| 石丸次郎さんの講演から かけはし2004.11.22号 |
|
北朝鮮--隣人が苦しいときこそ手をさしのべて(下) |
| 国交正常化は食糧難と人権迫害に苦しむ人々の利益になってこそ |
過去の植民地支配の歴史の清算・解決こそ国交交渉の入口
『北朝鮮難民』(講談社現代新書)の著者でありアジアプレス大阪事務所代表の石丸次郎さんを講師に招いた連続講座第10回「北朝鮮はどうなっているのか? 民衆の苦難を考える」(主催・`拉致被害者・家族の声をうけとめる在日コリアンと日本人の集いa実行委員会)が十月十七日に東京で開かれた。
十年以上に及ぶ中朝国境地帯での北朝鮮難民(脱北者)取材を通した石丸さんのレポートはこれまで断片的で危うい情報にしか接することができなかった北朝鮮難民、北朝鮮食糧危機の諸相を実証性をもって私たちに伝えてきた。石丸さんは今回の講演でも、日朝国交正常化は何よりも北朝鮮の人々にとって利益(食糧・人権など)になるものでなければならないことを明確にし、隣人が苦しいときにこそ手をさしのべてこれからの良い関係が築けるとして、日本政府による経済制裁に反対し、旧来の経済システム(食糧配給)崩壊の中で市場経済化へと激変する北朝鮮社会の中での人々の意識変化の中に、これからの北朝鮮を探る大きな手がかりがあることについて注意を喚起した。以下の講演要旨は編集部の責任でまとめた(見出しを含めて)。
石丸次郎さんの講演
10年間の情報流入と意識の変化
九五年以降延べ二百万人とみられる中国への一時的越境者が北朝鮮国内に持ち込んだ外部情報は無視し得ない影響力を与えていると思う。
例えば中国への難民流入初期の頃には脱北者は韓国の今日の繁栄をほとんど知らなかったので、中国の朝鮮族が韓国に出稼ぎに行くのが不思議に思えた。そうした朝鮮族に韓国の繁栄ぶりを聞いて驚いていた。ところが今では脱北者がもたらした情報を通して、北朝鮮国内でも韓国の繁栄については誰もが知っていて、ほとんどの人があこがれを持っている。最近の特徴としては映像の流入が顕著になっている。韓国のテレビドラマなどのテープやDVDがどんどん入っている。誰かが意識的に入れているのではなく売れるから入っているというのが実情だ。
北朝鮮は現在市場経済化の大変化の中にあり商行為は容認され、カネになるなら何をやってもいいという状況だ。
ビデオ類は中国で違法コピーされたものが入っていて一枚十五〜三十円で売られ、機器類も一台千円未満の額で売られているからちょっとした小金があれば誰でも買えるしレンタルビデオのような商いをやっている人までいる。
取り締まる側の警察も家でビデオを見ているから摘発しても没収程度ですませ、収容所に送ったりすることはできない。こうして数年前とは比較にならないほどの外部世界の情報が入ると自身の置かれている状況を客観的に判断できるようになり、どうして自分たちの生活はこんなに苦しいのかと考えるようになる。
北朝鮮の経済の変貌について
金日成時代から政治の自主・経済の自立・軍による自衛をスローガンにやってきたが、「社会主義経済」の実態はソ連・東欧・中国へ依存した経済システムの下で統制し市場経済は絶対に認めない、そして首領絶対主義体制の下で経済的合理性を損なう統制システムでやってきた。
そうした統制下にあって人民の知恵として闇経済(公認されない闇市場・農民市場)が存在していたが一九八〇年代までは表には出なかった。
九〇年代に入って闇市場が公然化したため金正日政権は退治に躍起となったが結局対処不能に陥り闇市場を追認せざるを得なくなったのが二〇〇三年七月の「経済措置」だ。
こうして北朝鮮経済体制は五〜十年前と比べるとダイナミックな変化を遂げつつあり、その行方が北朝鮮のこれからを占う指標になるだろう。ただし軍や治安機関、軍需産業従事者など体制中枢、支配権力機関への配給制度は確固として残存している。他の人々への配給システムは崩壊して久しく人々は自活していくしかなく商行為に走れば金正日体制から人心は離反していくだろう。
北朝鮮とどう向き合っていくか
私は隣人・隣国として北朝鮮と関係が良くなって欲しいと願う立場を前提にして話したい。
日本に戻った脱北者(元在日朝鮮人とその配偶者)は現在七十〜八十人いるが、それを支える態勢はなかなか難しい問題もあり、これからも増大するであろう日本へ向かう脱北者の支援をどうするかが問われている。これから先の日朝関係を長い目で見れば、隣国の人が一番苦しい時に隣人としてどう手をさしのべられるのかが日朝間の歴史のわだかまりを解いていくことにもつながると信じている。
