| 韓国はいま、新行政首都構想は続いている かけはし2004.12.6号 |
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社会的地域的合意主義による労働運動解体攻撃とどう闘うか |
守旧勢力は勝利したのか
ノ・ムヒョン政権が執権以降、着々と推進してきていた新行政首都建設は憲法裁判所(憲裁)の思いもかけぬ「慣習憲法」論によって一朝にして、へたりこんでしまった。憲裁の判決に拍手を打ち、万歳を叫びながら歓迎していた人々は、今や自分たちに向かってくるその後の暴風が恐くて、さまざまな方策を持ち出しながら、国家の均衡発展や地方の疎外克服について語り始めた。
一方では憲裁の「政治的」判決に対する正当化作業もおさおさ怠りなかったけれども、その決定が全くのところ無理押しにすぎないということを、彼らはだれよりもよく知っていた。事実、憲裁や、憲裁のそのような決定を首を長くして待っていた守旧保守主義者たちが本当に望んでいたのは、新行政首都建設それ自体についての反対ではなかった。彼らが反対していたのは自分たちを排除したまま、その事業がどんどん進められ、その政治的成果をそっくり次の大統領の権限の構図に結びつけていこうとするノ・ムヒョン政権の企画だった。彼らは、ここで押しまくられれば4大改悪立法案でも押しまくられるだろうし、そうなれば彼らの未来は暗鬱極まるものとなるだろうからだ。
彼らの中にあっても情勢に鋭敏な若い世代たちはいくらでも自由主義と合体していく「伝統保守」の道を歩むことができるけれども、今の今まで血眼になって自由主義たちを駆り立てていた反動・不当利益を図ってきた連中は、舞台の後景に押しやられるのが目に見えるからだ。
多くの人々は、ノ・ムヒョン政権が忠清圏の票を意識して新行政首都建設を公約として押し出し、また自身の任期内にその建設を可視化することによって次期の大権まで結びつける計画だと語った。これは一見、妥当な話ではあるが、状況はそう単純なものではない。それは自称「参与政府」の国政の目標と12大国政課題において大まかな輪郭が表れる。ノ・ムヒョン政権の国政目標は、例えば国家発展の側面においては極めてもっともらしく見えるけれども、それの本質は新自由主義グローバリゼーションにふさわしい韓国社会の全般的な改造を意味する。
ここでノ・ムヒョン政権がねらっているのは、自らの既得権を維持するために切歯腐心し、結局は新自由主義の体制安着化を遅らせている守旧保守諸勢力を無力化すること、そして新自由主義に真っ向から反対する勢力を除去することと同時に体制内部に吸収すること、この2つだ。これまでノ・ムヒョン政権が示してきた一連の(新)自由主義の改革は、この点をよく見せつけている。
新自由主義による全面再編
ノ・ムヒョンが語っている「平和と繁栄の東アジアの時代」に進むためには南北韓の平和体制を構築しなければならないし、これを通じて南韓は東北アジア経済の中心国家として跳躍しなければならない。
これはとりもなおさず東北アジア地域の新自由主義ブロック化に能動的に対応していくための構想だ。また、このためには国土全体を新たに区画し、この新しい体制に合うように再編しなければならないが、それは国家の均衡発展と地方分権の自治行政の安着を通じて実現される。ここで欠かすことのできないのが「新行政首都」の建設だ。今日までノ・ムヒョン政権の改革の流れを探って見ると、概ね次のような政治・経済的効果をねらっていることが分かる。
まず、ノ・ムヒョン政権は新行政首都建設を通じて、ソウルと首都圏の過密と過剰を解消することによって全国的な新自由主義の生産ならびに流通基地化の基調に磨きをかけようとした。
ソウルや首都圏への集中は、かつての開発独裁主導の高度成長の過程で必然的にひき起こされ、それが政権や独占資本の当時の利害とぴったり適っていた。それによって農村や地方の中小都市は時の経過とともに疲弊していき、資本と労働力はソウルに集中することなしには競争において勝ち抜けないという構造が形成された。だが、新自由主義のグローバリゼーション体制においては、むしろソウルへの集中が資本の再生産構造でのしっこくとなり始めた。特に旧世代の古い詐術によって点在させられた南韓資本の歪んだ構造が全体としてしがらみとなっているソウルの手術なしには、新自由主義東北アジア体制が、この野心に満ちた改革政権の熱望にもかかわらず、到来できないというのは自明だった。
