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オルガ・アピール――イスラエル・ユダヤ人への呼びかけ           かけはし2005.2.7号

不正義への謝罪と補償を

真実と和解のために、平等とパートナーシップのために

 ここに掲載した「オルガ・アピール」は昨年六月シオニズムに反対する在イスラエルのユダヤ人たちが、同じ在イスラエル・ユダヤ人たちに向けてパレスチナ人との民族共生国家を作り出すために発せられたものである。パレスチナのアラファト大統領が昨年十一月に死亡した後、PLOのアッバス議長が今年一月の選挙で大統領に就任した。その中で、ブッシュやシャロンも和平への圧力をパレスチナに強めている。しかし、パレスチナ・中東の真の和平の鍵は、まさにイスラエル・ユダヤ人側にある。この「オルガ・アピール」はイスラエル・ユダヤ人の側からの「シオニスト神話」の見直しと、パレスチナ人との共生に向けた動きとして注目される。出典は「オルタナティブ情報センター」のウェブサイトより。

われわれが作り
出した落とし穴

 イスラエル国家はユダヤ人たちの安全保障を実現することになっていた。ところがこの国家は、死の落とし穴を作り上げてしまい、住民たちは絶え間ない危険にさらされながら生きている。このような状況は、他のいかなるユダヤ人社会においても経験したことはない。
 イスラエル国家はゲットーの壁を突き崩すことになっていた。ところがこの国家は、ユダヤ人の歴史において最初で最大のゲットーを、今まさに建設しつつある。
 イスラエル国家は民主主義を実現することになっていた。ところがこの国家は、見誤ることができないほど明確なアパルトヘイト的諸要素と暴力的な軍事占領の意図的な継続とを結合した、一つの植民地支配構造を打ち立ててしまった。
 二〇〇四年のいま、イスラエルは、どこに行き着くかも分からない道の途上の国家となった。建国から五十六年――農業や科学技術の分野での多くの成果にもかかわらず、最後の審判の日のための武器で武装した、この地域における軍事大国であるにもかかわらず――その市民の多くは、存在自体に関わる悩みと自らの将来への不安を抱えて意気消沈している。
 イスラエルは、その建国以来ずっと剣に頼って生き延びてきた。「報復」の絶え間ない継続、そして繰り返される軍事作戦と戦争が、イスラエルのユダヤ人たちの生命維持のためのドラッグとなってしまったのだ。そして今、パレスチナ人たちの第二のインティファーダ開始からほぼ四年が経過し、イスラエルは占領と抑圧のぬかるみに首まで浸かりながら、それでもなお自らに対して「われわれは和平交渉をしたいのに、適切な相手がいないのだ」などと、うんざりするほど繰り返しながら、入植地を拡大し、仮設入植地も倍加させ続けている。

分離壁の建設と
植民地的支配


 オスロ合意から十年、われわれは愚かなる植民地支配の現実を生きている――これこそが問題の核心だ。ヨルダン川西岸地区とガザ回廊に残っていたパレスチナ人たちの領土をイスラエルが征服してから三十七年間、そのイスラエル支配下で三百五十万人以上のパレスチナ人たちが自らの町や村に閉じ込められている。「パレスチナ国家」という言葉は――長年、和平のための具体的な選択肢を意味していたのだが――今や多くのイスラエルの政治家たちによって、占領の現実を見えなくさせる蜃気楼のごときフレーズとして使われている。つまり、こうした政治家たちは、抜け目なく目配せしながら囁く――「将来においては、パレスチナ人たちの領土における彼らの存在は『国家』と呼ばれることになるでしょう」と。そして同時にイスラエルは、西岸地区とガザ回廊の惨状をさらにひどいものにしている。まるでパレスチナ人たちを粉々の灰にしてしまおうと決意しているかのようだ。
 分離壁の建設がイスラエル人たちの大きな支持を集めているが、しかしその支持者たちは――右翼であれ左翼であれ――毎週、何人のユダヤ人とアラブ人が生まれ、死んでいるのか、そして毎月、何人のユダヤ人とアラブ人が国全体に、またそれぞれの居住地域に暮らしているのかを知ろうとして常に住民の数を数えながら、人口統計という悪霊に怯えている。それゆえ、以下のような原則に基づいてオルタナティブな展望を提出することが極めて重要なのだ。
 すなわち、この国に住む複数の民族が、相互承認と対等なパートナーシップを、そして歴史的な見地からの正義の履行を基盤として共存すること、である。
 われわれは、シオニズム――この国における先住民族の存在を認めることを拒否し、その人々の諸権利を否定し、土地を強奪し、さらには分離政策を自らの基本原則と生活様式として受け入れることに基盤を置いている――に対する批判において一致している。
 イスラエルは、踏んだり蹴ったりの仕打ちをした上でなお、半世紀以上前にパレスチナ人の多数をその故郷から追放したことに始まり、今日において西岸地区の町や村に残っているパレスチナ人たちの周囲でのゲットーの壁建設に至るまでの、数々の行為について一切の責任を負うことを頑なに拒否している。ユダヤ人とアラブ人が並んで立つ、あるいは顔をあわせる場所ではどこであれ、両者の間に境界線が引かれて、祝福された者たちと呪われた者たちとが区別し分離されるのだ。

