もどる

鉄建公団訴訟個別立証第2期日             かけはし2004.11.08号

採用差別の実態を証言

涙と怒りに体を震わせた訴え

不当な国労解体攻撃を居直る鉄建公団に鋭い反撃

なぜ「広域採用」に応じられないか

 十月十八日鉄建公団訴訟個別立証第二期日には五人の原告が立った。
 函館闘争団でただ一人原告になった佐々木さんは主尋問の中で、激しい職場規律是正の攻撃が組合事務所の便宜供用の一方的廃止や掲示板の撤去、ワッペン着用に対する弾圧など団結権の侵害や現場協議制に見られる合意形成などの場の破壊としてあったことを明らかにした。また動労組合員に業務を教育した後、人活に送られる「血の入れ替え」の過酷な実態などを通して激しい国労差別の事実を描き出し裁判官に訴えた。また一九八七年の採用差別の実態も数字を出して明らかにした。
 そして清算事業団での自学自習の強制や研修と称してエアロビクスなど、就職斡旋とは関係ない業務を強要し、その事業団でもランク付けをして、とことん差別を助長していたことも告発した。また広域採用には家庭の事情や地労委救済命令などもあり応じられなかったことも説明した。そして最後に妻がアルバイトを始めた後に脳梗塞で右半身マヒになり闘病生活を送っていること、それは解雇が直接的原因ではないにしても大きな要因になったのではないか、と憤慨すると同時に妻に申し訳なく思っていること、子どもに苦労かけたことなど、耐えがたい怒りで涙声になりながら不採用が引き起こした苦難を裁判官に訴えた。
 反対尋問は職場規律是正に批判的で企業人教育に不参加だったことを上げ、不良社員のレッテルを貼ろうとしたが、それは団結権への侵害であり民営分割を認めろとの転向教育であることを知り尽くした傍聴席の国労組合員からの、失笑と抗議とともに反撃された。
 二人目に立った清野さんは「国労にいては新会社にいけないよ」という脱退工作を受けても崩れない団結の強い分会だったために、国労でJR希望三十八人の内たった三人しか採用されなかったことを述べた。希望退職を望んだ人を採用した一方、管理者も認める仕事上で中心的存在だった組合員を不採用にしたと、その不当性を訴えた。自分も処分などないにもかかわらず不採用になったことに「屈辱を感じ、どうしてここまでやるのか」と怒りをあらわにした。
 そして清算事業団は計画性もなく再就職させる気もなく、地労委命令でJRに戻ると考える人とあきらめて再就職の道をとる人とに分れていったことを述べた。また面談は六回やったが、当初JR北海道は欠員が会ったにもかかわらず「JRは難しい、公的(公務員)は厳しい。民間を考えろ」と繰り返すだけだったと抗議した。広域採用も応募したが、JR東日本で玉突きがあった経過があり、また現地の仲間のことを考え、自分だけとはいかないと思い辞退したと、その心情を臆することなく述べた。さらに親戚に採用、不採用、再就職の者がおり、人間関係が壊されている現実も率直に述べた。最後に妻や子どもに厳しい生活を強いてきたことを悔やみながらも「私には誇りがある、不採用には屈辱を感じた。なんとしてでも名誉回復したい」と述べた。
 鉄建公団代理人はあくまで不良社員の枠にくくり、広域採用に応じなかったことを本人の身勝手かのように、あげつらったが、広域採用によってJR内の国労組合員が玉突きで追い出される実態や地中労委の救済命令がある限りJRに採用を求めることは当然なことを指摘した。
 その後も三人の個別立証があり、それぞれ全力でJR不採用の不当性を訴え、清算事業団の三年間は「一人も路頭に迷わせない」との国会答弁とは裏腹に再就職の斡旋が中心なのではなく、いやになってやめていくように仕向けることが優先業務であったことを憤りとともに明らかにした。そして個人の尊厳にかけて事業団を告発していることを裁判官や傍聴者に訴えて、原告合計五人の個別立証、傍聴者延べ三百人、約七時間半に渡る全一日裁判闘争を闘い抜いた。(蒲田宏)


