反戦運動は、自衛隊のイラク派兵に反対し、即時撤退を求める闘い、四月に「人質」となった日本人の即時釈放を求める連日の行動、国民保護法制をはじめとする有事7法案・3条約に反対するキャンペーンなど、多様な形で精力的に展開された。
昨年の全世界的なイラク反戦運動の高揚の中で、後退を重ねてきた一九八〇年代以後の反戦運動、市民運動の枠組みを超える平和運動の新しい結集の磁場としての役割を果たしてきたWORLD PEACE NOW実行委員会(WPN)は、今年三月二十日の「開戦一周年」世界同日反戦行動でも、「占領の中止・自衛隊のイラクからの撤退」を訴え、日比谷公園への三万人結集、全国百数十カ所の集会・デモを呼びかける上で大きな役割を果たした。また四月に起こったイラクでの日本人「人質」事件にあたっては、連日の国会・首相官邸行動、国際的な市民のネットワークを通じたイラクの人びとへの働きかけを通じて、五人の解放のために効果的な力を発揮した。
小泉政権とマスメディアが「自己責任」論を垂れ流して、「人質」とその家族へのバッシング・キャンペーンを行い、市民たちの努力に敵対したのに対して、WPN実行委員会を構成するATTAC―Japan、ピースボートなどの各団体が独自の国際ネットワークを駆使して展開した「人質解放」の闘いは、まさに反戦・反グローバリゼーション運動が築き上げてきた国際的ネットワークの力を具体的に示す画期的行動であった、と言わなければならない。
しかし、小泉政権の世界でも稀に見るほどの「イラク侵略戦争支持」の一貫した姿勢や、違法・違憲の積み重ねを詭弁で居直る自衛隊イラク派兵と占領軍=「多国籍軍」参加政策に対する批判の増大にもかかわらず、七月参院選に見られるように議会での「護憲・平和」勢力は大きな敗北を喫した。そして小泉内閣は憲法の全面的改悪に向けた攻勢を強めており、「戦争国家」体制に向けた社会の軍事化、「治安」優先政策は、着実にその勢いを増している。「日の丸・君が代」強制に反対する教員への大量処分と強権的国家主義イデオロギーの注入、立川での反戦ビラ入れへの逮捕・起訴は、思想・信条の自由、表現の自由に対する重大な侵害である。
反戦・平和運動の新しい「社会現象」化をきわめて端著的に表現したWORLD PEACE NOW運動を「エピソード」に終わらせず、それをとりわけ新しい世代の社会的意識の中で継続、発展させるためには、この運動に関わったすべての人びとの間でのねばり強い努力が必要とされている。
一方、WPN実行委員会をめぐっては、集会や「ピースパレード」の持ち方をめぐって、あるいはWPNを結成するにあたってのイニシアティブの一つだったCHANCE PONO2の「警察との会食」問題をめぐってさまざまな批判が投げかけられてきた。今年になってもおりにふれてWPNへの批判・違和感が表明された。
こうした批判の中で検証されなければならない論点とは何かをつかみとっていくことは、今後の反戦運動にとって重要な意味を持つに違いない。資本の新自由主義的グローバリゼーションと表裏一体となったグローバルな軍事化と戦争が世界を覆いつくしている今日、とりわけ社会的・政治的な抵抗を表現する運動の周辺化と孤立が長期にわたって継続している日本において、現在の運動状況の評価とその総括、新しい反撃の糸口をどのようにともに見つけ出していくのかという共同の作業が避けて通れないからである。
辺見庸の「外部からの嘲笑」
作家の辺見庸の「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか――閾下のファシズムを撃て」と題する『世界』04年3月号の文章は、おそらく一月二十五日に日比谷野音で行われたWPNの「ピースパレード」を題材にしたものであろう(ただし、この辺見の文章は、曜日も参加人員も一月二十五日の行動とは異なっているし、そこで描かれている参加者の様子も、どう考えてもフィクションとしか思えない)。
ここで辺見は、このパレードの様子について「なぜそんなに、平穏、従順、健全、秩序、陽気、慈しみ、無抵抗を衒(てら)わなくてはならないのだ。犬が仰向いて柔らかな腹を見せて、絶対に抗いません、どうぞご自由にしてください、と表明しているようではないか」と罵倒する。そして、この「パレード」がイラク派兵という「戦後最大級の反動の質量」という情勢の全景に「多少のクラック(裂け目)をを走らすどころか、全景とじつに予定的かつ補完的に調和しているように見える」とする絶望感に満ちた彼の独白は、「緊張感」と「憤懣」に満ちたかつてのデモとの対比でこの日の「パレード」をあげつらう、ノスタルジックな感傷と敗北感に満たされている。
