| 人革党と胚性幹細胞事件 かけはし2006.1.23号 |
ねつ造された二事件の共通性
合理的疑いが作動しない仕立て |
韓国ソウル大・ファン・ウソク教授による胚(はい)性幹細胞(ES細胞)研究疑惑を検証していた同大調査委員会は1月10日、調査報告を発表し、「患者の体細胞からクローン技術により作製」されたとするES細胞は「一切、存在」せず、ファン教授が昨年5月、米科学誌「サイエンス」に発表した論文のデータも結論もねつ造されたものであることを明らかにした。韓国内で熱烈な支持を得ていたファン教授の研究は、いかにしてねつ造されたのか。以下は、70年代の人革党再建委事件のねつ造の過程と比較しつつ、その構造と過程とを指摘したものである。長文のため、文中の一部を編集部の責任で省略した。(編集部)
二つのねつ造劇が露見
どこまで行くのか、ファン・ウソク(黄禹錫)教授をめぐる話は。現在、高校3年生の学生たちは生物の学習を、どれほど一生懸命にやったことだろうか。国民全体が突然、胚性幹細胞(ES細胞)の専門家になってしまった。ひとことで言えば、国中が上を下への大騒ぎとなってしまった。「人為的失敗」というきれいごとの言葉遊びの霧は晴れ、衝撃的なねつ造劇の実体が、あらわになっている。
ファン・ウソク・ショックが全国を強打する10日ほど前の12月7日、「国家情報院」(旧KICA)の過去の事件の真相究明を通した発展委員会」は人革党(人民革命党)再建委と民青学連事件についての調査結果を発表した。
ひとことで言えば、人革党再建委員会なる団体は存在したことがなかった。1975年4月9日の大法院(最高裁)の確定判決から、わずか18時間後に8人の尊い命を奪ってしまったパク・チョンヒ時代最大の公安事件は、徹底してデッチあげられたものだった。
2005年12月、国民は30年という時差をおいて発生した2つの希代のねつ造劇が露見する光景を見守ることとなった。
反対を表明できない社会
……両事件ともに、一般市民らがこの世間について抱いている基本的な信頼を揺さぶった。最初にねつ造疑惑が提起されたとき、多くの国民はファン・ウソク教授の肩を持った。それはファン教授が投じてくれた希望の灯のせいだけではなかった。患者に適合するES細胞がそうそう早く臨床治療に適用はできないだろうと考えはしたとしても、多くの市民らは「よもや科学者が論文を書くのに基本資料をねつ造するだろうか」という信念を持っていたのだ。
人革党再建委事件が発表された当時も厳酷な軍事独裁政権の弾圧のせいだけではなく、多くの国民は政府の発表なのだから事実だろう、と信じたのだった。
信じるということは重要な価値ではあるが、信念が力を発揮するためには――宗教的な信念の場合は、いささか話が異なるけれども――徹底した検証と監視に基づかなければならない。信じることの他の側面は合理的な疑いだ。合理的な疑いを解くことができ、このような合理的疑いが検証され得るシステム、これが民主主義だ。民主主義は、なぜ3権を分かち、けん制と均衡の装置を幾重にも作っているのか。これは権力の属性に対する不信のせいなのだ。
私はファン・ウソク事件を見ながら、国家保安法を思い浮かべた。ES細胞の波紋に、なんでまた国家保安法なのか、と言われるかも知れないが、私は合理的疑いが作動できないように仕立てる暴力こそが国家保安法の本質ではないのか、と考える。
わが心の中に疑問が生じたとき、これを周囲の人々に語ることなくして、なんで解決していくことができるであろうか。しかし国家保安法にもたれかかり韓国社会を支配してきた鉄則とは何か。口数が多ければ、無条件に共産党だ。反対意見を表明できない社会、政府の発表は無条件に信じなければならず、教科書には真実だけが載せられ、「新聞に出た」と言えばもはやそれ以上、検証の必要のない社会、これが国家保安法が描く理想社会だった。
