もどる

社会的両極化解消のための連帯機構結成について      かけはし2005.9.26号

もう一つの社会合意の「機構」か資本と闘うための「機構」か


はじめに

 7月28日午前10時、「社会両極化解消のための市民社会団体実務責任者会議」が開かれた。連帯機構結成の提案書は同日12日から進められた全国民衆連帯執行委員会の会議資料に収録されており、筆者はこれを通じて初めて「社会両極化解消のための連帯機構」の結成について接することができた。以降、8月11日に社会両極化解消のための民衆市民社会団体第2回実務責任者会議、そして8月19日には第1回政策ワークショップが参与連帯で進められた。以下では7月28日と8月11日に行われた実務責任者会議の結果と第1回政策ワークショップに提出された資料に基づいて、社会両極化解消のための連帯機構の結成についての意見を提出しようと思う。
 現時点では連帯機構の結成が確定したものではなく、現在進行形だ。また今後も第2回、第3回の政策ワークショップなどの論議過程を通じて政策議題や事業計画において調律が可能だという7月28日の第1回会議での合意事項を考慮するとき、すでに提出された文書も修正され得るだろうし、この文章もまたそのようなレベルにおいて進行形のものとして受けとめるべきであろう。

民主労総の提
案文と矛盾

 7月28日の第1回会議での連帯組織結成の提案主体は民主労総だ。提案文では、社会的貧困と貧富の格差が労働者民衆の暮らしを抑圧し、はく奪する両極化時代、これを解決するための広範囲な社会的連帯が、かつてないほどに切実かつ必要な状況であり、労働運動、民衆運動、農民運動、貧民運動、女性運動、市民社会運動など各領域において、それぞれに奮闘している諸労働市民社会団体などが再び共に団結すべきだ、と主張している。このような提案は、労働者階級運動が労働者だけの狭小な利害から踏み出し、社会政治的議題について発言し実践すべきだという側面において、これは極めて鼓舞されるべきことと言わざるをえない。それにもかかわらず、提案文においては憂慮されるべき幾つかの点が発見できる。
 提案文は貧富格差の深刻性について指摘するとともに「家計所得はほとんど増えてはいないのに比して、企業所得は年平均60%を超える高い増加率を示し、この家計所得の不振がそのまま消費不振や体感景気の悪化の原因として作用している」と主張している。強いて問題とするところはないように見えるが、少し考えてみると次のような疑問が生じる。家計所得の不振が消費不振を作るというのは一面では正しい。ところが家計所得の不振が体感景気の悪化の原因であるならば、支配階級はこれに対して何らかの措置を取らないだろうか。現在の所得水準を若干上げ、あるいは低い所得水準を相殺できるような若干の改良的措置を取り、大衆の不満を和らげようとしないだろうか。このような疑問は単なる杞憂ではないようだ。7月1日、民主労総は「2005希望フォーラム」に参加しないとの従前の方針から突然、参加へと立場を変えた。そして7月28日、「両極化解消」のための連帯機構を提案したのだ。
 周知のように1月10日、「2005希望提案準備委」の代表団が民主労総本部を訪れた。この日、参席した代表団はチェ・ヨル環境連合代表、パク・ヨンスク女性財団理事長、ソン・ポギョン消費者問題市民の会理事、イ・ヒョンモ・ニューパライダイム・フォーラム常任代表、イ・ピルサン高麗大教授、ムン・クッキョン・ユハムキムバリー社長らだ。この訪問に対して民主労総は、保守・進歩のワクを超えて各界の人士が両極化した社会に対する危機意識を共感し、その解決法を求めようとしたという点を高く評価しもした。そればかりかカン・スンギュ首席副委員長は「以前に民主労総はワークシェアリングが労働者の差別をなくす方法だと考えもした。労働者たちが解雇されたとしても、これを保護する社会的安全網を構築しなければならない」との発言をしたりもした。
 もちろん最近提案された連帯機構の結成提案を希望フォーラムと等置させることはできないだろう。だが紹介したように「労働者たちが解雇されたとしても、これを保護する社会的安全網」を云々する発想であるならば、それこそ「牛に逃げられてから牛小舎を直す」ものではないのか。政権や資本は絶えず整理解雇の要件を緩和すべきだと主張し、また非正規職問題を解決するために正規職労働者らが譲歩すべきだと主張しつつ、労働者の内部を分裂されようとしてはいないか?

労働市場の
両極化解消?!

