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すでに6638万円が集まった元被告を支え三里塚農民に連帯を
                           
かけはし2005.9.26号

正義は私たちの側にある


管制塔元被告への損賠請求に抗議
国家の悪をあばき人民の大義を今こそ打ち立てよう

「あの頃」を思い
出す闘いの熱気

 九月十八日、東京・文京区民センターで「管制塔占拠元被告への損害賠償請求執行に抗議する 元被告たちを支え、三里塚現地の闘いに連帯しよう!9・18集会」が同実行委員会の主催で開かれ、二百人を超える人々が集まり、三里塚闘争にかかわった人も多く参加し熱気ある集会となった。
 会場正面のメインは管制塔連帯ウエブサイトを運営している仲間たちがウエブサイトにある「正義は私たちにある」という題字と管制塔占拠の写真を大きくカラープリントしたものが掲げられ、両横には管制塔占拠時に掲げられた「先鋒隊」の旗、3・26闘争の大きな写真パネルや反対同盟のステッカー、ヘルメット、Tシャツ、「大義の春」などが飾られ、闘争的雰囲気を高めていた。
 最初に、「大義の春」が上映された。気分は3・26闘争に帰った。

国がやったのは地
上げ屋と同じこと

 集会は呼びかけ人の吉川勇一さんのあいさつから始まった。
 「私はベトナムを訪れた時、成田空港は使わず関西空港を使った。ベトナム侵略戦争に荷担した三菱系企業のキリンビール、伊藤園、ニコンなどを飲まない、使わないようにしている。管制塔占拠闘争は大事な闘いであり、不正を許さない闘いだ。その闘いに対する報復的な罰金を許せない。管制塔元被告たちに連帯しなければならない。カンパは出せる範囲ではなく、もうちょっと無理をしようではないか。周りに呼びかけください」。
 鎌田慧さんが「元被告を支える運動の意味」を次のように発言した。
 「ビデオを見て、歴史的な大闘争だという思いを新たにした。人民の圧倒的な勝利だった。十二年もの長い刑事罰を受けたのに、さらに損害賠償請求など許せない。それも被告のひとりひとりの生活(賃金)にまで手をつけてきた。管制塔の元被告たちだけに罰を受けさせるわけにはいかない。弾圧は運動でみんなで返していく。一億円カンパを成功させる。『運動するものは救われる』ということを実現しようではないか。真の意味で被告を奪還していこう」。
 管制塔弁護団の虎頭昭夫さんは「今年の七月が時効になるということで、賠償請求をやってきた。なぜ、3・26闘争があったのか、政府の責任が大きいのに、こうしたカネを払うことは気分が悪いが、法的には無理だった。弱者が切り捨てられる時代に、闘いものを見捨てないという、新しい運動の始まりにしようではありませんか」と語った。
 中山千夏さんは「あの頃はウーマンリブをやっていました。今もウーマンリブです。イラク戦争があり、これはなんとかしなければと思い、反暴力社会を作ろう『おんな組いのち』を立ち上げた。個に立脚したものでなければならないと考えるとどんどん国家がきらいになっていった。国家を叱る歌を歌っている。三里塚で国がやったことは地上げ屋だ。国がやればまかり通って、反対した人たちを徹底的にやっつけないと気がすまない。これから憲法改正が始まると徹底的に国家との闘いになっていく。国家に勝ちたい、だから、いっしょにやりたい」訴えた。
 日本消費者連盟の水原博子さんは「私は子どもを連れて愛知から三里塚にかけつけていた。怒りはずっと続いている。国家が賠償金を科すのは悪徳業者と同じだ。怒りをもって、権力をたたきつぶすまで闘い続けていこう」と語った。

滑走路の北側延
伸に抗議しよう

 基金運動の現状を基金運動事務局の中川憲一さんが報告した。
 「四月から八月末までで、元被告給料四百三十万四千円が差し押さえられた。ほっておくとずっと続く。七月二十三日にカンパ要請をし、八月十七日に運動の呼びかけを発送してから毎日十件以上のカンパが寄せられている。九月十八日で、連帯基金に二千三十八万五千七十二円、インター千二百万円、プロ青九百万円、戦旗五百万円、元被告団二千万円、合計六千六百三十八万六千七十二円が集まっている。基金の中には、インター・プロ青系の約七百万円が含まれている。十月末までには一億三百万円を集めきりたい」。
 東峰の石井紀子さんが次にあいさつした。
 「今回の損賠攻撃は北側延伸攻撃と同じだ。現地的には運動が遅れたが何とか協力したい。東峰現地は工事現場のようだ。北伸が決まっても何も変わらない。六年後には、ジャンボ機を飛ばし増便する計画だ。ひどい騒音になるだろう。私は国家権力と闘うというより、自分が三十年作ってきた畑を守っていきたい。全国で闘っている人たちが押しつぶされないように連帯して、生きていきたい。いっしょにがんばっていきましょう」。

