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フランス大統領選                  かけはし2002.5.13号より

新しい大衆的革命党建設へ課せられた重大な責任

トロツキストが共産党の三倍の得票

 フランス大統領選挙第一回での革命派の得票は、たとえ第一回投票での国民戦線(ルペンを党首とする極右勢力)の大成功によって相対化されてしまったとしても、重要な政治的出来事である。極右勢力に反対する大衆動員、退職金制度や公共サービスに対する来るべき攻撃に備える反撃、来るべき総選挙が、革命派にとってのこの選挙結果を打ち固め、それをさらに前進させる機会となり得るだろう。
 フランス大統領選挙第一回投票では二つの政治的地震が重なり合った。第一の地震は第二回投票への国民戦線の進出である。この事態は、革命派の合計の得票率が一〇%を超えるというこの選挙の第二の地震の意義を弱めることになった。そして、第二回投票へのルペンの進出が事実、伝統的な政治舞台をひっくり返すこの選挙の重大な政治的要素であり、ルペンを阻止するための即時の統一した大衆動員を要求しているとすれば、革命派の選挙結果とその政治的比重は、それをうまく活用しさえすれば、何らそれを過小評価すべきではないだろう。
 共産党の得票率の三倍以上の一〇・四%という革命派全体の得票率は、社会党と同盟して多元的左翼政府に参加している三つの政党、共産党と緑と左翼急進党を合わせた得票率合計の一一%にほぼ匹敵する。選挙における革命派のこの影響力は、一部の県や地域に限定されたものではなく、国全体で示されている。海外県と海外領土を除いて、すべての県で、獲得された票は、一九九五年の大統領選で「労働者の闘争派」のアルレット・ラギエ候補が獲得した五・三%よりも上回っている。
 もちろん、そこには著しい不均衡もある。七つの県では得票率が八%未満であり、それらは、オート・コルス(六・二一%)、コルス・デュ・スッド(六・四二%)、アルプ・マリティム(六・六二%)、パリ(六・九七%)、オート・ド・セーヌ(七・一三%)、イヴリーヌ(七・六一%)、ヴァール(七・八六%)の県である。
 それとは反対に、一六県で、革命派は一二%を超え、そのうちでも、次の県ではよりすばらしい結果を得た。オート・ヴィエンヌ(一三・五五%)、パ・ド・カレー(一三・五六%)、ピュイ・ド・ドーム(一四・一〇%)。全体として、これらの得票は、過去数年を通じて進行しつつある労働運動の根深い再編と一致している。
 LCRは、「労働者の闘争派」に共同候補の擁立を提案したが、同派はこれを拒否した。それを受けて、二〇〇一年六月のLCR全国会議は、独自候補の擁立を決定した。「労働者の闘争派」との相違と不一致は、統一候補の実現を妨げるものではなかったものの、十分に大きかったので、われわれはアルレット・ラギエ候補を外から支持するよりもむしろ、この重大な選挙の局面にわれわれが独自に立候補することを決定した。実際、この選挙戦では以下のことを主張する革命派の唯一の潮流として登場することが決定的に重要であった。
 b経営者によって展開され、多元的左翼政府とEUによって代弁されている攻撃に対して緊急の要求の綱領を防衛すること
 b資本主義的グローバリゼーションに反対すると同時に、資本主義が生み出すあらゆる形態の搾取と抑圧と差別に反対する大衆動員とデモの受け皿になること
 bこの体制が設けている障壁を拒否するとともに、この体制をあらゆる搾取と抑圧の形態から解放された社会に置き換えることが絶対に必要であることを確信しているすべての人々を結集できる反資本主義の新しい党の展望を提起すること。
 LCRのこの全国会議は、二十七歳の若い郵便集配労働者を立候補させることを決定した。それは、日常において搾取とこの体制が最大多数の人々に押しつけている耐え難い生活条件とを経験している人物であって、有権者に票を投じさせることができる候補である。それは、資本主義的グローバリゼーションに反対するとともに、最大限の不安定雇用に反対して青年が展開している闘争に同調することができる候補である。FNACやマクドナルドや伝統的産業部門や公共サービスにおいて若者がこの不安定雇用の犠牲になっているからである。
 オリヴィエ・ブザンスノー候補が最も多くの得票率を獲得したのが有権者の中でも最も若い層であったという事実は不思議ではない。すなわち彼の得票率は、十八歳から二十四歳までの有権者の中では一三・九%、二十五歳から三十四歳までの層では六・三%であったのに対して、三十五歳から四十九歳までの層の中では四・六%、五十歳から六十四歳までの間で一・八%、六十五歳以上は〇・八%であった。青年は革命の炎なのだから。
 LCRが防衛している路線とブザンスノー候補のプロフィールが的を射ていたので、われわれの選挙運動はLCRの伝統的影響力をさらに超えて発展することができた。選挙運動が始まった三月初め以降、われわれの候補者が実際に準備体制に入ったとき、最初の何回かの選挙集会には非常に多くの聴衆が集まった。聴衆の中では青年が非常に多かったが、労働者も集まってきた。毎回というわけではないがときには元政治活動家や現役の政治活動家も参加した。これらの人々にとってこの候補者は未来への希望を表わしていたのである。