新しい資本の秩序の樹立のためには、各地方都市固有の特化した産業および流通の領域が均等に発展しなければならない。ノ・ムヒョン政権は「地方化戦略」を通じて「グローバリゼーション戦略」へとつらなる構想を持っていたのだ。
例えば、ソウルは金融・情報通信・バイオ領域を戦略産業とみなし、釜山は港湾物流・機械部品・観光領域を、仁川は自動車・機械金属・物流を、大邱は繊維・電子情報機器を担当させるなど、全国土を各地域の特性にふさわしく特化させ、資本の秩序を再編しようとした。資本は今やかつてのように生存することはできないということをよく分かっている。総額出資制限制に、あれほどまでに反発している資本の分派たちも、今やその声は次第に鎮めつつあり、ノ・ムヒョン政権と対立するよりも妥協の道を模索している。これはもちろん、ノ・ムヒョン政権がこれらの資本の利害を最もキチンと実現する存在だという点に起因する。
第2に、これら参与政府に従事している人々は、「共に生きる均衡発展の社会」を標ぼうしつつ、これまで南韓社会で勝手気ままになされてきたあらゆる「特権や差別、排除の葛藤構造」をなくし、国民がひとつとなる社会を形成していくという国政の目標を提示したことと一脈相通じるところがある。新行政首都の建設は政治・経済・社会・文化的側面においてソウルに集中されていた人的・物的資源を地方に分散・分権化する始まりだ。こうすることにより構造化された貧富の格差を解消する試み、都市と農漁村間の葛藤の解消、両性不平等の解消、新たな労使関係などを通じて韓国の社会・文化に対する全面的な改造のための改革プロジェクトが準備されている。
なぜならば、新自由主義は、過去の政経ゆ着や不動産投機などの歪んだ市場経済システムを正すことだけで成功することはできないのであって、社会・文化全域において旧時代的遺物との断絶を通じてのみ安定的に実現できるからだ。新たな合理的市場システムにふさわしい合理的な社会や文化構造を形成することが、まさにノ・ムヒョンの「均衡発展の社会」建設の目標だ。「すべての特権と差別を撤廃せよ!」。まさにこの点が「ノッパ(ノ兄ちゃん)」支持者たちが歓呼する由縁であり、市民運動がノ・ムヒョン政権の第2中隊としての役割を果たしている理由だ。
もちろんここには当然にも反抗が相伴う。予想通りソウル・江南の金持ちらの反発が最も大きかったし、イ・ミョンパク(ソウル市長)は次期大権の構図を意識しつつ、これらの要求を露骨に擁護した。けれども憲裁の決定によってイ・ミョンパクが勝利したと断定づけることはできない。弾劾政局を誘導したことで「やたらとしゃべりまくっていた」ノ・ムヒョンが、最近は極めて慎重な振る舞いをしている。多くのブルジョア・マスコミはノ・ムヒョンが粗暴に振る舞うことを予見もし、あおりもしたが、ノ・ムヒョンは決して易々と動きはしなかった。その理由は、動かなくとも今回の憲裁の判決は決して自身の損にはならないということをよく分かっているからだ。すでに韓国の政治、社会、文化のコードが自由主義に急速に傾いているという点を彼は正確に承知している。4大改革立法案(注)は、すでに体勢となっている政治、社会、文化的自由主義のコードによって貫徹されるようになっており、その動きはハンナラ党内部の少壮派たちの動きによっても充分に見てとれる。切羽つまった側が荒れるのは当然だ。チョ・カプチェはイデオロギー武装大会を開き、大々的な右翼の決起を訴えた。だが守旧反動がどんなにうごめこうともノ・ムヒョン政権は決して萎縮してはいない。
攻撃は労働者民衆に向かう