労農連帯の旗を
体現した三里塚

 休憩の後、静岡連帯する会の塚本春雄さんが「静岡空港の建設で、土地収用のための強制測量が九月五日から六日間行われた。ミニ三里塚のように地権者を先頭に闘った。これからもがんばりたい」とあいさつした。熊本の神田博さんのあいさつの後、元「労働情報」編集長の樋口篤三さんが連帯アピールをした。
 「私は楽観論者だ。時が経てば龍になって立ち上がると信じている。一億円の損賠にはふざけるな!と久しぶりに国家・政権に怒りが燃え上がった。みんなに訴えようと三百人にアピール文を送った。開港阻止決戦の時、『労働情報』は毎号三里塚の記事を載せた。労働者が農民と連帯することは当然のことなのだ。情勢は厳しいが、勝てる闘争もある。靖国や教科書ではあんなに権力ががんばっても押し返している。闘う魂があればカネは集まる。現地の闘いと同時にカンパを集めて、叩き返していこう」。
 反対同盟の柳川秀夫さんは「本来ならば、今日の集会は反対同盟が主催しなければならない。一九七一年に強制代執行があり、その時『世直しの旗』を掲げて闘った。これが空港闘争の本質だ。話し合いで、法的には強制収用しないと決まった。もし、それでも今後一坪共有地に対して強制的に土地を取り上げれば、私は一人でも闘う。闘ってきた質をもって最後のひと花を咲かせないと死に切れない。韓国ではWTOに対して十万人の農民が集まって闘うとしている。『ノー』という力をつくるところから始めなければならない。最大限がんばって、被告たちを解放させたい」と決意を表明した。

元被告がたたか
いの決意を語る

 いよいよ、管制塔元被告団からのアピールだ。参加した全員が壇上に並んだ。
 最初に前田道彦管制塔占拠隊長があいさつをした。
 「一億の損賠はえらいことと思ったが、むこうの失敗だっだろう。売られたケンカは買ってやろうと思った。昔闘った人、いま闘っている人を合流させ団結させた。普通に生活している私たちの同僚を敵にまわした。この間、いろいろの所で訴えて感じたことがある。@電通労組のアピールにも表れているが、三里塚闘争によって、職場を解雇された人は怒りが強いA3・26をいっしょに闘った人が政府がだましたと怒っているBあの当時、ニュースを見ていた団塊の世代が怒り出し、カンパを寄せてくれている。あの人たちもいっしょに管制塔に登ったのだろうと思う。怒りを集めましょう」。
 中川憲一さん。「占拠した時、十三階で洋上管制をやっていた。その一部を私が壊した。もし、本当に壊したら、いまでも獄にいただろう。給料の差し押さえの書状が冗談のように『る326号』となっていた。延滞金は一九七八年三月二十七日からかけられている。許せない」。
 石山さん。「逮捕当時二十歳だった。一階のエレベーターを待っている所で捕まった。闘いからは遠ざかっていた。ずっと気にはしていた。一度だけ請求書がきたがほっておいた。今回社長に『一億円も借金があるのか、どうするのか』と言われた。中川さんに連絡がとれ、何とかしようとなり、運動につながれた。この運動が三里塚闘争の盛り上がりにつながればいいことだ」。
 中路秀夫さん。「会社で二百万円以上を集め、三多摩地域でも三百万円以上を突破した。3・26を闘った人たちと連絡がとれてうれしい。何とか、目標に達成しそうなので、本当にありがとうございました」。
 児島純二さん。「久しぶりの方々にお会いできたことに感謝したい。請求が届いた時はビックリし、怒りがわいてきた。3・26闘争へのしっぺ返しだと思う。共同共謀正犯の仲間の力ではねかえしていこうとなった。ウエブサイトを見るのが楽しみだ。カンパを寄せてくれた人のコメントをみると、目にあつくなるものを感じる。同志が同じ世界に暮らしていることがわかって励まされている」。
 和多田粂夫さん「当時、私は裏方をやっていた。あそこに張ってある『先鋒隊』の旗が当時管制塔に掲げられたものです。インターの旗は、管制塔に入れなかった人が持っていました。管制塔部隊は二十二人で編成しました。なぜかと言えば、南ベトナム解放戦線がサイゴンのアメリカ大使館を占拠した部隊が二十二人だったからです。損賠の請求が来たとき困りました。海外逃亡しか逃げようがない。そうするわけにもいかず、支払うしかないと決めました。会社に一週間に二回くらい督促の電話がかかってきました。被告たちに会社をやめさせようとする圧力を会社にかけるのがねらいだったのでしょう。私は、十九歳で活動を始めて四十九歳で出獄しました。その間、十五年間刑務所に入っていました。出てから十五年になります。小泉の先導のやり方はナチスと変わらない。小泉の親衛隊の右翼・暴力団・機動隊などとのものすごい闘いが予想されます。私はマルクス主義者ですが、理論家でなく、どっちかといえば、戦術家として感覚はいまも衰えていません。私はもう一度運動に復活したい」と決意を述べた。
 呼びかけ人の柘植洋三さんのお礼とお願いがあり、「正義は我らの側にある」と言うこの日のために作られたオリジナルな歌を全員で合唱して集いを終えた。(M)



