| 「日の丸・君が代」処分乱発に反撃しよう かけはし2004.11.01号 |
「ならずもの」都教委はハタを振る
通達│職務命令-強制-処分と攻撃をエスカレート
十月十一日、東京・文京シビックセンターで「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会は、「『ならずもの』都教委はハタを振る10・11意思表示の会」を行い、七十人が参加した。
小泉政権の戦争ができる国家作りと連動する石原都政を背景に東京都教育委員会は、二○○三年十月二十三日、都立学校校長あてに「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」という通達を出した。通達は、「教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること」と処分をちらつかせて「日の丸・君が代」を強制するというものだった。
そして、都教委は、この春の卒業・入学式に「君が代」斉唱時の不起立、生徒の不起立までも理由として約三百人の教師に対して処分を強行した。さらに、「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆した天皇制と侵略戦争賛美の教科書を中高一貫校の都立白鴎高校付属中学校で使う教科書として採択(八・二六)、ジェンダーフリーバッシングと男女混合名簿禁止など次々と攻撃をエスカレートしている。意思表示の会は、このような都教委の暴走を許さず、いかにストップしていくかに向けて集会を行った。
天野恵一さんは主催者あいさつを行い、「亡くなった『かけはし』の高島が自民党改憲プロジェクトの天皇主義むき出しの論点整理を批判していた。組織内で高島に対して一面的ではないかという論議があった。それに対して高島は、『日の丸・君が代』法が制定された時、東京都を中心にこんな強制が公然と行われると誰が予測したのか、と反論したという。この危機感は大切だ。日本社会は、古典的右翼が直接来た時、とめどもないところまで行ってしまう。この間の東京都がそうだ。そういう危機感を共有したい。具体的な闘いを通して改憲阻止の攻防を闘っていこう」と問題提起した。
次に、「君が代」ピアノ伴奏拒否で処分された福岡陽子さん(都・小学校教員)は、一九九九年六月の都教委による戒告処分を受けて以降、地裁、高裁、そして最高裁上告など取り組みについての思いや決意を述べた。(発言要旨別掲)
続いて、入学式の祝辞で「君が代強制」を批判し、PTA会長を辞任に追い込まれた高橋聡さんからの発言。高橋さんは、四月六日、東京都中野区立桃園二小の入学式でPTA会長祝辞で「日の丸・君が代」強制に反対し、都教委十・二三通達と大量処分に抗議した。式後、花岡光明校長は、高橋さんに「公の場であのような私見は控えてほしい」と批判し、PTA会長の辞任を強要し続けた。四月十二日、学校評議委員会で辞任に追い込まれた。その後、高橋さんを支援する仲間たちが校長に面会を申し込むが一切拒否。中野区教育委員会も同様の対応をし続けている。
高橋さんは、「娘の入学式から「日の丸・君が代」に対して着席して歌わなかった。イラク戦争、有事法制、自衛隊の派兵、教育の危機的状況、そして都教委による大量処分という中で、どうしてもこの問題を触れざるをえなかった。教員の方は、処分があるから、代わって指摘しようと思った。誰でも共感してくれると思ったが、PTA役員や保護者から猛反発があった。得体のしれない大きな渦のようなものが日本中で押し流されている。少しでも止める姿勢を続けていきたい。間違っていることをはっきり言える自立した市民でありたい」と発言した。
さらに発言は、「日の丸・君が代」強制に反対する市民運動ネットワークの遠藤良子さんが石原都知事批判、都教委傍聴報告と委員発言の分析と批判を展開。吉峯啓晴弁護士から都教委による処分批判と被処分者たちの撤回闘争の現状と今後の取り組みについてなどについて提起した。
報告後、参加者たちも含めた討論に入り、「学校に自由の風を!」ネットワーク、石原・横山の暴走をとめよう!都教委包囲首都圏ネットワーク、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会などから報告と行動提起が行われた。 (Y)
