| 「9条の会」発足記念大阪講演会 かけはし2004.10.4号 |
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中之島公会堂内外にみなぎる3700人の平和への意志 |
【大阪】九月十八日、大阪中之島中央公会堂で「9条の会」発足記念大阪講演会が開かれ、会場は千五百人の人々で満席、会場に入れなかった二千二百人は屋外でスピーカーから流れる講演を聴いた。
始まる前に講演者三人が外に出て聴衆にあいさつしてから、大阪講演を成功させる会の五人の世話人の一人、吉田栄二さん(関大教授)の司会で始まった。司会の話では、「9条の会」のホームページには毎日七千件を超えるアクセスがあるとのこと、今日は九州からも参加があるとのことであった。大阪の後は、京都、仙台、那覇、札幌でも講演会が企画されている。
憲法は国家に対
する国民の命令
最初に講演したのは「9条の会」の九人(平均年齢76才)の中で最年少の井上ひさしさん。これだけは言いたいと、次のように語った。
憲法には欽定憲法・協約憲法・認定憲法と三つの種類がある。認定憲法(日本国憲法など)は人民が制定した憲法で、国民が決めた国家に対する命令書である。日本国憲法前文にもそのことが明記されている。法律と憲法がぶつかるときは、憲法が優先する。その番人が最高裁判所、日本の場合は残念ながら機能していない(プロ野球のコミッショナーのようだ)。
イタリア憲法第1条では、労働に基礎を置く民主的な共和国とイタリア国家を規定している。ドイツ憲法は何度か改定されているが基本的なところは変えていない。米合衆国憲法は一七七八年につくられた短い憲法だったがその後、それを補強するような修正を何度か行った。しかし基本的なところは変えていない。
日本国憲法の三つの基本的な柱、主権在民・人権の尊重・恒久平和は簡単に変えられないように二つのハードルが憲法の中につくられている。憲法を変えようとする人は、あちこちの国が憲法を変えていると言うが、それはウソだ。基本的な部分は、それを変えたら憲法でなくなるもので、時代がたって古くなったというようなものではない。
プライバシー権とか環境権がないから変えるんだというが、日本国憲法にはそれもちゃんと規定されている。その言い方は9条を変えるためのトリックだ。
押しつけられたものだから変える、と言う人もいるが、それもウソだ。日本が受諾したポツダム宣言(条約)の12条に日本はかつての民主主義的傾向を復活させる、というのがある。第一次大戦後、国際紛争を解決するのに武力を使用しないというブリアン(仏)とケロッグ(米)の提案に基づき、国際連盟の理事国の一つであった日本がまとめ役をして、三箇条からなるパリ不戦条約がつくられた。それは戦争の放棄と交際紛争は平和的手段で解決することをうたっている。これがそのまま日本国憲法の全文と9条に反映されている。受諾したポツダム宣言に述べられている民主主義的傾向とは、このことを言っている。
日本国憲法は世
界平和宣言だ
続いて、小田実さんが登壇。小田さんは次のように語った。
「戦争を知らない子どもたち」という歌がはやった。この歌は、だから戦争のことが知りたいのか、どうしたいのか結論がわからない歌だが、当時の子どもは今は戦争を知らない大人になった。代議士の多くも戦争を知らない。知らない者が偉そうに言うな、と言いたい。
私は大阪で生まれ育った、でかい空襲は八回あったが、そのうち一九四五年三月、六月、八月の三回を経験した。わたしは、家に写真を額に入れてかけている。それは、一九四五年六月のニューヨークタイムス日曜版に載った大阪空襲の写真だ。
六月十五日の大阪空襲は世界で初めてのナパーム弾の実験だった。八月十四日の大阪空襲は第二次世界大戦の最後の戦場だった。広島・長崎の原爆の後、日本政府は、国体の護持という条件付きでポツダム宣言を受諾する旨を伝えたが、連合国は答えなかった。しかし、八月十一日の米国の新聞は、天皇制は残すだろうと報じていた。それが翌十二日には、天皇制は残すとなっていた。つまり連合国はすでに決めていたということ。だのに日本のポツダム宣言に対する態度が煮え切らないので、圧力をかける意味で十四日の大阪空襲があった。