すべての差別的
な法規の撤廃を


 われわれは、この国が、個人レベルでも共同体レベルでも差別なく、また市民権や国籍、宗教、文化、民族あるいはジェンダーの如何を問うことなく、この地のすべての息子たちと娘たち――市民と住民たち、現住民と不在者たち(一九四八年に根こそぎにされた、イスラエルのパレスチナ人市民たち)【訳注1】――のものであることを承認する。それゆえわれわれは、イスラエルのユダヤ人とアラブ市民たちを差別する全ての法律、規則、および措置の即時廃棄を、またこれらの法律、規則および措置に基づく社会制度、組織、そして権限の一切の解消を、要求する。
 われわれは、平和と和解の達成のためには、先住民族であるパレスチナ人たちに対して行ってきた不正義についての責任をイスラエルが承認することが、そして彼らに補償を行う意思を示すことが条件であるとの認識で一致している。〔パレスチナ難民たちの〕帰還の権利の承認も、このわれわれの原則から導かれる。何世代にも渡るパレスチナ難民に対して加えられてきた不正義に補償を行うことは、パレスチナ人たちとの和解のためにも、また同時にわれわれイスラエルのユダヤ人自らの精神的な癒しのためにも必須の条件なのだ。これを通してのみわれわれは、過去の悪霊と呪いに悩まされることがなくなり、〔二つの民族の〕共通の故郷で自らくつろぐこととなる。
 これまでずっとイスラエルの指導者たちは、パレスチナ人たちを人間以下の存在として描写するために働き続けてきた。さらに彼らのこうした努力は、左派であれ右派であれ文化的なエリートたち、メディア界の大物たち、空疎な役人たち、そして軽薄な文人たちによって支持され支援され続けてきた。われわれは、この人種差別に基づく傲慢さを、強い嫌悪感とともに拒否する。パレスチナ人たちは、他のすべての人々と同様に悪魔でもなければ天使でもなく、われわれと全く同じ、平等に創造された人間なのだ。
 われわれは、もしもわれわれの側から偏見のない心と自発性をもってパレスチナ人たちとの和平と和解に向けて働きかけてゆくならば、パレスチナ人たちの側にもわれわれが携えてゆこうとするのと同じもの、つまり偏見のない心と自発性を見いだすことが必ずできるのだと確信している。なぜならばわれわれは、「井戸に毒を投げ込んだ者たち」【訳注2】が公言しているような永遠の敵同士なのではなく、兄弟姉妹だからだ。