NO!ナカソネNO!コイズミの声高く
映像・音楽・トークの夕べで告発

 十月十八日鉄建公団訴訟が終わった夜、シニアワーク東京(現東京都お仕事センター)で裁判報告もかねた「解雇された国鉄労働者は訴えるNOナカソネ!NO!コイズミこんな日本に誰がした、映像・音楽・トークの夕べ」が約三百人を結集して開催された。呼びかけ人あいさつに立った立山さんは「鉄建公団訴訟の告発を縦軸に国鉄分割民営化は横軸に中曽根を追及する国民的告発運動を作る」ことの重要性を訴えた。そして再度、分割民営化は何だったのかを国鉄の土地の分捕り合戦であり総評の破壊であったこともアピールすることを付け加えた。
 次に当日法廷に立った原告団の佐々木さんが登壇した。当日まで弁護士と打ち合わせたA判で四十八ページの準備を一週間で闘病中の妻の助けと好きな酒を絶って頭に叩き込んだことを紹介した。また「今日はどうなるのか心配したが十七回の裁判をやる中で自分も自信を持ってやりきることができた」と誇らしげに語った。そして「四党合意」を闘争団との話し合いを無視した「無条件敗北」と批判、函館闘争団からたった一人で立ち上がった経過を報告した。「中曽根は紙切れ一枚で私たちを首にして私たちと家族を路頭に迷わせた張本人」と指摘、「何が何でも勝たねばならない」と力強い発言を締めくくった。

中曽根の地元にNO!ナカソネのデモ

 次は中曽根のおひざ元、群馬県高崎市でのNO!ナカソネ・キャンペーンデモのビデオ上映だ。楽しくにぎやかに中曽根の生家や中曽根の私塾への抗議行動が暑い日差しの様子も映し出しながら熱く伝わってくる。中曽根告発の替え歌などを歌いながら、高崎中にNO!ナカソネ、NO!コイズミの声を響き渡らせた一日行動は会場にも熱気をもたらした。
 続いて高崎の行動で始めて歌われた替え歌の「責任とってよ中曽根さん」の作者である国労高崎地本委員長の中村さんが登壇した。中村さんは高崎行動を盛り上げるために急遽作り上げた替え歌を原告団のギターの演奏で歌い始め、会場全体が合流しての大合唱となり集会も盛り上がった。

中曽根の犯罪を告発するリレートーク

 続いては「中曽根の犯罪を告発する」という一人三分のリレートークが始まった。都立高校音楽教員の池田さんは中曽根靖国公式参拝以降の急速な反動化と「日の丸・君が代」処分の経過を報告し、「主権在民に反し、天皇を讃え、戦争に駆り立てる君が代は演奏できません」と訴えた。国労OBの石田さんは中曽根臨調の嵐のような国労攻撃の最中、群馬の中曽根後援会で中曽根が「国家目標に反対するものは子々孫々まで群馬では仕事をさせない」と暴言を吐いていたことを紹介した。
 その後立川自衛隊監視テント村の大西さん、東京大学学寮廃止反対を戦い抜いた須藤さん、沖電気被解雇者の田中さん、東京大気汚染訴訟原告、靖国参拝違憲訴訟原告、中曽根が戦中慰安所を作ったことを告発しているキリスト教婦人矯風会の高橋さん、郵政四・二八被処分者の名古屋さん、中曽根不沈空母発言をパロディ化したマッド・アマノさんらが次々と中曽根の犯罪を告発した。最後に原告の岩崎さんが12・1全国集会への大結集を訴えるとともに「夜明けがくる、そういう気持ちで戦う」と発言、多彩な角度から十一人の反中曽根・反小泉のリレートークを締めくくった。

夜明けに向けた合唱

 最後のパートは歌う浪速の巨人、趙博さんのミニコンサートが行われた。「君が代」を河内音頭やどどいつ、いくつかの外国語でパロディ化して歌い、会場を爆笑させ、トークで笑いを誘いながら、力強い歌声で会場を盛り上げた。そして最後に闘争団を壇上に上らせ、「人として生きるパートU」の最後の部分に導入された「光のエチュード」を闘争団とともに大合唱の中歌い上げ、ミニコンサートを終えた。
 最後に鉄建訴訟原告団長の酒井さんが行動提起を行い十二月四日の訴訟第V期日や十二月一日の全国集会の結集を確認して集会を終了した。(10月22日 蒲田 宏)

追伸
国労定期全国大会の集約どおり鉄建公団訴訟原告に対する生活援助金「凍結」措置は指示五号によって解除された。実際的措置としても生活援助金は七月から三カ月分に限って十月中旬闘争団に振り込まれた。
 「人道的」解決を求めながら闘争団原告に反労働者的に振舞うことに対する、共闘諸団体からの批判、全国の闘争団からの要請、多くの組合員からの轟々たる非難と抗議があり、それらに耐えられなかった結果と想像される。本部が原告団に首輪をはめようとした諸条件は見事に一蹴された。
 しかし解除が凍結時にさかのぼっていないこと、その間プールされた援助金の取り扱いが不明なこと、二十二人の統制処分が解除されないことなどに鉄建公団訴訟原告団は正当にも抗議声明を発している。



