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辺野古への基地移設阻止                かけはし2004.09.27号

普天間基地即時返還を

宜野湾市民大会に地域ぐるみの参加


米軍ヘリ墜落抗議に3万人が怒りの結集

 【沖縄】大型台風の上陸で一週間延期となった九月十二日、市民大会の会場となった墜落現場の宜野湾市沖縄国際大学グランドには開会時刻の午後二時を待たず、市の内外から多くの人々が集まり始めていた。
 指定駐車場となった近くの市立中学校に車を止め、組合の仲間とともに、沖国大に向って歩き始める。墜落事故のあった八月十三日と同じ真夏の太陽が照りつける中、続々と会場に向う人々が増え、沖国大前の道路は参加する市民で埋めつくされた。墜落現場前を通る。ヘリのプロペラで端が削り取られ、側面が真っ黒く焦げた沖国大本館と黒焦げになった立ちつくす樹木。事故の生々しさに、改めて生命の危険を覚え、一瞬立ち止まる人々。大学は建物を撤去する方針のようだが、会場では現場保存を求める人々によって署名が行われていた。
 大学の入口から、グラウンドに向う道路では、実行委発足時から呼びかけてきた「普天間早期返還・辺野古沖移設見直し」など、大会決議に賛同する署名が行われ、別のコーナーでは名護市辺野古から駆けつけた仲間が、九日から始まった那覇防衛施設局によるアリバイ的「海上調査」に船を出して抗議を続ける攻防への支援と資金カンパを呼びかけている。他にも金武町伊芸区の都市型訓練施設建設反対実行委のメンバーや嘉手納爆音訴訟団の人々も参加して、アピールや署名を行っていた。

市議会「移設見直し」決議採択

 午後二時、ほとんど日蔭のない炎天下にもかかわらず、目標の一万人をひと目見ても上回る人々がグラウンドを埋めていく。労組の旗もあるにはあったが圧倒的に目立つのは保育園、社会福祉協など地元団体ののぼりや思い思い手製のプラカードだ。夜の全島エイサー大会参加を前にした宜野湾市各字青年会の旗頭も演説脇に整列している。
 副実行委員長の市収入役の開会あいさつで「沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落に抗議し、普天間飛行場の早期返還を求める宜野湾市民大会」(同実行委主催)が始まった。墜落事故発生時刻二時十八分に合わせサイレンが響き、たくさんの鳩が飛び立った。
 舞台脇にはブッシュ・小泉・稲嶺の顔写真をかぶった三人が手をつないで現れる。首にはそれぞれ「テロリストは私だ」「沖縄の人はオリンピック見てなかったの?」「辺野古ってどこ?」のプラカード。今、沖縄で最もオーラの出ている伊波洋一市長が登壇し、実行委員長あいさつ。ひと言ひと言、噛みしめるように堂々と、事故発生以来の米軍のごう慢な独断と軍事優先を批判。それを容認する外務省・小泉政府と、日本政府の顔色をうかがい辺野古移設に固執する稲嶺県政の責任を追及し「今回の事故を最後の警告ととらえ、県内移設を待たず、直ちに普天間を閉鎖させよう」と訴えた。
 続いて市議会議長が「日本政府が県と約束した『移設』がこう着し、進まない中で事故が起きた。一刻の猶予もできない」と発言。過去、市議会は辺野古移設容認を決議したが、今回の事故後「SACO合意による県内移設見直し」を含む抗議決議を行っている。その後、沖国大学長、被災地区自治会長、小中高校生代表、PTA、大学生、青年会、婦人会など十二人の地域代表が「日常生活につきつけられた恐怖」や「日本政府の無関心」を指摘し、怒りと基地返還に向けた決意を次々と表明した。
 中でも、地元高校生が辺野古への移設に反対を表明。「県内移設は爆弾のタライ回し、移設でなく完全撤去を」の発言に大きな拍手が湧き起こった。
 九月とはいえ炎天下に二時間半、なんと三万人余の人々が結集していた。最後に六項目の決議が読み上げられる(「かけはし」前号に掲載)。満場の拍手で採択され、暑い怒りの一日は終った。