 7月28日の提案文は社会の両極化解消のための重要政策議題として@労働市場の両極化解消A段階的無償医療、無償教育の実現B保育および居住の公共性実現C最低生活および安定的老後生活の保障実現D公共部門の積極的な仕事場の創出E不労所得の還収および租税の平衡実現などを提示した。ところで、ここで「労働市場の両極化解消」と言うのは何なのだろうか?
 「労働市場の両極化」などと言う表現からして、労働者の言語ではないようだ。幸いにも8月19日のワークショップに提出された民主労総の資料には「非正規職差別の解消と権利保障の争取」と書かれているが、依然として問題は残っている。それは、非正規職の問題が「社会の両極化解消」のための1つの下位項目として配置されている、という点だ。もちろん残りの議題、例えば無償医療、無償教育などが重要でない、というのではない。だが労働者階級の観点からするならば、非正規職問題が「両極化解消」という枠の中で扱われるということ自体が、非正規職を容認する形とならざるを得ない。
 なぜならば、労働者を正規職と非正規職に分けて差別し、賃金格差、労働条件の格差を作り、分離させて葛藤を誘発させたのは資本だ。「労働市場を両極化」させた主犯が資本であるならば、この両極化を解体するためには労働者階級が団結して闘うことが唯一の解決方法となるだろう。ところが、これを「社会の両極化解消」の一項目として配置する瞬間、「両極化の原因」すなわち問題の発火地点である資本に対する攻撃は希釈化されざるを得ないし、両極化を「解決」するのではなく、「解消」することにとどまることとなる。両極化を別の言い方で言うならば、貧しい者はさらに貧しく、富める者はさらに富む、ということであり、これを解決すると言うことは不平等な社会を平等な社会に変える、という全階級的で全社会的な闘いを展開しなければならない。ところで、これを「解消」するというのは葛藤を縫合し、大衆の不満が体制の危機へと発展しないように管理するための、それこそ資本、支配階級の言語なのだ。このような側面から提案された他の諸議題も、その内容や実践方向が両極化の主犯である資本に対する闘争なのか、それとも社会的妥協なのか、さらには両極化を本当に解決するためのものなのか、それとも大衆の不満を眠らせることのできる資本の誘引策として逆機能するのか、よくよく判断してみなければならないだろう。
 19日のワークショップは民主労総と参与連帯を中心に政策議題について問題提起をした。時間の関係上、この日は連帯機構の活動基調、組織構成、事業に関する論議は提起だけがなされたままで終わり、政策議題に関しても提出された民主労総と参与連帯の問題提起への討論も、修正・補完する内容を確認する程度にとどまった。そして、あらかじめ参与連帯、女性連合、民主労総、韓国労総などを中心として実務者会議が2回も行われていたために、実務者会議を呼びかけられなかったそれぞれの単位としては、この日の論議に積極的に臨むには制限的にならざるをえなかった。これは各界各層、民衆、市民社会団体が共同実践のための連帯の単位を構成するという提案の趣旨とは、ある面で相互衝突するからだと言わざるをえない。提案単位を中心にして実務単位で政策議題、事業計画を事前調律することがある側面では効率的であり得るが、別の側面においては幾つかの単位を中心に内容を準備していくことの有効性もある。ところで、このような形式的な問題よりも重要なのは各議題の内容や連帯機構の事業内容となるだろう。
 8月19日の討論ではキム・ドンチュン教授の提起があった。提出された問題提起は、口頭で問題意識を伝えるやり方が中心でだった。参与連帯の会員でもあるキム教授の提起は、なぜ「社会の両極化解消」を提起しているのかをよく表現したものだった、と判断する。録取をしたわけではないので限界があり、論旨を歪曲しかねない恐れはあるが、提出された文章と提起内容をメモしたものを土台としてキム教授の問題意識を検討してみようと思う。

ノ・ムヒョン
政権が問題だ

 第1に、キム教授は両極化が深まった原因に言及しつつ、執権勢力の政策を問題視する。提起では「韓国では社会政策というものは産業政策などの経済政策に完全に従属してきており、政策決定の過程で関連する受給者、対象者、主体の参加がない」と批判し、ノ・ムヒョン政権の政策を批判している。口頭の提案では、いわゆる開かれたウリ党の改革勢力が民族問題、過去史の問題などでは進歩的だが、社会経済的な問題、社会改革に対して問題意識が不足していると指摘した。一面、妥当なようだが、このような指摘は、ともすれば執権勢力に、よりよい改革を注文することへと制限されかねないだろう。これは19日に参与連帯が提出・提起した事業計画において実践計画の相当内容が両極化解消や社会統合の要求、青瓦台への所信発送、立法課題の請願、国会での立法ロビー団結成などであることと無関係ではないだろう。