新行政首都建設計画が全面白紙化されたと言うが、ノ・ムヒョン政権はどんなやり方であれ、自らが標ぼうした国政の課題をきっと遂行するだろう。新行政首都建設が持っていた新自由主義の国土再編や地方分権化政策、そして社会的葛藤解消の企画は、正確に労働者民衆を新自由主義の秩序内部に編入させることを最重要な政治的目標とみなしている。この点が、かの華々しい修辞や計画案に隠されたノ・ムヒョン式階級支配戦略の本質だ。新行政首都の建設は現段階において仮に失敗したとは言え、本来の構想だった国土と資本の新自由主義的再編に伴う労働に対する一方的な再構造化の手綱は決して緩められないだろう。ところで、これは概ね2つの方向において進められるだろう。
まず、決して譲歩できないことについての非妥協的な攻勢を予想できる。それはわれわれが自明のこととして承知している労働柔軟化の戦略だ。非正規職の拡大再生産はもちろんのこと、以降の新たな行政都市計画と相まって全国各地域を新しい未来型産業(または企業)都市建設という美名の下、新自由主義の労働統制戦略が合法的に貫徹されるだろう。彼らにとっての合法とは、われわれにあっては暴力によって勝手気ままにされる、ということだ! 全国土が経済自由区域として配布されるだろうし、いかなる抵抗も容赦されない。
また一方では、地方分権や地方自治という名によって社会的葛藤や階級的怒りを吸収する戦略が予想できる。すでに全国的に社会的合意主義の気風を呼び起こさせつつ、労働運動の裏切り者どもを奴らの走狗として活用しているのが実情だ。だが、今後は各地域別に彼ら自由主義の信奉者たちを社会の世論の支配者として押し立て、彼らを通じて住民自治や社会の共同の合意を誘導しぬく可能性が高い。
ノ・ムヒョン政権は、このために住民投票制や住民によるリコール制を実施する計画まで持ち出している。現在、労使政委員会をはじめとするさまざまな社会的合意主義の機構が労働運動の上層をねらったものだとするならば、地方住民の自治を装った地域共同体内部の合意主義は労働運動の足を縛るものであり、そこから永遠に労働運動の魂を消滅させていくという企画にほかならない。これが奴らの社会権力の力だ。
ここにおいて労働者階級は何をなすべきか! 労働者階級のコミューンの精神と政治的実践が必要だ。(「労働者の力」第66号、04年11月12日付/ソン・ソッキョン/会員)
注 4大改革立法 1、国家保安法廃止 2、過去史真相究明法 3、私立学校法 4、言論改革法
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ベトナム解放30年、市民交流in相模原集会に参加して
一九七五年四月三十日、ベトナムは勝利した。一九七二年夏、ベトナム人民に連帯して相模原では戦車阻止闘争が百日間にわたって闘われた。約一万人の市民が参加した。
今回ベトナム平和委員会副会長のトゥアン氏を団長に十七人もの人が訪日した。ぜひ相模原を見てみたい! ということで市民交流集会が計画され、十一月二十四日に市産業会館で行われた。参加者は約百人だった。
実行委員会を代表して当時、「ただの市民が戦車を止める会」の山口幸夫さんが「三十年前、私たちはベトナムに連帯することが出来た。戦車搬出を完全に阻止した」と話した。
続いて講演に移った。日本とベトナム市民交流代表の小田実さんが「アジア民衆の共生と連帯を目指して」と題して次の三点を語った。
第一に私たち「ベ平連」は米脱走兵を支援し、軍隊を内側から解体させた。第二は後に知ったことだが、ここ相模原の戦車阻止の闘いだ。日本語を勉強しNHK短波で日本人民のベトナム支援活動をあのトンネルの中でキャッチしていたと言うのだ。第三は、日本とベトナム相互のホームステイを数多くやっていることだ。
第二部は、ベトナム訪日団が「枯れ葉剤被害の実情を訴えるため、国会へ行ったこと」を報告した。続いて歓談では日本側からは戦車の前に座り込み逮捕されたAさんが「この闘争は本当に楽しかった」と言った。ベトナムからは二十七歳の女性が「ベトナム戦争は知らないが、勉強して日本からも連帯があったことを知り感謝しています」と話した。なごやかな発言が続いた。
さて私は一九七〇年、七一年の三里塚闘争の勢いで皆と一緒に闘争に参加しました。基地前の戦車阻止テント村には私の友人もいましたので思い出も多い。
(藤井 保)
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