B29が六百機飛来した。一トン爆弾と共にビラがふってきた。それには、「戦争は終わった」とあった。何のために多くの老人・女・子どもが死んだのか。今でもこのことが気になっている。
六月―八月の大阪空襲はそれまでのやり方とは違う無差別爆撃だった。それを指揮したルメイ将軍は一九六四年に日本に来て勲一等旭日大綬章をもらっている。しかし、最初に無差別爆撃をやったのは日本軍で、それが中国重慶の爆撃だ。今、米国がイラクでやっている。これは戦争ではない。国際法に違反した一方的な破壊と殺戮である。
民主主義と自由はよい、しかし平和主義が足りない。これがないと民主主義ではなくなる。第二次大戦後、国家をこえた基準として世界人権宣言や国際人権規約ができた。しかし、世界平和宣言はできなかった。それは米国が反対したから。そのとき、それを一国で憲法の形でつくったのが、日本国憲法だ。紛争は武力によっては解決しない。それを主張しているのが日本国憲法だ。
日本国憲法は日本だけの問題ではない。世界のあり方を考えなおし、悪循環をもう止めさせねばならない。以前、土井たか子さんと西宮で講演したことがあるが、そのときに表に出ていた看板に「日本国憲法は今でも旬」と大書してあったが、ちがう。今こそ旬である。
未来の世代への
責任を果たそう
講演の最後は、澤地久枝さん。
今日は、関東軍の陰謀で満州事変が勃発した日。当時の日本の指導層は情勢の本質を見抜く力がなく、強硬だが空疎ではね上がりな考えが全体をリードしていた。だから張学良などの行動についても全くわかっていなかった。
南方戦線でも、武器弾薬だけではなく食料・薬その他必要物資の補給などの兵站は何ら考慮されることなく、うまくいくだろうと言う軽率な考えで南方進出をやっている。
今も、景気のいいことばかりが言われて、既成事実がどんどん積み上げられている。ほんとうに許せない。がんばってくれないといけない人が最近はヘンだ。自衛隊容認、日の丸・君が代も容認、日米安保も容認、これはみんな村山富市首相の時だ。自民党が言いたくても言えなかったことを、なぜ村山さんが言わなければいけないのか。
自衛のための軍隊は持たないはずなのに、今も自衛艦はインド洋で米軍艦船に給油している。国連は米国のイラク戦争は国連憲章違反だと言い、パウエル国務長官はイラクの大量破壊兵器は出ないと言っているのに、宿営地の外にほとんど出ずに自衛隊は何をしているのだろう。ほんとうに国際貢献したいなら、丸腰で行くべきだ。そのようにして、9条にだんだん戻っていくことができる。
三百万人の犠牲によって戦争が終わったとき、生まれてくるのが当然のものとして日本国憲法は生まれた。当時の国民に浸透した唯一のものだった。私たちは、未来の世代に対する責任がある。小泉首相は反対の方向に疾走しているが、私たちは忠犬ポチの子分ではない、自信を持って努力していこう。
全国各地に賛同
組織を広げよう
最後に、世話人のひとり松浦悟郎さん(日本カトリック正義と平和協議会会長)が、一九九一年湾岸戦争後にヨルダンを訪問したとき、寄ってきた人々に「なぜ日本は米国に協力したのか、平和憲法を守ることが国際貢献だ」と言われたことを紹介し、世話人の澤野義一さん(大阪経済法科大学教授)がまとめをした。
澤野さんは、非武装・永世中立国のコスタリカの大統領が米国のイラク戦争に道義的に賛同すると表明したことについて、市民が裁判に訴え、憲法裁判所が賛同は違憲との判決をしたため、米国が賛同人名簿から削除したことを伝えた。そして、9条の会の三つの提案、9条の会の精神・メッセージを広げること、全国各地で賛同する組織をつくること、各地で大小さまざまな集会を開くことを紹介し、平和の回復力を広めようとしめくくった。(T・T)
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