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PT(労働者党)内部での闘いか、新たな左派社会主義党の建設か |
新自由主義路線を踏襲するルラ政権へのオルタナティブは可能か
解説
ブラジルで、労働者党(PT)と統一労働者社会主義党(PSTU、モレノ派トロツキスト)の異論派によって新しい社会主義政党――社会主義と自由党(PSoL)――が最近結成されたことにより、新党建設の決定が賢明であったか否か、あるいはその可能性はどうかをめぐってブラジル左翼の間で活発な討論が行われている。
ここにわれわれの同志エロイザ・エレナ(アラゴアス州選出の上院議員で、社会主義的民主主義潮流の支持者。昨年十二月にPTから除名された〔本紙04年新年号参照〕)とのインタビューをはじめとするさまざまな見解を掲載する。エロイザ・エレナは、現在PSoLの委員長である。
他の三つの文章は、異なった角度からこの試みを批判している。最初のものは、PTの「左翼明確化潮流」の指導者によるもの。第二は、ブラジルの戦闘的社会運動と密接に連携するカソリック左派の週刊誌の論説(編集部注:紙面の都合で掲載できず)。第三は、PT社会主義的民主主義潮流(ブラジルの第四インターナショナル支持者が参加)が発表したもの。(J・M)(「IV」04年秋期号電子補充版)
エロイザ・エレナ上院議員とのインタビュー
「私たちは社会主義の理想を防衛するためにPSoLを結成した」
PT(労働者党)から除名された議員たちが主導する新しい左翼政党は、重要な前進をかちとった。連邦の首都ブラジリアで行われた結成会議には、ブラジルのさまざまな地域から七百人近い活動家が結集し、党名を選び、規約を採択し、社会主義と自由党(PSoL:solの発音は、ポルトガル語の「太陽」を意味する)の暫定綱領を承認した。
自らをさまざまな左翼政党へのオルタナティブと見なしている同組織は、アラゴアス州から選出された前PTの上院議員のエロイザ・エレナを委員長に選んだ。彼女以外にも、新しい議員グループとして前PTの下院議員ババ(パラ州選出)、ジョアオ・フォンテス(セルジペ州選出)、ルシアナ・ゲンロ(リオグランデドスル州選出。彼女は教育相タルソ・ゲンロの娘)が入ることになるだろう。三人は皆、議会で社会保障改悪に反対投票を行ったことにより政治的孤立化をこうむった。この孤立化のプロセスは、二〇〇三年十二月のPT全国指導部会議で、規律違反により除名されたことで頂点に達した(本紙04年新年号参照)。
PSoL結成大会に参加した人びとのほとんどは、PT社会主義的民主主義潮流(DS)――この人びとは新組織内部で「赤い自由」と呼ばれる潮流を結成した――、ブラジルの共産党(PCdoB)の異論派、統一労働者社会主義党(PSTU、モレノ派トロツキスト)の出身者、ならびに公共部門の労働組合活動家(とりわけ教員)とMTL農民運動、独立グループの活動家である。新党の十六人の執行部のうちの一人の言によれば、ほとんどの活動家にとって、この新党は制度的政党を結成する「最終的試み」である。この新グループに参加した「著名な人格」の中には、社会学者のシコ・デ・オリベイラや学者のパウロ・アレンテスがいる。
PSoLが選挙に全面的に参加するためには、まだこれから「法的承認運動」に成功する必要がある。つまり登録に必要な署名を集めなければならないのである。二〇〇四年十一月の自治体選挙の日に、「PSoLの部隊」は四十三万八千人の署名を集めるためにブラジル全土に広がるだろう。新党の委員長エロイザ・エレナは「われわれはすべての州でセミナーを開催します。われわれが従うべき正規の形式と『お役所的資格』を満たすこと、そしてわれわれが採択した暫定綱領と規約を練り上げることが、その目的です。最後に、私たちはポルトアレグレでの世界社会フォーラムの最中に、第二回全国会議を持つことになるでしょう」と語った。
