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                                  かけはし2004.10.4号

スーダン:ダルフール――うわべに隠された真実

パトリック・スコット


英とスーダン
両政府の思惑

 最近、ジョージ・ブッシュとトニー・ブレアがスーダンのダルフール州の情勢に関連して述べた声明は、同州に住むアフリカ人の苦境への人道主義的懸念とはほとんど関係がない。
 イラクと同様、スーダンに対してもブッシュとブレアは、われわれに全く逆の関心を確認させる。七月に行われた月例の記者会見で、スーダンの危機について質問されたトニー・ブレアは、「われわれはこの問題を処理する道徳的責任を有しており、その処理のために可能なあらゆる手段をとらなければならない」と述べた。ブレア流の言葉を簡明な英語に翻訳すれば、ブレアのこの発言は、イギリスがこの地域への軍事侵攻に参加することを考慮しているという意味になる。
 ほぼ同時期の七月二十二日、米議会も全会一致で「国連安保理が行動できなかった場合、スーダンに対して多国的ないし単独の行動を取る」ようジョージ・W・ブッシュに求める決議を行った。
 ダルフールで武力紛争が存在すること、人びとが死んでいること、エスニッククレンジング(民族浄化)がなされていること、難民が存在すること、これらは疑いない事実である。アラブ系のジャニアウィード民兵が、スーダン政府から暗黙の支援を受けていることも疑いない事実である。
 国連は、三万人が死に、現在約百五十万人の難民が生まれているとの見積もりを行っている。しかしこうした統計は、近くのコンゴでの最近の国内紛争の犠牲者数のために過少視されている。コンゴでは、最も保守的な人びとでさえ、この地域の犠牲者数が二百万人になっているとしているのだ。
 最近、コンゴでのジェノサイドないし人道的危機に関する国際的宣言が発せられた。ダルフール州の住民(六〜七百万人)の多数はムスリムのアフリカ人農民であるが、牧羊生活を送っている少数派のムスリム・アラブ人遊牧民と共存している。
 二集団の紛争の背景の一部は、砂漠化の結果として水資源と耕作地を減少させているサハラ砂漠の拡大であった。しかしアラブ人が支配するスーダン軍事政権は、ダルフールを「アラブ化」し、同州の独立あるいは自治をめざすあらゆる運動を鎮圧する目的で、自らの利益のために紛争を拡大する役割を果たしてきたのである。

不足する人道支援と
石油をねらう米国

 ダルフールの凶行を非難するあらゆる声明において、西側政府が提供した人道的援助に関してなされたものはきわめて少ない。この三月に国連は、ダルフールの難民への人道的援助のために三億五千万米ドルの人道的援助を訴えるアピールを発した。これまでのところ、半分以下の額しか集まっていない。
 同様に国連食糧計画は、ダルフールの救援活動のために要求した一億九千五百万米ドルのうち、一億二千三百万米ドルしか受け取っていない。
 アメリカはダルフールへの人道援助のために二億二千万米ドルを約束した。この額は、アメリカがイラク侵略と占領に費やしている数十億ドル、さらにイスラエルへの財政的援助に費やしているそれ以上の額に比べれば大海の一滴にすぎない。
 アメリカの支配階級が、みずからの利害を擁護するためにどれだけのカネを準備しているかを考えてみよう。ジョージ・W・ブッシュは最近、四千百七十億米ドルの年次国防予算を認める法案に署名した。
 そこには、スーダン産の石油の問題があることは驚きに値しない。そしてこれが主要問題なのである。スーダンの埋蔵原油資源はほとんど手つかずのままである。
 一九九八年、ドイツの新聞「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」は、シェプロンの代表者によれば、スーダンにはサウジアラビアとイランを合わせたよりも多くの埋蔵石油が存在すると報道した。しかしアメリカのスーダンに対する経済制裁のために、アメリカの石油企業はスーダン政府から原油利権を獲得することができなかった。
 石油利権は、ヨーロッパの石油企業や、中国国営石油など他の国の企業に与えられた。それほど驚く事実ではないが、南部ダルフールにも埋蔵石油資源が存在しており、こうした埋蔵資源の利権は中国国営石油が保持している。

