| 強権的「土地収用」を許すな かけはし2004.10.4号 |
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11月28日「静岡空港反対、土地収用阻止現地大集会」に結集しよう |
【静岡】静岡県石川知事による「土地収用」=強権発動攻撃を前にして、静岡空港反対運動は、まさに正念場にさしかかった。知事は七月県議会で「今秋の終りころには事業認定申請をする」と答弁したことによって、事態は切迫し始めた。しかし、この強権発動方針は今回が始めてではなく、また県と知事には展望があり、これに自信を持ったから公表したものでもない。
昨年四月、やはり県議会において「事業認定申請手続きに入り、八月か遅くとも十二月には申請したい」としていた方針が、反対運動の反撃によって挫折してしまった経過がある上、今年になって、空港の当初計画の根幹が完全に破綻したことが明らかになり、ここで県と知事は「断念するのか、それでも続行するか」の決定的な岐路に立たされたのである。
主体は貨物機旅客は小型機
そもそもこの空港は県営の第三種地方空港でありながら、当初百七十八万人の旅客が見込め、必要性、合理性があり、用地取得も一〇〇%できるとしてスタートしたのであった。しかし、現在はどうなっているか。来年には中部国際空港が完成し、旅客・貨物とも完成の見込みのない静岡空港とは規模や能力の点で全く比べものにもならない。これによって、あらかじめ静岡空港には旅客予測が立たない事態が決まったものとなる。さらに、新幹線品川駅ができ、新しいダイヤによって、静岡県中部(静岡市)、東部(富士、三島以東)圏から羽田へは九十分で行けるようになった。
今年になって県当局は旅客予測と百七十八万人から百六万人に下方修正したが、航空連合(労組)の試算は二十八万人でいまだ大きな差がある。しかしこれ以上下方修正すれば赤字空港であることを県当局は公然と認めてしまうことになるため、いまになって主体は貨物機で旅客は小型機を使用し、民間の空港運営会社をつくるという方針になし崩し的に転換し始めている。もし「公設・民営」で黒字になるなら全国の赤字地方空港は、とうに姿を消している。県税・国税を食いものにした結論がこれである。
さらにいま明らかになってきているのは工事の進み具合と予算の関係である。静岡空港の予算は千九百億円であるが、〇四年までに支出されている額は千四百億円で、残りは五百億円しかない。県当局は〇四年で工事の七〇%が完成すると言っているが、実態は四〇%程度しかできていない。コンクリート面の滑走路は一ミリも存在しておらず、ど真ん中に未買収地もあり、これ以上本格工事を進めることができない状況に落ち込んでいる。残り予算五百億円で完成するわけがないし、さらに千億円が必要になることは明白である。
このため〇六年度の開港予定にはとても間にあいそうがない。だから逆に事業認定を急ぎ、開港延期が現実になる前に事業認定を取りたいのである。事業認定が遅れ開港ができない事実がはっきりすれば、いくら国土交通省でも三度も四度も開港を延期した事業にこれ以上補助金を出せないし、簡単に土地収用も認めるわけにはいかなくなる。九月内閣改造でだれが大臣になるかで左右されることはないが、「土地収用」ということになれば全国的影響は大きい。現に石川知事の弁によれば石原国交省大臣は「収用反対」という立場であり、問題が個別静岡県の問題でなくなってしまう。
滑走路のど真中に未買収地
他方、足元の用地取得は全く進まず、滑走路のど真ん中に、茶畑と山林が建設を頑強に阻んでいる。口では用地取得について「円満な話し合い解決を進める」としている知事の言動に、地元農民・住民はもとより、県民の多数が全く信を置いていない。
そればかりか、静岡県の財政危機は極度に深刻化し、借金は十年前の四倍の二兆四千億円を超え、かつて千八百億円あった基金(貯金)が九分の一の二百二十億円にまで取り崩してしまい空港建設にまわすカネの余裕は完全にないのである。しかも全国的問題である浜岡原発と東海地震をかかえ、その対策こそ急がれるべきなのに、これも全く無視されているのである。