PT建設に力を貸すために「人生の最良の時期」を捧げたと語るエロイザ・エレナ上院議員は、社会運動においても議会の中でも、PTが野党として参加していた時には制限されていた新自由主義政策が、今や深刻なものになっているとして政府を批判した。彼女はさらに「私たちは、政治的避難所を建設し、勤労階級の旗を守り、社会主義左翼の全歴史を通じて蓄積されたイテオロギー的・綱領的成果を防衛することが私たちの義務だと感じています」と語った。
以下に掲載するのは、新党の第一回全国会議の直後に、二〇〇六年のブラジル大統領選挙にPSoLの候補となる可能性のあるエロイザ・エレナ上院議員と行ったインタビューの抜粋である。
新自由主義に屈
服したルラ政権
――PSoLの綱領と既存の左翼諸政党の綱領との主要な違いはどこにありますか。
現在、他の諸政党は、勝ち誇った新自由主義的プロパガンダの道具として振る舞っています。彼らはルラ政権が実施している新自由主義構想をさまざまなやり方で支持しているからです。社会主義者であれ資本主義の支持者であれ、ルラ政権の行動に対する正確な分析を行おうとする分別のある人なら誰でも、国際通貨基金(IMF)などの多国間金融機関に寄生した従属状況、公共金融の投機の利害への歪曲、私たちがつねに防衛してきた国家機構の改革とはなんの関係もない諸「改革」を目の当たりにすることになります。
私たちは、少数の人びとに奉仕するために私有化されたこのブラジル国家の改革を支持しています。他方、前任者のフェルナンド・エンリケ・カルドゾの足跡を継いでルラ政権によって遂行されている国家改革は、彼らの経済政策とマネタリスト正統派路線の結果である財政支出の増大を、社会予算の切り捨てによって埋め合わせるだけのメカニズムなど、たんなる新自由主義的「反改革」にすぎません。公共部門の労働者は、年金改悪に見られるように、投機家の利益のために犠牲にされ、公共資産は文字通り略奪されています。
左翼にとっての
「避難所」をつくる
――こうしたことは不可逆的なのでしょうか。社会的緊張がルラ政権の方針を変化させるチャンスはないのでしょうか。
私は、ブラジルとその幾百万の抑圧された人びと、排除され、周辺化された人びとのために、社会の活力ある諸勢力が、組織的な方法で変革のための圧力をもたらすことができるよう望んでいます。しかし不幸なことに、多くの社会運動は官僚化し、政権構造の中での責任を引き受けるとともに、こうした社会的緊張を阻止するために彼らの基盤をマヒ状況におちいらせています。
私が事態の変化を望んでいるのは確かですが、すでに政府によって取られた諸措置の見通しの中では、方針の変化が起きる客観的可能性を信じていません。無形であり、地理的にも存在するわけではない神を想像することができるとすれば、私が政府に路線の変化を強制するブラジル人民の力とその闘争能力を信頼することに賭けることもできるでしょう。不幸なことに、私が行った政府のメンバーへの分析では、彼らは立場を変えてしまったのです。
したがって、私は左翼にとっての「避難所」を建設する義務を感じました。彼らが立場を変えたとしても、左翼的伝統に囚われるようにするためです。彼らが反対側に行ってしまった時点から、彼らはもはやブラジル人民、ましてやブラジル左翼に認められようとすることなく、歴史的旗印を一掃し、踏みつけにしました。その歴史的旗印は、あれこれの政治的人格や党によってではなく、英雄的な闘争によって、ブラジル、ラテンアメリカ、全世界の勤労諸階級と社会主義活動家の血と汗と涙によって正当化されたものなのです。
このような歴史的参照点と、そこからもたらされる綱領的諸概念は、私たちの新党であるPSoLをふくむいかなる政党。個人の所有物でもありません。人民諸階級の想像力の中にある、こうした政治的目標を促進するものとして認識された政治的手段が失敗に終わったのならば、私たちの任務は新しい党を建設するこことなのです。
議会外に新党の
活路を求める
