もどる

「中国バッシング」をはねかえそう            かけはし2005.5.2号

小泉政権こそ謝罪を


ピースボートが緊急ピースマーチ

「反日デモ」は日本政府の責任アジアの抗議を受けとめよう

 四月二十二日、ピースボートが呼びかけて、「『反日』デモは日本政府の責任 アジアの抗議に応えよう」と訴える緊急ピースマーチが行われた。この日は、バンドン会議五十年を記念してインドネシアで開催されたアジア・アフリカ首脳会議に出席した小泉首相が、中国の胡錦涛主席との首脳会談を行うのではないかと予測されていた日にあたっていた。
 自民党の政治家やマスメディアは「中国に謝罪を要求する」と居丈高に語り、「中国バッシング」が吹き荒れている。小泉首相は、自ら靖国神社への参拝を繰り返し、尖閣諸島(魚釣島)や竹島(独島)の領有権を主張している。政府は、戦争・植民地支配の責任を居直ったまま、戦争被害者への補償を拒否し、侵略を正当化する極右「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の検定をパスさせた。この日も中国・韓国民衆の怒りを挑発するかのように「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の議員八十人が靖国神社を集団参拝した。
 日本の労働者・市民は、まず何よりも、侵略を正当化し、東アジアの平和を阻害するこうした極右排外主義の風潮と闘わなければならないのだ。
 平日の午前十一時にもかかわらず、パレード出発点の芝公園4号地には五十人以上が集まった。内外の報道陣も注目してつめかけている。主催者が「市民の責任で、政府の間違った政策を正し、東アジアの民衆相互の友好・連帯を築き上げなければならない」と発言した後、この日、辺野古の米軍基地建設のためのボーリング調査阻止闘争の現場から急きょ駆けつけた川田龍平さんが発言した。
 川田さんは、薬害エイズ患者として国家の責任を追及してきたのと同様に、今回の「反日」デモについても日本政府の間違った政策の責任を追及していきたい、と訴えた。
 パレードはさまざまなデコレーションで注目を集めながら、虎の門、霞ケ関を通って日比谷へいたるコースでにぎやかに行われ、「靖国神社への参拝をやめろ」「扶桑社歴史教科書の検定合格を取り消せ」などと呼びかけていった。(K)            


沖縄と連帯する東京東部実行委
心から感動した辺野古連帯ツアーでの体験


 【東京東部】四月六日、東京亀戸文化センターで「沖縄辺野古・現地連帯・激励ツアー」報告集会が、沖縄の闘いと連帯する東京東部集会実行委主催で開かれた。
 沖縄と連帯する東部実行委は昨年十一月二十五日の錦糸公園の集会で、沖縄辺野古の闘いに連帯するためのツアーを呼びかけた。一月二十九日から三十一日まで、東水、清掃、墨田・江東ユニオン、東部労組、東交、墨田教組や三反の会など市民団体など二十四人がツアーに参加した。
 団長を務めた地公労東部地協の副議長の山浦英二さんは「闘争支援のカンパをつのったら五十五団体・五人の個人から五十四万余円が集まった。辺野古で闘う皆さんに渡すことができ、たいへん喜ばれた。東部実行委は一九九五年の沖縄での少女暴行事件を契機に作られ十年が経過した。今後の地域に根を張った運動を作り上げていきたい」と語った。
 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの吉田さん、石塚さん、外間さんが参加し現地状況の報告をした。
 「これまでの米軍基地は強制収用して作った基地だ。辺野古は、自ら土地を差し出し基地が作られるというものだ。これは人間としての誇りを失うものであり、とても許せない」。
 「辺野古への基地移設に地元の八一%が反対している。仮に建設できるとしてもあと九年半かかるという。アメリカもダメだと思っているし、小泉もやめろと言った。県知事も計画は古くなっていると言っている。最後はできないだろう」。
 「辺野古の状況は二月、三月から変わっていない。ボーリング調査も一年延長をせざるをえなかった。毎日作業をさせろと来ている。ヤグラを建てようとして、サンゴを破壊したが、環境省がこの犯罪を無視していることを許せない。若者が全国から支援にやってきている。この反対運動は未来につながっている。普天間基地にイラク出兵していた米軍機が戻ってきた。イラク戦争に加担していることをしっかり認識してほしい。対中国・北朝鮮をにらみながら、沖縄基地が強化されている」。
 「東部の皆さんのカンパに感謝している。ボーリング調査阻止のための船のチャーター代だけで一日、一隻あたり三万円かかり十隻で三十万円だ。全国から何千万円のカンパが集まったがこれからも反対運動を続けていくには膨大なカネがかかる、継続したカンパをお願いしたい」。

この闘いを日本中
にひろげていこう

 続いて、参加した仲間たちが感想を述べた。
 「沖縄は基地の隙間に人々の暮らしがあるようだ。十時間も海に入って体を張って阻止行動をしている。大衆的実力闘争が辺野古にはある。闘っていてもとてもおだやかだった。そこに沖縄の文化を感じた」。
 「最初は二隻の船で阻止行動をしていたが、その後漁船も参加し十二隻に増えた。闘いが強まり、広まった。闘いが感動的だから人が吸い寄せられ、日本の中にひろがってゆけば、平和な日本が築けるのでないかと思う」。
 東部実行委として、ボーリング調査に参加し辺野古の人々に暴行をしていたサンコーコンサルタント株式会社(江東区亀戸に本社)に話し合いを申し入れたが拒否されたことが報告された。今後、抗議行動を行うことを全体で確認した。4月16日の上野水上音楽堂での、「沖縄に新しい米軍基地はいらない集会&コンサート」への参加が呼びかけられた。     (M)
サンコーコンサルタントへの申し入れ
暴力をやめろ!辺野古ボーリング調査の即時中止を