このように、展望のない空港、県財政の危機、地震と原発という三つのバクダンを抱える静岡県、石川知事の下でいま、四つ目のバクダン――というより、積年の官僚県政の結果――として、県の財務事務所から始まりあらゆる部署で、ウラ金プール金が発覚し、ついに県警本部にまで至る腐敗・不正が暴かれた。この問題については明るみに出る度に「これで終り、あとはありません」と言明してきたにもかかわらずである。
このような官僚県政の腐敗・不正を世にさらけ出せば、本来なら知事のクビは即刻飛んでいるべきなのに、逆に居直り、だれ一人として責任を取らない現状にある。
追い詰められた官僚県政
これほど絶望的な状況にある静岡県と知事が「土地収用」のダンビラを振りかざして、強権発動に踏み切ろうというのである。当然のごとく「話し合い解決」は口先だけにすぎないし、知事の度重なる手紙での面談申し入れに対して、空港反対地権者は三条件を提示(@工事を止めるA土地収用をやらないB地元の合意のない計画強行を謝ること)して、これを認めない限り、どんな話し合いも接触も拒否する立場を明確にして対決している。
しかし、「窮鼠、ネコをかむ」如く、追い詰められた官僚県政は退くことを知らない。全国的にムダな公共事業に批判が集まる時代に“力づくで土地を取りあげる”などという蛮行、愚行が許されるわけがない。これまで、静岡県内を中心に空港に反対する地元地権者、住民を核に、空港はいらない静岡県民の会(以下県民の会)の十年にわたる闘いによって世論を動かし、県当局を追い詰めてきた。そしてここが、正念場という局面に入ったのである。
「土地収用」のための事業認定申請が十一月ころにあると想定して、過去三次にわたって、空港予定地の山林を共有し、地権者となった県民の会会員に呼びかけ、県内三カ所で集会を持った。八月二十八日袋井市(40人参加)、九月四日三島市(30人参加)、九月五日藤枝市(70人)のそれぞれの会場では空港反対地権者の固い決意表明を受け、県民の会から状況報告と闘いの方針提案を行い、自由な討論によってむこう半年、一年先を見据えた意思確認を行った。
闘う側の決意方針と目標
集約された方針と目標は次のようなものである。
b改悪土地収用法で初めての適用であり、国と県との全面対決となる。また今後の公共事業に重大な影響をもたらす。反空港全国連絡会など多くの住民・市民運動との全国的ネットワークを構築して、世論の一大結集をはかる。
b腐敗・不正の石川官僚県政の追放めざし、強権発動にストップをかけるため、県内の闘うすべての勢力結集を進める。
b地権者、共有地権者、立木所有者の結束を一段と強化し、新たな当事者として立木所有者を拡大し抵抗主体をを確立して、共同の闘い体制確立をはかる。
b県と国の強権発動と不当な行政処分に対してあらゆる法的対抗を準備し、実行に移す。
b土地収用攻撃のあらゆる場面で最大限の抵抗手段を確保し世論の支持を訴える。
bあらゆる機会を活用して大義のある闘いを広め共闘の輪を強化する。
b破綻・破局寸前の石川官僚県政追放と県政改革運動の一翼を担う。
というものである。
この方針と目標は個々の具体的行動で実現されていくことになるが、当面の行動は多様に確認された。そして、年内の行動の集約を十一月二十八日(日)現地大集会の大きな成功をもって実現することとした。
今後、国会での質問や追及、認定庁である国土交通省への要請行動、そして対静岡県への抗議などの追及行動や訴訟の準備、さらに現地での体制強化などが予定されている。
また、十月三日関西、十一月十三〜十四日中部国際空港現地で反空港全国連絡会の集会があり、県民の会を中心に、反対地権者と地元住民もこれらへの参加を通して、土地収用阻止の全国的な機運の盛り上げを訴えていくことにしている。全国のみなさんの結集を呼びかける。 (S)
付記、全国各地で土地の共有者となった方々のところへ静岡空港建設当局から手紙が届いたり、電話で「土地を譲って下さい」などの悪質な行為があると思います。これにはきっぱり拒否して、後に県民の会へ連絡をお願いします。
b11月28日「静岡空港反対、土地収用阻止現地大集会」、13時より、空港建設予定地内。詳細後日
普天間基地撤去、もどれ自衛隊のデモ
沖縄の人たちまかせでなく自分たちの問題として
【名古屋】九月二十五日、名古屋市栄ひろばで、有事法制反対ピースアクション主催による『普天間基地撤去 もどれ自衛隊 米軍ヘリ墜落事故抗議』の集会・デモが行われた。