正規職労働
者の利己主義

 第2に、大企業と中小企業の賃金格差、正規職と非正規職の賃金格差の原因として大企業の労働者たちの利己主義と見なしている政府・資本の論理に対する反ばくと同時に労働運動に対する指摘だ。キム教授は提起文で「IMF危機以後(労働者たちが)会社内で『自分の取り分を極大化する道以外にはない』ということを体得さらられ、その結果、彼らは使用者の不法派遣、非正規職に対する不当な差別や人権侵害、劣悪な待遇に向きあわず、背を向けることとなった」と指摘しつつ、彼らの行動の原因を「韓国の低い社会的安全網の水準や福祉水準が生んだもの」だと語り、使用者たちと同じく評価してはならない、と言う。また口頭提起では「両極化の問題を労働運動陣営ではなく、いわゆるNGOが主導したが、これはこれまで労働運動がやれなかったのでNGOがその一部を担っていったのだ。一方、運動陣営は依然として成長主義のイデオロギーにとらわれている」と指摘した。このような指摘は、ある程度は妥当なものとみてとれる。ところが問題は逆に社会的安全網や福祉水準が今よりも良くなれば、大企業の正規職労働者の利己主義(?)が変わるのか、だ。むしろ非正規職労働者たちの闘争を正規職労働者たちが一緒に展開し、正規職化のための労働者階級全体の闘争を組織する過程において正しい階級意識を獲得するのではないのか、という点だ。


正規職化の要
求とスローガン

 第3に、労働柔軟性にどう対処するのか、だ。キム教授は「副次的な要因であり、主体の側が意図したものではなかったものの、大工場の正規職組織労働者たちの闘争によって賃金が上昇し、これは労働者間の賃金の不平等という逆説的な効果を作り出した。労働柔軟化は数量的な柔軟化だけがあるのではなく、技能的な柔軟化もある。ところで、数量的な柔軟化に反対して闘うものだから、技能的柔軟性、すなわち再就業、職業訓練などは要求できなかった」と指摘する。ところで、このような発言は、一応前もってキム教授は政権資本の政策を批判してはいるものの、結局のところ柔軟性に対する認定とならざるをえない。
 キム教授は、こう語る。「柔軟性の中でも安定性を保障するシステムが求められる。単純に反新自由主義のスローガンではダメで、例えば再就業や職業訓練などが求められる。ここでの核心は健康問題だ」。「非正規職問題においては完全な正規職化というのは闘争のスローガンとしては正しいが、現実的には難しいのではないのか。オランダ・モデルなどは直接賃金で補てんされないものを間接賃金によって解決するという解法を与えたのではないのか。作業場の外で、教育、医療、福祉、失職時の方案などを用意しなければならない」。
 筆者が見るには、以上のようなやり方は結局、非正規職問題を量産した資本に対する反撃の代わりに、現実的に(?)可能なものを目標にしよう、という主張にほかならない。新自由主義、労働柔軟性は、どうしようもない流れであり、それが民衆の反対に遭遇したとしても、再び過去に戻ることはできないのだから、無理な正規職化の要求に代わる間接賃金に該当するもので補てんを受けることにしよう、という以外には受け取れない。もちろん労働者階級が資本家階級や国家に対して教育、医療、福祉、失職時の方案などによって再就業、職業訓練などを要求することはできる。だが柔軟性の中で安定性を保障するだとか、正規職化はスローガンとしては正しいが現実的には難しいのに要求するというのであれば、それは出発からして限界的とならざるをえないだろう。

社会的両極化
の原因は何か?

