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パク・チョンヒ射殺事件とその時代を辛らつに批判     かけはし2005.2.14号

映画「その時、その人々」が投げかける様々な波紋


死んでいった人に対する追悼曲

 キム・ジェギュの映画がパク・チョンヒ論難を生んでいる。イム・サンス監督の「その時、その人々」は10・26事件(79年、パク・チョンヒ大統領射殺事件)をひき起こしたキム・ジェギュと、その部下たちに焦点を合わせている。監督もこの映画を「わけも分からないまま死んでいった人々に対する追悼曲」だと表現した。
 けれども論難は主人公ではなく、助演に向けられた。その方は「閣下」だからだ。閣下殺害の場面や猟色行動は、日本語の使用や演歌の登場が、映画が公開されるよりも前に問題として浮び上がった。閣下の息子であるパク・チマン氏は、この映画は死者の名誉を棄損するとして裁判所に上映禁止の仮処分を申請した(注)。映画について沈黙し続けていたパク・クネ(現ハンナラ党)代表も、映画の試写会が開かれるころ「問題があるのではないのか。作るときから秘密裏にやったのだから」と不快感をあらわにした。

10・26事件とパク・チョンヒ

 映画の試写会場でも「パク・チョンヒの影」は見え隠れした。ソウル・龍山CGVで試写会が開かれていた1月24日夕方、試写会場に向かう途中に1人の中年男性が1人デモを繰り広げていた。彼は「これ以上、パク・チョンヒ大統領閣下を罵倒するな」と書いたプラカードを体に下げていた。ヨ・ドンファル氏(48)は慶尚北道ハヤン邑で試写会のことを聞き上京してきた。ヨ氏は「パク・チョンヒ大統領は、わが国の歴史で1回、出会えるかどうかの1人」であり「しかも、こうやって食べていけるのも、みなあの方のおかげではないのか」と語った。
 ある人々にとっては韓(朝鮮)半島の歴史上、初めて「ご飯と肉スープを食べさせてくれた」と考えているパク・チョンヒへの郷愁の実体に触れた瞬間だった。彼は「私も60〜70年代、九老工業団地で働き、最前方で軍隊生活を送りながら苦労という苦労は、すべて経験した」「それでも、あの方の恩は忘れてはならない」と強調した。
 この日、午後7時30分、遂に映画が上映された。映画は女性のナレーションで始まった。「そうこうしていたある日、思いがけなくもパク・チョンヒは銃で撃たれました」。映画は10・26を「思いがけない」事件と規定して進んでいく。そして1979年10月26日の風景を通じて、その事件がいかに「思いがけなくはかないものであったか」を見せつける。「その時、その人々」が描写している当時の権力中枢の風景は、粗暴な人々の行動で飾られる。粗悪な中小企業の見目つくろいを思い浮かばせる。監督は、ここに大韓民国株式会社がある、その「幼稚な」振る舞いを見よ、と語る。