沖縄各地で住民の闘いが広がる

 一九九五年県知事を先頭に八万五千人が結集した米兵の少女暴行事件抗議集会に次ぐ規模となったこの日、振興策頼みで辺野古移設に固執する稲嶺知事と県幹部の居場所はなかった。
 翌日、伊波市長ら大会実行委の代表は、大会決議と五万五千七百二十六人分の賛同署名をもって、外務省沖縄事務所、那覇防衛施設局、県知事、在沖米総領事に要請を行ったが、国・県は依然として、従来方針(辺野古移設)を繰り返すばかり。在沖米海兵隊は、要請を受けることすら拒否した。しかしいまや県内民意は「辺野古移設見直し、普天間即時閉鎖」に大きく動き出し、明確に伊波市長側に風を送りつつある。金武町伊芸区ではキャンプハンセン内で進められている都市型訓練施設建設に反対して多くの住民が立ち上がり、辺野古では連日防衛施設局の海上調査への抵抗運動が続いている。国・県への怒りはさらに拡大し、持続していく。
 沖縄は基地と「共存」することで過去何度も、米軍の侵略に加担させられてきた。現在の闘いも、その意味で、ブッシュの戦争戦略と直接向い合う性格を持たざるを得ない。だからこそ、小泉は見ないふりを決め込んでいるのだろう。ブッシュに追従し、戦争のできる国作りを進める小泉政権に反対する全国の仲間とともに、基地も軍隊もない沖縄・アジアを目指して進んでいきたい。これ以上、被害者にも加害者にもなりたくないとの想いをもって。(N)


東富士・米海兵隊実弾演習に反対し集会デモ
「富士を撃つな! 9・12実行委」が主催

 【静岡】九月十二日、御殿場市中央公園で、米海兵隊による実弾演習(104訓練)の中止を求めて集会と市内デモ行進、東富士演習場に隣接する米軍キャンプ富士、陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地に対する抗議・申し入れ行動が行われ、約四十人の仲間が参加した。
 この行動は、NO!AWACSの会(浜松)、平和と人権のための市民行動(静岡)、「東富士・沖縄、そして日本から基地撤去を求める三島市民の会」、静岡県労働組合共闘会議(県共闘)、など七団体が参加し、「富士を撃つな!9・12集会実行委員会」を結成して行われた。集会は、三島市議の栗原さんの司会で進められ、各参加団体からのアピール、地元の御殿場市民の会の小原さん、山梨・平和を語る会、大阪から「沖韓民衆連帯」の都裕史(ト・ユサ)さんのあいさつを受けた。

8月、静岡でイラ
ク派兵違憲訴訟

 冒頭あいさつに立った御殿場の小原さんは、実弾演習が六回目をむかえ、回を重ねるごとに演習が強化拡大されていること、先頃報道された米海兵隊の東富士への移転計画にふれて、キャンプ富士の全面返還要求に逆行するものであり、基地機能が一層拡大強化されることによって、かっての進駐米兵による市民や婦女子への暴行事件の再来が懸念されること、そしてなによりも世界各地に米軍が殴り込みをかける訓練をこの地で行うことを許してはならないと訴えた。
 山梨平和を語る会の仲間は、北富士では、駐屯地の中にイラク・サマワの模擬施設を作り八月三十一日から九月四日まで、自衛隊イラク第四次派遣部隊の戦闘訓練が行われ、県内の諸団体による抗議行動が行われたこと、また静岡に続いてイラク派兵違憲訴訟を八月六日に提訴したことが報告された。
 「沖韓民衆連帯」のト・ユサさんは、在外米軍の再編問題が韓国では数年前から問題となっているにもかかわらず、日本のマスコミは取り上げようともしない。韓国・梅香里(メヒャンニ)の射爆場は住民のねばり強い闘いによって閉鎖に追い込まれた。世界各地で民衆の闘いによって米軍基地の撤去が進んでいる一方、日本は、西太平洋、インド洋、中東をにらんだ戦略拠点として強化されようとしている。ラムズフェルド国防長官は「歓迎されないところに基地は置かない」と発言している。一体、日本はどう見られているのか? と問いかけた。