コラム
選挙が終わって思うこと

 衆議院選挙が終わってちょうど一週間がたった。各メディアは「郵政民営化」を掲げる小泉・自民党の優勢を伝えていたが、まさかここまで議席を伸ばすとは誰も予想していなかったのに違いない。蓋をあけてみれば解散時の二百四十九議席を四十七議席も上回る二百九十六議席を獲得。政権与党である公明党の三十一議席を合わせれば、憲法改正を発議できる三百二十七議席にものぼり、安定多数どころか、オールマイティーのカードを持つ絶対権力者の座を許してしまったのだ。
 郵政民営化に反対した自民党造反議員たちもこの結果に慌てふためき、次々と小泉が掲げる郵政改革の御旗にひれふし始めた。刺客の追撃をようやくかわし再選された造反議員の旗頭ともいうべき野田聖子にいたっては、「首班指名は小泉首相に。郵政民営化は支持者と相談して」と語る始末。参議院否決の旗頭をつとめた中曽根弘文もまた、「国民の意思が明らかになった」と賛成に転じ、特別国会での法案成立は確実になった。数の力と公約違反は自民党のお家芸だが、「おいおい、今回は最後まで自分の信念を貫きとおせよ」と言いたくなる。一票を投じた有権者を愚弄するのも甚だしい。
 それでは先の解散時、自民党分裂による漁夫の利をもくろみ、政権交代を掲げて闘った民主党はというと前議席を六十二議席も減らす惨敗。特に本来強いとされた都市部で総崩れとなった。党内からは辞任した岡田前代表をはじめとする執行部に批判が集中したが、選挙で落選したのは候補者自身の力不足でなかろうか。追い風が吹かなければ当選できないとしたら、それは本当の勝利とはいえない。ある候補者が「民主党のマニフェストは、自民党よりはるかに優れている。しかし、国民は小泉首相のトリックに惑わされてしまった」というような発言をしている。これではまったく本末転倒ではないか。党の政策は日常の活動の中で有権者に知らせていくべき事柄である。政策がきちんと有権者に浸透していたとすれば、トリックに惑わされるはずがない。
 さて栃木県はといえば自民党の造反議員はひとりもおらず、郵政民営化反対を唱えるのは野党のみ。非常にシンプルな選挙戦であった。結果は前回と同じ小選挙区は自民党が五議席を独占。辛うじて民主党二人が復活当選を果たした。しかし、県都宇都宮市を選挙区とした一区では、三期目に挑戦した水島弘子氏が前回より三千票を上乗せしたが当選はかなわなかった。十万票を超える死票に支持者は戸惑いを隠せない。それだけ無党派層の一票が自民党に流れたのだ。
 今回の選挙は小泉劇場のおかげで大変盛り上がった。投票率も上がった。しかし、選挙の争点は最後まで噛み合わず、「改革」の文字にすべてがかすんでしまった。ただいずれにしても無党派層の投票行動が選挙結果を決定づけたことは間違いない。特に若者の琴線に響いたのが小泉の「死んでもやる」という格好いい決意表明だったという。難解な言葉ではない青年同盟の再建が急務であることだけは確かだ。若者を味方につけられない組織は必ず衰退する。「革命は、改革より格好いい」。(雨)


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