集会に先立ち午前、八月に交代した航空自衛隊小牧基地司令に対して、四カ月連続となる申し入れ行動を行った。参加者は、自衛隊の撤退と「派遣」延長反対を訴えた。
行動後、小牧から名古屋市の中心地に移動し、午後より集会が行われた。
ピースアクションの共同代表である寺尾光身さんは、「大量破壊兵器がなかったことが明白になる中で、大義なきイラク戦争で多くの民衆が殺されていることは許せない。米軍ヘリ墜落で死者・負傷者が出なかったことは奇跡に近い、基地が撤去されなくてはいけないのに新たに基地建設が強行されようとしている。建設反対を闘っている沖縄の民衆との連帯を強め闘おう」と発言。
辺野古での座り込み行動に参加してきた伊藤めぐみさんは、現地の状況を報告。「この事態を、沖縄の人たち任せにするのではなく、自分たちの問題として闘っていきたい」と語った。
最後に、毎月の申し入れ行動を、十月からは今後イラク派兵が予想される、陸上自衛隊十師団に対しても行うことが提起され、十月二十三日集会とあわせて参加が呼びかけられた。
九月二回目となるピースアクションの集会・デモは、参加者が前回に比べると少ないものの、それでも力強くシュプレヒコールをあげ、名古屋市民にイラク戦争反対・基地撤去を訴えた。 (K)
コラム
遊就館に見る靖國神社の本質
八月のある日、初めて靖國神社を訪れた。飯田橋の印刷会社で出張校正をした帰りの道のことである。校正は思いのほか早く終えることができた。いつものように神保町の古本屋街でもぶらつこうか、などと考えていた矢先のこと。右翼の街宣車が大音響の軍歌を流しながら私の前を通り過ぎた。そしてそのボディには「靖國神社公式参拝」の文字。加害者であり、敗者であるはずの日本が終戦記念日というレトリックで、戦争の終結を記念し、戦没者を慰霊する八月十五日が迫っていることを否が応でも思い出させた瞬間だった。
テレビや新聞、雑誌などでたびたび目にしていながらなぜか一度も足を踏み入れたことがない靖國神社である。街宣車を水先案内人に、今日こそは訪ねてみようと思った。
私はかつて「栃木県玉串違憲訴訟」原告団の一人だった。今からもう二十年以上も前のことである。県が靖國神社に玉串料を支出したことが憲法に定められた「信教の自由」に反するとして、県知事を相手取り、キリスト者、労働組合をはじめ広範囲な支援を受け裁判闘争を闘ったのだ。そんな私が、現実としての靖國神社を今まで訪れたことがなかったのだから噴飯ものである。
九段下から坂道を上るとあの大鳥居が立っていた。双眼鏡片手の大村益次郎の像もあった。その時である。携帯電話で記念写真を撮りながら歩いてくる韓国人の若者たちに出会った。彼らに取って侵略者の廟ともいえる靖國神社に参拝したわけでもあるまいが、どのような心境でこの玉砂利を踏んでいるのかと考えずにはいられなかった。
忠魂碑や慰霊塔が建ち並ぶ参道を進み、車道を渡ると、左手に社務所、突き当たりにはテレビなどで見覚えがある拝殿があった。平日なので境内は閑散としていたが、辻々にはガードマンと警官の姿。八月十五日を前にピリピリしている様子が伺える。
ここに来たらぜひ見たいと思っていたものがあった。明治十五年に開館したという軍事博物館遊就館である。そのパンフレットには、「殉国の英霊を慰霊顕彰することであり、近代史の真実を明らかにすること」とあった。拝観券(入場券ではない)を買って一歩館内に足を踏み入れるとそこは戦争賛美一色の世界。エントランスには日の丸をつけた戦闘機が置かれ、大展示室には、艦上爆撃機、戦車、そして特攻兵器である人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」などが所狭しに並んでいた。これが果たして戦没者の魂を慰める施設と言えるだろうか。国を守り、アジアを解放するという美名のもと、戦場に駆り立てられ戦死した名もない人々の魂が休まるところはどこにもない。
靖國神社の本質は、まさにこの遊就館が如実に語っていると言ってよいだろう。侵略の近代史を心底学べた一日だった。(雨)
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