この辺見の文章に対しては、WPN実行委員会の高田健が『技術と人間』04年3月号の「反戦の闘いに内在するか、外部から嘲笑するか」で詳細な反論を行った。以前私は、「9・11」に関して「ビン・ラディンの表現力は傑出している」とまで賛美し、「ブッシュ対ビン・ラディン」の二項対立的図式で世界を切る辺見の見解について批判した(「辺見庸氏と『9・11』」、本紙02年9月16日号)。大衆運動の現在の構造についての辺見のごう慢な無理解と絶望は、国際的にも例外的な日本における大衆運動の低迷をもたらしたものが何かについての彼自身の省察と総括の欠如を浮き彫りにしている。
しかし、WPNへの疑問と批判は、決して辺見のような「ラディカルさ」を装った「外部からの嘲笑」だけではなく、一九八〇年代から九〇年代にかけてのきわめて困難な時期に、反戦・平和の大衆運動・市民運動の足場を持続的に支えてきた人びとからも寄せられている。その批判のキーワードは運動経験の「継承と断絶」に関わるものであった。
若者の「やさしさ」と議論不在
「市民の意見30の会・東京」の吉川勇一は、『現代思想』03年6月号に掲載されたインタピュー「ベトナムからイラクへ 平和運動の経験と思想の継承をめぐって」や、『市民の意見30の会・東京ニュース』79号(03年8月1日)の「秋の反戦共同行動に向けて――第1期WPNの成果と問題点」、『論座』04年3月号の「デモとパレードとピースウォーク――イラク反戦運動と今後の問題点」などで活発な問題提起を行ってきた。
吉川は「若い人びとの間で『やさしさ』が最高の価値基準になってしまった」ためか「他人の意見に介入して議論するということがない」と指摘するとともに「今のイラク反戦は、まだ感性的レベルにとどまっていて、歴史意識や社会意識に十分裏打ちされていない」と述べている(「ベトナムからイラクへ」)。
また吉川はWPNの掲げた「非暴力」の原理が「非暴力=無抵抗」「非暴力=合法主義」として誤解されたものである、と批判し、「ひたすら警察とことを構えず、デモの許可条件を遵守して歩けば、それによって広範な市民の参加が保証されるとする理解もまた浅薄である」と述べた(「秋の反戦共同行動に向けて」)。吉川によれば、こうした問題点は「以前の運動の経験が十分に継承されているとは言いがたい」ことに規定されていた。
今年書かれた「デモとパレードとピースウォーク」の中で、吉川はこうした昨年の問題意識をより体系的に提起している。
「新たな反戦運動のそれまでとは違う理念、あるいは新たな運動の思想は、いまだはっきりとした形では表明されるに至っていない。新しい皮袋に、まだ新しい酒は入っていない」。そのことは「反戦運動論」が論壇でほとんど登場していないことに表現されている。
吉川は続ける。「最近の運動には、そういう議論の場がない。それまでの運動経験を豊かに持っている人やはっきりとした歴史観を持っている先輩知識人がほとんどいないからでもあるし、またもう一つは、『優しさ』ということへの理解が違ってきているからかとも思う。今の若い人びとには、相手の考えの奥にまで踏み込んで批判し議論することは、人間関係を悪くすることであり、一定の垣根を越えるべきではない、という自制が働いているようにも思える。だから、意見が違っても、それはそれなりに『尊重する』ということで、それ以上に議論を進めない。それがお互いに『理解しあう』ことだと思っているようだ」。
吉川は、こうして「経験の継承の断絶」「議論の不在」を、その背景にある「運動現場での『知識人・学者』の不在状況」ともからめて、今日の新しい反戦・平和運動が克服すべき重要な課題として強調したのである。
「つながりようもない断絶」か
反天皇制運動連絡会や派兵チェック編集委員会を通じて、海外派兵や「戦争ができる国家体制」に向けた日本帝国主義国家の歴史的転換過程に立ち向かう共同行動とその全国的結合を持続的に呼びかけ、その中心を担ってきた天野恵一も、またWPNのあり方への率直な批判を提起している。
天野は述べている。イラク反戦運動の積極的な側面から言えば、「ある種のNGO文化みたいなところで培われてきた、外国の人々との関係を含めていろいろ付き合ってきた運動」が、これまで日本国内の反戦運動とは結びついてこなかったけれども「若者文化が中心になったことでどっと入ってきた」ということである。しかし「ある種NGO型で作られてきた若い人たちの構造が今までの文化と全然隔絶されていて、合流したときには、もうほとんど運動としてそれがうまく持続的な力になって合流できなかった体験」が、イラク反戦運動が総括すべき否定的教訓ではなかったか、と。
そして旧来の反戦・平和運動を担ってきた自分たちの世代の総括点としては、そこに「利用主義的」に関わるのではなく、こうした若い世代の「運動経験の継承や歴史」の完全なまでの欠落を克服しうる共同の作業のための場を築き上げることができなかったことではないか、と(武藤一羊、弘田しずえとの座談会「イラク派兵と『改憲』――反戦運動の課題をめぐって」、『インパクション』139号、04年1月刊)。
