もどる

欧州連合--正統性の危機                   かけはし2004.11.22号

欧州選挙に表現された左翼オルタナティブの限界と課題(中)

G・バスター

低い投票率をねらった背景

 EU拡大後最初の欧州選挙に欠けていたものは、まさに欧州的な議論であった。各国は究極的には前述の三つの要因に規定されているとしても、選挙運動を特徴づけたのは各国の国内政治情勢であった。
 欧州憲法条約が存在しないことが、この理由ではない。欧州委員会の当初の構想においては、二〇〇四年の選挙は、憲法条約を支持する政党への加盟各国市民からの明示的な支持を示すものとなり、欧州市民を構成する新たな正統性に裏づけられた欧州世論の結集のイメージを打ち出すはずであった。構成された欧州議会は、欧州理事会が指名した委員長を承認することにより、イデオロギー的多数派であることを表現するはずであった。
 新旧に分裂した欧州の間での憲法交渉の難航が、メディアにおける大量先行キャンペーンの展開を粉砕した。このキャンペーンには欧州委員会も各国も大量の資金を割り当てるつもりであった。このことによって、多くの国の選挙政策、保守派と社会民主主義政党の成功を保証し、少数派政党、特に現在の欧州建設のプロセスに批判的な諸党の議員を最小限に留めることを狙いとする選挙政策を、変化させないわけにはいかなかった。
 選挙に欧州的争点がなく、選挙が現在政権の座にある政府への抗議の表明の手段になるとしたら、なぜこれらの政府は選挙への参加を推進しなければならないのか。反対に、EU各国政府の大多数の関心は、抗議投票を非正統化するために投票率をできるだけ低くすることにあった。野党にとっては、彼らの関心のすべては国内問題にあり、欧州レベルにはなく、自国の特定政府に反対の投票を明らかにすることであった。
 この例外は、緑の党、反欧州主義政党、および程度はことなるがオルタナティブ左翼であった。緑の党の場合は、ドイツの党とヨシュカ・フィッシャーのヘゲモニーによるものである。ドイツSPDの連立少数派として、緑の党はアジェンダ二〇一〇に対する抗議投票の影響をこうむらないように自己を差別化することにすべての関心があった。米国の対抗勢力としての欧州構築の分野を語ることにより、可能な限りドイツの現実から距離を置く議論を展開した。反ヨーロッパ主義ポピュリスト諸党、たとえば英国独立党(UKIP)、ベルギーのフラームス・ブロック、スウェーデンの六月リスト、デンマークの六月運動、チェコODS、ポーランドの家族同盟や「自衛」は、EU批判やEU拒否を正当化するためにEU拡大問題の重要性を強調した。
 オルタナティブ左翼は、「もうひとつのヨーロッパは可能だ」というヨーロッパ社会フォーラムから生まれた主張に基づいて憲法条約案に対する共通の批判を展開することが可能であった。しかし、この共通の主張を積極的に明確に展開し、労働者人民のための欧州憲法のオルタナティブ・モデルを提起することはできなかった。
 この理由の一つは、同じ政治的空間に、社会自由主義政党、二つの強力な「反欧州主義」派が存在したことである。すなわち、伝統的イデオロギーを固守する共産党(重要な三つの例を挙げると、ポルトガル、ギリシャ、チェコ)および自国のEU離脱のために闘っている大多数の北欧急進左派である。
 また、もう一つの理由は、オルタナティブ左翼の二つの欧州政治組織であるイタリアのPRC(共産主義再建党)を中心とする欧州左翼党(ELP)と欧州反資本主義左翼(EACL)会議が無力だったことである。前者の場合は、ELPが、参加諸党の一国的アイデンティティを超えた確かな欧州的主張を展開するのに十分な範囲を欠いた最小限の合意に基づいて結成されたためである。後者の場合は、EACLが、そのマニフェストで一貫したイデオロギー的主張を展開したにもかかわらず、決定的に必要な大衆的基盤を組織的に結集することに成功しなかったためである。(1)