福岡陽子さんの発言から
なぜピアノを弾かないか国家主義の道具ではない
一九九九年四月、日野市立南平小学校の入学式において「国歌斉唱」の際に「君が代」のピアノ伴奏をするように校長から職務命令が出されまたしたが、私は「君が代」のピアノ伴奏をしませんでした。
六月十一日、市教委は「厳重な処分」を求め、都教委は戒告処分を出しました。その後、人事委員会(二〇〇一年十月二十六日、「請求棄却」)、東京地裁(〇三年十二月三日、敗訴)、東京高裁(〇四年七月七日、敗訴)で争ってきました。そして、最高裁(〇四年九月)に上告しました。
私が「君が代」にこだわり、なぜ弾けないかの理由は二点あります。一つは、「君が代」が天皇制を作り、支える歌であり、一人の人間として、唄うことも、弾くこともできません。もう一つは、国家主義を進めるための道具にされることに、とても我慢なりません。音楽の教員ですから、子どもたちに音楽の喜びを伝えたいと思います。しかし、その音楽も道具にされることを私は許すことができないのです。
各学校で「日の丸・君が代」が百%となっていますが、それは強制によって作りあげたものです。そういう日常を、なんとか一人一人が考えていくことで壊せないかなと思っています。裁判を通して、スポンジみみたいな社会だと感じました。でも、ここに運動があるし、市民レベルで一人一人がいろんなことを考えることにより、ともに作っていきたいと思います。だから負けても、裁判をやっているんだなという気がしています。
裁判を始めた時に、裁判所は聞いてくれるんじゃないかとすごく思ったんです。でも結局出た判決は、校長の職務命令に従うのが、社会通念上当たり前だと言うんです。
高裁では、「君が代」について、在日やクリスチャンの方、私と関わっていろんなことを感じた保護者、子どもの陳述書もたくさん出すことができました。にもかかわらず判決は、社会通念上はみんなやっているんだという言い方をして、判決を出してきました。なんにも見ていない、聞いていないんです。
裁判をやっても無駄かなと、何度も思ったことがあります。でも裁判を行い続けることによって、私が伝えたいことを、少しでも広げることができればいいなと思って上告しました。最高裁に向けて準備をしています。十一月二十七日、「音楽はこころで奏でたい」(府中の森芸術劇場・平成の間、午後六時半から、京王線東府中駅下車)という集いを行います。ぜひご参加ください。(発言要旨、文責編集部)
教育基本法改悪反対集会
ゆるすな! 愛国心の注入と自衛隊のイラク派兵
【大阪】十月八日、エルおおさかで、大阪教育合同労組が教育基本法改悪反対集会を行った。
教育基本法改悪問題では、昨年十二月二十三日東京・日比谷公会堂での五千人を超える規模の大集会を受けた形で、今年四月はじめ、大阪で同じような形の実行委員会主催による集会が行われたが、教育関係労組が主催した集会は、大阪では初めて。
山下委員長は主催者あいさつで、グローバリゼーションの中で、教育が従来のままではたち行かなくなったことが、基本法改悪が出てきた原因だと述べた。憲法改悪と結びついて、イラク派兵にふさわしい教育内容・方法に変えていく、教科書も愛国心を盛り込んだ扶桑社教科書のようなものでないと合格しないようにする、教職員の地位も変える、賃上げもできなくする。このような時代にしようとする流れに対し、ストライキも含め、プロ野球選手会のように労働組合としてフアンが支持してくれるような闘いをしていきたいと決意を表明した。
最初は教師のナ
チ化を実現する
原田一美さん(大阪産業大学教員)が、「ナチ独裁下の教育│学校とヒトラー・ユーゲント」と題した講演を行った。
世界で最も民主的な憲法と言われた憲法をもつワイマール共和国は、ドイツ革命の敗北、世界恐慌を経て終焉し、一九三三年一月ヒトラー内閣が成立。二月に基本的人権の停止、三月に全権(立法権)委任法の成立、四月に職業官吏再建法(反ナチ勢力の公職追放)、五月に労働組合の解体、七月に新党結成禁止法、十月に国際連盟脱退と、ヒトラーは矢継ぎ早にナチの政策を実行に移していく。
ナチは、子どもをどのように教育しようとしたのか。
権力のもとに教
職員組合を糾合
