もどる

新たな連帯を打ち固めた第17回団結まつり             かけはし2004.11.15号

鉄建公団訴訟、残り2回の公判に大衆的結集を


 一〇月三十一日、東京亀戸中央公園で「国鉄労働者一〇四七名の解雇撤回、戦争と失業NO!をスローガンに」第十七回団結まつりが開催された。前日から夜半にかけての秋雨と雷の名残りで朝まで小雨が続き心配されたが、午前十時頃には、傘の必要もなく祭りは開催された。
 オープニングのあいさつで共闘会議議長の二瓶さんは「国鉄闘争は今が正念場だ。鉄建公団訴訟を政府もJRも国労も他労組も無視できない状況を作り出している。国労だけでなく一〇四七名の団結が必要だ。鉄建公団訴訟も残された二回の個別立証で終わりとなる。十一月四日と十二月二日の裁判闘争を全力で大衆闘争で闘おう」とあいさつを行った。
 海外ゲストの紹介では韓国民主労総の仲間とイラク失業労働者組合の仲間が舞台に上がった。
 韓国民主労総の仲間は「韓国では非正規職労働者が五五%占めているが、それ以上に増大させようとする労働法の改正が行われようとして、それに対するゼネストを準備している」と緊急の状況を報告した。そして現在、日韓で行われているFTA交渉は韓国労働運動潰しであり同時に韓日労働運動を新自由主義のもとに生きる権利を奪うものだと共闘を訴えた。またゼネストの目標は「労働法改悪反対、日韓FTA締結反対、イラク派兵反対だ」と表明し、団結を、とこぶしを突き上げた。
 韓国民主労総の仲間の闘争報告は、日韓労働者の共通の課題を鮮明に指し示し会場参加の仲間たちの心を揺さぶり大きな拍手で応えられた。
 その後は勝利した闘いの報告で、関西航業争議団、大熊整美堂、郵政四・二八、国労鶴見駅分会の仲間がそれぞれ支援のお礼と今後の闘う決意を発言した。
 鉄建公団訴訟原告団の佐久間事務局長が登壇した。佐久間さんは二回の個別立証が成功裏に終了したこと。訴状を読んだ弁護士が「こんなにひどい不当労働行為が北海道や九州でやられていたのか」と感想を述べ、これだけの不当労働行為の事実が突きつけられたら、裁判所も動かざろう得ないだろうとの発言を得たことを紹介した。そして十一月四日の裁判には北海道から大勢の家族の裁判傍聴を参加させる取り組みを述べ、十二月二日の最終日とあわせ大結集を訴え発言を締めくくった。
 その後も舞台では「日の丸・君が代」反対の大衆運動、沖縄の闘いなどの取り組みや報告が続いた。
 一方昼になって青空が見えるまで回復した天気の下、会場には近隣の住民も続々と集まり始めた。北海道や九州の新鮮な海産物や珍味などに舌鼓を打ち、いろいろなお土産などを手に持ちながら歩き、イラクの現状など種種のキャンペーンに顔を出したり、舞台での闘いの報告に耳を傾け、歌や踊りを楽しんだりした。国際色豊かにお国自慢の料理も多数出店していて参加者を喜ばせた。
 仲間たちは色とりどりの物販、郷土料理を食べお酒などを飲みながら、職場の報告や交流をにぎやかに楽しんだ。閉会セレモニーでは鉄建公団訴訟原告団、全動労争議団、千葉動労争議団がともに舞台に上がり決意表明を受けることもできた。団結祭りは鉄建公団訴訟をはじめとしたさまざまな闘いのために明日からの団結を打ち固めた一日だった。    (蒲田宏)


三鷹で「国労冬物語1・2」上映会
国労本部の支援打ち切りに抗して闘争団の闘いは続く


 十月十六日、三鷹で「人らしく生きよう国労冬物語」パート1と2の上映会が行われ、会場には三鷹の市民や不当労働行為と闘っている地元高校の教員など多くが参加した。
 国鉄の分割民営化にともなう国とJR、そしてマスコミによる国鉄労働運動への攻撃と、職場で分断され差別的な扱いを受けてもなお闘いをやめない国鉄労働者とその家族の苦闘を描き、四党合意受け入れによって闘いの旗を降ろそうとする二〇〇〇年国労大会の壇上占拠という劇的なクライマックスを迎えて終わるパート1につづいてパート2では国労本部から支援を打ち切られたことで、さらに苦しい状況で闘っている現在の国労闘争団の姿が描かれている。
 JRに国鉄時代の不当労働行為の法的責任はないとされた闘争団は昨年、旧国鉄清算事業団(現鉄建公団)に対して新たに訴訟を起こしたが、国労本部はあろうことか闘争団と家族に対する生活支援を打ち切るという決定を行った。国やJRばかりか味方であるはずの国労本部からも裏切られた闘争団は、闘争資金や家族への支援金を捻出しようと地方へのオルグ活動や郵便局の下請け業務などに奔走する。
 パート1のクライマックスの印象が強烈であったためにあたかも国労の問題が「ハッピーエンド」で終わったかのような印象すら受けるが、パート2で描かれるのは現在も進行する国労組合員と家族達の困難な状況である。
 国労本部が機動隊を導入してまで強引に機関決定したはずの四党合意はすでに破綻し、いわゆる「政治決着」はもはや存在しなくなったにもかかわらず、本部は闘争団切り捨てへと突っ走っている。闘争団は自分たちのための闘いだけではなく、国労運動の建て直しという課題にも直面しているのだ。
 パート2上映のあと、パート1と2ともに登場した山田則雄さん(現在PCリニューアルというJRの隔離職場に置かれている)と映画の製作者を交えたトークショーが行われた。
 山田さんは今、手書きの機関紙をつくり各職場をまわって「おかしいことにはおかしいと言う」国労運動の復活を訴えている。最初は反応の無かった職場でも何度も行くうちに耳を傾けてくれるようになったという。だが、一方で自分たち本工労働者よりさらに過酷な下請け労働者の問題も強く意識するようになった。JRがすすめるアウトソーシングによるコストカットは本工労働者である国労組合員以上に下請けの労働者にしわ寄せがいっている。この問題を抜きにしては自分たちは国やJRに勝てない、と山田さんは言う。
 闘争団は現在、多くの困難のなかにいる。しかし、今まで国労とほとんど関わりのなかった地域で国労の問題を知り、新たに支援を寄せる組合や若い労働者もいることが映画には描かれている。「大きな相手と闘って勝つためには今まで結びつけなかったところとも連帯していかなきゃいけない。それを今から始めたとしても遅すぎる、ということはないと思うんです」と山田さんはトークショーの最後を締めくくった。(H)