――もっと多くのPTの議員やカードルがPSoLに参加することを望んでいますか。
PSoLは、すべての左翼政党の活動家がわが党に参加することを、喜びと多くの愛と連帯と尊敬をもって歓迎します。PT、PCdoB、PSTU、そしてその他の政党を離れた多くの人民の闘士が、私たちとともにあります。しかし私は、他政党の活動家、ましてや議員を誘い込むことに汗を流したり、エネルギーを費やそうとは思いません。議員が起こっていることを正確に知っているというだけのために、彼らを引き込もうとは思いません。
こうした人びとが、政府を離れて私たちに参加することを決めるとしたら、彼らは両手を広げて歓迎されるでしょう。私たちは、共通の歴史の歩みの中で作りだされた一種の愛情の紐帯を持っていますが、それはもはや一緒に政治をやっていく絆とはなりません。このような愛情の紐帯がこわれたのは、それが強くはなかったためであり、活動家生活のイデオロギー的・綱領的不一致にもかかわらずそれが維持されるほど十分に誠実なものではなかったためです。
正直なところ私は、今日存在している党の構造の外部に、尊厳と勇気と寛容を持った社会主義的生き方があったことを、すでに知っています。そして私は、新党を建設するための「砂漠」を横断し、同行者と出会う中で、このことを確信しました。それは私にとって真の修行期間でした。私は、他党の活動家や議員を説得するためではなく、こうした人びとを獲得するために献身しようと思います。(この記事は、ラテンアメリカとカリブ海地域の第四インターナショナルの電子版「インプレコール・アメリカラティナ」からの翻訳)
選択に直面する左翼――権力の問題をどう解決するか
バルター・ポマル
ルラ政権の敗北
がもたらすもの
ルラ政権は、ブラジル左翼内部での少なくとも二十年間にわたる力の蓄積の産物である。今日、われわれの政府は、金融資本、農業・食品産業、輸出部門のヘゲモニーを永続化させる経済政策を適用している。ルラ大統領がやってきたこととルラ大統領がやっていることとのこの矛盾は、連邦政府に対するブルジョアジーの政治的両面性を説明する。一方で彼らはパロッチ(1)を賞賛し、他方でルラの敗北を準備している。最終的には、あらゆることにもかかわらず、現政府はブルジョアジーの観点からいって適切なものではない。そのために、ルラが現在の経済政策(それは彼自身の社会的な、選挙上の、かつイデオロギー的な基盤をむしばんている)を維持することや、次の選挙で勝利することは、きわめてありそうにもないのである。
選挙によってであろうと、あるいは「内部から」(政府が、その出自である運動へのあらゆる関与と決定的に切れることによってもたらされる)であろうと、右派が勝利すれば、社会主義左翼は必要な再組織化を強制される。それには何十年もかかるだろう。
その動機がどのようなものであれ、ルラ政権の敗北は「客観的に」右派の強化を意味する。したがって、「左翼」と見なされる誰であれ、この政府を敗北させたり、打倒するために活動することは危険である。そうした態度は、政権内で現在ヘゲモニーを持つ方針を敗北させることを目指す政治的活動(公的な政治活動をふくむ)とは異なったものである。
社会主義と自由党(PSoL)は、ルラ政権に対する左翼オルタナティブを建設すると主張している。同党が、方針を変えるという意味で、外部から圧力をかけることをめざした「建設的」反対派になっていないことは明らかだ。もしそうなっているのなら、PSoLの立場とPT内左翼の立場には基本的違いはない。外部から政府の路線を批判する人には、より多くの自由と、より少ない束縛があるだけだ。
PSoLは、ルラ政権と右派に対して同時に闘い、左翼的で社会主義的で真に民主主義的な民衆運動を提示することが可能であるかのように行動することによって、「破壊的」反対派の建設を追求している。
現実には、PT左派、ルラ政権、そして伝統的右派を迂回できるほど十分に強力な、新しい社会主義的・民主主義的・民衆的極を生み出せるような闘争の波は存在していないし、またそれを追求することもできそうもない。
