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韓日守旧派たち共同の「性暴力」            かけはし2005.5.16号

軍慰安婦の歴史上、類例のない「管理買春制度」


韓国社会が再び沸き返る

 1991年、キム・ハクスン・ハルモニ(おばあさん)が、私は日本軍の「慰安婦」被害者だったと「国内」で初めてカミング・アウトした直後に、〈余命の瞳〉というドラマが放映された。日本軍「慰安婦」となってしまった主人公ヨオクの不幸な運命に全国が涙を流し、そして怒った。そしてドラマは終わり、日本軍「慰安婦」問題は、それ以前の40年間がそうであったように、人々の記憶から忘れられていった。
 2004年2月、「従軍慰安婦ヌード画報」事件が起こると、韓国社会は再び沸き返った。煮えたぎったお湯が火を消したのだろうか。その女優がハルモニたちの安息の場である「ナヌム(分かち合い)の家」を訪れて謝罪してから1カ月ほど過ぎた後、学生らとともにそこを訪れた。「最近は、どうですか」という私の言葉にアン・シンクォン事務長は「(再び関心が集中したのは)ちょうど1週間こっきりでしたね」と嘆息した。日本大使館前では今や13年になる「水曜デモ」が650回を超えて進行中だ。

本質を覆い隠す用語


 そして05年になってハン・スンジョが、日本軍「慰安婦」問題を提起するハルモニたちや真実究明運動に対して、「性の問題」を「なぜカネの問題と結びつけて恥さらしを続けるのか」とし、「邪悪さと愚かさの代表的な事例」であり、「水準以下の左派的心性」だと妄言を吐いた。すると日本の「新しい歴史教科書を作る会」という団体の副会長である藤岡信勝は、水曜デモに出てきているハルモニたちは北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)の工作員だと主張した。
 ハン・スンジョの妄言当時、ハン・スンジョ一等兵を救い出すために乗り出したチ・マノンは藤岡の妄言を発展させ、水曜デモなどに参加している日本軍「慰安婦」ハルモニたちは「ニセモノ」だとの疑問がある、と主張した。彼によれば「1944年当時に日本軍『慰安婦』として引っ張られていった女性ならば、現在では少なくとも78歳以上の高齢で健康にも障りがあり、挙動も不便だろう」に「最近TVで見るハルモニたちは健康も良さそうで声にも張りのある方が多い」というのだ。
 さらに彼は「大韓民国が恥ずかしい。慰安婦ごっこは、もうやめろ」として挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)やナヌムの家は「何人にもならない(慰安婦)ハルモニたちをブンブン騒ぐ蜂のように仕立てて国際的恥さらしをさせ回っている」と非難した。チ・マノンの主張は、これまで韓日を行き交って出てきた日本軍「慰安婦」問題にかかわる妄言の決定版とも言うべきものだ。本当に恥ずべき人々とは、だれなのか?
 日本軍「慰安婦」ないしは日本軍の「性の奴隷」問題を語るに先立って、用語の問題を整理する必要がある。韓国社会でこの問題を指す用語として真っ先に使われた言葉は「挺身隊」だ。ところで挺身隊には日本軍に引っ張られて行って性の奴隷として搾取された方々も含まれはするものの、工場に動員されて強制労働で苦しめられた女性たちばかりでなく、男子も含まれる。要するに、挺身隊という言葉は日本軍「慰安婦」を含んではいるものの、はるかに広い範囲の集団を指している。
 慰安婦という言葉において問題となるのは、ここで言う「慰安」とは、だれのための慰安なのか、という点だ。日本軍の性欲発散は、日本軍の立場からは慰安だったかも知れないとしても、被害者である女性たちにとっては耐えがたい苦情だったのだ。慰安婦は当然にも日本軍の立場から出てきたものだ。したがって日本軍「慰安婦」という言葉には、いささか煩わしくはあるけれども、必ず引用符を付して使う。
 日本で広く使われており、また一時、北でも使用していた用語が「従軍慰安婦」だ。この言葉は慰安婦という言葉の問題点をそれなりに有してはいるが、「従軍」という表現は問題の本質を糊塗している。従軍作家、従軍記者、従軍画家などは、だれかに無理矢理に引っ張られて行った人々ではなく、自らの足で軍隊につき従った人々だ。
 日本軍の性の奴隷は、引用符をどんなに付けたところでどうしても拭えない慰安婦という用語の問題点をなくした言葉として研究者たちや活動家たちの間で最近になって急速に広まっている。だが当事者であるハルモニたちは、この言葉を好まないようだ。