米英軍による
軍事介入反対

 現在おそらく、アメリカはイラクの軍事的泥沼にあまりにもはまり込んでいるので、近い将来、スーダンにイラク型の単独侵略を行う可能性を考えることはできないだろう。
 よりありそうなことは「コソボ型」の解決策である。すなわちアメリカ(とイギリス)が広範な軍事的連合を集め、帝国主義が支配するこの地域の飛び地としてダルフールを統治できるようにすることである。アメリカ政府もイギリス政府もこうした構想を秘めつつ、ダルフールに軍を送る準備を進めると述べた。
 イギリスでもどこでも、反戦運動はスーダンに対するいかなる形態の軍事侵攻にも反対する義務を負っている。こうした侵攻を正当化するために、どのような表面上の人道的理由が利用されてもである。ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラクと同様に、こうした侵略は、帝国主義的利益を増進するためにのみ行われるだろう。
 同時に、これまでのところ、きわめてけちけちとしか分け与えられていない、この地域のすべての難民のための無条件の人道援助のためにキャンペーンすることも必要である。(英「ソーシャリスト・レジスタンス」04年9月号)                




報告「チェチェンで何が起こっているのか」

ロシア・チェチェン双方の真相究明努力が必要だ


 九月十八日、東京・文京区民センターで「緊急報告 チェチェンで何が起こっているのか」が開催された。ピースネット・市民平和基金と「チェチェンニュース」編集室の主催で行われたこの集会には、緊急の呼びかけにもかかわらず椅子が足りなくなるほどの八十人が参加した。
 九月一日北オセチア共和国ベスランの学校で起こった「ロシア軍のチェチェンからの撤退」などを求めた人質事件は、ロシア軍治安部隊の突入により、子どもたちなど約五百人以上とも言われる死者を出す惨劇に帰結した。この事件の本質は何か、どのように考えていかなければならないかを問う報告集会は、事件を報じるTVニュースのビデオ上映から始まった。
 次に大富亮さん(チェチェンニュース)がチェチェン問題の概括的な歴史的経過を一七世紀末のピョートル大帝以来のロシアの侵略から説き起こし、第二次大戦中のカザフスタンへの強制移住や、一九九一年のチェチェン独立宣言とロシアのエリツィン政権による侵攻がもたらした今日の戦争にいたるまで説明した。大富さんはメディアの報道について「チェチェンに住んでいる人たちがどういう人たちなのかを報じるものがほとんどない」と批判した。
 次に林克明さん(フリージャーナリスト)が、今回の人質事件について報告し、次のように述べた。
 「今回の事件には、不可解な情報が満ちあふれている。それはきっちり整理した上でないと真相には迫れない。たとえば人質の数が大きく変遷したのはなぜか、犯行グループは誰なのか、ロシア政府はもともと交渉するつもりなどなかったのではないか」。
 「チェチェンでロシアが行っている戦争はポスト冷戦型のものではなく。第二次大戦型の色彩が濃い。つまり攻撃目標を決めたらそこに含まれるものをすべてこわすというやり方だ。必然的に破壊と人命への被害がエスカレートする。首都グロズヌイは無差別の砲爆撃によって瓦礫と化したが、その中で住民だったロシア人もたくさん殺された」。
 「武装勢力掃討を名目にした作戦で、ロシア軍は武装勢力を避けて村落を襲い、住民を殺りくし、強盗を働いている。それはたんなる軍規の乱れではなく日常化した行為なのだ。さらに拉致・拷問を行って身代金を要求し、死んだ場合には高額の遺体引き渡し料を要求する。検問と称して、人びとのポケットにむりやり弾薬包や麻薬をねじこみ、逮捕されるチェチェンだけではなく、広大なロシアでチェチェン人の居場所はどこにもない」。
 「かつて第一次チェチェン戦争の時、行方不明になったロシア兵の母親たちが息子を探すためにチェチェンを訪れた。その活動を支えたのはチェチェンの人びとだった。少数のチェチェン人が長期間にわたる抵抗を持続してきたのは、物質文明やグローバリゼーションの秩序に入らないで自らの秩序を作りだす、彼らの精神的・道徳的優位性のためではないか。チェチェンの『テロリスト』を批判する声が強いが、多くの人を殺しているのはテロリストではなく『テロとの闘い』を遂行している側だ」「いまロシアのプーチン政権は、イスラエルのシャロン政権とも協力してテロリストを撲滅すると言っている。イスラエル、アメリカ、ロシアによる『国家テロ』の『新三国同盟』が構築されつつあるようだ」。
 後半の討論は、一九九七年の民主的選挙で選ばれたもののプーチンの第二次チェチェン戦争によって地下生活を余儀なくされているマスハドフ・チェチェン大統領が、今回の人質事件を批判し、北オセチアの人びとに謝罪する声明を出したこと、その数日後にチェチェン独立派のバサーエフ「野戦司令官」が、旅客機ハイジャック・爆破テロと「人質作戦」の「犯行声明」を発表したことをめぐって行われた。
 大富さんは、バサーエフが一九九一年のアブハジア紛争(グルジア独立の中で、グルジアからの分離を求めたアブハジアとグルジアとの紛争)の中で、アブハジア側について登場し、客観的にロシアの利害を擁護していた事実や、バサーエフがプーチン政権との取り引きを求めていたという情報を紹介し、バサーエフという人物に疑問を投げかけた。
 「しかし問題は、このバサーエフの犯行声明をチェチェン側のだれも打ち消しておらず、バサーエフがチェチェン独立勢力から絶縁されていない、ということだ。それは私たちにとっても重大な問題を提起する。つまり今回のようなテロを実行し、支援する人びとと絶縁しないかぎり、国際社会はチェチェンの運動を支援できないということだ」。大富さんは、きっぱりとこのように語った。林さんもまた、「今回の人質事件はチェチェンが持っていた精神的・モラル的優位性が崩壊しかねない危機だ」と語った。
 また今回の事件を口実にプーチン政権の反民主主義的な強権化が進行していることへの批判が、多くの人びとから話された。最後に主催者の側から「ベスラン学校占拠事件に関する共同声明」が提案された。
 共同声明は、以下の事柄を「紛争当事者および国際社会」に要求している。「1 ロシア政府・チェチェン独立派は、ともに今回の事件の真相を調査し、明らかにすること。2 ロシア政府はチェチェンでの戦争と人権侵害を停止し、チェチェン独立派との和平交渉を行うこと。3 チェチェン独立派は、無差別テロを実行する勢力と絶縁すること。4 国際機関および各国政府は、チェチェン戦争の平和的解決のために、積極的に関与すること」。(K)                                  