「9条の会」の立
ち上げを準備

 実行委員会参加団体からの発言では、県共闘の鈴木代表幹事から「9条の会」を静岡県でも立ち上げるための会合が持たれ、十一月三日に発足集会が持たれることが報告され、県共闘としても積極的に関わっていくことが表明された。NO!AWACSの会(浜松)の仲間からは、十月三日の浜松基地航空祭への抗議行動を行うことが報告され参加が訴えられた。集会には、立川自衛隊テント村をはじめ七団体からメッセージが寄せられ、紹介された。
 集会終了後、市内のデモ行進を行い、さらに東富士演習場に隣接する自衛隊滝ヶ原駐屯地と米軍キャンプ富士への要請・抗議行動を行った。     (S)


伊波市長の話を聞く会
死傷者が出なかったのが奇跡


 九月九日、「宜野湾市長伊波洋一さんの話しを聞く会」が東京・永田町の星陵会館が開かれた。主催は、沖縄県選出の野党国会議員六人。
 集会は午後六時半の開始予定であったが、当日辺野古のボーリング調査が抜き打ちで強行されたことに抗議して緊急の防衛施設庁への行動が入り、十分程度の遅れで、約四百人の結集で始まった。司会はこの日の朝、辺野古の現地行動に参加してから上京した糸数慶子参議院議員が行った。
 集会の冒頭、八月十三日米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落した直後から撮影したビデオの上映で始まった。ヘリの部品が四〜七百メートルも飛び散り、黒煙がもうもうと上がり、その上を米軍ヘリが上空から住民を威嚇するかのように飛ぶ生々しい映像が映し出された。
 伊波市長は「死傷者が出なかったのは奇跡に近い。米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学よりも普天間基地に近い所に、中部高校や小・中学校、さらには病院もある。基地のまわりは住宅密集地で、大学も休み期間で学生や関係者が少なかったという偶然が重なった結果に過ぎない」と述べた。また「墜落事故当日は、日米地位協定の実態をまざまざと見せつけられた。米軍は事故直後から住民を排除し、警察・消防隊も一歩も近づけないどころか、事情説明を求めた沖縄県当局をも最後まで無視し続けた」。
 「現場の調査を行った米軍が防毒マスクをしていたことから、専門家の中では『どの部分のどの部品かはわからないが、ボールペンの先ぐらいの大きさの〈ストロンチューム90〉という微量のウランを含んだ部品を探している』という人もいた」と報告した。
 一九九四年の少女暴行事件の際、米軍は五―七年を目途に普天間基地を返還すると約束したが、それから十年も経っているのに何も変っていない。逆に当時年間二万回の飛行訓練数であったものが、〇三年には三万五千回を超し、一日に三百回を数える日もある。それどころか防衛施設庁は辺野古移設が普天間基地の返還の前提であるかのように言い出し始めている。伊波市長は「普天間基地の即時返還、辺野古に新基地をつくらせないために九月十二日の集会を絶対に成功させる」と決意を述べた。
 最後に朝、辺野古の現地行動に参加した社民党の照屋寛徳議員んが、防衛施設庁の抜き打ちボーリング調査が三隻のオトリの船を使って漁民の抗議行動をかわそうとする用意周到なものであったことを暴露した。また抜き打ちの工事着工にもかかわらず三百五十人もの住民が集まり、現地では絶対に工事を阻止しようという熱意があふれていることが報告された。(D)


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