 そして、五百人の推薦人の賛同署名――大統領選挙の正式の立候補資格を得るには、五百人の市町村の首長や議員の推薦を獲得しなければならない――が提出された。推薦人の賛同署名を集めるために、LCRの活動家は数ヵ月間にわたって大きな労力を払わなければならなかった。ひとたびこの署名が提出されて正式資格を得ると、マスコミの利用、とりわけフランス二局やTF1局のテレビのニュース番組への登場が保証され、この候補の信頼度は質的に変化し、彼への支持は飛躍的な伸びを見せた。
 集会の回数はこれまでのすべての記録を更新した。われわれは、何百という激励のメッセージや選挙運動に参加したいとの支援提案やLCRへの加盟申込みを受け取った。朝市で配布されるビラはますます熱烈に受け取られるようになった。討論が広がり、地区での小集会がLCRと始めて接触するような多くの人々を結集させることに成功するようになった。この時点では、選挙戦のこの反響が投票の面で実際に実現されるかどうかまだ分らなかったが、実際の結果は最も楽観的な予測を超えるものとなった。
 選挙戦中に一部の世論調査が、革命派が一〇%に達すること、さらに、それを超えるということを少し報じたが、第一回投票の三週間前には、LCRとLOの間の得票比率は、一対五から一対一〇までの範囲であるとみなされていた。
 選挙戦の最後の二週間がこの比率を大きく変え、結局、ブサンスノーが四・二三%、ラギエが五・七二%を獲得することになった。しかも、たとえ革命派のこの二組織のそれぞれの有権者がまったく同一の性格ではないとしても、世論調査がアルレット・ラギエに与えた一〇%の投票見込み票のうちの多くの部分が、LCRの候補に向かったことは明らかである。
 LCRの候補者がまったく無名であったし、LCRが一九七四年以来、大統領選に立候補してこなかったのに対して、ラギエは今回が五回目の大統領選挙への立候補であり、選挙戦の最初からその知名度と選挙で蓄積してきた資本と大きな支持を利用することができただけに、勢力比の変化というこの現象は重要な意味をもっている。
 この選挙結果、そしてとりわけブザンスノーによって展開された選挙戦の反響と成功は、必然的であったとは言え、革命派が多元的であることを示すものである。革命派の中でその覇権を握ろうとするいっさいの野望は、無駄であるばかりでなく、大衆動員の面でも選挙の面でも革命派を構成するさまざまな勢力の統一に対する障害となる。
 「労働者の闘争派」によってなされた統一候補を拒否するという選択は確かに、LCRが五百人の市長や議員の推薦人を集められずに立候補できないか、あるいは票でLCRに対して大きな差をつけられるだろうから、「労働者の闘争派」が革命派に対する政治的覇権を確保できるだろうという評価にもとづいて決定された賭けであった。
 だが実際はまったくそうはならなかった。「労働者の闘争派」は、当面、第一回投票の夜のアルレット・ラギエの宣言でほのめかしているようなブザンスノーに投票した有権者が本質的にプチブル的であるという間違った正当化を試みるよりも、欧州議会選挙で共同の選挙戦を展開した当時の精神状態に戻った方がよいだろう。
 そして、われわれに関して言えば、われわれは、自分たちの候補への得票だけでなく、革命派全体への得票結果をも同時に喜ぶのである。なぜならそれは明らかに多元的左翼政府によって展開されている政策に対する拒否の意志と反資本主義的なオルタナティブの追求という願望を表明しているからである。さらに、それは、ダニエル・グリュックシュタン候補に投じられた有権者の一部にも少なくとも当てはまる。たとえ、労働者党(ランベール派)の路線が社会運動にも統一した大衆動員の枠組みにもまったく登場しないものであり、その裏工作的セクト主義的政治的実践が、進行する統一の歩みをこの上もなく疑わしいものにするような性格をもっているとしても、やはりそうなのである。
 革命派の選挙での成功は疑いようのないものだが、だからといって勝利に酔ってもおめでたい不毛な自己満足に陥ってはならない。数十万人の労働者、青年が今日、革命派に向かっており、政治情勢の中で賭けられているレベルに対応して革命派が回答をもたらすことを期待している。LCRと「労働者の闘争派」にはとりわけ、来るべき時期に予定される共通の会議の枠組みのもとで討論を行なうという直接の責任がある。
 共和国派の全国民的な戦線という罠に陥ることなく、国民戦線と極右勢力に反対する必要な大衆動員の最先頭に立つことである。社会保障、退職年金制度、公共サービスの解体と民営化、強硬な治安政策を通じた民主的権利の見直しをめぐってMEDEF(経団連)と次期政権がわれわれに対して準備している反労働者的攻撃を阻止するために、大衆的な統一した動員の条件を準備することである。
 最後に、伝統的労働運動、そしてとりわけ共産党を直撃しているかつてない危機は、反資本主義的な新しい労働者党の問題を客観的に提起している。このような党の誕生は解放の計画に再び信頼を与えることになるだろう。確かに、この方向へ前進するための王道はない。だが、政治は空白を嫌う。この方向に進むことを可能にし、このような計画に信頼を与えるであろうすべての機会を今後数週間のうちにとらえなければ、改良主義指導部が事態を再び掌握し、空白の場を埋めることができるだろう。このことが賭けられている。それは重大な岐路である。(『ルージュ』(4月25日)