ブラジル左翼の広範な部分が、ルラ政権の目標を批判するという選択を行った理由がここにある。われわれは一九七〇年代後半に開始した政治的波の継続の中に自らを置き、それを修正していくだけである。他の仮説は、現在の経済政策の追求であろうと、伝統的右派への回帰であろうと、敗北と一九六四年クーデター後にわれわれが知っているよりもさらに深刻な分散を経験することになるだろう。
PSoLの登場は、この分散化がすでに始まったことの現れである。逆説的なことに、新党はPT型の組織モデルを後追いしてきたように見える。それは、現在わが国で進行中の階級闘争に影響力を持っていると主張する人にとっては誰でも自然なことである。大衆的基盤と議席を持ち、選挙戦に参加することが必要である。
しかしPTとは異なり――PTは最初は小さかったが、力強い政治闘争の波によって力づけられた――PSoLは、闘争が弱体化した時期に登場した。さらに最初の数年間、制度的闘争にはほとんど重要性を持たなかったPTとは異なり、PSoLは議員に過剰なまでの価値を置いており、すでに共和国大統領選への候補を立てるなど、PTルラ候補への悲劇的な依存をカリカチュア的な形で再生産している。
PTの政治的・社会的プロジェクトを顕著に変化させるのに二十年間を要した政治的・社会的プロセスは、創設の段階からPSoLにその特徴を刻み込んでいることは明らかだ。それは、PTと政府の経験といまただちに決別したいと願っているすべての人々にもあてはまるだろう。これらの人々は、現在の時期における政治的介入の縮小という犠牲の上に、もう一つの戦略的オルタナティブを長期的に建設することにエネルギーを注いでいるのだ。
近年のPTの立場の変化は、一九九〇年代に欧州社会民主主義が一世紀におよぶ存在の後にたどった力学――革命から改良へ、社会主義から資本主義へ、社会民主主義から新自由主義的資本主義へ(最終的には、いわゆる「第三の道」ないし中道左派を通じて)――の「加速」版であった。
大衆的革命政党
建設のために
今日におけるわれわれの問題は、PTとルラ政権の政治的目標に集約されるものではない。重要なことは、一九七〇年代末と八〇年代にブラジルの労働者階級の中にあった民主主義的な民衆的・社会主義的推進力を再建することである。
今日、労働組合運動をはじめとしたブラジルの社会運動の多くの部分は、PTならびに労組連合CUTの穏健派のヘゲモニーの下にある。別の部分は、党の政治活動に純粋に批判的であり、あたかも「社会運動」が権力の獲得と社会主義建設の問題を解決しうるかのように行動してきた。
権力の問題、国家の問題を解決することぬきに、わが国を変革することは可能なのだろうか。闘争と党の政治組織ぬきに、権力の問題を解決することは可能なのだろうか。われわれが生きている政治的諸条件の中で、左翼政党はブルジョア秩序に引き入れられることをいかに回避するのか。あるいは、ほとんどの社会主義政党や革命政党に見られるように「永遠の少数派」という状況に切り縮められることをいかに回避するのか。
われわれは、我慢のなさを理論的議論に移し替えたり、われわれの敵が右派であることを忘れることによって、こうした問題に答えることはできない。われわれがオルタナティブな戦略と綱領を築き上げるには、社会的・政治的勢力が必要である。こうした勢力は、われわれの政府の敗北の産物ではないだろう。実際、もしルラ政権が敗北するなら、社会主義の勢力とブラジルの政治の場での自由は、急速に収縮してしまうだろう。われわれが、別の道を歩もうとする人びとの選択を尊重しつつ、政府とPTの目標を変革するために可能なかぎり闘いつづける理由は、ここにある。
(注1)アントニオ・パロッチ。ルラ政権の蔵相。彼は新自由主義的・親IMF方針を支える主要人物と見なされている。