権力のまわりを徘徊する人々


 周辺の人々が「ハラボジ(おじいさん)」と呼んでいる閣下は、宴会で酔い、追従に弱い、わびしさにやつれた老人にすぎない。彼を銃で撃つキム部長は「サナイ(男)の道」を云々するが、事実は閣下の寵愛をチャ室長に奪われたとの被害意識にとらわれた、いくじなしだ。
 キム部長は権力内部の野党でもある。彼の2つのアイデンティティーは妙に合わさって「大事(おおごと)」を謀る名分となる。キム部長は「民主主義のために自決する覚悟でともに進むのだ。それが、サナイの道だ」と、ことさらに重々しく語る。そして彼の手下であるチュ課長、ミン大佐を「大事」にひきいれる。
 中央情報部の儀典課長であるチュ課長も権力の近くにいるが、行動は極めて平凡な「サナイ」だ。彼は閣下に女性たちを選び、捧げることに慣れきっていて、チャ室長から侮べつされることには嫌気がさしている。彼にとってキム部長の「大事」の提案は気の重いことだが、それは拒否できない力だ。彼は半分自発的な気分で、「きょう われわれは人生の勝負を賭けましょう」と決心する。キム部長の随行秘書であるミン大佐は上官の命令に従う忠実な腹心として黙々と「サナイの道」を歩む。
 ところで、サナイの「大事」は小市民の日常を奪う。キム部長はチュ課長に「しっかりした奴を3人連れてきて私を支援しろ」と言うが、いざ選び出された人物は、探すに手軽な周辺の人物だった。チュ課長の命令で、彼の部下と中庭警備員、運転手らが「運悪く」事件に巻き込まれる。
 彼らの運命というのは、だれが投げたのかも分からない石に当たって死ぬカエルという態だ。映画の後半部で「運チャン」が軍人らに逮捕されながら吐き出す言葉には彼らのあまりにも過酷な運命が要約されている。「われわれは全く何もしらず……。何の因果で犬のように」。
 このように映画は不条理に満ち満ちている。「大事」を始めた人物も、「大事」に巻き込まれた人物も、なぜ自分がその行動をしているのか、自分自身にさえ理解させられない。監督は、それがむしろ真実に近いのでは、と語る。小説家チョ・ソンヒは「『その時、その人々』は当時の人物像を極めて好き勝手、ハチャメチャに描いた」し、「それが、この映画の致命的な〈長所〉」だと分析した。
 「その時、その人々」は、10・26事件がよく組み立てられたシナリオにしたがった集団行動ではなく、キム部長個人の突出行動だった、と語る。キム部長は「野獣の心情で維新の心臓を撃った」という、かの有名なセリフを飛ばすが、ただ「逆情」して事故をしでかしたとの感じを強く与える。
 90年代中・後半にキム・ジェギュに対する再評価の動きがあるにはあったものの、10・26は「歴史」ではなく、「事件」として考えられてきた。もちろん、彼個人の私的な感情から出てきた偶発的な事件はナビ効果をひき起こし、大韓民国の国家権力の行方を変える効果を生んだ。まさにその地点から「その時、その人々」は私的な行動歴史の流れを変えるほどに、「その時、その時代」の国家というのは虚妄にして、お粗末なものだった、と辛らつに批判する。
 その辛らつな批判はパク・チョンヒ政権を超え、すべての権力に対する批判と踏み込む。この映画を見ると、どんなに偉大なことでも「ある程度」は私的なネットワークに基づかざるをえない人間史のアイロニーが重なっていく。したがって「その時、その人々」はすべての人々に反省の機会を投じ、権力を持ったすべての者たちを気分悪くさせる。