性病による戦闘力の損失


 日本の極右派や韓国の親日・守旧勢力は、なぜ日本ばかりを非難するのかと口ぐせのように言う。一例としてハン・スンジョは「戦争中に軍人らが女性たちを性的慰安物として利用するのは日本に限ったことではない」と強弁する。古今東西を問わず、戦争の惨禍を前にして女性たちが銃剣を帯びた人々の性的暴虐の対象となったという点は、事実だ。
 だが「制度」としての日本軍「慰安婦」問題は、あらゆる戦争において発生している戦時強姦とは次元が異なる。日本軍「慰安婦」というのは日本の国家機構の主導によって植民地・被占領地の女性を動員し、軍人たちに性的奴隷として供給した制度的強姦であり、これは明白な戦争犯罪としてファシズムと結合した性暴力だった。中日戦争、太平洋戦争の時期の日本のように、国家の組織的介入の下に軍人たちのために「性的奴隷」を引き連れ回し、性的奴隷の供給のために制度化された動員を事とした例は世界の歴史上、その類例を見いだすことはできない。
 日本軍慰安所が最初に設置されたのは1932年の「上海事変」前後のこととされる。上海を占領した日本軍指揮部は兵士たちの強姦事件が頻発すると、日本本土から慰安婦を連れて来始めた。当時、上海派遣軍参謀長・岡村寧次中将は慰安婦が派送されてきた後、強姦事件が減り、喜んだという。このような理由によって、キム・ワンソプのような現代版親日派は「海外遠征軍に慰安婦を添えて送り、軍人と現地住民を配慮」したのは「世界の戦争史に類を見ない独創的発想」で「日本軍のヒューマニズムを象徴する証拠」だとして、日本の極右派さえも到底、口にできない無理を言いはった。
 日本軍が「慰安婦」制度を導入した理由は単純に強姦を防止するためのことだけではない。日本軍「慰安婦」制度は20世紀の日本軍部の「総力戦」思想による戦略的思考と密接な関連がある。ロシア革命が起こると帝国日本はロシアの内戦に白軍側に立って介入し、7万5千人の大兵力をシベリアに派遣した。ところでこの当時、日本軍に兵力の大きな損失を被らせたのは敵軍やゲリラの攻撃というよりは梅毒の攻撃だった。日本軍はこの当時、戦闘による兵力損失よりも性病による戦闘力の損失が、ずっと大きかったのだ。

