| 12月に沖縄現地を訪ねて かけはし2005.1.24号 |
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辺野古ではウミンチュの漁船が掘削工事を阻止している! |
五千人の沖縄国際大コンサート
沖縄国際大への米軍機墜落事故から四カ月たった。宜野湾市の学内グラウンドで十二月十九日、NO FREEZONEコンサートが開かれた。NO FREE ZONEは飛行禁止区域の意味である。企画した実行委員である女性は「情報を発信する大学という場所でこのような事故が起こった。平和な空を取り戻すという思いをここから発信していかなければならない。そんな意味を込めてこのコンサートを企画した」と発言した。
グラウンドには学生、住民などが五千人くらい集まり、伊波宜野湾市長も駆けつけた。伊等波さゆきさんが「ヘリ飛ばぬ空や 御万人の願い」と歌詞を変えて安波節を語り、学内からは琉球芸能文学研究会、二つのロックバンド、鼓舞楽団浦風のエイサー披露が行われた。卒業生からは下地勇、ひがけいこ&シュビーズ、MONGOL800が出演した。
グラウンドを囲むようにテントが建てられ、学生が物販で飛行停止を訴えるグッズを売っている。参加者の誘導、コンサートへの百円カンパ集めなども学生が中心になって動いていた。
コンサートは、テレビなどでおなじみのMONGOL800が出演すると、参加者の熱気は最高潮に達した。最後は出演者全員がステージ上で合唱し、空に風船を飛ばして大団円を迎えた。だが演奏と聴衆の反応が盛り上がるに連れて、事故への抗議、基地撤去の発言はなくなり、「飛行禁止区域」のメッセージ性を弱めているきらいもあった。二〇〇〇年サミット以降、「基地推進・沖縄戦被害清算すべき」派が仕組んだ沖縄ブームによって進められた非政治化を象徴するようだった。また、辺野古の闘争への言及が少なかったようにも感じた。
このコンサートを支えた人たちは、たとえばグラウンド内に写真や図の展示を準備し、ヘリコプターが激突した「沖縄国際大学本館の壁を保存する意義」という呼びかけビラを配布していた平和学ゼミ学生のような人たちである。渡具知学長ら執行部は十二月十七日に壁を撤去する案を公表した。撤去の理由として@保存に費やす財政上の問題A周辺住民の心理的ストレスB汚染された現場の土壌入れ替えが必要、などの理由を挙げている。これに対して壁保存を求める運動はまだ広がっているとは言えないが、これからも米軍機墜落を糾弾し、普天間基地の撤去を求める活動の具体的な実践としてあり続けるだろう。本土からも連帯していこう。
推進派の拠点は今や闘いの砦
辺野古では座り込み闘争が二百五十日目に達しようとしている。キャンプ・シュワブのゲート前では早朝六時から八時すぎまで、数人の住民が車両の出入りを監視している。たまに車両に調査用の工作物が積んであるとき、その前に立ちふさがって搬入阻止を試み、資材の搬入、那覇施設局職員の出入りを本部テントに報告するためだ。那覇防衛施設局が調査を開始しようとした二〇〇四年四月、ボーリング調査を強行しようとした九月に、利用しようとしていた辺野古漁港で住民の頑強な抵抗にあって自由に資材の搬入をできなくなったのだ。作業員や施設局職員は主にキャンプ・シュワブ内の海岸を利用して調査を進めている。
一方、本部テントと座り込みテントがある辺野古漁港前からは六時三十分頃にはジュゴン監視団の人を中心にした一団が単管足場へ向けて出発する。十二月から船で足場に向かうようになったのは、宜野座、金武、松田のウミンチュ(漁師)が漁船十三艘が漁業を守るために駆けつけてからだ。それまではカヌーを走らせて磁気探査、単管足場の組み立てを阻止しに行っていた。
十二月末の時点で掘削のために作らせてしまった足場は四ポイントある。スパット台船の台座、足場の一つは台風の影響で施設局が撤去をやむなくされている。この四ポイントにそれぞれ船三〜四艘が立ちふさがっているために施設局の船は簡単に近づけない。各ポイントは無線で連絡を密にしている。いまや美しい海を汚すために基地建設推進者が作った拠点は、命と海とを守る砦となった。
辺野古漁港には施設局がチャーターした漁民の船も並んでおり、それを示す「作業船」「警戒船」などと書かれたプラスチック板が付けられている。チンピラ漁民を乗せた警戒船はときどきキャンプ・シュワブから出てきて足場を偵察しに来る。時には十一月に足場から反対派住民を突き落としたときの凶暴性を連想させる野卑な言葉で足場の人々をののしることもある。防衛施設局職員、サンコーコンサルタント作業員などを乗せた作業船は、足場が完成した後、最も東側のポイントなどで掘削開始の機会をうかがっているが、〇四年現在阻止団の実力阻止のおかげで岩盤の掘削は始まっていない。彼らは仕方なく、「ボルトを締めるために作業員をあげていいか」などと監視団の人々に了解を求めてくる始末である。
ウチナンチュの作業員が「許可」を得て足場に上がってきたときのことだ。阻止団の人々は口々に「こんな仕事やめちゃいなさいよ」「防衛施設局の仕事はやめて環境を守る仕事をやろう」と話しかけると、作業員は泣きそうな顔で「別の仕事を下さいよ」「こんな仕事私だってしたくないですよ」と繰り返していた。広大な基地に生産の場を奪われて、失業率だけで測れない就業難を突きつけられる沖縄の縮図を、単管足場の上で垣間見た。施設局に雇われる漁民にしても、足場を巡る攻防で感情的になって野次を投げてくるかと思うと、タコが取れたといって足場に自慢げに見せに来る。現時点で基地建設推進の側にいると思われる人々もまだ反対派になる余地は残っている。本土での無関心を覆すためにもこの海の存在の重要性と、基地の犯罪性をより確かな方法で示すことに全力をかけていくしかない。