占領状態の即時
停止こそ出発点

 現段階においては、共存という展望から将来どのような実体が形作られるかを推測することは無意味である。つまり、二つの国家か、あるいは一つの国家か? 連合国家か、あるいは連邦国家か? さらに、連邦州制度はどうか等々――どのようなケースであれ、共存という展望に向けて前進してゆくための第一条件は、最高度の道義的な規範という意味でも、また極めて緊急な現実的な事がらという意味でも、自明である。つまり占領状態の即時停止だ。
 これによってのみ、東エルサレムと西岸地区、そしてガザ回廊のパレスチナ人たちは、三十七年間に渡って昼となく夜となく絶えずイスラエルが強い続けてきた入植地のくびきから、アパルトヘイトの悪夢から、屈辱の重荷から、そして破壊の悪霊から脱することができるだろう。完全に自由になったときに初めてパレスチナ人たちは、その自らの未来について議論し決定することが可能となるだろう。
 われわれは、以上に述べてきたような諸原則を受け入れることが、この国の人々が共存するための適切な共通の枠組みを打ち立てるための基盤となるであろうと確信している。われわれは、自らの生き地獄から天国のような楽園へとわれわれを導くかのごときファンタジーや奇跡的な手段について語っているのでは、ない。
 われわれは、これまで試みられることのなかった道について語っているのだ。つまり、自らに対して、そして隣人たち、とりわけパレスチナの人々に対して誠実になること、である。われわれの敵とされてきたパレスチナ人たちは、われわれの兄弟姉妹なのだ。もしもわれわれが自らの内側に、しかるべき誠実さと必要な勇気とを奮い起こすことができるならば、拒否と抑圧、現実の歪曲、方向性の喪失、良心の放棄といった、何世代にも渡ってイスラエルの人々が閉じこめられてきた混乱状況から自らを救いだすための、長い道のりの最初の一歩を踏み出すことができるだろう。
 どんな人であれ理解しようとするならば、全滅に至るほかない、さらなる「数百年間の紛争状況」か、この地のすべての住民たちの間でのパートナーシップか、そのような選択が問われているということが分かる。後者のパートナーシップのみが、われわれイスラエルのユダヤ人を自らの国における異邦人から、その真の住民へと変え得るのだ。
 われわれは、占領に反対するためのもう一つ別の運動を、あるいは別の政党(政治基盤、組織、指導部)を立ち上げようとは考えていない。われわれは、自らが生きているイスラエルの袋小路についての、そしてその袋小路を打破するために必要とされる根底的な諸変化についての、誠実で公開の討論を開始したいと考えている。すべてのイスラエル人にとって、これは政治的に取るに足らない事柄などではなく、逆にこの国の諸民族の運命にかかわる事柄だということは明らかだ。

 ギヴアト・オルガにて/二〇〇四年六月

【訳注】
1:不在者たち〔absentees〕:一九四八年の第一次中東戦争の前後にイスラエル国家から「不在者」と認定されたパレスチナ人たちの土地や財産が組織的かつ(イスラエルの法律上は)「合法的」に没収されたことについての言及であろう。
2:井戸に毒を投げ込んだ者たち〔the well-poisoners〕:ユダヤ人を意味する。ヨーロッパ世界におけるユダヤ人差別の中で、このような表現がなされていたという。
(翻訳:岡田剛士)


「オルガ・アピール」の呼びかけ人たちから、イスラエルと占領地、離散の地にあるパレスチナ人の友人たちへの手紙


 友人の皆さんへ

 数週間前に私たちは、「真実と和解のために、平等とパートナーシップのために」というタイトルでユダヤ人=イスラエル人の世論に向けたアピールを公開しました。このアピールは、イスラエルにおける政治的な論説に変化をあたえ、この紛争の歴史的な側面を補足するとともに、将来において真の和解を達成するために必要な、政治・イデオロギー・文化といった面での構造的な変化について提起することを目的としたものです。
 この私たちの最初の呼びかけを、あえて意図的に、イスラエル・ユダヤ人からイスラエル・ユダヤ人への呼びかけとしたいと考えました。このような「同族主義的なアプローチ」は、これが最初で、そして最後のものとなるでしょう。なぜならば私たちの考え方は、同族意識の拒否に根ざしており、そして「この地の全ての子ら」――住民たち、同様に不在者たち――の真のパートナーシップの促進を目指しているからです。私たちはユダヤ人=イスラエル人の内部的な議論が最初の重要なステップだと思っており、そしてパレスチナ人たちの参加と貢献が、さらに次のステップとなり得ることを願っています。
 〔公開からの〕十日間で私たちのアピールは、予想を超えて百人以上のイスラエル・ユダヤ人からの賛同を得ました。そして何十人もの賛同者たちの間で、帰還の権利や歴史的な責任、二つの民族のための一つの国家等々についての活発な議論が開始されています。
 論評と批評のために、アピールの文章をお送りします。もちろん私たちは、皆さん――パレスチナ人の兄弟姉妹たち、イスラエルの市民権を持つ人であれ一九六七年の占領地に住む人、あるいは離散の地にあるパレスチナ人たちであっても――と、いつでも私たちのアピールの諸原則についての議論をぜひとも交わしたいと思っています。

 連帯にむけて
 アナット・ビレツキ
 アンドレ・ドラツニン
 ハイム・ハネグビ
 イェフディト・ハレル
 オレン・メディクス
 ミシェル・(ミカド・) 
 ワルシャウスキー
 (私たちへの連絡は、Yehudith Harel[ye_harel@netvision.net.il]まで)  


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