経済時評

石油価格高騰は労働者に何をもたらすか

G7の憂鬱―景気減速は必至

 十月一日、G7(七カ国財務相・中央銀行総裁会議)が開幕された。この会議に中国が初参加した。日本からは、谷垣禎一財務相と福井俊彦日銀総裁が参加した。
 近年の中国の工業生産の増大に伴う中国の通貨である人民元改革、つまり変動相場制への移行が議題に上った。
 今回のG7の特徴は、石油の消費側と供給側の歩み寄りを強調したことだ。それは、経済成長の鈍化を招きかねないし消費側の自粛の発言であり、景気回復の減速要因となる。資本主義的自由主義経済圏内にあっては、矛盾に満ちた袋小路の発言そのものである。
 さらに十月十五日、FRB議長グリーンスパンは、ワシントンで講演した。
 「米国の景気や物価に与える影響は一九七〇年代の石油危機当時より小さい、原油価格が一段と上昇すれば、深刻な結果をもたらすリスクが高まるが、これらの要因の一部はいずれ消滅する」と述べ、石油高騰は恒常的ではないとの意見を表明したが、先行の不安を「われわれは原油市場の不確実性と共存していかなければならない」と締めくくった。

「政情不安」を背景にした不安感

 WTI(ウエスト・テキサス・インターメディエート)は、米国テキサス州沿岸部で産出する原油の略称のことである。WTIは一九八三年にニューヨーク・マーカンタイル取引所の原油先物取引市場に上場され、いまでは北海ブレント、ドバイ原油と並ぶ世界三大指標のひとつになっている。
 そのWTIが、去る九月二十七日、石油価格が、一バレル五〇ドル台になり、十五日には、五五ドル、二十二日には、五五・四五ドルとなり、一九八三年の取引以来最高値を更新した。こうした価格の大幅変動は、九年振りであるが、これに遡り一九七〇年代のいわゆる石油危機から一九八一年の実質的原油価格のピーク時を経過し、今回の価格高騰期をむかえた。
 この背景には、幾つかの要因が絡んでいる。産油国の年間生産管理体制の下、その生産量を圧迫する消費の上昇が上げられる。近年の米国、そして中国の四割増しにも及ぶ消費量の増大が上げられる。これは、中国国内の工業生産の増大が背景にあり、近年の急成長スタイルが海外市場の拡大と結びついたことがその特徴であり、世界的な貿易のあり方とも複雑に絡んでいる。
 先にも述べた供給側の産油国の年間生産量の計画量と実際の消費量の増大に対して余力(ストック分)が狭められ、さらに産油国である中東諸国の政情不安、特にナイジェリアで、石油会社の労働者が、ゼネストに参加したことが追加的に上げられるが、最も重要なことは、既得権益を護ろうとする投資家たちが先行きの見通し不安から石油を買いに走ったことである。こうした投機的要因こそが石油価格の上昇を招いたと言える。

価格高騰と賃金の切り下げ

 かつて故エルネスト・マンデルは、投資を決定する利潤率の変動を労働者の実質賃金水準(=所得分配率)と労働者闘争の局面を重視する見解を唱えていたことで知られているが、こうした局面に即して言えば、日本の実質的な物価上昇変動が、現在の日本の労働者の実質賃金水準(=所得分配率)上昇を押さえ込む局面にすでに入ったことを示している。
 かつて日本経済は一九九〇年代には、景気循環の上昇・下降の波を経験し、九六年のGDP三・六%上昇という先進国のなかでも最高の水準を記録した。
 しかし日本経済の現在の局面は、慢性的過剰生産を主な要因とする長期的停滞局面に入っている。世界的過剰生産という傾向に加えて日本では、労使環境のあり方が、慢性的過剰生産を促すという悪循環を繰り返し進行していった。
 さらに「日本的経営」と言われたものは崩壊し、雇用を取り巻く環境が変化している。正社員とパート的雇用の併用の拡大により実質賃金は抑え込まれ、投機的要因による石油価格高騰の余波が多くの工業関連商品の物価上昇をうみ出している。運輸関連では、燃料費の価格上昇、鉄鋼などの工業原材料の価格上昇などが代表的に上げられるが、労働単価の引き上げに直接つながらない現状にあっては、重層的に労働者の生活や家計を圧迫してきている。    (浜本清志)


もどる

Back