最高裁でチッソ水俣病関西訴訟に勝利判決
国と熊本県の責任を断定
去る十月十五日、最高裁においてチッソ水俣病関西訴訟の判決が下されました。チッソ水俣病関西訴訟は、一九八二年十月に関西地方に移り住んだ人々が水俣病患者としての救済を求めて大阪地裁に提訴した裁判です。提訴から二十二年、遅きに失したとはいえ原告(患者)側の病像論を全面的に認め、国・熊本県の責任を断定した勝利判決でした。
この文章を書いている十一月十三日現在ではまだ流動的ではありますが、判決後の状況について裁判の争点を中心に報告させていただきます。
病像論(水俣病とはどんな病気か)
環境省の主張する「五二年判断条件(認定基準)」は完全に否定されました。しかし環境省は、判決で認定されたのは「メチル水銀中毒症」であって「公健法上の水俣病」ではないとして認定基準の見直しをかたくなに拒否しています。判決後の環境省交渉でも原告を最後まで水俣病患者とは認めませんでした。
環境省はここへ来て五二年判断条件は「認定制度上の基準」という主張を前面に出してきたのですが、それまでは「医学上の基準である」と言い続けてきたのですから、明らかに前提が崩れています。具体的にはメチル水銀が障害を与えるのは大脳中枢なのか末梢神経なのかという議論なのですが、この結論によって検診方法が大きく影響を受けます。環境省が「高度の専門性・医学性を有する」と主張した論証が全く認められなかったことを直視すべきです。
原告の一人、川上敏行さんは一九七三年に認定申請して以来、今も「保留」のままです。三十年以上も水俣病かどうか分からない判断基準とはいったい何のでしょうか。
水俣病とはどんな症状を有するのかが分からなければ、メチル水銀の影響がどこまで広がっているのかという実態把握さえできないことになります。そして、環境省はこの実態調査の必要性さえも認めていません。
水俣病患者と二つのカテゴリー
いま不知火海沿岸には、同じ汚染魚を食べて同じような神経症状を発病しながら、水俣病患者(行政認定)とメチル水銀の影響を受けた人(でも水俣病ではない。一九九五年政治決着受諾者)という二つのカテゴリーが存在しています。最高裁判決により、これに司法に認定されたメチル水銀中毒患者という新たなカテゴリーが加えられたことになります。地域の人々は分断され、水俣病は「恥」の病であることに今でも変わりありません。
「紛争当事者」でしかない国と県
判決では、一九六〇年以降に水質保全法や工業廃水規制法、熊本県漁業調整規則(熊本県)を適用しなかったことを違法としました。この点については原告団や私たちには異論があります。
判決は一九五九年十一月に旧厚生省の食品衛生部調査会答申で、水俣湾周辺の魚介類を汚染しているのは「ある種の有機水銀化合物」と認められたことなどを上げて、一九六〇年一月という日時を示しています。
しかし汚染物質が何であろうと水俣湾周辺の魚介類を通じた食中毒であることは、公式発見当初(一九五六年)から明らかでした。現に一九五七年七月には熊本県衛生部は食品衛生法の適用を決めていました。少なくとも現場の担当者たちは現状を放置できないことを自覚していたし、その対策方法もあったのです。これを潰したのが水上長吉(当時副知事)と旧厚生省です。そして先の答申後も十年間にわたって、水俣病は「原因不明」として放置し続けたのです。
この事実を認めず、一九六〇年以前に水俣を離れた八人の原告について国・県の責任を退けた最高裁判決は不十分であると言わざるを得ません。
それでも、重篤な事態を前にして行政は無策であってはならない、とした点は評価できます。
しかし特に環境省には、原告らは国・県の意図的な無策により水俣病にさせられた被害者なのであり、自分たちはその加害者なのだという自覚が見あたりません。「紛争当事者」でしかないのです。まして様々な事情によって声をあげられずにいる人々のことなどは認識の外にあります。
今も行政は基本的事実を無視