人革党再建委ねつ造事件が起きる直前の1974年1月、パク・チョンヒ政権は緊急措置第1号を発動した。これは維新憲法を「否定、反対、歪曲または誹謗する一切の行為」と維新憲法の「改正または廃止を主張、発議・提案または請願する一切の行為」を禁じ、これに違反する者ばかりでなく、この措置を誹謗した者まで「裁判官の令状なしに逮捕・拘束、捜索するとともに15年以下の懲役に処」することができるように、なっている。……そもそもどれほど状況が切迫していて令状の発付を受ける時間もなかったというのか、なんで軍事法廷に人々を立たせなければならなかったのか。
ファン・ウソク教授の波動を見つつ胸に浮かんだ疑問は、研究陣が数十人もいるというのに、これらすべての人々はいったいねつ造することが可能だったのか、という点だ。研究陣として参加した、そうそうたる科学者たちすべてが良心を忘れてしまった人物ではないだろうに、なぜ検証ができなかったのだろうか。政府は数百億ウォンもの研究費を与えつつ、ただ尻馬に乗ってバラ色の夢を思い浮かべていたのだろうか。
「私を信じないのですか」
実際、この疑問は人革党再建委事件に取り組んでいる間、ずっと私の頭から離れない問題だった。物証としては、たかだか北の放送を聴いて記録したノート1冊だけの事件――それさえも、このノートは国家保安法上の反国家団体の嫌疑の証拠ではなく、反共法上の利敵表現物所持の証拠であるにすぎない――で8人の命を失うというのに、事件を捜査した中央情報部はそうだったとしても、検察や裁判所は何をやっていたのか、マスコミもまたなんでこのようなとんでもないねつ造事件にそっくりのみ込まれることになったのか。
国家の検証システムは徹底してマヒしていた。このねつ造事件の最大の責任が中央情報部にあるとの前提の下に、国家のシステム全体がねつ造事件の共同正犯として巻き込まれていった過程をたどって見ざるをえない。
知っていながら甘んじてだまされたのか、知らずにだまされたのか、あるいはその境界がどこなのかを区別するのは簡単ではないが、人革党再建委事件の調査の経験とファン・ウソク事件の波動を考えながら、1つ確実に感じたのは、灯台もと暗しにも似て、近しい人をだますことは常識的な他人をだますことよりも、はるかにたやすい、という点だ。
中央情報部の元高位幹部は、当時も内外から拷問の疑惑が数多く提起されていたのに何の措置もとらなかったのかという質問に対して、拷問をするなと何度となく指示を下したばかりでなく、捜査官を呼び出して口頭で調査した、と答える。捜査官は「私を信じないのですか。あんなアカの話を信じるのですか」と身を震わせて否定するので、私としてはどうしようもなかったと言うのだ。安企部・国情院の盗聴事件でも高位幹部たちは盗聴根絶の指示を下し、下からは「していない」と報告があれば、それっきりだったと言う。
人革党再建委事件の拷問疑惑に関連して中央情報部の内部文書を操ってみると1973年10月のチェ・ジョンギル教授拷問殺人疑惑事件直後、中央情報部長が監査室を通じて捜査関連部署の捜査状況を点検した報告書が出てきた。「拷問しているのか」「していませんが」。それで終わりだ。……徹底して分業化された実験室で、わがチーム・メンバーがやっている仕事だという信頼の中で、内部検証の手続きは位置づきようがなかった。検証の消えた所に、ねつ造は芽生えた。
それでも1964年の第1次人革党事件当時は公安検察が中央情報部や検察首脳部に抵抗して、中央情報部での陳述以外にはいかなる証拠もない事件をどうやって起訴するのか、と抵抗して辞表を出したりもした。……だが、ちょうど10年の歳月が流れた1974年には、よしんば非常軍法会議検察部という仮面をかぶりはしたものの、大韓民国の検事たちは積極的に人革党再建委という反国家団体を作り出すことに加担した。……
1審と2審は軍人らが裁判官となった軍事法廷で行われたという点において司法部もまた司法権を重大に侵されたと言える。だが大法院が、この司法殺人の最後の関門だったという点において、司法部は決して責任を免かれることはできない。
ここで責任というのは、歴史的・道徳的、または政治的責任だけを言っているのではない。法を扱う人々は法的な責任を取らなければならない。証拠というものは初めからなく、拷問の疑惑は花盛り、加えて公判調書の変造疑惑まで提起されている状況にあって大法院は「法律審」という看板のかげに隠れて、いかなる事実確認もしないまま、法律の適用に誤りはないとして死刑を確定した。……