日朝の歴史的関係は、ちょうど百年前には第二次日韓協約によって日本が大韓帝国を保護国化し、以降一九四五年まで植民地支配・被支配の関係が続き、その後の冷戦体制によって朝鮮半島は南北に分断される中で一方の韓国とのみ国交が成立し(65年)、日朝間は米韓の反対、北朝鮮によるクロス承認拒否という中で国交交渉すらできないできた。
冷戦構造の崩壊で日朝国交交渉が始まったがその前提である歴史の清算が解決できず、過去の植民地支配の説明を〇二年の小泉訪朝まで日本はやってこなかった。これは日本の政治の怠慢だったと思う。
人々の利益になる国交正常化
前提条件なしに進めるべきではない、クリアすべき点はクリアしてからだと思う。そして国交正常化は何よりも北朝鮮に住む人々にとって利益になるものでなければならない。食糧危機や人権抑圧がどれだけ解消されるのか? 北朝鮮の人々の利益にならない国交正常化であってはならないと思う。
また日朝間に国交があったなら拉致事件は起きなかったかのような主張はおかしい。ビルマ(現ミャンマー)は当時北朝鮮と国交があったが北朝鮮は爆破事件を引き起こした。中朝間はもちろん国交があるが、北朝鮮は中朝国境近辺で韓国側の立場に立って行動している中国人を拉致している。
中国の朝鮮族が発行している新聞は北朝鮮には一切持ち込めないし朝鮮族の放送を聞くだけで処罰される。国交正常化を目指すべきだが、その過程でクリアできることをクリアしていきその先のゴールが正常化だという国交交渉をすべきだと思う。
拉致事件解明と食糧支援問題
小泉訪朝以降の流れをみれば金正日政権は拉致事件を解決できるはずだと思ってきたが、それができないのは何かの事情があるとみるしかない。北朝鮮が拉致事件の解決を引き延ばして得られるものは何もない。私はこれまで拉致事件解明に向けて努力されてきた人々に敬意を払うけれども、一部の人たちの排外主義・差別主義をあおるやり方には反対する。佐藤勝巳氏のように日本核武装論や軍隊慰安婦なかった論を主張する人たちとは一緒にはやれない。
食糧支援に熱心な人々は難民(脱北者)救援に関心が薄く、逆に難民(脱北者)救援に熱心な人々は食糧支援に関心が薄いという現実があるが、日朝交渉の進展とともに合流して前に進むべきだ。食糧支援が金正日政権を助けるだけだという指摘は半分当たっているがちょっと考えてほしい。
九八年に支援食糧のモニタリングということで北朝鮮に入ったことがあり、本当に支援食糧が横領されている事実には驚いた。幹部たちが市民に転売して現金化しているのを目撃したといういろんな人の報告も聞いている。しかし支援食糧が入ると、闇市で流通しているコメの価格が下がることで市民が助かっている、生き延びられる人がいるという事実もある。
また韓国・中国・米国は支援を続けており日本だけが食糧支援をストップしても金正日政権が倒れるとは思わない。すでに北朝鮮国内では支援国の国名を明記したコメなどが出回って「韓国のコメが一番おいしい」という評判まで公然と伝えられている、そういう形で北朝鮮の人々の中にも浸透している。私は困っている時に手をさしのべれば北朝鮮の人々の心には伝わるものがあると信じる。(発言要旨、文責編集部)
投稿
「モーターサイクル・ダイアリーズ」を見て
S・M
革命に生きた
ゲバラの原点
今月、恵比寿ガーデンシネマ1で「モーターサイクル・ダイアリーズ」(ウォルター・サレス監督作品)を見た。
ストーリーを紹介したい。
一九五二年。二十三歳の医学生で喘息の持病を持つエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、自らを「放浪化学者」と呼ぶ二十九歳の友人アルベルト・グラナード(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ)とともに、オートバイの「ポデローサ号」(一九三九年式のノートン五〇〇)に乗って、ブエノスアイレス(アルゼンチン)から南米大陸を縦断する冒険の旅に出る。
旅先で、エルネストは病気の老女を診ることになるが、エルネストには老女の病気を治せない。もはや手の施しようがなかったのだ。エルネストは、自分の無力をしみじみ感じる。「ポデローサ号」は、まったく動かなくなり、二人はヒッチハイクしたり歩いたりして旅を続ける。途中で、二人はインディオの夫婦に出会う。地上げ屋に自分たちの土地を追い出された夫婦は、コミュニストであるため警察から逃れながら、仕事を求めて鉱山へ向かう途中だった。謎の失踪を遂げたコミュニストの仲間は海に沈められたのだ、という。エルネストは夫婦に人間としての親しみを覚える。