フランス大統領選の結果について

新自由主義への屈服が左翼政府与党の敗北をもたらした

 今回の大統領選挙を前にして、フランスのマスコミはこの選挙には二つの政治的焦点があるとみなしていた。ひとつは、右翼主流のシラクと社会党のジョスパンの「二大候補」のどちらが大統領に当選するのかというものであり、もうひとつは「トロツキスト派」である「労働者の闘争派」のラギエ候補が、危機にある共産党のユー候補の得票を上回るかどうかというのものであった。だが、第一回投票の結果――フランス大統領選挙では、過半数を獲得する候補者がいない場合、上位二人の候補による第二回の決選投票が行われる――は、マスコミの設定した以上のような枠組みを決定的に裏切るものとなった。

社会・共産・緑はなぜ敗北したのか

 前者の政治焦点について言うと、この間の大統領選挙では確かに、第一回投票では、右翼主流の共和国連合と左翼主流の社会党の二人の候補が一位、二位を占め、両者による第二回投票による決選投票で当選が決まるというの常であった。当然、マスコミもその延長線上で、両者の争いになると予測したのであった。だが、ふたを開けてみると、社会党ジョスパン候補の票は伸びず、極右国民戦線のルペンにも抜かれて第三位に転落してしまったのである。こうしてここに、極右勢力が、第五共和国始まって以来はじめて大統領選の決選投票に進出するという異例の事態が出現することになったのである。この事態をどう見るべきであろうか。
 確かに、極右勢力の得票が社会党や共産党の票を上回るという事態は、きわめて深刻な事態であろう。だが、ATTACのクリストフ・アギトンが分析しているように、「この結果を、フランスの政治が右旋回していて、民主主義勢力や社会運動が後退していることを示している兆候であると見ることは誤りであろう」。左翼全体と右翼全体の得票合計数が前回一九九五年に比べてほぼ同じで、大きな変動がないことがそのことを示している。
 したがって敗北したのは、社会党を中心とする多元的左翼政府の与党である。社会党、共産党、緑の与党は前回に比べて百五十万票を失ったのである。なぜそうなったのか。それは、この政府が、人民大衆の期待に反して新自由主義的グローバリゼーションに屈服し、それに沿った反人民的諸政策を実施してきたからである(大量の人員整理、公共サービスを解体する民営化の推進、アメリカの戦争への加担など)。
 こうした政府の路線を象徴的に示したのが、ベルギーにあるルノー・ヴィルヴォルド工場の閉鎖計画に反対して社会党党首として労働者とともにデモに参加していた当のジョスパンが、その直後に総選挙で勝利して首相になると一転してこの工場閉鎖を承認してしまったことである。
 こうした裏切りに輪をかけたのが、今回の大統領選の選挙戦であった。国民戦線のルペンと共和国連合のシラクは、キャンペーンの焦点に「治安悪化問題」を設定した。石原慎太郎ばりの、外国人犯罪が増加しているから治安体制を強化せよという単純で機械的な図式がここでも活用され、都市における治安の悪化と青少年の非行の増加が移民青年に原因があるという単純で機械的図式が用いられた。だが、社会党のジョスパンは、これと真っ向から対決することなく、基本的に同じ土俵の上でその主張を展開したにすぎなかった。
 こうして労働者人民は、選挙戦を通じて社会党と右翼との間に大きな相違をほとんど感じることができなかった。その結果、これら、人民の一部は棄権にまわり――棄権票は第五共和国成立以来最大となった――その最も遅れた層は左翼政府への幻滅からルペンに投票し、最も先進的・意識的層は革命派に票を投じた。