EU各国政府が受けた罰


 しかし、これらの選挙における棄権のレベルは、それ自体がEUの正統性の危機と民主主義の弱点の深刻な表現である。これらの選挙の投票率は、一九七九年の六三%から一九八九年には五八・五%に下がり、マーストリヒト条約によって新自由主義的プロジェクトが強まるにつれて一九九四年には五六・八%、一九九九年には四九・八%、今回は四四・六%に低下した。
 中欧の新規加盟国における投票率は印象的である。平均投票率はわずか二六%であった。新規加盟国中最大のポーランドは二〇・七%、スロバキアでは一七%であった。ユーロの導入、リスボン戦略、EU拡大とコンベンションの効果は、ヨーロッパ新自由主義プロジェクトの正統化がこれまで以上に必要なその瞬間に、欧州全体の投票率を平均五%以上引き下げたのであった。
 新自由主義的政策とリスボン戦略の適用に対してEU各国政府がこうむった罰も、印象的なものである。ドイツSPDは得票率二一・四%という一九四五年以降最悪の結果を記録し、野党キリスト教民主党はその倍(四四・六%)を獲得した。フランスでは、右翼は分裂し、社会党に対して三カ月間で二度目の敗北をきっした。イタリアのオリーブの木はフォルツァ・イタリアに一〇%の差を付け、フォルツァ・イタリアは政府に留まるためにますますフィニの国民同盟への依存を深めている。英国ではブレアは五%を失い、保守党は八%近くを失い、一方では自由民主党が五%得票を伸ばし、UKIPは九%得票を伸ばした。デンマークでは、野党社会民主党が与党右翼連合の諸政党を圧倒した。スウェーデンでは、与党社会民主党は議会選挙のときに比べて一四%近くを失い、その分を六月リストが獲得した。ポルトガルでは、社会党が与党右翼連合に一一%の差を付けた。ポーランドでは、与党民主左翼同盟(SLD)が三つの右翼組織に敗北をこうむった。チェコ共和国とハンガリーでも同じことが起こり、社会民主党が敗れた。エストニアでは社会民主党が右翼与党を打ち負かした。
 最後に、欧州懐疑派、主権主義者、右翼ポピュリストの得票は、特に英国、ベルギー、スウェーデン、デンマーク、チェコ共和国で重要であり、欧州議会で一〇%の議席を獲得した。その二つのグループ、欧州国民グループ連合(UEN)と民主主義と多様性の欧州のためのグループ(EDD)は、欧州統一左翼/北欧グリーン・レフト(GUE/NLG)の連合グループの議席数に追いついた。
 新しい欧州議会は、正統性は欠如しているが、明確に右翼に傾いている。欧州国民党は二百七十二議席、リベラル派は六十六議席を獲得し、全体で七百三十二議席の絶対多数にわずか二十九議席及ばないだけである。社会自由主義左派は社会民主主義の議席のうちの二百一議席を占め、緑の党は四十二議席を占めている。これに対してGUE/NLGは、今回、三十六議席を占めるに留まった(新規加盟国の一部の欧州議会議員は未統合)。
 制度的レベルでは、棄権にもかかわらず、新自由主義政策に反対する抗議投票および欧州懐疑主義的投票に関しては、欧州議会は新自由主義的プロジェクトの砦となった。憲法条約によってこの議会の権力がわずかに増せば、デュラオ・バローゾのような保守派を欧州委員会の長に指名することを始めとして、この支柱は強化されることになるだろう。