十一月二十四日には大阪で環境省との二回目の交渉が予定されていますが、環境省は水俣病は一九九五年の政治決着で解決済みという姿勢を崩していません。熊本県は司法認定者(関西訴訟以外にも水俣病二次訴訟の原告がいます)に対する新たな療養費支給制度を設けることで対応しようとしています。いずれも現状の認定制度、政治決着の枠組みを前提としており、最高裁判決の趣旨を全く無視しています。
水俣や出水(鹿児島県)では、判決後に新たに認定申請をする人も出てきています。また政治決着を受託した患者団体も対応を模索中です。政治レベルでも水面下の動きがあるようですし、今後どのような展開になるのか予断はできません。が、「水俣病はメチル水銀に汚染された魚介類を多食することによって生じた食中毒である」という単純なことが、実は五十年たった今でも行政的にはないがしろにされているという事実を見逃さないで下さい。基本的な事実を無視したままで、その場しのぎの施策をいくら講じても問題の解決には至りません。
今後、水俣病問題がどのような方向に進むのか、みなさんのご注目をお願いするとともに、ご支援を仰ぐ次第です。
医療労働者からの問題提起
政府の外国人看護師・介護士の受け入れをどう考えるか
フィリピンとの自由貿易協定
新聞報道によれば、マニラで行われているフィリピンとの自由貿易協定(FTA)第五回交渉で、日本政府はフィリピン人看護師・介護士受け入れに関して、日本語習得と日本の国家試験を必須とすることを条件に、在留期間制限を事実上撤廃することで、十一月下旬に合意の見通しとなった(10月27日、朝日新聞)。
この動きは、これまでの差別排外を基調とした日本政府の外国人労働者政策を、新自由主義的グローバリゼーションの労働「市場」開放に一歩踏み出す新たな状況の始まりととらえることができるだろう。
この問題を考える上で、ほんの数点ではあるが報告と問題点を羅列し、今後の議論を深めるとっかかりとしたいと思う。ぜひ医療現場の仲間や、入管を闘う仲間、新自由主義的グローバリゼーションと闘う仲間もこの問題に意見を寄せていただきたい。
今夏の日本医労連の全国大会
まず労働組合だが、日本医療労働組合総連合会(日本医労連)は、八月に行われた全国定期大会議案に国際情勢報告そのものが載っていなかった。
医労連加盟組合の中の最大単組である全日本国立医療労働組合(全医労)の全国大会議案には、国際情勢報告はあったものの、現在日本で働く医療労働者の雇用に大きな影響を及ぼしかねないこの問題はおろか、新自由主義的グローバリゼーションに反対して闘っていく視点がまったくない、いい加減な国際情勢報告であったため(国立病院・療養所が、四月から独立行政法人化へ移行して大揺れであったことは理解できるが)、修正動議が提案されたほどである。
九月二十八日になって、やっと日本医労連より外国人看護師受け入れに反対する声明が出された。
看護協会と看護連盟などの対応
一方、看護師の職能団体である日本看護協会は、今年七月八日、@日本の看護師国家試験に合格し日本の免許を持つA看護を提供する上で必要な一定の日本語能力があるB日本人の看護師と同等の条件で雇用する、の三つを受け入れを認める場合の三条件として提示した。また受け入れを無条件に認めた場合、経済環境の違いから外国人看護師が劣悪な賃金・労働条件におかれ看護の質低下につながりかねないこと、労働者の送り手の国の看護師不足を招きかねないことに言及した。労働組合より明らかに看護協会の方が一歩リードしていた。
そして看護協会がもう一つ大きな問題で声明を出している。
九月十六日、看護協会は日本看護連盟(看護師の政治団体・自民党の集票装置の一つ)との連名で、小泉首相宛に「看護職員の養成・確保対策事業の存続・充実を求める要望書」を提出している。これは八月に地方六団体が出した「国庫補助金負担等に関する改革案〜地方分権推進のための『三位一体の改革』」案の中の財源移譲対象補助金の一つとして「医療関係者養成確保対策費等補助金」があがっていることへの対応である。
問題は同一労働同一賃金の貫徹