 第4に、両極化の原因は財産の不平等にある、というのだ。キム教授は両極化の原因は賃金格差、所得格差、財産格差を挙げることができるが、この中で最も重要なのは財産格差すなわち財産の不平等にある、と主張する。これは政府政策の問題もあるけれども、土地に対する公的な利用を拒否する財産万能主義というイデオロギーと、これを支えている法制度のためだと言うのだ。ところで当日のワークショップでも指摘されたが、たかだか100万ウォン(約10万円)にもならない月給の非正規職の労働者たちにとって、財産格差よりも重要なのは正規職との賃金格差であり、それは私有財産のない大部分の労働者たちに所得の格差を作っていること、そして財産格差は単純に土地や住宅においてのみ発生するものではないという点を見過ごしてはならないだろう。
 一方、財産万能主義が資本主義社会において私有財産を神聖不可侵のもとしているイデオロギーや制度に対する根本的な問題提起をしようとしているのならば、それは全面的に正しい。だが過去の土地公概念論争のときのように、国有地に対する公的利用という美名の下に、総資本によって国家の収入源を拡充させるという水準や、さらには資本運動の効率性に奉仕するという形で変質する可能性はないのか、だ。
 実際に19日に参与連帯が提出した政策議題の内容を見ると、住居の公共性実現の場合、政府は国民賃貸住宅100万戸の建設を中断することなく推進してくれだとか、賃貸料を所得水準によって差別賦課せよだとか、住居費補助制度を導入せよなどという式の主張ばかりだ。これは労働者たちが直面している現在の水準を少しでも良くするという点において、改良闘争としての意味がないわけではないが、その内容のほとんどは、いわゆる政権内の「改革勢力」が推進していることと根本的な違いがあるようには思えない。これは現政権が新自由主義政権であり、その改革は新自由主義改革だという点において、一層そうだ。
 これは不動産投機抑制および不労所得の還収の議題でも同じだ。参与連帯の内容を見ると、保有税を強化することを骨子とし、世代別合算、総合不動産税の課税対象拡大、また貸し合算課税、課税区間の細分化などだ。これは現政府の不動産政策と大きくは変わらないし、その効果は国家収益の拡大に帰結するだろう。そしてこうして確保された財源を労働者たちのために使うかは未知数であり、またそれが法の条項になるとしても、実効性には限界があろうるそればかりか、譲渡所得税の正常化を主張しつつ、譲渡税の非課税は「健全な賃貸住宅事業者を生産できない」式の主張だとか、譲渡差益を自主申告して初めて所得控除による税金の恵沢を受けられるに誘導するのであれば、事業取り引き者たちは自身の利益のために実取り引き価を申告し、これによって政府は不動産の取り引き内容を簡単に把握できるだろうと政府に対する忠告をしている。ところで健全な賃貸住宅事業者、譲渡差益を受けられる人々とは、だれなのか。共働きの夫婦が20年働いて辛うじて家1軒を持つことさえ困難な現実を考えてみるならば、これは労働者民衆の要求だと言うことができるのだろうか?


新自由主義をど
う認識するのか

 最近、ノ・ムヒョン政権は連立政府(与党・開かれたウリ党と野党・ハンナラ党の連立。ハンナラ党の拒否で頓挫している)論議を提案し続けている。その内容が具体的にハンナラ党との連政だということが確認されるとともに、民主労働党は党内で連政に対するさまざまなスペクトルが受け入れ不可ということで立場が整理されたとは言うものの、完全にその火種が消えてはいないようだ。
 ノ・ムヒョン政権は景気沈滞、自由ブルジョア的改革の失敗の中で漸増している大衆の一半が爆発的な大衆闘争へと発展するのを阻み、政権を再創出するための、あらゆる努力を尽くすだろう。そして、その策略のうちの1つが連政のような術策であり、もう1つは経済社会委員会のように社会統合を押し立てた社会的合意主義システムの創出だ。そしてその核心的議題は非正規職、働き口、貧困問題などであり、これにいわゆる「市民社会団体」の参加を引き出しつつ、自らの改革イメージを持続させようとするのだろう。
 いわゆる「社会両極化解消のための連帯機構」は結成のための論議過程にあるので、断定的に判断するのには難しいものがある。それでも第1回のワークショップまでの進行過程には先に述べたように、手続き上で初期の提案団体中心に論議が進められてきた点や、内容においても非正規職問題が両極化解消の水準で扱われ危険性、実践活動が政府政策に対する請願やキャンペーン・レベルの活動に制限される可能性などが存在するものと思われる。さらに、提案諸主体が意図していたにせよ、そうでないにせよ、社会的貧困や不平等そして非正規職問題などが大衆闘争によって突破されるというよりは法制度の請願行動にとじこめられつつ、また別の形態の社会合意主義として逆機能する危険性も存在する、ということだ。
 重要なことは運動主体が両極化の主犯である資本や現政権に対していかなる態度を取るのかであって、根本的には新自由主義をどう認識しているか、だ。両極化は資本と政権が作り出したものだ。資本と政権に対する大衆闘争なしには、いかなる改良的措置も手にすることはできないという点を肝に銘じなければならないだろう。(「労働者の力」第84・85号、05年8月26日付、キム・テジョン/政策局長)


もどる

Back