例えば、プロイセンで公職追放されたのは、視学官の四〇%、校長の二二%で、一般教員はそれより少なかったが、全体に与える威嚇効果は十分だった。カリキュラム・教科書は二〜三年かけて変えていったが、副読本中心に教育を行っていく。
「これまでほとんどすべての革命が失敗に終わったのは、革命の本質が人間の教育にあることを指導者たちが理解していなかったからである」というヒトラーの言葉が残っている。体育の授業を増やし、国語・歴史・生物を重視した。
ドイツ民族の偉大さ・優秀さを教え、第一次大戦の敗北と巨大な賠償でふさぎ込んでいたドイツ国民を奮起させる教育を進めていく。優秀なドイツ民族が退化しないためには、他の民族の血が混ざってはいけなかった。
当時さまざまな教職員組織があったが、ナチ政権の成立後、吸収・解体によって、全体の九七%を組織したナチ教員連盟(初めは五%を組織する小さな組織)のみになる。そして、教員の世界観研修が、夏休みの十日間の合宿形式で強制されていく。このようにして教員・教員養成大学の学生がナチ化されていった。
国家は最初に教
育に手をつける
ナチは、どちらかというと子どもの頃は落ちこぼれだったものが多いから、学校を本心からは信用していなかった。ナチが学校教育以上に重視したのが、ヒトラー・ユーゲントによる教育だった。
一九三六年にヒトラー・ユーゲント法が成立、十歳から十八歳までの青少年が加入を義務づけられ、入団しないと親は罰せられた。ユーゲントは、地域ごとに年齢・男女別に四つに組織された。十人で班、四班で小隊、四小隊で中隊、四中隊で大隊というように、軍隊式に組織された。
全体で六百万人、うちリーダーが七十万。リーダーは研修でナチの思想教育を受けた。活動は水曜日放課後と土曜日午後で、土曜日は屋外の訓練だった。
ユーゲントの活動は子どもたちには予想に反して楽しいものだった、と経験者は回想している。できるだけ押しつけを廃して、遊びながらナチの思想を植えつけるような工夫がされていた。同年代が同年代を指導するというやり方で、リーダーにはそれなりに充実感があっただろう。
原田さんはこの講演で、権力者が社会を方向付けする時にまず手をつけるのが教育である、ということをナチの教育政策を分析しながら説明した。
さまざまな闘
いの結合を
続いて、協賛団体であるおおさかユニオンネットワーク代表の加来さんがあいさつ。さらに小・中・高の教育現場からの報告があり、学校五日制と新教育課程にもとずく総合的学習で現場はとても多忙化していること(小)、驚くほどの学力低下、学力での生徒の層の二極分解、理念だけの選択授業、日の丸・君が代の強制、こころのノートのこと(中)、高校再編による「分に応じた教育」と文部科学省から三千万円の金が下りるスーパーサイエンススクールのこと(高)が報告された。
扶桑社教科書採択反対の運動をしてきた市民を中心に、十一月二十一日に計画されている教育基本法改悪反対集会の実行委員会からのアピールがあった。
戦前の教育はド
イツから学んだ
最後に、質疑応答。
「ユーゲントの子どもとおとなの関係はどうだったか」という質問に原田さんは次のように回答した。
「おとなや教師がへたなことを言うとどこに伝わるかわからないから、自主規制するようになった。子どもから見て教師が偉そうにしなくなったという」。
「ユースホステルはナチを引きずっていないか」という質問に、原田さんは答えた。
「十九世紀頃からの運動で、工業化により環境が破壊されていく中で、ハイマート、故郷を大切にしようという思いから生まれた運動だった。ナショナリズムにつながる傾向も持ってはいたし、一部はナチに流れたが、一応ナチとは区別して考えている」。
「日本も学校教育法や社会教育法の中に体験学習が盛り込まれた。ドイツでは青少年の奉仕活動が低賃金労働に組み込まれていて、奉仕活動に参加するものが多いと聞くが、彼らの考えはどのようか」という質問に、原田さんは答えた。
「青小年は軍隊より養護施設などを選択しているようだ。低賃金労働に組み込まれていることは知らなかった」。
また会場から、「日本の国民学校時代、自分は級長だったからまわりの生徒から小隊長と呼ばれ、担任は中隊長、校長は大隊長と呼ばれていた。まさにナチのやり方に日本は学んでいた」という戦中時代の教育の風景が紹介された。 (T・T)
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