思えば、一九九二年六月に、ナースウェーブを大きな柱とした看護師闘争の成果として成立した、「看護婦等の人材確保の促進に関する法律」(いわゆる看護師確保法)の成立以降、厚労省の看護師不足に関する見解は、実にその場限りのご都合主義に終始してきた。九〇年代を通じて全国の国立病院・療養所の付属看護学校廃止を強行した時の言い訳が、「看護師の供給は充実する見通しである」といいながら、その片方で「国は看護師の養成はやらなくていい。管理職を育てる看護大学校があればよい」と言い放っていた。政府・厚労省が看護婦確保法成立以降、看護婦不足対策に真面目に取り組んできたとは、私にはとても思えないのだ。だがその方向は、新自由主義政策に忠実に進んでいるといえるだろう。政府は、地方六団体から医療関係者助成費の財源移譲を求められたことをもっけの幸いとして、外国人医療労働者導入を担保に、看護師育成責任を放棄することは、十分に考えられることである。
私は、将来的に外国人看護師・介護士の受け入れは不可避であろうと考える。問題は、同一労働同一賃金の原則要求が貫徹できるかどうかである。定員=日本人、パート・派遣=外国人といった構図を作らせないことが重要なのではないか。
私たちは、患者さんの命と仲間(外国人の仲間も含めて)の生活と権利を守るために、議論を始めようではないか。 (馬場 総)
こらむ
睡眠時無呼吸症候群
十一月の日曜日、はじめて入院と手術を体験した。二時間余はかかる手術にもかかわらす、翌日正午には即退院。術後の痛みを別にすれば、あっという間の出来事だった。
別にどこが悪いというわけではなかった。どこかが痛いとか、苦しいといった自覚症状があるわけでもない。本人はいたって健康なつもりなのだ。だからまして、入院、手術などは自分の人生の中で想像もしていなかった。
事の起こりは、就寝中の「いびき」から始まった。連れ合いが言うには「呼吸がたびたび止まっている」とのこと。それも一晩中らしい。いびきがうるさい上、心臓に負担がかかり、やがて心不全を引き起こす危険性が高いことを知らされた。またそればかりか、無呼吸状態を回避するため、寝ていても脳はいつも臨戦状態にあり、熟睡は望めないとのことだった。
自分のいびきのものすごさは自覚していたが、さすが無呼吸状態があることは気づかなかった。そういえば、車を長距離運転していて猛烈な睡魔が襲ってくることがたまにあった。さすが居眠り運転や事故は一度もないが、危険と背中合わせでいることは事実。連れ合いに尻を叩かれ、重い腰をあげたのは言うまでもない。
かつて運転士の無呼吸が原因で、睡眠不足による鉄道事故が発生した。その内容は失念したが、新聞、テレビなどで無呼吸の怖さを繰り返し報道していたことを憶えている。たぶんそれまで「いびき」は単なるいびきで片づけられ、医療現場でもそれが健康の危険信号であったことは見過ごされてきたのに違いない。そのため重い腰を上げても行き先がなかった。専門の医師が少ないのだ。そうこうしているうち目についた「睡眠障害センターM耳鼻咽喉科」の看板。運命の日はやってきた。
医師との問診を経て、十月のはじめに睡眠ポリグラフィー検査を行った。結果は約四百分の睡眠中九十三分も無呼吸状態で、その回数は二百十二回(一時間あたり三十一・五回)。つまり二分間に一回呼吸が止まっている計算になる。症状を改善するためには睡眠中常時器具を装着するか、手術をするかの二つに一つ。私はあとあと面倒がない手術を選んだ。一回で終われば楽だと考えたからだ。
手術当日、朝入院。今日は三件の手術があるという。夕方の六時過ぎ自分の番が回ってきた。手術台に寝かされ全身麻酔のマスクを付けた瞬間、手術は終わった。何がどう行われたのか意識がない。ベッドに戻されてからの痛みが手術の実体を物語る。麻酔をしたまま寝かせてくれればいのにと思ったほどだ。
診断書による手術名は、「軟口蓋形成」「鼻中膈矯正」「鼻甲介切除」。簡単にいえば鼻中の軟骨、そしてノドチンコと扁桃腺を切り取り、息をしやすくしたということだ。
さて、これで本当に無呼吸はなおったのだろうか。いびきはおさまったのだろうか。その答えは、まだ聞いていない。(雨)
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