反グローバル化運動とLCRの躍進

 マスコミの第二の予測もまたまったく違った結果をもたらした。確かに、「労働者の闘争派」のラギエ候補は、共産党の票を大きく上回った。だが、まず第一に、共産党の票は、革命派の得票合計の一〇%を大きく下回っただけでなく、「労働者の闘争派」とLCRのそれぞれの票さえを下回ってしまった。新自由主義的グローバリゼーションを推進する左翼連合政権内にとどまり続けることによって、この党は危機をよりいっそう加速させてしまったのである。
 革命派をめぐるマスコミの予測の第二の大きな誤算は、選挙における「労働者の闘争派」とLCRの間の力関係の急激な変化を見ることができなかった点である。「労働者の闘争派」は毎回、大統領選挙に立候補し、知名度のきわめて大きな「有名」候補であった。他方、LCRのブザンスノー候補は、二十七歳のまったく無名の候補であり、当初の世論調査では両者の支持率には、一〇対一という大差がついていた。
 だが、選挙戦が進み、青年労働者として、マクドナルドのストライキなどの青年の運動や、ポルト・アレグレやバルセロナの反グローバリゼーション運動の先頭に立つブザンスノー候補が次第に脚光を浴び、雪だるま式にその支持を拡大していった。他方、それに反比例する形で、反グローバリゼーションの運動を批判する「労働者の闘争派」のラギエ候補の支持が次第に低下し始めた。
 実際、ラギエは、近著『私の共産主義』の中で、多くの青年が反グローバリゼーションの運動のために全世界各地に出かけているが、「これは、わが国で、解雇され日常的に搾取されている労働者とともに、資本主義の災厄と闘い、労働者が自己を防衛するのを助けることを妨げるものである」と述べている。こうして、選挙面での革命派内の力関係も大きく変わりはじめている。

反資本主義的労働者統一戦線めざし

 フランスの一部マスコミは、革命派の票を、極右勢力と同一視し、同じく「民主主義」にとって脅威であると論じている。また、別のマスコミは、革命派の政策を、ヒトラーが台頭した一九三〇年代にドイツでファシズムに反対する労働者の統一戦線を妨げた共産党のセクト主義路線と同じであると言っている。
 これらすべてはまったく根拠のない中傷である。一九三〇年代、ドイツにおいて共産党のこうしたセクト主義に最も一貫して反対し、労働者統一戦線の実現に向けて闘ったものこそトロツキーとトロツキストに他ならなかったからである。また、フランスでは、一九八〇年代、極右の国民戦線が台頭して以来、それと対決する闘いの常に先頭に立ち、とりわけRas l Front(国民戦線に反対する闘争協会)の建設に参加してきたものこそ、LCRだったからである。
 LCRは、五月一日の百万人を超える広範な反ルペンのデモの先頭に立って闘っている。そして、当然にも、この広範な人々の中には、「棄権票を投じたこと」「革命派に投票した」ことを「後悔している」人々が数多くいる。事実、社会党への入党申込みが殺到しているという。LCRは、こうした人々の意識を、ルペンと闘う意欲として基本的に積極的なものとして捉え、それを保守勢力とは独立した労働者人民の独立した大衆動員として発展させるために闘っている。
 他方、この大衆運動を保守勢力をも含めた反ファシズムの挙国一致的運動へと収斂させようとする試みが存在する。シラクによる、ルペンに反対して「共和国の防衛」をという路線がそれであり、自身のこれまでの新自由主義路線への屈服の責任をあいまいにして、反ファシズム一般に運動を押し流そうとする社会党指導部の路線もまたそうである。これはまさに人民戦線路線に他ならない。社会党と共産党の指導部に新自由主義路線と手を切るよう要求しなければならない。シラクと経営者の攻撃に対する労働者人民の広範な大衆動員を発展させなければならない。「かけはし」編集部


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