国家が「キレイな性」を補給


 第1次世界大戦当時、連合国に加担した日本軍部は一方ではヨーロッパでの連合国の勝利を望みつつも、他方では日本軍がモデルと考えていたドイツ軍(プロシア軍)がどれくらいしっかりと闘うのかを注視した。だが、ドイツ軍の敗北は日本軍には、いっそう衝撃だった。
 近代の戦争は今や軍隊だけが強くなってできるというものではなく、国家の総体的・長期的戦争遂行能力が勝敗を決定する総力戦となったのだ。周辺国と平和的にすごす分には日本は決して小さな国ではない。だが、隣の中国やソ連を征服するには、そして究極的に米国と繰り広げることになる「世界最終戦」において勝利するには日本は余りにも小さな国だった。万一、露日戦争の時やシベリア出兵当時、日本軍の大問題として台頭した性病問題を解決できれば、日本は兵力動員の面において15〜20%の増大効果を図ることができるのだ。
 このために日本軍と帝国日本という国家は一般兵士個々人による強姦や略奪を国家が黙認、傍助する線を越えて、国家が組織的に「キレイな性」を補給する「管理買春制度」を構想することとなったのだ。明らかに「キレイな性」を供給し性病を予防できるならば、戦闘力の向上に大きく寄与するだろうし、これは世界大戦をやりぬくには人的資源が不足の日本にとって大きな力となる「効率的」な方法だろう。
 だが考えても見よ! 特に効率性を宗教のように崇めまつる「合理的」な新自由主義者たちよ、効率性が人間の顔を失ってしまう時、どんな姿をさらすことになるかを!
 日本軍「慰安婦」問題が第2次世界大戦直後に正しく処理できなかったのは米国の責任も大きい。さまざまな悪徳の人体実験をした日本軍731部隊問題を米国が覆い隠してしまったように、日本軍「慰安婦」問題も米国が覆い隠してしまった。
 日本軍「慰安婦」問題は今日見れば大変な戦争犯罪、反人倫犯罪だけれども、当時の米国にとってはそうではなかった。米軍の心理戦当局が日本軍の敗戦地域で生存していた日本軍「慰安婦」たちに関する詳細な情報を収集したけれども、この問題は日本の戦犯を断罪した東京裁判の対象とならなかった。だが日本軍「慰安婦」問題が100%覆い隠されたわけでもない。
 インドネシアなどでオランダ出身などの白人女性を強制によって「慰安婦」とした日本軍人らは戦後、戦犯として処罰された。これは米国など連合国が日本軍「慰安婦」問題は大変な戦争犯罪であることを明らかに認識していたけれども、彼らの立場からする時、白人被害者の人権と朝鮮人などアジア人被害者の人権が同じであることはありえなかったのだ。

ベトナム派兵時に模索


 韓国社会では親日や民間人虐殺問題が過去数十年間、何事もなかったように埋められていたように、日本軍「慰安婦」問題も1990年代に入って、やっと本格的に提起され始めた。日本軍「慰安婦」被害者のハルモニたちと同年輩のユン・ジョンオク、イ・ヒョジェ教授らや70年代、80年代の学生運動の影響の中で成長した研究者たちが87年6月抗争を前後した時期から本格的に、この問題を研究し始めた。余りにも遅かったと考える時が、実は最も早い時だったのかも知れない。一方、日本の良心諸勢力も、かつて日本が犯した過ちを反省しつつ、過去と直接、向き合い始めた。