映評
神山征二郎監督作品
『草の乱』


 一八八四年(明治一七年)十一月一日、秩父の椋神社に結集した三千人の農民は郡役所などを占拠したが、明治政府の憲兵隊の前に大敗北した。これが百二十年前の秩父事件である。
 映画『草の乱』をつくったのはベテラン神山征二郎監督独立プロである。総製作費四億五千万円はすべて市民から集め、エキストラ八千人はボランティア。今全国公開が始まった。
 主人公井上伝蔵は豪商丸井家の若旦那、自由民権運動に共感し三千人蜂起の際には会計長だった。
 生糸の暴落、増税で農民の生活は苦しかった。秩父の郡役所に請願、高利貸しとの交渉に行く。けちらされる若手三羽烏寅市、宗作、善吉等は闘いに目覚めていく。十一月一日から三日の三日間で郡役所を占拠した。ここに結集した人民は七千〜八千人とも言われる。戦いは群馬県や長野県にも飛び火した。

自由党の大井憲
太郎が秩父に来た

 自由党大井憲太郎はこの秩父困民党の決起の時には止めに入った一人だ。この演説会を境に自由民権運動は拡大していく。十一月、秩父事件は起こったが、明治十五年集会条例が改悪され、自由民権運動も冬の陣に入る。
 一方農民の運動も群馬の照山事件、茨城の加波山事件と急進化していき、その総本山として秩父事件があったと私は考えたい。
 さて田代栄助を総理とする秩父困民党の役割表には驚かされる。総理、副総理、会計長、甲大隊長、乙大隊長と細かく決めた。そして三千人が集結した十一月一日、椋神社の前で刀、槍、鉄砲などを持つ武装農民の前で栄助が役割表を読み上げたと言う。また軍律五ケ条も読んだ。第一条、私に金円を略奪するな、第二条、女色を犯すな、第三条、酒宴をするな、第四条、放火や乱暴をするな、第五条、指揮者の命令に従えと。

困民党の反権力
に魅せられた

 九日間の戦いは無惨な敗北だった。明治政府の裁判結果は死刑十二人(執行八人)、無期徒刑をはじめとする懲役刑約百四十人、罰金、科料は三千六百人を超え、事件参加者は「暴徒」として断罪された。本人はもとより、親、兄弟、親戚までこの汚名を背負って現在まで生きてきた。
 明治十八、十九の二年間井上伝蔵は秩父内に隠れ、明治二十年の秋に北海道に渡る。名を伊藤と変え一九一八年(大正七年)六十五歳の生涯を閉じたと言う。
 歴史学者井上幸治さん(一九一〇年生)は秩父に生まれ、困民党の生きざまを子どもの頃から聞いてきた。井上さんは困民党の反権力に魅せられたと言い、一九六八年に『秩父事件』(中公新書)を発表した。その一節を引用する。
 「私は郷土の屈辱の歴史を書くつもりはない。わたしは秩父事件が自由民権運動の最後にして最高の形態であり、これがわがふるさとの事件であったことを誇りに思っている」。
 映画『草の乱』は自由民権運動復権に向けての第一歩と言っていい。(藤井 保)


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