サン・パブロ(ペルー)のハンセン病療養所で二人は手伝いをすることになる。アルベルトは研究所の手伝い、エルネストは病院の手伝いをすることになる。療養所では、患者たちがアマゾン川をはさんで隔離されていた。二人は療養所のスタッフに、「規則だから、患者に接する時は手袋を着用しなさい」という意味のことを説明される。だが、二人は規則を無視し、素手で患者と握手する。
二人が療養所を発つ前日・エルネストの二十四歳の誕生日には、療養所のスタッフによってパーティが開かれる。スピーチを終えたエルネストは、真っ暗なアマゾン川を泳いで、患者たちのもとへ渡る。翌日、プレゼントされた筏(いかだ)「マンボ・タンゴ号」に乗って、二人は旅を続けるのだった……。
混沌・殺伐な
今の世界にこそ
この映画は、後にキューバ革命の指導者となり、一九六七年十月ボリビアでCIAの工作によって射殺されたゲバラの若い頃を描いた劇映画だ。ゲバラは、とても正直な人間だった。そして、とても誠実な人間だった。
ゲバラは、旅の中で民衆と出会った。ハンセン病療養所は、患者の側と医者・看護婦・シスターなどのスタッフの側に完全にわかれていた。その間には、はっきりとした壁が存在した。ゲバラは、単にスタッフとして患者にかかわるだけではなく、患者とスタッフの壁を壊そうとした。人間は、富者と貧者に分裂している。世界には、抑圧された人間がいる。ということは、抑圧する人間もいる、ということだ。ゲバラは、旅によって、そのことに気付いたのではないか。その結果、ゲバラは抑圧された人びとと共に生きることを選択したのではないか。この映画を見て、ぼくはそんなことを考えた。ぼくはゲバラと一緒に旅をしているような気分になった。この映画は、「リバー・ランズ・スルー・イット」(ロバート・レッドフォード監督作品)に少し似ているような気がした。
この映画のプログラムの中で、戸井十月さん(作家)は、次のようなことを述べている。「ゲバラは三十九歳で殺された。それから三十年が経って遺体が発見された時、次女のアレイダや、かつての女たちがジャーナリストの取材を受けた。「チェ・ゲバラという人間の、最も優れた資質は何だったと思いますか?」の質問に、アレイダも旧友たちも、皆、口を揃えたように同じ答えを返した。「人を愛する才能です」。
この短い言葉の中に、ゲバラという人間のすべてが凝縮されている」。
沢木耕太郎さん(作家)は、「この映画はエルネストというひとりの若者の、『世界への愛の目覚め』を描いた作品」だ、という意味のことを述べている(『暮しの手帖』第十二号)。ウォルター・サレス監督は、「僕らはこの映画を製作するにあたって、あの時代を生きた一人の人間として、二十三歳の青年ゲバラをありのままに描こうとした。「革命に生きる十年後のゲバラ」の若き日を描くようなことはしたくなかったんだ」というようなことを語っている。戸井十月さんは、「ゲバラがもし生きていたら、今年で七十六歳になる彼には今の世界がどんな風に映るだろう。ゲバラは過去の人ではない。むしろ、混沌として殺伐とした今のような時代にこそ、世界はゲバラのような人間を必要としている」という意味のことも述べている。
関係する本を
すべて読みたい
この映画の原作は、チェ・ゲバラの『増補新版 チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』(現代企画室)、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(角川文庫)やアルベルト・グラナードの『トラベリング・ウィズ・ゲバラ 革命前夜―若き日のゲバラが南米旅行で見た光景』(学習研究社)として日本語に翻訳されている。
『子どもたちと話す ゲバラってだれ?』的な本があれば読んでみたい。また、それが可能なことならば、休みをとって、ゲバラに関する日本語で出版された本をまとめて全部読んでみたい。「トロツキストは、ゲバラをどう考えるか」とか「トロツキストは、キューバをどう考えるか」というような論文を『かけはし』で読んでみたい。そんなことを、ぼくは考えた。
「モーターサイクル・ダイアリーズ」/二〇〇四年/イギリス・アメリカ合作/原題THE MOTORCYCLE DIARIES。(10月24日記)
|