民族問題に限定されない


 そうは言うものの、壁は高かった。辛くて、むごい苦しみの末に生きて帰ってきた女性たちを韓国社会は温かく迎えてはくれなかった。死なずに生きて帰ってきたのは、むしろ罪だった。そのような家父長的イデオロギーの中で、身を汚された女性たちは、自分の声を出すことができなかった。しかも、引っ張られて行った女性たちの大部分は学ぶこともできなかった貧しい農民の娘だった。何から何まで儒教イデオロギーのせいとは言えなかったにしても、韓国社会の階級構造の中で自分の声をあげられる立場ではなかったのだ。
 日本軍「慰安婦」は決して単純な問題ではない。この問題は女性問題を軸としつつも、民族問題と複雑にからみあっており、階級・人権問題、国家と民主主義の問題などが、その底辺に横たわっている。
 韓国社会において日本軍「慰安婦」問題が瞬間的に爆発したとしても、いつそんなことがあったのかと言わんばかりに忘れられていくのは、この複雑な問題において、ただただ民族問題としてのみ大衆的に印象づけられたためではないか、と思う。民族問題としてのみ強く印象づけられるということは、いささか単純化して説明すれば「日本の奴らが朝鮮の女性を軍慰安婦として引っ張って行った」という事実において、「日本」と「朝鮮」にのみ傍点が打たれたケースを言う。
 もちろん民族問題は重要だ。特に日本軍「慰安婦」として引っ張られていった女性は少なくとも8万人、多くは20万人と推定されているが、そのうちの80%が朝鮮の女性だったという点だけでも、民族問題をさし置いて女性問題のプリズムだけを通して日本軍「慰安婦」問題を見ることはできない。だが韓国と日本の間の民族問題が過度に刻み込まれる場合、他の民族に属する被害女性の問題は寄る辺がなくなることになる。
 さらに深刻なのは民族問題が過度に印象づけられる場合、わが民族内部の性(ジェンダー)や人権問題が消え失せる、という点だ。「日本」の奴らだけのせいにする場合、「韓国の男子らはどうだったのか?」という質問を避けられなくなる。日帝の残りかすを全く清算できないわれわれが、戦争犯罪を洗い出し始めて中断してしまった(よしんば米国によるものだとはしても)日本に対して、日本軍「慰安婦」問題で後ろ指を指せる立場ではない。
 わが民族の仮面をかぶった親日派たちの過ちが日本の戦争犯罪に免罪符を与えるものでは断じてないという点を明白にしつつ、われわれが絶対に忘れてはならない解放以後の幾つかの場面を振り返ってみよう。日本軍・満州軍出身が幅を利かせていた韓国軍は韓国戦争(朝鮮戦争)当時、日本軍「慰安婦」のように大規模ではなかったにしても、いわゆる「毛布部隊」を運営した痕跡が、そこここで発見できる。この問題を回顧録で書いた某将軍は一時期、先輩・後輩たちから責められた、という。
 ある人々は韓日協定の締結当時、日本軍「慰安婦」問題が取り上げられさえしなかったとして、パク・チョンヒらの歴史意識がその程度でしかなかった、と怒る。間違った話ではないけれども、パク・チョンヒを余りにも高く評価しすぎだ。韓日協定とコインの裏表の関係にあるベトナム派兵においてパク・チョンヒは韓国軍が海外に出兵する上で戦闘力高揚のためには「慰安婦」を添えて送ってやるべきではないのか、と参謀たちと深刻に悩んだという。はるか南洋の戦場に行けば、いつ帰ってこられる分からなかった日本軍とは違って、韓国軍は1年周期で兵士たちは交替するという点、そして万一「慰安婦」を送った場合に生じる国際的嘲笑やキム・イルソンからの非難などが考慮されて、実に幸いなことに「慰安婦」を送らないことで結論が出たものの、本当に危なかっかしい瞬間だった。

韓国の民主化と韓日極右派

 日本軍・満州軍での教育や服務の経験を通じてパク・チョンヒの頭の中には戦闘力向上のための「国家管理売春」という構想がギリギリと打ち込まれてしまっていたようだった。
 1970年代の初めにパク・チョンヒは基地村浄化運動を通じて駐韓米軍に「キレイな性」を供給した。基地村浄化運動の主務部署は京畿道でも保健社会部(省)でも内務部でもなく、よりによって外務部だった。米軍を相手とする基地村の女性たちには青瓦台(大統領府)秘書官ら高級官僚らがやってきて、安保の働き手だとおだてあげ、日本人観光客を相手とする「キーセン観光」に従事する女性たちは外貨稼ぎの戦線に乗り出した産業戦士となった。なぜ解放直後に親日派の清算が必要であったのかを、そして今日・親日の残滓清算と軍事独裁の残滓清算が別個のものではありえない理由も、このような肌寒い場面がよく示している。
 ハン・スンジョ、チ・マノンらの部類は、いま日本軍「慰安婦」の問題を提起するのは性を革命の武器―富川署での性拷問事件が表面化したときに軍事独裁政権が言った言葉だが、ハン・スンジョがそれを繰り返している――とみなしているものだ、と主張する。ハン・スンジョ、チ・マノンをはじめ国内で最近、親日妄言を事としている人々が究極的に守ろうとしているのは国家保安法に代表される「守旧の秩序」だ。
 この秩序が安全に支えられていた時代には、このように彼らの正体が露出することもなかった。だが民主化が進むとともに国家保安法によって支えられていた守旧の秩序が危機に追いやられるところとなり、また韓国の民主化は日本の極右勢力にも危機感として作用した。そのような状況の中で玄海灘をはさんで日本の極右派と韓国の親日・守旧勢力間に、自虐史観批判に基づいた内鮮一体型の韓日連帯が強固になっているという訳だ。(「ハンギョレ21」第556号、05年4月26日付、ハン・ホング聖公会大教養学部教授)


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