国家批判、男性に対する嘲笑

 事件収拾の過程は、さらに見物だ。事態収拾に乗り出すべき陸軍参謀総長は、わが身の保身にのみしがみつき、陸軍本部のバンカーに集まった国務委員(閣僚)たちは右往左往する。彼らのありようもまた権力を追う古い人々の気弱な行動にほかならない。
 国務委員らは大統領の有故時にだれが権力を承継するのかも判断がつかず、死んだ大統領の遺骸に対する黙祷が終わるやいなや、新しい権力者に敬礼を捧げるのに忙しい。ある国務委員は、大統領の有故を知らせないようにしようとの意見に、「米国の息子どもには話さなければならないと思います」と語り、キム部長が事件の前に米大使に会ったと言うと、「米国とはあらかじめ話がついていたんですか?」との言葉がズバリ飛び出す。
 映画は権力の目を見ながら生きてきた者たちの生理を「リアルに」再現する。描写がリアルであればあるほど、空笑いがはじける。監督は、それが「サナイの世界」だと語る。キム部長は、私益にのみしがみつく国務委員らと比べられつつ、むしろ「まともな」人物となる。
 粗暴の原理で動けば、危機が切迫してもシステムは作動しない。スパイづくりには神がかりに機能したものの、いざという危機には穴だらけの国家のシステムが嘲笑される。青瓦台秘書室長の耳うちで国務委員らはキム部長が大統領を撃ったことを知るところとなる。陸本幹部らはキム部長を逮捕するために慌てて実弾を探すが、大韓民国陸軍本部には数発の銃弾もない。結局、キム部長を車で追い込み、もみ合いのすえに逮捕する。
 1979年10月29日当時の国家権力は、まさに男性の権力だった。国家に対する批判は、おのずと男性に対する嘲笑へと連なる。サナイの道は、ひたむきであればあるほど、こっけいなものとなる。反面、事件現場にいた2人の女性の人間的なおもざしが際立つ。彼女らは銃撃された閣下を抱きかばった唯一の人々であり、宮井洞から抜け出しながら大泣きに泣く。彼女らはだれかの「死」に涙を流す唯一の人物たちだ。
 「大事」は失敗に帰し、運命は悲劇によって締め括られる。キム部長が逮捕され、取り調べを受けている画面の上に質問が重ねられる。「この人は誇大妄想症の患者ですか? 民主の闘士ですか?」。観客らは、どちらの側にも手を挙げがたい。いや、彼は誇大妄想症の患者にして民主の闘士だ。あるいは誇大妄想症の患者でもなく民主の闘士でもないごく普通の人であるにすぎない。
 キム部長を通りすぎたカメラは部下たちの、しょんぼりした最後の姿を映す。彼らの最後についての陳述が続く。監督は「その時、その人々」を「わけも分からないまま死んでいった人々に対する鎮魂曲」だと言った。けれども映画は権力を嘲笑するのに忙しく、死んだ者への憐れみを表現するいとまがない。「その時、その人々」はチュ課長をはじめ、名もなく倒れていった人々の内面に深く入れないまま、あわただしくまとめられる。

パクの時代を凝視し始めた


 映画が終わったと思う瞬間、ドキュメンタリーが始まる。パク・チョンヒ大統領の葬例式の場面だ。喪服を着たパク・クネ代表が登場し、道端の市民らは嗚咽する。葬例式の場面を見せつけつつ監督は「どうか今こそパク・チョンヒとお別れしよう」と哀願する。われわれを抑えつけている何物かが喚起され、幾重もの悲しみが湧き上がってくる。
 試写会が終わった後、反応は雨あられのごとくに表れた。「思っていたよりも強烈ではない」との評から「ドキュメンタリーの意図が気にかかる」との批判まで、反応は行き交い、くい違っている。
 「少女たちの夕食」「涙」「浮ついた家族」などで、われらの時代の性と家族について急進的な批判をしてきたイム・サンス監督のこれまでの作品に比べ、「その時、その人々」の挑発は期待はずれだ、との不満もある。10・26という歴史的事件を余りにも無責任に扱った、事件についての監督の観点が分からない、などと批判する声もある。もちろん韓国映画の新境地だと誉め称える好評もある。一方では、パク・チョンヒに対する立場によって、映画を見もしないうちから「感想」が決定されたりもする。
 「その時、その人々」は、どの集団からも歓迎されず、どの世代にもアピールできない不遇の運命に陥りかねない。親パク・チョンヒ陣営は「行き過ぎたカリカチュアライズ」だと不快がるだろうし、反パク・チョンヒ陣営は「批判の核心を見失った」と残念がるだろう。そのような兆候は表れている。10・26を知っている世代は、よく知っているがゆえに不満であり、知らない世代は知らないがゆえに理解しがたいということもありえる。進退極まれり、だ。「その時、その人々」が論難をつき破り、批判を乗り越え、興業に踏み出せるのか。いずれにせよ、韓国映画は「その時、その人々」を通じてパク・チョンヒの時代を真正面から凝視し始めた。(「ハンギョレ21」第546号、05年2月15日付、シン・ユンドンウク記者)
 注 「朝日新聞」2月1日付によれば、2月3日の封切りを前に、元大統領の息子が名誉棄損を理由に上映禁止の仮処分を申請していたところ、ソウル地裁は1月31日、上映は認めたもののドキュメンタリー部分については削除を命じ、3カ所計3分50秒分が真っ黒に消されて上映されることになった。映画会社は興業上の理由から削除したままの公開を決めたが、イム・サンス監督はさらに裁判で争うことも辞さない構えだとしている。


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