日韓連帯集会「韓国の労働運動は今」
民主労総「違法スト」を乗り越えゼネスト


 【いわき】十月三十日、いわき市労働福祉会館で「日韓連帯集会『韓国の労働運動は今』」と題し、日韓連帯運動に長く取り組んでこられた中村猛さん(全港湾関西地方建設支部副委員長、民主労総全北地本名誉指導員)の講演が行われ、六十人が結集した。
 初めに、実行委員会を代表して松本耕三さん(全港湾小名浜支部)が、「韓国では労働運動が大きく高揚している。軍事独裁の下、命がけで闘い抜いてきた闘士たちは、学習をし工夫をして労働運動を創りあげてきた。停滞し、揺らいでいる私たちの運動を韓国に学びながら見直すことが必要なのではないか」とあいさつをした。
 講演で中村さんはまず、民主労総が「奴隷解放、農奴解放が正しかったように労働者の解放は正しい」「労働者はどんな利己的な欲望も、社会を発展させる力になる特権を有している」「労働者が堂々と胸を張って生きていける時代が必ず来る」などと、組合員に労働者であることの誇りを教育し、組織運営自体も一般組合員が主人公であることを実感できる運営を行うことを挙げた。
 韓国では実際には違法ストの範囲が非常に広く事実上違法でしか争議行為ができないことを挙げ、「合法性よりも闘いの正当性」を徹底的に主張し説得し、数十万のゼネストをも組織したことが報告された。
 さらに民主労総は、民主労働党という政党を結成し、「金持ちには税金を庶民には福祉を」のスローガンで、五%の国民から富裕税を取り九五%の国民に福祉を与える政策を掲げ、二〇〇四年の総選挙で十人の国会議員(一三%の得票率)を送り出したことも報告された。
 最後に、これらの民主労総の前進に、日本の資本家は日韓投資協定の締結交渉において、「民主労総をなんとかしろ」と韓国資本家に迫っていることも報告され、日韓投資協定反対闘争への連帯闘争の組織化も提案された。
 参加者は、「目から鱗(うろこ)」の韓国労働運動の実態に感銘し、疲弊した日本労働運動の再生に向け決意を新たにした。(K)


10・22横山好夫さんをしのぶ会
反公害スト、反戦、三里塚を闘った頑固な生き様


 十月二十二日、今年四月に亡くなられた『労働情報』元編集長でもあったゼネ石の横山好夫さんのしのぶ会が開かれた。集まったのは六十数人であったが、六〇年代後半の反戦青年委員会運動から今日の全労協運動まで左派労働運動や市民運動を牽引した人たちで、さながら「同窓会」的雰囲気であった。
 司会は前田裕晤さん。最初に呼びかけ人を代表して樋口篤三さんが開会のあいさつを行った。樋口さんは全石油ゼネラル石油精製労働組合の公害発生源で市民と連帯してストライキを敢行したことの歴史的意義と、さらに争議自身に勝ち、職場復帰を果たしたことに触れ「その闘いの最先頭に立ち続け、さらにベトナム反戦、反安保、三里塚などの政治闘争を担い続けたことこそ横山好夫君の生き様であった」と述べた。
 献杯の音頭は翌日「喜寿の祝い」をするという前全港湾委員長の吉岡徳次さん。三菱長船の西村卓司さん、全石油スタンダード労組の平坂さん、自治労の町田さんとあいさつが続いた。
 最も感動的であったのは、六〇年代後半のストライキ―解雇―第三組合―職場復帰をともに闘ったゼネ石労組の仲間たちの思い出であり、あいさつであった。「卓越した組合指導者を忌避したい当時の会社は……解雇した。それがいわゆる三カ月に及ぶ川崎・堺製油所の火止めスト、ロックアウトという『ゼネ石の発端』……あなたは平均年齢二十三歳という若き組合リーダーとして……」。
 だれもが口にしたのは、温厚そうな顔の下に信じられない程の強い意志を持っていたこと、困難な課題と分かっていても絶対に避けて通らない人であったということであった。そして煙草も吸わず、酒も飲まず連日のごとくプールで泳ぐ程元気であった人が、突然死んでしまったことの無念さであった。
 最後に呼びかけ人でもある東部労組の足立実さんが「横山好夫さん、お世話になりました。ありがとうございました」と締めくくった。      (D)


もどる

Back