*労働者党(PT)副委員長のバルター・ポマルは、PT「左翼明確化潮流」の調整委員会メンバー。同潮流は一九九〇年代初頭に、PTの歴史的潮流の分裂によって結成されたものであり、PT内の社会主義左翼潮流の中で、社会主義的民主主義潮流(DS)に次いで二番目に大きい。この二つの潮流は最近、協力を強めて、共同の綱領的セミナーを開催している。この文章は電子版「インプレコール・アメリカラティナ」からの翻訳。
社会主義的民主主義的PTを再建する共同の努力を
「ジョルナル・デモクラシア・ソシアリスタ」
連邦議会議員のババ、ルシアナ・ゲンロ、ジョアオ・フォンテスは、PTを除名される以前から新組織の結成を声明していた。現在、「新党」は社会主義と自由党(PSoL)という名称を持つにいたった。エロイザ・エレナ上院議員は新組織の主要スポークスパースンである。
PSoLの基本的活動家は、主要に社会主義左翼運動(MES)と労働者社会主義潮流(CST)の出身である。この二組織は、モレノ派トロツキズムの伝統の一部である。彼らは、モレノ派の社会主義結集潮流の多数派が統一労働者社会主義党(PSTU)を結成してPTを離れた時にもPTに止まり、CSTとして統一した。
ジュニア・ゴウベア、マルシニアノ・カバルカンテといった元PSTUの活動家や指導者(この両者は違った時点でPSTUを離党した)が、PSoLの指導部の一部となっている。社会主義的民主主義潮流(DS)全国会議の決定を尊重しなかった少数の活動家は、「赤い自由」に結集し、PSoLを支持することになった。彼らはこの決定をDS内のいかなる集団的討議にも委ねなかった。
われわれにグラムシと「革命の過程」概念を教えたミルトン・テメルとネルソン・クティーニョは、フランシスコ・デ・オリベリアとともに新党に入った。
政権が引き起こした覚醒とPTの変転への不満は、さまざまに異なった政治的伝統の結集と、新党の宣言に導きうるものである。しかしわれわれはPTの経験の光に照らして、もっと多くの有益な政治的手段を建設することが必要だということを知っている。そしてわれわれは、選挙登録のためには四十三万八千の署名が必要だ(1)ということについて語っているのではなく、変革的な政治行動を作りだす共同綱領の中で異なった概念を統合することができるような、ふさわしい「暖かな」社会的・政治的環境が存在しないことについて語っているのである。
二〇〇三年十一月に開催されたDSの第七回全国会議は、以下の決議を採択した。
「われわれは、PTの歴史の中から生み出された積極的な価値の防衛を追求することを価値あるものと考える(綱領的貢献、潮流の権利と内部民主主義、フェミニスト的成果、左翼と経験と諸勢力の総合)。この枠組みの中で、党員組織と広範な政治的・社会的運動のPTの下への連携を刷新することも必要である」。
「われわれは、社会主義的・民主主義的党の歴史的・戦略的構想を防衛する正統性に自らを基礎づけ、PT内の路線をめぐる闘いに介入することをめざす。党内の衝突の発展に直面する中で、社会主義的・民主主義的党としてのPTの再建と機能化を結集の極とした広範な左翼潮流建設を前進させることが、以前にもまして必要である」。
「この潮流の建設と、オルタナティブとなるPTの社会主義的再建をめざす闘いは、PTの綱領的性格の放棄を目指す厳しい圧力に直面した。またPTを離れてセクト主義的党の構想を求める人びとにも直面している。この二つの路線は、大衆的な社会主義的・民主主義的党建設の経験を断念するものである」。
(注1)フェルナンド・エンリケ・カルドゾ大統領の時代に導入された法律は、政党結成の条件を変えるものだった。新党は選挙戦に出るために多くの署名を集めなければならない(ブラジル連邦全体で四十三万八千!)。労働者党結成の時は、政党の法的承認条件はもっとゆるやかだった。
*社会主義的民主主義潮流の「ジョルナル・デモクラシア・ソシアリスタ」誌4号、04年7月より。
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