マスコミ、沈黙と愛国の狭間
イ・ジェスン教授は最近発表した論文で「裁判官の犯罪行為として、司法殺人は政治的目的に奉仕する意図の下に悪法の無制約的適用、法律の文言に反する法律会社、事実関係のねつ造証拠の恣意的評価、事実関係に相応しない刑量の賦課などを通じて死刑を宣告し死亡に至らしめる行為」と定義し、死刑が執行された場合には殺人罪の既遂になる、と主張した。……
帝国主義を煽り立てたマスコミが人革党事件で遂行した役割は、いささか複雑だ。人革党再建委関連者8人が死刑にされるとき、マスコミは沈黙を守った。いや、ねつ造された情報、例えば死刑判決をされた人々は最後の瞬間まで赤化統一を望んでいる式の、ねつ造された遺言を堂々と伝え、一般国民が「あゝ、奴らは本物のアカなんだな」という誤った意識をもつように仕向けた。
だが独裁政権が最初に人革党再建委事件をねつ造した1974年には状況は異なった。若い記者たちは、言うべきことは言おうとしていたし、現在とはまるで論調が違っていた「東亜日報」は維新独裁批判の先頭に立った。そして加えられたのが広告弾圧。歴史上、初めて白紙の広告が登場した。「東亜日報」は、その渦中でも3カ月、耐えた。読者たちは財布をはたいて自己の意見を広告に載せた。だが「東亜日報」は1975年3月、維新政権の圧力に結局、膝を屈し100余人の記者を追い出した。「朝鮮日報」も30余人を解職した(このとき解職された方々が後にハンギョレ新聞を創刊する主軸となる)。……
「反共」にかわり「国益」
ファン・ウソク事件の波動でマスコミは、「ハンギョレ21」590号で指摘したように、声を限りに「ファン・ウソク万歳」を叫び立て、ファン・ウソク神話の検証を要求するTV番組「PD手帳」にかみついた。1975年を揺るがした反共決起大会のような厄払いの代わりに2005年のマスコミは「国益」を押し立てた。冷戦が終わり、「反共」の薬効が低下した空間を「国益」が埋め始めたにすぎず、反共であれ国益であれ、やり方は全く同じだった。異なった考えは許されなかった。
ファン・ウソクを疑う者は売国奴だった。いまや国益は新版・国家保安法の新しい主文となった。1975年のねつ造劇と違う点は、当時の大衆は国家権力のねつ造劇にだまされたまま見物人となったのに反して、2005年のファン・ウソクの事態では大衆が積極的に愛国主義の熱風を呼び起こした。……
失望すべきは文化放送の態度だった。……チェ・ムンスンの文化放送は「PD手帳」の広告が減っていったのに続き、「ニュース・デスク」の広告もまた減少する兆しを示すと、頭を垂れた。胸の痛むことだ。
……ファン・ウソクがねつ造を指示したとき、研究員は間違いであることを知りつつ、指示に従った。研究室は軍隊よりも、もっとひどいと言う。不当な指示を拒否できる権利が保障されない非民主的な雰囲気にあって、絶対権力者の指示によってねつ造は、なされていった。
30年前の国家犯罪である人革党再建委事件というねつ造劇と2005年のファン・ウソク事件を見ると、それでも歴史は発展しているもので、われわれにまだ希望はある。結局、真実は明らかになったとは言うものの、人革党再建委事件は8人が死んだ後、30年の歳月がなければならなかった。ファン・ウソク波動は幸いにも人の命を奪うことなく数カ月にして真実が明らかになった。
若い科学者たちの勇気と誠実さが、ファン・ウソク神話が残したウソのとばりを引きはがしたのだ。緊急措置と国家保安法によって支えられる維新体制下で青年学生や良心的な知識人たちが人革党事件はねつ造であることを叫んだものの、その声は響きわたることができなかった。だが、インターネットの時代に若い知識人らが少しずつ知恵と努力を集めたので、何ぴとも統制できない力を作り出したのだ。真実の勝利だった。だが真実は決して甘いだけではなかった。(ハンギョレ21」第591号、06年1月3日付、ハン・ホン)
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