仏独サミットと欧州理事会


 欧州選挙の直後に、シラクとシュレーダーはエクスラシャペルで新たな仏独サミットのために会談し、六月十七〜十八日のブリュッセルにおける欧州理事会における彼らの立場について合意した。この欧州理事会は憲法条約に関する交渉を終わらせることになっていた。
 しかし、この会議の議題を支配したのは、憲法条約でもなければ(これについては両者はとっくに合意していた)、外交政策でもなかった(両者はイラク問題や中東問題に関する共通の立場を五日前のシーアイランドにおけるG8において表明していた)。
 仏独サミットが議論したのは、(選挙で拒絶された)社会的反改良政策の維持と「産業チャンピオン」を選ぶ新産業政策をどのように組み合わせるかについてであった。この新産業政策は、リスボン戦略とは独立したやり方でリストラ過程と欧州多国籍企業の合併を加速するものであり、国際市場の景気が思わしくない間、商品生産に対する域内需要を押し上げるものである。
 欧州独占の上からのリストラの新しい戦略は、世界市場における米国多国籍企業との競争の激化への対応策として最近考えられたものであった。最も際立った先例は、巨大欧州航空宇宙企業EADSとガリレオ・プロジェクトである。しかし、シーメンスがアルストムのタービン部門を買収し、五月十七日に欧州委員会が承認した新しい国家援助を通じて営業を停止させたとき、フランス政府は不安になった。他方では、フランスはドイツとの共同産業政策に合意し、その最初の結果が海軍造船部門における巨大欧州多国籍企業の創出になるはずである(ドイツのティッセン・クルップおよびHDWとフランスのターレスおよびDCNの合併)。

「古い」欧州での英国の孤立


 域内市場担当委員オランダ人ボルケシュタインの抗議、いったんは競争政策担当委員モンティの同意を得た抗議は、仏独サミットの第二の議題に関心を集めることに役立っただけであった。すなわち、新しい欧州委員会においてEUの経済政策および競争政策が仏独枢軸の手に握られることを保証する方法である。
 アイルランドが議長を努めたブリュッセルにおける欧州理事会は、欧州選挙後に憲法条約を承認し、山積する戦略的任務を処理できる新しい欧州委員会を構成しなければならないという緊急事態の雰囲気と圧力の下で始まった。選挙結果が、主役たち、特にトニー・ブレアにとって、マヌーバーの余地を大いに狭くしていた。税金に関するレッドライン、外交政策および防衛、基本権憲章の適用および共同体予算への英国の寄与は、取り消すことができない。しかし、仏独枢軸は、拡大後の欧州建設過程の推進力として「協調の強化」を強制してきたし、このことがEU中心部(ユーロランド)の経済的政治的統合を継続し、周辺部を単一市場に関する政府間交渉の過程に従わせることを可能にした。
 このようにして「古い」欧州は「新しい」欧州に対してヘゲモニーを行使している。その狙いは、欧州市場自体における米国に対する競争力を保証することと、EUの制度的制御である。後者は、その大部分はニース条約によって合意された投票の分割によって保証されているが、憲法条約によってさらに法律化されることになる。この理由から、「古い」欧州は、少数派の阻止がEU加盟国の五大国のうちの四か国の連合を通じてのみ可能になることを要求した。すなわち、加盟国の五五%とEU人口の六五%という二重の多数の方式である。
 この方式が実施されるのを待つ間は、欧州委員会の重要ポストを管理することが不可欠であり、英国から二つの同盟国イタリアとポーランドのどちらかを奪い取ることが必要である。いまやスペインは、サパテロのおかげでふたたび仏独枢軸側に組み込まれた。ポーランドは特に政治的に不安定で、米国に依存しており、プロディの中道左派のベルルスコーニへの挑戦は、かくして仏独枢軸の戦術的目標となった。
 周辺部諸国が憲法条約を批准しないことは(英国は今や「新しい」欧州の他の国と同様に定義される)、中核加盟国が新条約を批准すると仮定した場合、欧州建設過程の核心からの英国の排除をもたらす可能性がある。
 このことは、国民投票にかかっている問題の重みを浮かび上がらせる。英国はこの領域では否定的な例である。なぜなら、ブレアはユーロ加盟問題で成功の可能性のある国民投票をこれまで提起できなかったし、欧州選挙の結果の後で憲法条約に関するもうひとつの国民投票に勝てるとは思えないからである。しかし、フランスも社会党のさまざまな部門の厳しい立場のために問題を抱えているし、ポーランドや他の新規加盟国については言うまでもない。シュレーダーはすでに、ドイツでは国民投票は行わない、議会での批准だけで十分であると語っている。
       (つづく)

(1) 「もう一つのヨーロッパのための反資本主義宣言」(本紙04年6月14日号)を参照。
(「インターナショナルビューポイント」04年秋号)


もどる

Back