もちろん天野の「若い人たち」への違和感には、きわめて強烈なものがある。「メディア支配で洗脳」されている彼らとは、「討論する前提がないのに、どうやって討論するんだというぐらいの断絶」だと(『派兵チェック』136号、04年1月15日)。しかし天野の批判は、むしろこの「断絶」を、運動の歴史と経験の中での「継承」へと構造的に「合流」させられなかったこれまでの反戦・平和運動そのものに対して主要に向けられているのである。
ここから彼は、この「運動文化の完全な世代断絶」「完璧なある種の亀裂と断絶」「つながりようもない断絶」の中で、「五〇代の僕たちぐらいが、ポスト新左翼ふうに運動をくぐってやってきたリーダーシップの時代は完全に終わった」ことを確認すべき、と結論づけている。
大衆運動の分化・衰退のプロセス
私自身も、この「断絶」を主体的に意識しなければならない、という点では天野と同意見である。ある意味では、この「断絶」を思想的にも運動的にも徹底的に推進していかなければならない。自覚的な意味での「断絶」は、運動の成長にとっての必要不可欠なプロセスだからだ。しかし問題は、全共闘世代と「若い世代」の双方にとって、一九八〇年代から九〇年代の大衆運動の構造とその衰退・低迷の中で、この「断絶」がどのような性格のものであるのかを意識化し、「継承」が可能となる基盤がどのようにして築かれていくのかを追求していくことだろう。
「若い世代」にとっては、「古い世代」との「断絶」を政治的に意識化するところにまで至ってはおらず、多くの場合それはきわめて「感覚的」なものにとどまっている。過去との「断絶」を意識的に自覚することによってこそ、過去の運動・政治経験の「否定的継承」を媒介にした、新しい時代に即したトータルな「継承」が可能となる。そこでは旧来の運動を担ってきた世代の「総括」が、重要な契機になる。
「新しい世代」が集団的・個人的な運動の経験を通して「歴史的意識」をいかに獲得し、過去との「断絶」と「継承」をどのように主体的につかみとりうるのか。「イラク反戦」運動の経験を、そのささやかな出発点としうるのか。確かに、いまだ旧来の運動構造と「新しい」運動との「合流」は成立しえていない。WPNの「場」は、それが不可能ではないことを端著的な形で示したものの、「合流と継承」に向かう流れは形成されていない。しかし、われわれは「断絶」の自己確認にとどまってはならない。そのためには一九九〇年代の大衆運動の分化と衰退のプロセスを、あらためて総括していく作業を深化していく必要がある。
私がここで一九九〇年代にこだわるのは、私自身が大衆運動での共同行動の組織化や調整に一定の責任をもってかかわるようになったのは、一九八四年の反トマホーク運動からであるが、一九九〇年代、とりわけ「冷戦の終結」と湾岸戦争以後の日本における大衆運動構造の激変こそが今日の反戦運動をめぐる「断絶」に直接に影響していると考えるからだ。
一九九〇年代初頭は、後退を深めていたとはいえ、当時までなお相対的には一定の力を持っていた旧来の戦後「革新」運動が、一挙に瓦解していく転換点だった。それは戦後「革新」のあり方を批判し、それと対抗してきた広義の意味での「新左翼」的運動や市民運動にとっても、どこに向かうのかを独力で模索しなければならない時期であった。そこでは、「ソ連・東欧の崩壊」と社会主義への「信頼性」の急速な喪失、ポスト冷戦期における日本帝国主義国家の「普通の国家」への着実な移行と軌を一にしている。
天野が吉川の主張への「違和感」を表明している点も、おもに今日の「断絶」をもたらしている一九九〇年代における主体の側の苦闘に、吉川がほとんど触れていないからである。天野は述べている。
「吉川さんの文章を読んだ後の僕の印象は、ベ平連の時代からいきなり今日の時代にまで飛んでしまっている。これだと逆に、今新しく出てきた人たちに歴史があまり伝わらないんじゃないかと思ったんです。吉川さんの新しい運動についての批判は、つまり五〇年代の運動があって、六〇年代に五〇年代の意識が、ベ平連運動などの中で超えられた。それなのに、また五〇年代的なものに戻ってしまってるというものだと思うんです。……けれど、普通に考えても七〇年代があり、八〇年代があり、そして九〇年代の運動があって、その中で六〇年代の運動のいろんな遺産もいったんもみくちゃになって、それで今日がある。そのプロセス全体の論議で共有していかないと、今日起きている問題を共有する土台が出てこないと思った。そういう点で吉川さんの論文にはすごく違和感を持ったんです」(「栗原幸夫へのインタビュー ベ平連という運動〈経験〉」での「聞き手」としての天野の発言。反天皇制運動連絡会編:『季刊運動〈経験〉』12号 04年8月刊)。
私たちもまた、「継承」のための総括を開始していかなければならない。
(つづく)(平井純一)
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