命を守る会、ジュゴン監視団の人々は七年にわたって基地を推進してきた勢力の手法を知り抜いているので、まったく楽観はしないが、現在のところ敵味方に分かれるウチナンチュを見つめるまなざしは常にあたたかい。本土においてなすべきことは、海での攻防を見守ることではなく、まだ建設をあきらめない日米政府の思惑を包囲し、沖縄の人々が全面的な基地撤去を当たり前に叫べる環境を用意することである。
大浦湾を埋め尽す船団の結集
十二月二十一日には海上デモが取り組まれた。施設局の妨害を許さず成功を収めた。陸ではまよなかしんやさん、金城繁さんなどの歌手、大学のエイサー部などの演奏とアピールが続いた。まよなかさんの声は海まで良く聞こえた。集会では反対協から安次富浩さん、金城祐次さん、平和市民連絡会から山内徳信さん、崎原清秀さんなどが発言した。海にはウミンチュの漁船を含めて三十艘の大結集。建設を予定している海上基地の大きさがわかるように列を組んだ船がポイントの前を通り過ぎるとき、乗船している仲間が手を振ってくる。「オーーイ」「闘うぞー」と。足場の仲間からは「がんばろう」「もうすぐだよー。白紙撤回だからねー」と手を振り返す。カヌーでの攻防にこの三カ月打ち込んできた女性は大浦湾を埋め尽くす船団の光景に涙ぐんでいた。広い海原で施設局と作業員の暴力にさらされて闘っていた頃には考えられない、包囲と占拠の力だ。「もう孤立していないんだよね。後、もう少しで勝てるよ」という声が聞こえた。
毎週土曜、日曜日にはカヌー教室が開かれている。カヌーを覚えて少しでも阻止行動に参加する人を増やすために始まった訓練だ。同じポイントを守っていた七十代の女性は、「私もまったく泳げないところから、何回もカヌーをひっくり返しながらここまでやってきた。やって出来ないことはない」と言っている。六十代以上の人も多いが、座り込みテントに集まってくるおじい、おばあと同様、したたかに、粘り強く、たたかいを引っ張っている。彼らは断固として辺野古の海に基地が出現することを拒み続けるが、同時に狭い沖縄の中で推進派と反対派が分断されるたたかいに矮小化されることのない足腰の強さを身につけたように思われる。
十二月二十日夜には那覇市内でキャンドルデモが行なわれ、辺野古の基地反対に六千人が立ち上がった。十二月二十一日は海上デモ終了後、会場をヒンブンガジュマル前に移してキャンドルデモを行った。県庁前でハンガーストライキを行なっていた山口洋子さんも十九日でその日程を終了したが、衆院議員の糸数慶子さんを始め、多くの仲間が激励に訪れ、その奮闘により多くの仲間が反基地闘争の継続を誓った。海上基地建設計画の撤回までもう少しだ。
都市型訓練施設の建設始まる
キャンプハンセンでは二〇〇四年五月からレンジ4内に都市型訓練施設の建設が始まった。一九八八年に始まったレンジ21での都市型訓練施設の建設が恩納村の住民の反対闘争のために頓挫した後、秘密裏に建設、使用されていたレンジ16が老朽化したため、というのが米軍側の理由である。「対テロ戦争」に対応できる部隊を強化するため、新たな実弾演習場が必要となったのだ。レンジ4に隣接する金武町伊芸区では突然の建設が始まった後から、キャンプ・ハンセンのゲート前での抗議行動に取り組み、早朝はキャンプ・シュワブと同様、住民が車両等の搬入に対し、監視・阻止行動を続けている。また伊芸区の県道104号沿いでは監視塔が二つ立っていて、建設が急ピッチで進んでいるさまを監視している。伊芸区の県道104号沿いには都市型訓練施設建設反対ののぼりがひるがえっている。
金武町役場のホームページには米軍基地の欄がある。それによれば一九九九年二月から二〇〇三年八月までにおきたキャンプハンセン内の山火事件数が二十七件である。内、二〇〇二年十二月の火事は消失面積は十万平方メートルに及び、火事は伊芸区の住宅地に達する寸前であった。曳光弾、迫撃砲の使用自粛によって火事の件数は減っているが、山火事の処理ひとつとっても、訓練施設建設に際して地域住民の安全は考慮される、という川口前外相の発言にまったく根拠がないことが明らかになる。また、県道104号線越え実弾演習を行っていた頃にさかのぼれば、流弾事故は頻繁にあり、人身に関わる事故も伊芸区内であった。焼失による水質汚染、騒音、振動も打ち続く実弾演習がもたらした被害である。
監視台などからは、射撃用建物、強行突入用訓練施設、懸垂降下実弾射撃訓練塔ほか管理施設棟などの建設が確認されている。米軍は接近戦における動体物を標的とした射撃訓練施設の完成を春までに完了させようと躍起になっているのだ。キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブから派遣される海兵隊員はイラクのファルージャ攻撃の主力部隊だった。沖縄においても冷戦終結後の帝国主義諸国の軍事戦略を見極めなければならない。米軍の機能強化を許さず、本土の方からこそ、米軍再編を通した日本政府の「日米同盟強化路線」を掘り崩していこう。沖縄の人々に米軍基地共存以外の選択肢を提示するたたかいを進めていこう。
(海田 昇)
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