サンコーコンサルタント株式会社
代表取締役 俣野克己殿
東京都江東区亀戸1―8―9
TEL 03―3683―7111
FAX 03―3683―6264

 私たちは、「沖縄の闘いと連帯する東京東部集会実行委員会」に参加しています。
 この一月、私たちの代表二十四名が現地を訪れました。改めて、米軍基地に囲まれ、イラクや沖縄国際大学のヘリ墜落にみられるように、戦争に隣り合わせの沖縄の生活の実態を肌で感じました。そして、将来へ向かって子や孫にこうした暮らしをさせてはならない、人と人とが殺し合う戦争をさせてはならない、新たな基地建設をさせてはならないと命を賭けて反対運動をしているオジイ・オバアそして多くの人達と出会うことが出来ました。
 このなかで、貴社が辺野古沖の軍事空港建設へ向けたボーリング調査を請負、しかも、十一月には暴力的対応までしていることに驚きと怒りを感じます。
 今日、米軍内部や日本政府内にもこの基地建設の見直し議論がされているといわれている中で、直ちに、このボーリング調査の中止を申し入れます。
 また、私たちの会見の申し入れに、『誹謗中傷される恐れがある』として拒否をしたことにも抗議をいたします。   4月6日


「辺野古この1年そして」
非暴力の抵抗に連帯し軍事基地のない沖縄を


 【大阪】沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会が結成されて十周年の特別企画として、「辺野古この一年そして」という写真展&つどいが開かれた。
 写真展は四月十日から十五日、大阪市大正区「いちゃりば2F」で、つどいは十六日「アピオ大阪」で開かれた。
 非暴力の抵抗に連帯する関西のつどいでは、はじめに太田代表があいさつをした。「いま米国はイギリスや日本を道連れに人殺しの無法地帯に引きずり込もうとしている。情報は『大本営発表』だけになった。イラクからの帰還米兵が帰るところは沖縄ではない、今こそ市民は力をため発言すべきだ」と訴えた。
 続いて上地武さん(読谷村生まれ、日本キリスト教団大正伝導所牧師)が、講演した。講演に先立って、上地さんがつくった辺野古のビデオが上映された。海上阻止行動の様子、修学旅行で辺野古を訪れた大阪府立高校生との交流などが映し出された。
 上地さんは、ナチ独裁下のドイツで生きたニーメラー牧師の言葉(奴らが共産主義者をとらえたとき私は声を上げなかった、私は共産主義者ではなかったから。奴らが社会主義者をとらえたときも私は声を上げなっかた、私は社会主義者ではなかったから。奴らが労働組合員をとらえたときも私は声を上げなかった、私は労働組合員ではなかったから。奴らがユダヤ人をとらえたときも私は声を上げなかった、私はユダヤ人ではなかったから。そして最後に奴らが私をとらえに来たとき、私のために声を上げる人は誰もいなかった)を紹介し、声を上げないことの怖ろしさを語った。
 読谷村は沖縄本島に米軍が上陸した場所だ。米軍は上陸した読谷村楚辺地区の住民を捕虜として収容した。住民が釈放されて帰ってきたとき、村落はフェンスに囲まれていた。そこが今のトリイステーションだ。住民たちはフェンスの外の移住地に移され難民となった。上地さんは移住地で生まれた。本籍は今もトリイステーションの中にある。トリイステーションの海岸は出入りが自由だったが、一九八四年にフェンスがつくられた。上地さんは学生の時、その工事阻止で闘った。今の辺野古と同じだ。当時どこからも応援はなかった。その海岸が米軍専用のビーチになってから海は死んだ。

今がチャンス!地
元を孤立させるな

 一九九九年の朝日新聞の調査では辺野古基地の建設費が一兆円だった。あの中部新空港の建設費ですら六千五百億円なのだ。しかもそれを税金でつくる。基地のある沖縄は米軍による犯罪がダントツに多い。二〇〇三年大阪で米軍による被害が一件、沖縄那覇では千百五十九件もある。基地犯罪があるかたわら、沖縄は基地によって潤っていると言われている。
 確かに基地のあるところは潤っている。軍用地料は麻薬と同じだ。次第にそれがないと生きていけなくなる、基地は人間関係をズタズタにする。軍用地地主は銀行の大得意先だ。年五百万円、多い人では千万円、仕事をしなくてもお金が入ると言うことはそういうことだ。自分の妻も今は軍用地料をもらっている。子どもが大きくなったら、基地に向きあう資金にしようと、それまで手を付けないようにして貯めている。
 暴力で奪ったものは暴力で奪われる。ビデオでも辺野古のおじいが、「自分たちは小さい、骨も弱い、今から闘いが始まる、助けてください」と神の前で祈っていたが、よくわかる。おじい・おばあは非暴力で抗議をし、基地をつくらせないように闘ってきた。来週にはまた辺野古で闘いがある。
 上地さんは「私は参加できない。でも、自分なりにできることをしていきたい。大切なことは、地元を孤立させないことだ」と語った。上地さんは最後に付け加えて、米軍は沖縄本島に嘉手納以外で辺野古が無理なら他にもう一つ三千メートルの滑走路を持つ基地がほしいと思っているようだ、との情報を紹介し、太田代表は今こそ基地をなくすチャンスだと語った。
 参加者一同で集会宣言を確認したあと、大川事務局長が阻止船カンパの報告と、五月の現地調査に基づいて八月の中間報告が出されることになったことを踏まえ、調査までに何が何でも一本は杭を打ち込みたいの防衛施設庁の決意で工事が始まるという情勢を報告し、五月十五日に予定されている普天間基地包囲行動への参加を呼びかけた。
 集会後みんなで、防衛施設庁、自民党大阪府連に申し入れ行動をした。(T・T)


もどる

Back